「■東京の情報」カテゴリーアーカイブ

BANCHAN WORLD の東京をテーマにしたカテゴリーです.

日本橋(日本道路元標)【東京考察#77】

Nihonbashi (the Japan road origin mark)

 

 日本橋は,1603年に徳川家康によって架けられ,東海道・中山道・日光街道などの起点として役割を果たしている.現在でも日本道路元標として,この日本橋を中心として道路のキロ数が表示されており,国道1号や4号・6号沿いにある「起点(東京)まで○○km」という表示は,ここ日本橋までの距離である.現在の橋は明治44年に架けられたもので,石造2連アーチ橋として国の重要文化財に指定されている.


○印のところに「日本国道路元標」がある

 日本国道路元標は道路の真ん中,橋の真ん中にあるので,普段は車が走っているため近くでは見ることができないが,土日に行われる歩行者天国の時は堂々と見ることができる.そのため,元標の複製が歩道に設置されている.首都高速が日本橋川に沿って架けられているため,空間を圧迫されている日本橋であり,橋中央のモニュメントも高架橋の隙間をみつけて天に向かっている姿など,歴史的遺産を後世に残そうと踏まれても踏まれても生きようとしているように思える.


複製



日本橋


近くに証券街・兜町があるため,
平日はビジネスマンが多く歩く

東京交通会館の回転するスカイラウンジ【東京考察#76】

The skylounge which a floor rotates (Yurakucho)


上部の丸い部分が「銀座スカイラウンジ」


 有楽町駅の銀座側に東京交通会館がある.2階には東京都旅券課有楽町分室があって,パスポートの交付を受けることもできるビルであるが,その最上階に東京會舘の運営する銀座スカイラウンジのレストランがある.このスカイラウンジは円形になっていて,床がゆっくりと左回りで回っており,約1時間でぐるりと1週するようになっている.このレストランは僕が生まれる頃には既にあったというので,1970年頃には営業していたということであるが,当時は周囲にもあまり高い建物が存在せずに,銀座の街や皇居のみならず,東京の街並みを遠望することができたであろう.現在でも,銀座や汐留再開発,皇居の森,丸の内オフィス街,そして新幹線やJR線が模型のように走っていき,都庁跡地にできた東京国際フォーラムの船をイメージした巨大な建物や,東京駅の何本も広がっている広大なホームを眺めることができるので,料理もさることながら,東京の景色も楽しむことができるレストランである.
夜になると,キャンドルが灯され,ピアノの生演奏を聞きながら,ムードある食事をすることができるので,ヤングからお年寄りまで,幅広い年齢層(もともと銀座は落ち着いた大人の街なので,コギャル系にはちょっと合わないかもしれない)に受け入れられるレストランである.


テーブルの外の景色
ホームはJR有楽町駅 新幹線が走る


雨で霞む工事中の「汐留再開発」

 
交通会館の屋上には「ゴルフ練習場」がある
背後はJR東京駅


時代を感じさせる「救助袋」と書かれた扉
脱出用シューターのことだと思う


店内の様子


ホール中央と回転床との境
オレンジ線を境に回転している
トイレに行っていると,ちょっと場所が変わっているので注意

日本橋兜町(証券街)【東京考察#75】

Security town (Nihonbashi Kabuto-cho)

 


 「兜町」は,明治11年に渋沢栄一や三井養之助らによって東京株式取引所が誕生したことにより,日本における証券市場の代名詞として知れ渡るようになった所である.東京証券取引所を中心に,さまざまな証券会社が店舗を構えており,ニューヨークの「ウォール街」,ロンドンの「シティ」とならんで,世界三大証券市場を形成しているのである.


東京証券取引所
TOKYO STOCK EXCHANGE

 東京証券取引所は,証券市場を開設して運営するところであり,市場で売買されている株式や債券(有価証券)の流通市場を管理している.かつては,紙切れをもった証券マンが場内をせわしなく歩き回って,株式の売買を行っていたが,現在は全てコンピュータによる管理になっており,かつてのような喧噪とした東京証券取引所は見ることができなくなった.証券取引所の館内は入口で受付を済ませれば,無料で誰でもガラス張りのマーケットセンターや取引の様子(といっても大画面に数字が羅列されているのを見るだけだが)を見学することができる.取引時間は,平日9:00~11:00,12:30~15:00となっている.


証券会社の看板が並ぶ(茅場町)


野村証券本社(日本橋)


労働組合のデモ


昼休みには「ホカ弁」も大混雑


居酒屋のランチ

 証券街の居酒屋でランチを食べたが,驚いたのは注文をしてからランチがでてくるまでの時間が短いことである.なんと,写真のメニューが「10秒」ででてきた.日替わりランチ以外のメニューでも,ランチメニューの定食(さしみ定食)は10秒で出されていた.さすがは,一寸の時間も惜しむ証券マンの街である.

(旧)歌舞伎座(東銀座)【東京考察#74】

Kabuki-za (at Higashiginza)


歌舞伎座正面

 


 東京で歌舞伎を見るならば東銀座にある「歌舞伎座」である.
現在の地に歌舞伎座がオープンしたのは明治時代のことで,大正から現在の「松竹」が興行を行うようになった.現在の桃山風建築の原型ができあがったのは,大正時代なのであるが,その後の戦災により焼失し,今の建物は昭和26年に復興したものである.1988(昭和63)年に開場100周年を迎えた.間口27mの舞台、直径18mの回り舞台を持ち,座席数は1,886席となっている.



昼の部の公演題目


切符売り場


歌舞伎座の座席表

 チケットは前売りの電話予約をして購入するのであるが,当日券も販売されている.
歌舞伎は「昼の部」と「夜の部」があり,昼の部は午前11時から5時間,夜の部は午後4時30分から4時間半程度行われる.といっても,通しで公演が行われているのではなく,3~4幕で構成されていて「幕間」には,トイレに行ったり食事をとったりすることができる.
チケットは,昼と夜とを「通し」で購入することもできるが,その場合は値段は2回分支払うこととなる.
3階席には,A席(4,200円)とB席(2,520円)があるが,B席は当日券での購入はできないこととなっている.しかし,団体客のキャンセルがでるときがあり,そのときはラッキーである.チケットを購入するときは画面を見ながら席を指定することが出来るが,当日券で割り当てられている場所は限りがある.
1・2階の席は,1等席(14,700円)と2等席(10,500円)に分かれているが,これらの違いは,ホールの天井が見える席は1等,上階の座席があるために天井が低い場所が2等となっている.さらに,両脇には桟敷席(16,800円)があって,ここは床より一段高くなっていて座布団が敷かれセミ個室のような特等席となっている.


3階席 前方がA席 後方がB席
(一番後ろは「一幕見席(後述)」となる)


3階から見た2階席と1階席
3階からは残念ながら花道を見ることはできない(立てば別)


1階の1等席 手前に「花道」が写っている


これが「桟敷席」 花道が丸見えである
桟敷とは板を敷いて土間より高くして見やすくしている場所
相撲や芝居小屋に見られる席である


 歌舞伎座には,唯一ここだけとなった「一幕見席」が現存する.これは4階部分の最後尾に2列イスが並んでいる席で,時間のないひとのための1幕のみの鑑賞や,学生・愛好家のための超格安な料金で見ることの出来る当日券のみの自由席である.幕によって料金が違うのであるが(800~1,200円前後),映画よりは安くなっており,さらに学生割引(100円引き)も存在する.幕見席はチケット売場も入口も別となっており,中で3階や1階に行くことはできない.
「よい舞台は3階席と幕見席が育てる」と言われており,間合いに掛けられる「○○屋」といったかけ声も後ろの方から聞こえてくるものである.


 
割烹やそば屋などのお店がある


みやげ物屋もある

 
弁当を買う人で行列ができる.
幕間に座席で弁当を食べることができる
幕の合間に食べるから「幕の内弁当」という名がついた.

 中には,喫茶店や高級割烹のような店,セルフサービスのカレーライス屋,そば屋,みやげ物屋,弁当屋など,ちょっとしたテーマパークのようになっており,不自由することはない.1日中歌舞伎を楽しむことができるようになっている.また,難解な古典歌舞伎をよりわかりやすく鑑賞するために,イヤホンガイド(650円)の貸し出しも行っている.やはり,歌舞伎座では「幕の内弁当」を食べることにしよう.



花道  前方にせり上がりの「すっぽん」がある


「焼豆大福」
焼き焦げが香ばしい大福


おまけ・・・


なんと,「小泉首相」が来ていた!

 


「かぶ~~き~~~ 歌舞伎座へ」

 生まれて初めて歌舞伎を見に行った。
海外旅行をして、外国の文化に触れているくせに、自国の文化についてどれだけ知っているのだろうか、と疑問に思い、歌舞伎を見てみることにした。

東京で歌舞伎といえば、東銀座にある「歌舞伎座」である。どんな題目をやっているかも十分理解せず、とりあえず11時から開演すると「ぴあ」に書いてあったので、10時頃に行ってみた。
歌舞伎座はさすがに貫禄ある面構えである。江戸時代を彷彿させるあのファサードはとても際立つものである。プログラムを見ると、「四月大歌舞伎」中村歌右衛門一年祭・中村魁春襲名披露とあり、昼の部が11時から夜の部が午後4時30分からとなっている。

なんとなくしか「歌舞伎」というものを知らなかったので、いろいろと驚くことが多かった。歌舞伎は江戸時代に完成した大衆劇で、現代で言うと演劇やドラマ・吉本興業のお笑いみたいなものなのだろうが、時代が過ぎると高貴あふれる日本を代表する伝統民族文芸となってしまうところが不思議である。
昼の部で5時間、夜の部でも4時間半という長丁場で、映画や演劇を見慣れていると2~3時間という感覚が普通であるので、ずいぶんと長く見るのだと感じた。といっても5時間ぶっとうしでやっているのではなく、中では4つの題目にわかれていて、それぞれが45分と1時間半で1幕となっている。途中、食事はどうするのかと思ってしまうが、食事のための休憩が30分間とられてあって、その間に食事を済ませることができる。

中に入ると、さすがは歌舞伎座だけあって、空間の重みが感じられる。そして、食堂や軽食、おでん屋やそば屋、みやげ物屋など、たくさんのお店があるのには驚いた。ただ、ホールだけかと思っていたのであるが、中に入るとそれなりに店がそろっていて、ある種のテーマパークと同じであり、1日中いられるようなところである。
チケットは、当日券でも手に入れることができたが、一番安いのは3階B席で3150円、これは既に前売りで売れ切れ。次に安いのが3階A席で5250円、これを購入した。座席を買うときはテレビ画面を見ながら、好きな席を選べるのであるが、3階の一番前の席が空いていたので、そこをGET!! これはラッキーであった。参考までに、次に高いのが2等席で、これは2階と1階の後ろの方の席である。そして1等席。これは1・2階の前のほうで、16800円となる。3階からだと花道は見れないのであるが、1等を買えばばっちり花道もOKであり、身近に歌舞伎役者を見ることができるのである。
さて、これで終わりかと思ったら大間違い。さらに上級の席がある。それは「桟敷席」と呼ばれるもので、1・2階の両サイドの壁伝いに座布団が引いてある席で、お茶のポットなどがおいてあるセミ個室みたいな席である。正面の席ではなく、脇の席のほうが値段が高いというのは、ちょっとよくわからないが、とにかく桟敷席は見るからに高そうな席である。

開演直前になると、改めて3色(4色か?)の幕が引かれて、それが開くと開演となる。ちょうちんが2階と3階の席のところに飾られており、これが「歌舞伎座かー」と改めて感動した。何気なしに訪れた歌舞伎座であったが、出演するメンバーはそうそうたる顔ぶれで、橋之助、福助、梅玉、吉右衛門、勘九郎、團十郎、玉三郎と豪華キャストである。イヤホンガイドというのがあったので、それを650円を出して借りて鑑賞することにした。これがないと、浄瑠璃だって「あぁーおーめーのー・・」などと何を言っているのかさっぱりわからない。おかげで、ストーリーと背景を知ることができた。ただ、イヤホンをつけていると空間の雰囲気を感じ取ることが半減してしまうので、阿古屋という題目で玉三郎が胡弓を弾いているときなどはイヤホンをはずして聞いていた。

2幕目が始まる前、場内が拍手で沸きかえった。下を除いてみると、なんと「小泉首相」がSPを連れて1階正面の真中あたりの席に座ろうとしているではないか。なんとも、またまた大物役者!!?を見ることができたではないか。「小泉サーーん」というおばさんの声に手を振って答えていた。
あらかじめ買っておいた幕の内弁当を食べ、5時間にわたる歌舞伎鑑賞を行ったのであった。中の様子は、おって東京考察のページに掲載しようと思います。(上演中の撮影は禁止されていたので、歌舞伎座の中の様子だけ写真を撮ってきました)

「蘭平物狂(倭仮名在原系図) ~六月大歌舞伎」

 最近僕の中でちょっとしたマイブームとなっているのが「歌舞伎」である.それも現代風にアレンジした猿之助演じるスーパー歌舞伎ではなく,東銀座の歌舞伎座で公演されている古典歌舞伎である.海外へ旅に出て異国の文化を肌で感じ取っているのに,自国の伝統芸能である「歌舞伎」を知らないとは言っていられないと思い,今年の4月に初めて歌舞伎を見に行ってみたのであるが,これが大変興味深く,僕の中ではいままでに体験したことのない表現方法の芸能を新たに発見した感動を覚えたのである.それ以降,毎月歌舞伎座に足を運んでいるのであるが,今月は今日,歌舞伎座にて歌舞伎を見に行った.

当日券は午前10時から先着順で販売する.だいたいは3階後方の安い席から満席になっていくので,5000円以下の3階席を希望する場合は,午前10時に行ったのでは売り切れてしまう.ところが,今日は不思議と3階前方の5000円の席が初めに売り切れて,3階後方の3000円の席は空いていた.3階席からは花道が見れないので歌舞伎の醍醐味が半減してしまうのであるが,1階席は1万円以上するので,貧乏人の僕としては3階後方席を購入し,オペラグラス持参で鑑賞しているのであった.

歌舞伎座には「イヤホンガイド」というのがある.古典歌舞伎は正直言って何をしゃべっているのかよくわからない.まして,浄瑠璃の歌などは外国語を聞いているようで何がなんだかさっぱりわからない.そんなストーリや背景,衣装や舞台装置の説明などをしてくれるのがイヤホンガイドなのである.小型の無線機となっていて,席に座りながらイヤホンを耳にはめて解説を聞く.僕が歌舞伎に興味を持てて面白く感じているのも,イヤホンガイドの解説によるところが非常に大きく,イヤホンガイドなくしては歌舞伎は見れないのが正直なところである.ただ,欠点もあって,片方の耳がふさがってしまうので舞台の臨場感を五官を使って100%味わえない.マイクで拾った場内の音をイヤホンから聞くことはできるのであるが,やはり舞台全体の生の音色を両方の耳で聞いたほうがよく,楽器や音を聞かせる部分ではイヤホンを外して臨場感を味わったりしている.ちょっとしたコツを最近発見し,イヤホンを完全に耳に押し込むのではなく,耳の穴にかけるようにして少し隙間をあけておくと,多少は臨場感を味わいながら解説を聞くことができる.

今年の四~六月大歌舞伎では襲名披露公演のため,蒼々たる顔ぶれで有名な題目が上演されている.「昼の部」と「夜の部」があり,通しで見る場合は2回分の料金が必要となる.昼の部では4幕,夜の部では襲名披露の口上があるので上演は3幕となっている.僕も歌舞伎を見に行って初めてわかったのだが,「歌舞伎」といっても様々な種類があって,三味線に合わせて日本舞踊のような華麗な踊りのみの歌舞伎,長唄とともに演じる浄瑠璃となっている歌舞伎,テレビでお馴染みの時代劇のような芝居となっている歌舞伎,阿古屋のような楽器(胡弓や琴など)を弾いてみせる歌舞伎,サーカスのような大立ち回りのある歌舞伎など,実に様々である.これらをうまく組み合わせて幕のプログラムが構成されており,最初は序幕として踊り中心の舞を見せ,そして常磐津節の浄瑠璃をやり,女形が登場する男女の恋仲の物語をやって,弁慶や忠臣蔵などといった歴史上の物語をやる,といった具合である.世界にも名を馳せる,美しい女形として有名な「玉三郎」の演技は,さすがに美しく,女性よりも女性らしい仕種である.おばさま方に人気が高いのも肯ける.また,男と女の恋心については江戸時代も今も変わらないのだな,と感じてしまう.

今月の題目のなかに,「蘭平物狂(倭仮名在原系図) らんぺいものぐるい(やまとがなありわらけいず)」という幕がある.刀を見ると乱心するという風変わりな奴の「蘭平」がおり,その蘭平の戦い大立ち回りの場面と,蘭平の小さな息子「繁蔵」との絆がこの芝居の見せ所である.しかし,なんといっても一番の見せ場は,幕の後半から始まる30人ほどを相手に立ち向かう蘭平の大立ち回りであり,スピードと迫力に圧巻である.まるでサーカスを見ているような歌舞伎であり,宙返りや棒立ち回りなどの技が決まると,場内からは歓声と大拍手が沸き起こる.この大立ち回りは20分以上にも及び,花道に大ハシゴを立ててその上部で敵が逆さまになるさまや,井戸の屋根から敵が落ちるとき宙返りを2連続やる演技,人間が6人ほど丸くなってうずくまり,その上を宙返りして飛び越える演技など,見ている観客も興奮してくる演出である.こういった歌舞伎もあるのか,と改めて歌舞伎の奥深さを知ることができ,ますます歌舞伎にのめり込んでしまいそうな幕であった.

まだ,歌舞伎を知らない方,是非一度,鑑賞してみてはいかがでしょう? ただし,イヤホンガイドを忘れずに.これがないと眠くなります.それから,幕の内弁当を入口の弁当屋で購入するのもお忘れなく.幕の間に座席で弁当を食べるのは,歌舞伎鑑賞の必須事項ですので.

「市川猿之助の歌舞伎 ~7月大歌舞伎」

 今月の歌舞伎は市川猿之助演出の公演となっており、猿之助一団の面々が顔を並べている。猿之助といえば、現代風にアレンジしたスーパー歌舞伎をはじめ、型破りの新しい歌舞伎の姿を創造しており、歌舞伎界からは「異端児」の異名をもつ。しかし、わかりやすくアレンジして観客に伝えようとする猿之助歌舞伎の人気は高く、当日券のチケットは発売と同時に売り切れとなる。特に夜の部の通し狂言「南総里見八犬伝」は大入りのようで、若い人の姿もかなり多く目につく。

猿之助一団は世襲にとらわれず、有能な人材を「お家」に関係なく育て上げて役者にしており、豪快な役柄が似合う「右近」や、女形を演じる「笑也」など、大人になってから弟子入りして育ってきた役者がそろっている。ただ、台詞や立ち回りについての厳しい意見を観客等からもらうこともあるようで、小さいころから叩き込まされてきた名門の役者との違いについて、感じさせられるものはある。古典歌舞伎の重厚な雰囲気が好きな観客にとっては、あんなのは「歌舞伎ではない」と一蹴してしまうような内容でも、現代の情勢を取り入れた新しい歌舞伎こそ、かつて江戸時代に行われていた歌舞伎と同じことを今やっているだけのことであり、これこそ真の歌舞伎であるように思う。

猿之助の歌舞伎では、「魚が出てきた。♪さかなー、さかなー、さかなーー、さかなーをたベーるとー」などと巷のスーパーで流れている魚の歌を歌ったり、「これは、タイタニックのディカプリーオー」などと笑いを誘う場面があったり、現在の経済不況の話題に触れたりと、過去の芝居と現代のユーモアをとりまぜたユニークにとんだ脚本がされていて、若者が見ても面白く笑える内容である。そして、3階奥の客席まで宙吊り(宙乗りという)になった猿之助が、客席に現れるところなど、サービス満点といったところである。

歌舞伎にはいろいろな種類があると以前書いたが、三味線など連中による浄瑠璃や日本舞踊のはいった舞の歌舞伎などは「古典歌舞伎」と呼ばれるもので、話している内容はわからないが、歌舞伎の持つ美しさや奥深さ、直接的な表現をせずに美しく演じるところなど、これこそが歌舞伎だな、と思わせるものが古典歌舞伎である。「芸術の完成度・美しさ」といったら断然古典歌舞伎のほうに軍配が上がるであろう。一方、時代劇のような趣で、普通の着物を着て江戸時代の庶民の様子を劇で行っていくのは「新歌舞伎」と呼ばれるもので、話の内容もよく聞き取れ、動物の音やちゃわんの割れる音など、表現方法が現実的でリアリティーのあるものとなっている。古典歌舞伎に比べると「歌舞伎としての物足りなさ」があって、単なる時代劇を見ているような感じであるが、江戸時代の暮らしぶりがわかって新歌舞伎も面白い。演目は、古典と新とがうまく取り混ぜられて公演されている。

やっぱり「笑い」は勘九郎 ~八月納涼歌舞伎

 八月は納涼歌舞伎と題して3部構成のお芝居をやっている.今回は第2部の「浮かれ心中」と「四変化・弥生の浅草草祭り」を見た.「浮かれ心中」は喜劇である.さすがは勘九郎,笑いのツボを押さえた公演を見せてくれ,場内は終始笑いの渦に沸いていた.一番後ろの幕見席も超満員の立ち見がでるほどの人気ぶりで,こんなに幕見席が混雑している幕は初めてだった.

売れない戯曲家を演じているのが勘九郎で,人を笑わせ世間をあっといわせるようなことをやって脚本のネタを考えている.橋之助演じる太助とともにとにかく世間を驚かせるために色々と小細工を仕掛けるのである.新歌舞伎なので,小中学生でも何を言っているのか理解できる演目で,事実小学生も見かけることができた.テンポよく展開される舞台は,終始笑いが尽きない.吉本興業もビックリ,これを見れば誰でも「歌舞伎」に対して親近感が沸くに違いない.こういう役は勘九郎にはぴったりである.

ラストは市川猿之助が得意とする「宙乗り」を,ねずみにのって「ちゅう乗り」と題し,空中を飛ぶあたりも面白い.ねずみに乗って宙に浮いているときに「いやー,眺めがいいねぇー.澤潟屋の気持ちがよーくわかったよ」などといって笑いを誘っているところ,なんとも面白い.ちなみに澤潟屋とは市川猿之助の屋号である.28日で千穐楽なのであと日にちがないが,まだ見ていない方,歌舞伎を知らない方でも絶対面白いのでお見のがしなく.ちなみに歌舞伎では「千秋楽」とは書かず,「千穐楽」と書く.これはたびたび火事を起こしていた江戸時代に,大火を出さないことを願って火の入っている「秋」から「穐」に変えたのだという.

2幕目の弥生の花浅草祭りは,勘九郎の2人の息子である勘太郎と七之助の兄弟による踊りの浄瑠璃歌舞伎で,これも勘九郎ファンにとっては見逃せない.ますます歌舞伎に溺れていく今日このごろであった.

「ジャパニーズカルチャーを知らずして世界を語るなかれ」である.

乗り継ぎ専用の自動改札機【東京考察#73】

The automatic ticket gate only for changes


乗り継ぎ専用の自動改札機(オレンジ色)

 


 ちょっとパズルのような話しなので,頭を柔らかくして読んでください.

電車の運賃というのはキロ制となっているので,同じ会社であれば乗り換えても通しの切符で乗ることが出来る.つまり,同じ会社であれば乗換駅でも改札を通らないで済むのである.ところが,営団地下鉄の場合,駅によっては離れているときがあって,構造上改札口を通らないと地下鉄を乗り換えることができないことがある.そんなときは,改札を出ても再び切符が必要となるので,検札をするだけで切符が再び出てくる自動改札機を通らなければならない.その改札機が「乗り継ぎ専用の自動改札機」なのである.

乗り継ぎ専用自動改札機は,オレンジ色に塗られており,この改札機を通ると切符が再びでてくる仕組みになっている.これ以外の改札機を通ると,乗り継ぎしないで当駅で下車するものとして切符が出てこないで回収される.

この「乗り継ぎ専用自動改札機」には賢い仕組みが取り入れられている.乗り継ぐ予定のなかった乗客が誤ってこの改札機を通ると,扉が開いて切符も回収されずに出てくるが,乗客は下車するつもりなので切符をとらないでそのまま通り抜けていく.すると,出ていた切符は5秒くらいくると自動的に引っ込んで回収される仕組みになっている.こうすれば,次の乗客がきても問題なく通常の待ちの状態に戻る.さて,ここで問題となるのが,乗客が混雑していて連続で乗り継ぎ専用自動改札機に進入したときである.

通過する人すべてが乗り継ぎ専用自動改札機の仕組みを知っていて,切符をとってくれれば問題は起こらない.次々とスムーズに乗客をさばいてくれる.
ところが,1番目の乗客が下車するつもりで切符をとらないで通過してしまったあとに,乗り継ぎ予定の2番目の乗客が切符をいれて自動改札機を通過すると,まだ前の人の切符が出ている状況で,その前の人の切符をとってしまうという現象が起こってしまうのである.さらに3番目の乗客も乗り継ぎ予定だと2番目の人の切符をとってしまい,4番目の人は3番目の人の切符をとってしまい・・・と.つまり前の人の切符を次々と取ってしまうのである.さらに問題なのは,本人たちには前の人の切符を取ってしまったという自覚がないから,そのまま乗換路線へとすたすたと去ってしまい,目的駅で降りるときに,「あれ,切符が入れ替わっている.目的地まで切符を買ったのに,この切符じゃ精算しなければならない」という事態に陥るのである.
「おやっ」とした顔をして乗客たちが立ち止まり,井戸端会議をしたあとに首を傾げながら切符をとっていったり,改札機の仕組みを知っていて気が付いた人は前の人の切符を取って捨ててから,自分の切符を取り直す人もいる.しかし,遠くまでの高い切符を買ったのに,取り違えて乗換駅までの切符にすり替わっていた時は,最悪のシナリオである.


パターン 1


この人は乗り継ぎ目的ではないので,
出てきた切符を取らないで通過した.
この切符を後ろの人が取ってしまうと,切符がすり替わる.


パターン 2


この人は前の人の切符を取って確認し,
自分の切符を入れて通過しようとしている.


パターン 3


この人は下車するつもりだったのに,
切符が再び出てきたので驚いている様子.
このあと,とりあえず切符をとって,首をかしげた.


地下鉄にご乗車の際,乗り換えの時はオレンジ色の「乗り継ぎ専用改札機」を,下車するときは普通の改札機を通りましょう.賢い使い方としては,途中下車ができるということですが,乗り継ぎ時間に制限がありますのでご注意を.

浅草地下商店街(地下鉄浅草駅)【東京考察#72】

Underground shopping center (Asakusa station)

 

 ここは「浅草らしい」地下商店街である.上野や浅草というとこのような薄汚い地下街にラーメン屋などが建ち並ぶイメージがあるが,まさに昭和前期(といった感じの)時代の面影を残す場所である.現在では,虫食い状態になっている商店街であるが,リニューアルもされずに味わいのある空間が形成されている.


靴屋さん.閉店セールをやっていた.


天井には時代の変遷を感じさせる配管が丸出し


ラーメン屋


立ち食いそば


マッサージ屋もある


どういう訳か「鶏肉・鶏卵」屋もある
昔は生活を支える商店街だったのだろう

ピース!ピース!上野駅(リニューサルされた上野駅)【東京考察#71】

The renewed Ueno station

 


 JR東日本が上野駅のリニューアルを行った.
「乗り降りするだけの駅から,生活のまん中にいる駅に」というキャッチフレーズのポスターが張られていたが,中央口改札の外にでると今までの薄汚い上野駅構内だったのが,一変,おしゃれなショッピングタウンに変身しているではないか.「上野駅がこんなにきれいでおしゃれになっていいのか!」と思ってしまうが,上野駅の復権をかけたリニューアルである.若い女性向けのテナントも数多くあり,上野駅のイメージが変わること間違いなしであろう.日本で唯一,ヨーロッパ型の広い終着駅タイプの空間をもつ上野駅を明るく改造しており,おしゃれなスポットとして定着していくだろう.
また,しのばず口の下には,天井の低い迷宮のようなショッピング街が広がっていて,この空間の狭さが,かえって訪問者をわくわくさせる魅力となっている.


大きな吹き抜けをもつヨーロッパ型の駅ターミナル
おしゃれで明るくなった


青山フラワーマーケット 花屋さんもお洒落


ハードロックカフェもオープン


看板には,中国語とハングル語の標記が追加された


不忍口と中央口を結ぶ通路が新設された


昔はパンダの像があったところ

靴の問屋街(花川戸)【東京考察#70】

The wholesale district of shoes (HanaKawado)

 


 浅草駅の北側に広がるのが「花川戸」である.ここは靴の問屋街が広がるところで,約70店舗が建ち並んでいる.といっても原則として小売りは行っていないが,店先には靴が並べられており,個人でも購入することはできる.靴(鞄も扱っている)に関してはありとあらゆる関連商品も取り扱っており,靴としては全国一の問屋街である.個人向けの店舗ではないので,渋谷や銀座などのようにショーウインドウなどはなく,一見地味な街並みであるが,靴屋さんに納品されている商品は,このような問屋を通じて卸されているのであり,扱っている品数は豊富なはずである.


浅草には下駄が似合う


靴の問屋街が並ぶ


セッタ・草履は祭りにつきもの~これも浅草らしい

桜の隅田公園西岸(浅草)【東京考察#69】

Sumida Park of a cherry tree (Asakusa)

 


 隅田公園は隅田川を挟んで二つに分かれている.今回お伝えするのは隅田川西岸側であるが,隅田公園の歴史は隅田川東岸の墨堤に八代将軍徳川吉宗によって初めてさくらが植えられてから「桜の名所」となるようになった.その後,江戸時代には水戸徳川家の下屋敷で小梅御殿と呼ばれていたが,明治になって水戸徳川家の本邸となり,昭和6年に帝都復興計画により公園として開園したものである.
ということで「本当に隅田公園に行った」と言えるのは,東岸の隅田公園に足を運んだときなのである.

西岸の桜は約1kmにわたってソメイヨシノが植えられており,毎年春になると花見客で混雑する.



やきとりと缶ビールは花見に欠かせない


やっぱりマットを敷いて宴会だ~.


隅田川西岸の桜並木


場所取りは「新入社員の仕事」としているところも多いが,
今年の開花は早く,3月中には散ってしまいそうである.


「カミソリ堤防」と呼ばれたかつての無味乾燥とした隅田川の堤防は,河川の浄化が進んだこともあって人々が川面に触れられるように,堤防の川側にデッキを設けて散策できるように整備された.これによって川を見ながら散歩できるようになったのであるが,その場所に占拠しはじめたものが,ダンボールハウス(ビニールシートハウス)である.これによって逆に市民が心おきなくこの場所に立ち入ることをためらうようになり,今となっては上から川を眺めながら,「ずいぶん立派な家をつくっているねー.」などと一種の観光名所となっている.首都高6号線にのって北に向かっていると,車窓左側に色とりどりのハウス群を眺めることができるが,水が増水したときは堤防すれすれまで水が溢れる河川断面の計算となっているのだろうから,台風などの大雨後は命がけで逃げなければならない.


整備された堤防内に住まうビニールハウス


立派に造られているハウス


ちゃんと玄関扉までついている


橋の下は「桟橋」で渡れるようになっている

目黒寄生虫館【東京考察#68】

The parasitic museum in Meguro


 知る人ぞしる「目黒寄生虫館」である.

「寄生虫」とは,他の動物の表面や体内にくっついて生きていく虫のことである.食べ物を頂戴している宿主を殺してしまうと,自分も死んでしまうので,宿主を殺さない程度に栄養を頂いて生き延びるという,調子のいい虫である.権力や実力のある人のそばにくっついて生きのびている人は,まさに「あの人は寄生虫のような人だ!」ということになる.
身近な寄生虫として,肛門の周りに産卵する「ぎょう虫」や,サバの刺身などから口に入って腸で成長する「サナダムシ」などがある.最近胃炎や潰瘍などの原因とされている「ピロリ菌」も寄生虫である.これらの標本(ピロリ菌はない)が,この展示館にいくと見られるのである.

目黒寄生虫館は,1953年に医学博士亀谷了の私財投入によって設立された研究機関で,現在は財団法人として研究活動を行っている.世界でもたったひとつしかない寄生虫の博物館ということで,内外から注目を浴びており,現在の建物が完成したのは1993年であった.展示館となっているのは1階と2階のみで,その他の階は寄生虫関連の研究施設・資料書庫・会議室などとなっている.生きた寄生虫は展示されておらず,全てホルマリンに浸してある標本となっているが,約300点の標本は「うぉっ」と思わずにはいられない.入館は無料である.

気持ちの悪い寄生虫であるが,人間にとっては伝染病などの病気の克服といった観点から,非常に重要な研究分野であり,それらの功績や歴史に触れることができるのも,この博物館である.


寄生虫の標本が並ぶ


ミュージアムショップでは,館内のパンフレットや
サナダムシが立体になったTシャツなどを販売している


300円で売られている「目黒寄生虫館ガイドブック」の表紙
上がミンククジラの胃に寄生するアニサキス成虫
下がスケトウダラの肝臓表面に寄生するアニサキス幼虫
非常にグロテスク!!

見たい方は,足を運んで購入しましょう.

交通博物館【東京考察#67】

Transportation Museum

 


 交通博物館は,交通のしくみを模型を用いて展示している歴史ある博物館である.元国鉄,現在はJR東日本が運営する博物館であるので,必然的に鉄道に重きが置かれているが,バスや航空,駕籠からリニアモーターカーまで,幅広く模型を用いて展示されている.展示物については,何十年も同じ模型が置かれており(僕が小学生だった頃とほとんど変わっていない!),ちょっと古い感じがするのは否めないが,鉄道運転シュミレーションや鉄道模型運転ショーなどは,子供たちに人気のコーナーとなっている.
なお,残念なことに,2006(平成18)年5月14日で長い歴史に幕が下ろされ閉館することが決まっている(現在は閉館した).交通博物館は鉄道博物館と名前を変えて,さいたま市(埼玉新都市交通ニューシャトル大成駅)に2007年10月14日のオープンを目指してJR東日本によって準備が進められている.(現在は鉄道博物館がオープンしている.)


入場すると蒸気機関車がお出迎え


人気の運転シュミレーター
運転手の気分が味わえる.

 
台車とブレーキの仕組みが実物の模型でわかる
マスコンハンドルを回すと本当に車輪が回る

  


列車案内板を実際に操作できる
これも昔から変わっていない


バスもある

  
船,バイク,自転車・・・

  
駕籠からリニアからファーストクラスまで・・・



一番人気は鉄道模型ショー


夕焼けとなり・・


夜となる・・


闇の中,ライトを光らせながら走る模型は
なかなかのムードがある

模型ショーを動画で.

サザンライツ(新宿駅南口のイルミネーション)【東京考察#66】

Christmas illuminations (at the Shinjuku station southern entrance)


 クリスマスから年末にかけて,新宿駅南口に新しい話題のスポットが誕生しようとしている.東京駅丸の内で毎年開催されている「東京ミレナリオ」に対抗するかのように,高島屋と小田急とJR東日本の共催によって,美しいイルミネーションが展開されている.
新宿駅南口は,ここ十年余りの間に,タイムズスクエアーのオープンとともに,がらりと雰囲気を変えたところで,新宿における人々の流れを大きく変えた地域である.ここは人工の地盤を設けて土地のスペースを確保しており,限りある都市空間の限界に挑戦しているような趣さえある.時間になると,タイムズスクエアーのビルの壁面にレーザー光線によるショーが映し出され,新宿の衰えるところを知らないパワーを感じる.


代々木のNTTドコモのビル
NYのエンパイヤーステートビルを連想させる


豪華客船のようなタイムズスクエアの建物
高島屋・東急ハンズなどがテナントに入る


電球の配置が見事に理路整然と配されている

とげぬき地蔵(巣鴨)【東京考察#65】

Togenuki Jizo (Sugamo Guardian deity of children)


高岩寺・洗い観音


 「おばあちゃんの原宿」としてすっかり有名となった巣鴨地蔵通り商店街.その目的はとげぬき地蔵にお参りに行くことである.毎月4日,14日,24日は縁日となって,門前市として発達していったとげぬき地蔵通り商店街には露店が建ち並び,賑やかな通りとなる.これこそが「縁日」といった感じである.
とげぬき地蔵(高岩寺)は,慶長3年(1598)の創建と伝えられており,本尊の延命地蔵菩薩はとげぬき地蔵として江戸時代から有名なところである.この本尊のお札を患部に貼って祈ればとげを抜いてくれるという言い伝えがある.これは,江戸長州藩邸の下女が誤って針を呑み込んでしまったが、本尊の尊影を水で飲み込んだところ、無事に針を吐き出す事ができたということからきている.


生地を買う人々


ボタンや裁縫道具が並ぶ
池袋・キンカ堂のようだ


甘味処は欠かせない


キルトベスト ¥2,000

 
かるめ焼き 七味唐辛子 どちらも縁日には欠かせない

 
もんぺは人気商品のひとつ


煙を患部にかける.
外国で発行されている「JAPAN」のガイドブックには,
必ずこの写真が掲載されている


「洗い観音」を洗うために並んでいる行列!


団子を食べる 1本100円


お花の販売


「塩大福」は有名


商店街入口

 しかし,おばあちゃんの原宿といっているが,おじいちゃんの存在はどこに行ってしまったのだろうか?
確かに街中を歩いているのは,おばあちゃんばっかりである.老後における男と女の行動力の差を見ているようで,男というのは定年を迎えてしまうと今までがむしゃらに働いてきた精魂を使い果たしたかのようにしぼんでしまうのは何故なのだろうか? 「男」として生きている生物学的な定めなのだろうか?

あらかわ遊園【東京考察#64】

Arakawa amusement park (small amusement park)

 

 東京で一番小さな遊園地がここ「あらかわ遊園地」であろう.よくTVでも,下町の遊園地などといって都電荒川線と共に紹介されているが,なんといっても魅力は,値段の安さである.施設そのものもコンパクトであるが,乗り物1回あたり200円程度で乗れるのだから,小学校入学前の子供たちにとっては,程良い遊園地なのである.豊島園のジェットコースターやディズニーランドのスペースマウンテンにはまだ乗れない小さな子供たちは,このあらかわ遊園で絶叫マシーンを楽しむというのが手頃なところである.親たちも財布の心配をしなくて済む.

  
あらかわ遊園地の絶叫マシーン「ミニコースター」
大人200円 子供100円


みんなで空中サイクリング


メリーゴーランドもあります


汽車ぽっぽ!!

 あらかわ遊園地には,乗り物の他にも動物園や釣り堀が併設されている.ポニーへの乗馬なども行われている.


馬のポニー


やぎ  「めぇ~~ぇ」


鳥かごの中に人が入ってバードウォッチング

 
釣り堀             広場

 休日の都電は小さい子供を連れた家族連れで賑わう.


都電「荒川遊園地前」停留所


おでんの屋台と看板 下町・荒川区らしい・・・

駅のエスカレーター【東京考察#63】

Escalator of a station


 ロンドンでは急ぐ人のためにエスカレーターの片側を開けておく習慣があるが,東京でも,ここ数年すっかり浸透するようになった.
東京の場合は,左側に寄って右側を急ぐ人のために開けておく.「急ぐ人」と「急がない人」の割合が1:1の時にはバランスがとれてちょうどよいが,日中や土日などは急がない人の割合の方が圧倒的に多く,左側にずらりと列ができて右側がガラガラといった光景がよく目に付く.下りはともかく,上りの場合はエスカレーターの段差は結構大きく,駆け上がって登ろうという気にはなかなかなれない.時間と体力を惜しまないビジネスマンのための習慣である.ちなみに,大阪ではこの習慣は早くから採り入れられているが,東京と違って右側に寄って左側を空けるようになっている.京都では東京と同じになっているので,大阪のみ反対となっているのである.


東京では左に寄って右側を空ける


一方,大阪では右に寄って左を空ける(御堂筋線心斎橋駅にて)

明治神宮外苑(銀杏・イチョウ並木)【東京考察#62】

The ginkgo tree roadside trees at the Meiji-jingu outer garden

 


 秋から初冬にかけて,真っ黄色に色づいた銀杏並木の続く道・・・
テレビドラマのロケ地としても有名な場所である.ここは明治神宮外苑の絵画館へとのびる道である.
銀杏は現存するもっとも古い植物のひとつで,東南アジア以外ではほとんど植えられていない街路樹である.都バスや都営地下鉄,東京都の発行する刊行物にはイチョウの葉のマークがつけられているとおり,イチョウは東京都の木に指定され,都民に親しみの持たれている木でもある.
明治神宮外苑の銀杏並木は大正15年に植えられたもので,新宿御苑の銀杏から採集して代々木の明治神宮内苑で育てられた木を植裁したものである.青山通りから直線道路に沿って4条にイチョウが植えられ,絵画館をアイストップとする景観は,見事な都市景観を創出している.
明治神宮(内苑)は代々木(原宿駅裏)にあるが,明治神宮外苑も明治天皇の近代国家としての基礎を築き上げた功績を伝えるため,大正15年に完成したもので,絵画館を中心に神宮球場,国立競技場,秩父宮ラグビー場などの運動施設が設けられている.神宮球場はヤクルトスワローズの本拠地となっている.


4条の銀杏並木


絵を描く人


休みの日には様々な店が並ぶ


でも,一番人気は「焼きいも屋」


絵画館前で草野球(贅沢な草野球である)


お決まりの撮影ポイント

Suica(ICカード出改札システム)【東京考察#61】

The inspection-of-tickets system of an integrated circuit card formula


 JR東日本から画期的な改札システムが2001年11月18日に登場した.
従来の定期券やイオカード(切符のいらないプリペイド式カード)は,自動改札機の投入口にカードを入れて,それを受け取るという動作が必要であったが,Suica(スイカ)と呼ばれるICカードを自動改札機の読みとり部にタッチするだけで,改札を通過することが出来るようになった.
定期券が切れたとき,またはイオカードの残額がなくなったときは,自動券売機等の入金機でお金をチャージ(イオカードの場合,最高20000円まで)することにより,再び使用できるようになる.購入時にはデポジット(保証金)として500円必要となるが,ICカードを返却するときには払い戻しされる.定期券の場合は,イオカードの機能も併用することができるので,今までの定期券の乗り越しの場合はいちいち切符を買うか自動精算機に並んでいたのであるが,これからはタッチ&ゴーをするだけで,自動的に乗り越し分も精算されることとなる.
また,定期入れにいれたままでもタッチ&ゴーができるので,いちいち定期入れから出し入れする煩わしさもなくなる.


投入口の上にある○印のところにタッチする

 説明書きによると「必ずタッチしてください」と書かれてあるが,ICカードそのものをタッチさせる必要はなく,カードを持った手を「ポン」と置くと「ピピ」と音がなってディスプレイに残額等が表示され,通過することができる.出るときも同じ要領でタッチ&ゴーである.


残額がなくなってきたら,入金可能な自動券売機やのりこし精算機で入金する


今までのイオカードでは裏面に利用明細が記入されていたが,
ICカードでは記入されない.そこで,自動券売機で利用履歴を印刷することができる.
長距離用切符の様式に,利用の明細が印字される.(無料)


利用できる駅は,首都圏近郊のみである.(2007年当時)


これがICカードの「Suica」
銀行のキャッシュカードの厚さ

池袋駅西口の変貌【東京考察#60】

A change at the Ikebukuro station west entrance


都立池袋芸術劇場

 


  池袋駅西口はここ10年くらいで,かなり街の様子が変貌した.かつての西口は,東京で唯一残る戦後闇市時代の暗い雰囲気の漂うところだったのであるが,JR東日本グループの経営するメトロポリタンホテルの開業をきっかけに,東武百貨店の日本最大級の売場面積オープン,東京芸術劇場のオープン,西口駅前公園が整備され,既存の丸井とともに,徐々に人が集まる明るい雰囲気に変わってきた.昔から池袋といえば戦後闇市のイメージがつきまとうところであったのだが,巣鴨プリズン(刑務所)跡地のサンシャイン60再開発をきっかけに,東口の方が賑やかで若者の集まる活気ある街となり,西口はどことなく陰気な暗い雰囲気が残っている街が続いていた.ちなみに,池袋は東口に西武デパートが,西口に東武デパートがある「不思議な不思議な池袋」なのでありました.


変貌の最初のきっかけとなった「ホテルメトロポリタン」

 
東武百貨店とメトロポリタンプラザ
日本最大級の床面積へと変貌し,品揃え豊富なデパートとなった


メトロポリタンプラザ1階の噴水広場前
西口の待ち合わせ場所として定着している
(むかしの西口といえば,東武百貨店地下のマルチテレビジョン前が定番だった)


駅前の西口公園.都内有数のナンパスポットとなっている
ちょっと夜は危険な感じもする・・・


青空市場も開催
(野菜を売っているところなど池袋らしい)

 

近頃の地下鉄【東京考察#59】

A recent subway


営団地下鉄南北線 ホームにドアがついている
運転手は確認ボタンを押すだけ.
運転はコンピューター制御されている.

 
都営地下鉄大江戸線
断面の小さいトンネルで車内も狭い
ロンドンのチューブのようだ

 

ナイトアクアリウム(夜のサンシャイン水族館)【東京考察#58】

Night aquarium (Sun Shine aquarium)

 


 最近,ちょっとした話題のスポットがある.(2001年夏現在)
2001年夏の期間だけ,夕方18時より夜の水族館の生き物を見てもらおうと館内の照明を落とし,懐中電灯片手に館内を見て回る「ナイトアクアリウム」というイベントをやっている.入場客は入口で小型の懐中電灯を渡され,真っ暗な水槽の中にライトを照らして魚たちを眺めるのである.アイデアのある企画である.

館内は暗いので,画像は色調や輝度を調整し加工してあります.


入口で小型懐中電灯を渡される


イルカを照らす子供


熱帯魚の水槽


珊瑚礁に隠れていたクマノミ
ライトを照らすと出てくる


ラッコ


夜間水中餌付けショー

福島県いわき市小名浜にあるアクアマリンふくしま水族館でも,
ナイトファンタジアと称して夜間公開を行っていた.
来年も期間を長くして開催されることを願う.

奥多摩,そして多摩源流(東京の水源地)【東京考察#57】

The origin at the Tama river (source of a Water service in Tokyo)


JR青梅線奥多摩駅
ここまでくると終着駅という感じがする
★東京都西多摩郡奥多摩町★

 


 奥多摩を訪れると「ここも東京都なのかぁ」と思わせるほどの大自然が広がっている.多摩川の源流域であり,ハイキングやキャンプ場として,老若男女を問わず人気のあるところとなっている.さらに,東京都民の水瓶である小河内ダム(奥多摩湖)を抱え,東京都民の水源地として重要な役割を担っている地域でもある.

超高層ビルの林立する新宿から中央線の赤い通勤電車に乗り込み,立川へと向かう.びっしりと建ち並んだ家々を高架橋上から眺め,西へ西へと走っていく.立川,青梅でそれぞれ乗り換えて,最後は4両編成の奥多摩行きに乗り込んだ.奥多摩に近づくに従って,リュックを背負った家族連れ,老夫婦,キャンプセットを担ぐ若者などの割合が多くなり,車窓も段々と山々が現れるようになってくる,
御岳駅からはいよいよ奥多摩らしくなってくる.屹立した山の中をキーキー車輪をきしませながら走るようになり,さながら渓谷鉄道の様相を呈する.通勤電車のロングシートでは,大人も車内に背を向けて車窓の景色に釘付けとなる.そして,トンネルを抜けると終着駅奥多摩となる.



JR奥多摩駅前


駅前からは各方面へバスが出ている.日原鍾乳洞,奥多摩湖,丹波,小菅へと,さらに奥地へ歩を進めることができる.どこへ行くか決めていなかったが,多摩源流の小菅村に「小菅の湯」という日帰り入浴施設があるとのことで,帰りのバス便を確認してから,小菅行きのバスに乗り込んだ.小菅までは西東京バスによって1日に5往復運転されており,さらに小菅の湯に行くには途中の金風呂か田元橋で接続する村営バスに乗り換えて行けばよいとのことであった.
小菅村は多摩川の源流域であり,かつての裏甲州街道(青梅街道)であった大菩薩峠への登山口でもある.大菩薩峠が多摩川水系と富士川水系との分水嶺となっている.分水嶺や尾根の入り方,バスの路線などから考えると,小菅村と丹波山村は東京都に属していそうなのであるが,そうではなく実は山梨県となっている.氷川(現奥多摩駅)との交通がよくなったのは大正時代における改修,昭和になってからの小河内ダム建設に伴う補償としての道路改修により車が通行できやすくなってからであり,それ以前の交易は塩山から大菩薩道を通って行われていた.現在,山梨県側の上野原や塩山方面への路線バスは走っておらず,全て東京都側の奥多摩駅からの便となっているが,行政上は山梨県なので,車のないお年寄りや学生にとっては,なにかと不便ではないかと思ったりもする.高校生は上野原へスクールバスで通っているという.
夏休み中ということもあって,立客がでるほどの客を乗せ,バスは発車した.現在は国道411号となっているが,昭和57年に主要地方道(県道)甲府青梅線から昇格した道路であり,これが新宿まで通じている青梅街道である.素堀の岩にモルタルを吹き付けただけのゴツゴツした壁面のトンネルが残る道路を通り過ぎ,ダムの堰堤が下から眺めるように現れると,奥多摩湖(小河内ダム)となる.半数の乗客がここで下車した.ここには東京都水道局の展示館が設置されている.


  
前方にトンネル出口の明かりが大きくなっていく--車内では観光パンフを眺め--車窓には奥多摩湖の湖面


バスはダム湖畔を縫うようにカーブしながら走っていく.湖の湖面が美しいが,この湖の下には移転によって水没した集落がある.石川達三の「日陰の村」には以下のような記述がある.
「東京という大都市が発展していく.すると大木の日陰にある草が枯れていくように小河内は発展する東京の犠牲になって枯れていくのです.山の日陰にある間はまだよかった.都会の日陰になってしまうと村はもう駄目なんです」
小河内ダムは昭和10年に着工し,戦時中の中断を経て昭和32年に完成,当時としては世界最大規模の水道用ダムである.ダムの上流端である峰谷橋までくると,車内の乗客も5人だけとなった.


 
小河内神社前 湖面を渡る浮き橋


丹波・塩山方面への国道411号・青梅街道とは別れて,国道139号へ入り,小菅へと向かう.小菅川にもせせらぎが戻り,屹立とした山に囲まれた静かな清流のなかをバスは唸りをあげながら走っていく.そして山梨県となって金風呂となる.小菅の湯まで行くには,ボンネットバスの村営バスに乗り換えなければならないが,ダイヤによって金風呂で乗り換える場合と,さらに先の田元橋で乗り換える場合とがあるので,奥多摩駅に掲示してある時刻表で確認しておく必要がある.ここで間違えてしまうと足がなくなってしまう.今回は田元橋での乗り換えとなるので,もうしばらく乗車となる.
先ほども記したように,丹波山村,小菅村は山梨県であるが,東京都による水源涵養林の指定がされている区域をもっている.このため丹波山村には東京都の水源涵養林の管理事務所が設けられている.山梨県といえど,東京都の水源地として重要な役割を担っているのである.
田元橋で全ての乗客が下車し,全ての乗客がかわいらしいボンネットバスに乗り込んだ.村内は全て100円均一という良心的なバスで,村民も気軽にこのバスを利用しているようである.村内の各集落を順に巡回して役場や小菅の湯,西東京バスとの乗り継ぎを行えるようにしている.そして,新宿から約3時間,多摩源流・小菅の湯に到着した.温泉は肌がすべすべするアルカリ性の無色透明の湯であった.駐車場には「八王子」「多摩」ナンバーの車がびっしり止まっていた.


 
田元橋の小菅川 多摩源流である

 
小菅の湯  村営のボンネットバス


チャーちゃんまんじゅう

靖国神社【東京考察#56】

Yasukuni Shrine

 


 夏になると何かと話題になる神社である.

靖国神社は「戦時または事変において戦死・戦傷死・戦病死もしくは公務殉職した軍人・軍族およびこれに準ずる者」を国の認定のもとに合祀する神社である.軍人・軍族のみであり,戦争によって亡くなった民間人は祀られていない.歴史は古く,戊辰戦争(明治維新)において亡くなった人々のことを伝えるために明治天皇が「東京招魂社」という名前で明治2年に建立したものである.その後,明治12年に「国を安らかでおだやかな平安にして,いつまでも平和な国につくりあげよう」ということを込めて「靖国」という名前に改められた.西南戦争・日清戦争・日露戦争・第1次世界大戦・満州事変・支那事変と,それぞれの戦争で亡くなった人を「神様」として祀られている.現在,約246万柱の神様が祀られており,そのうちの約8割は第2次世界大戦で亡くなった方である.

靖国神社だけは戦前まで陸軍省・海軍省の直轄にあった.そういったことからも,靖国神社は特別な存在だったことがうかがえる.「日本の首相が公式に靖国神社へ参拝すること」が中国等の周辺諸国から問題にされるのは,東京裁判において第2次世界大戦のA級戦犯とされた人(東條英機など)が祀られている靖国神社に参拝するのはけしからん,という点である.ここまで話を進めてくると,東京裁判そのものが国際法に基づくものだったのか,サンフランシスコ平和条約第11条の解釈はどうなのか,といったことに話が広がっていき,議論の決着がつかなくなってくる.(詳しくは,靖国神社内にある,日本人が戦った歴史を正しく理解してもらうことを目的として建てられている(靖国神社社務所のパンフレットより引用)展示館「遊就館」にパンフレット等が置かれているが,客観的な目で観覧することを願う.)

ただ,一般戦没者の遺族にとっては,国の至上命令のもとに尊い家族を失ったわけで,そういった方々への素直な気持ちでの慰霊は必要なことであろうと思う.戦争を引き起こし導いた者と,その戦争で亡くなった一国民の墓地を別々に設けて,それぞれ個人の自由な意志に基づいて参拝できるようにしたらいいのではないか,といった提案があがっている.

ちなみに,本殿には戊辰戦争で朝敵とされた会津藩や西南戦争で反乱を起こした西郷隆盛は祀られていないが,境内の隅にある鎮霊社において,本殿に祀られていない方々と世界各国の外国人戦死者とともに,会津藩や西郷隆盛は祀られている.



近代日本陸軍の創設者・大村益次郎の銅像と銀杏並木


ひのき造りの「神門」 扉の両方には直径1.5mの菊の御紋がついている


「拝殿」 菊の御紋が印象的である


平和の象徴である「白鳩」が約600羽飼育されている
モーツアルト作曲「おもちゃのシンフォニー」が流れると
餌付けの時間(AM10,PM3)となって鳩が空を飛び回るという


拝殿には,昭和天皇御製の歌が掲げられている


大東亜戦争中(靖国神社では,太平洋戦争や第2次世界大戦といった言葉は使われていない)に
東部ニューギニアで実際に使われていた野戦高射砲


砲弾

  
神社周辺に張られているビラ

馬喰横山問屋街(繊維・呉服・玩具)【東京考察#55】

The wholesale district of a cotton fiber (at Bakuroyokoyama)

 

 日本橋馬喰町(ばくろちょう)・日本橋横山町(よこやまちょう),浅草橋周辺は各種問屋街が形成されていることで有名であるが,浅草橋駅南側に位置するこの界隈は,洋品や雑貨問屋街とタオル・靴下・紳士婦人服・呉服・生地などを扱う木綿・繊維問屋街が日本橋小伝馬町あたりまで続いている.
一般個人客には,小売りを行わない店もあるが,そのような店は,入口に張り紙がしてあり,扉が閉められていて個人客が気軽に入れそうな雰囲気にはなっていない.タオルは各種さまざまなものが売られており,おしぼりの類まで売られている.ぶらぶらと歩いてみるのも面白い.


生地


タオル


小売りを行わない張り紙

バイク街(上野7丁目界隈)【東京考察#54】

Motorbike town (at 7 chome of Ueno)

 


 自動二輪バイクに興味のある人にとっては,必ず足を運んだことのある街であろう.上野駅の入谷口を出て,首都高速と昭和通りの走る上野7丁目界隈に,オートバイの専門店街が形成されている.昭和通りの歩道には,単車・単車・単車・・・が路肩にはみ出しながら並べられており,品定めをしながらライダーたちが歩いていく.


歩道にはバイクが沢山・・・


歩道に並べられているバイク


いろいろなパーツ類を販売する

仏壇仏具問屋街(東上野・元浅草)【東京考察#53】

The wholesale district of a Buddhist altar Buddha implement(at East Ueno)


盆提灯がならぶ

 日本最初の地下鉄・銀座線が走る浅草通り沿いに,仏壇仏具の問屋街が建ち並んでいる.稲荷町駅から田原町駅にかけての,東上野,元浅草界隈である.浅草通りの歩道を歩いていると,どこからともなくお線香の香りが漂ってきて,手を合わせたくなる気分になる.若者にはまだピンとこないかもしれないが,人生の年輪を重ねるうちにご先祖様の大切さが身にしみるようになり,この問屋街に足を運ぶようになるのだろう.


仏壇屋


仏壇にも特別セールがある


日本最初の地下鉄・稲荷町駅

上野恩賜公園(上野芸術の森)【東京考察#52】

Ueno Park (the Ueno art woods)

 


 馴染み深い呼び方は「上野公園」であるが,正式には「上野恩賜公園」という.
この公園の歴史は古く,明治6年に大政官布告により公園に指定されたことが始まりで,日本最初の都市公園である.恩賜(おんし)公園のいわれは,大正13年に帝室御料地だったものを東京市へ下賜されたことにちなんでいる.

上野公園は起伏のある山手台地を利用して作られているが,上野駅から御徒町にかけてのアメ横の喧噪とは裏腹に,緑の木立に囲まれた静閑な雰囲気の漂う場所で,日本でも有数の美術館・博物館がずらりと並んでいる.そして,世界的に見て有名な美術展や展覧会をいつも開催しており,日本各地から芸術を求めて人々がやってくるところである.アメ横側と公園側で,これだけ駅前の雰囲気ががらりと変わるのも珍しい.


東京文化会館


国立西洋美術館


東京文化会館のモニュメント

 日本最初の動物園である「上野動物園」も,上野恩賜公園内にある.


上野動物園

 上野公園には「鳩」がたくさん住んでいる.しかし,この鳩たち,人間に慣れているのか,人の頭の真横を猛スピードでビュンと飛び去っていき,あわやぶつかりそうになる.非常に凶暴だ! のこぎり演奏するひと,昼寝をするひと,住んでいる人,色々な人が上野公園には集っている.


上野公園の鳩は凶暴だ!


のこぎりで演奏するおじさん


暑くないのだろうか?


噴水


木陰では,青のビニールシートで暮らす人々が・・


花見シーズンは人だかりとなる



西郷さんを忘れてはいけない

パソコン街(秋葉原電気街)【東京考察#51】

Personal computer town (the Akihabara electricity town)

 


 秋葉原電気街といっても、地区によって得意分野がある。パソコン関係の店が建ち並んでいるのがパソコン街である。中央通りを渡ったところの路地裏に広がっている。パソコン本体はもちろんのこと、改造用パーツ、ソフト、中古パソコンなどなど、ここにくるとレアなものを手に入れることができる。


パーツ類の価格が表示されている


パーツ売り場


野積みされたパソコン

駄菓子問屋街(日暮里)【東京考察#50】

Mom-and-pop candy store wholesale district (at Nippori)

 日暮里駅を降りて、左側の木造住宅の密集している地区の中に、所狭しと駄菓子屋が軒を連ねて出現するところがある。昔なつかし(自分にとってであるが・・。子供にとってはまさに”今”だろうと思う)の駄菓子が並べられており、思わず足を止めてしまう。店員とお客の間では、「これはニューバージョンの新作ですよ。」などといった会話が繰り広げられ、駄菓子の世界でも新しいモデルがあるのだということが理解できる。
駅を降りても看板が一切出ていないので、場所がわかりづらいと思うが、噴水のあるロータリー広場を左に歩いていくと長屋のような問屋街は存在する。思ったよりも小さくこじんまりとしており、下町らしい風情を感じることができる。
この問屋街の成り立ちは,終戦後の闇市においては露天で販売していたところから始まる.その後,昭和27年の区画整理によって現在の長屋のような店舗になり,最盛期の昭和3・40年代には大変な人で賑わった.正式には日暮里菓子玩具問屋街という.ところが,駅前再開発事業により本年(2004)度中には,建物を取り壊す工事が始まる予定となり,この駄菓子屋問屋街も姿を消すこととなった.現在7店が営業しているが,2店は店をたたみ,残り5店が新しい再開発ビルの中で営業を行う予定となっている.


店内


この路地裏に駄菓子屋が並んでいる

東急トランセ(ミニバス)【東京考察#49】

The minibus at Daikanyama

 

 東急トランセ・代官山循環線は、渋谷駅から代官山を循環して戻ってくる小型の路線バスであり、平成10年7月より運行を開始している。「路線バスでは2~3停留所の距離だけれど、歩くと15分以上はかかる」といった距離の地域の裏通り的な狭い道路(路地といったほうが適切か)を走っていく。料金は150円(休日は100円となる)。武蔵野市でムーバスという100円の近距離バスを走らせたところ、これが好評を得て全国的に近距離のミニバス運行に火がついている。このようなミニバス(コミュニティバス)は、現在あらゆる都市で試験運行が行われているように思う。今後の去就に注目したい。
さらに、この東急トランセの特徴は、運転手がすべて女性であるということ。女性らしいきめこまやかなサービスが見られるに違いない。

 

広尾の昼下がり【東京考察#48】

Early afternoon at Hiroo

 


 広尾・元麻布・南麻布界隈は、近くに各国大使館があることもあって、外国人が多く歩いているエリアである。そして、一度は住んでみたい高級住宅・マンションが建っている場所でもある。外国人居住者向けのスーパー「National(ナショナル)」があり、明治屋があり、神戸屋のパンがあり、となかなかハイセンスで落ち着いた気分を味わえる街である。ここを歩いていると、自分もおしゃれでかっこいい男になれた気分になれるから不思議である。
そんな広尾にここ数年オープンしているのがオープンカフェである。最近は、広尾に限らずどこの街にもオープンカフェがオープンしているが、フランス・パリのようなオープンカフェが最も似合うのは、ここ広尾界隈だけである。



オープンカフェ


入口の屋根がいかにも「おフランス」っていう感じ


神戸屋のパン 看板がリアルだ


オープンカフェ


これも、オープンカフェ 呼び込みがいる


広尾ガーデンヒルズの高級高層住宅