Personal computer town (the Akihabara electricity town)
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秋葉原電気街といっても、地区によって得意分野がある。パソコン関係の店が建ち並んでいるのがパソコン街である。中央通りを渡ったところの路地裏に広がっている。パソコン本体はもちろんのこと、改造用パーツ、ソフト、中古パソコンなどなど、ここにくるとレアなものを手に入れることができる。
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Personal computer town (the Akihabara electricity town)
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秋葉原電気街といっても、地区によって得意分野がある。パソコン関係の店が建ち並んでいるのがパソコン街である。中央通りを渡ったところの路地裏に広がっている。パソコン本体はもちろんのこと、改造用パーツ、ソフト、中古パソコンなどなど、ここにくるとレアなものを手に入れることができる。
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Mom-and-pop candy store wholesale district (at Nippori)
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日暮里駅を降りて、左側の木造住宅の密集している地区の中に、所狭しと駄菓子屋が軒を連ねて出現するところがある。昔なつかし(自分にとってであるが・・。子供にとってはまさに”今”だろうと思う)の駄菓子が並べられており、思わず足を止めてしまう。店員とお客の間では、「これはニューバージョンの新作ですよ。」などといった会話が繰り広げられ、駄菓子の世界でも新しいモデルがあるのだということが理解できる。 駅を降りても看板が一切出ていないので、場所がわかりづらいと思うが、噴水のあるロータリー広場を左に歩いていくと長屋のような問屋街は存在する。思ったよりも小さくこじんまりとしており、下町らしい風情を感じることができる。 この問屋街の成り立ちは,終戦後の闇市においては露天で販売していたところから始まる.その後,昭和27年の区画整理によって現在の長屋のような店舗になり,最盛期の昭和3・40年代には大変な人で賑わった.正式には日暮里菓子玩具問屋街という.ところが,駅前再開発事業により本年(2004)度中には,建物を取り壊す工事が始まる予定となり,この駄菓子屋問屋街も姿を消すこととなった.現在7店が営業しているが,2店は店をたたみ,残り5店が新しい再開発ビルの中で営業を行う予定となっている.
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東急トランセ・代官山循環線は、渋谷駅から代官山を循環して戻ってくる小型の路線バスであり、平成10年7月より運行を開始している。「路線バスでは2~3停留所の距離だけれど、歩くと15分以上はかかる」といった距離の地域の裏通り的な狭い道路(路地といったほうが適切か)を走っていく。料金は150円(休日は100円となる)。武蔵野市でムーバスという100円の近距離バスを走らせたところ、これが好評を得て全国的に近距離のミニバス運行に火がついている。このようなミニバス(コミュニティバス)は、現在あらゆる都市で試験運行が行われているように思う。今後の去就に注目したい。 さらに、この東急トランセの特徴は、運転手がすべて女性であるということ。女性らしいきめこまやかなサービスが見られるに違いない。 |
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広尾・元麻布・南麻布界隈は、近くに各国大使館があることもあって、外国人が多く歩いているエリアである。そして、一度は住んでみたい高級住宅・マンションが建っている場所でもある。外国人居住者向けのスーパー「National(ナショナル)」があり、明治屋があり、神戸屋のパンがあり、となかなかハイセンスで落ち着いた気分を味わえる街である。ここを歩いていると、自分もおしゃれでかっこいい男になれた気分になれるから不思議である。 そんな広尾にここ数年オープンしているのがオープンカフェである。最近は、広尾に限らずどこの街にもオープンカフェがオープンしているが、フランス・パリのようなオープンカフェが最も似合うのは、ここ広尾界隈だけである。
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![]() 世界貿易センタービルから見た東京タワー |
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東京タワーを知らない人はいないだろう。東京のランドマークである。 昭和33年に完成した東京タワー、本来の目的は、テレビやラジオ、業務無線等の電波を関東一円に飛ばす総合電波塔なのである。東京タワーの持ち主も、そのものずばり「日本電波塔株式会社」。高さは333mで自立鉄塔としては世界一、150mに大展望台、250mに特別展望台がある。
東京タワーの下には、東京タワービルが存在しており、お土産屋や名店街、蝋人形館、水族館、トリック・アートギャラリー等がある。
夜になると日付の変わる午前0時までライトアップされる。昔は、鉄塔のラインに沿って電球が取り付けられている電飾のライトアップだったように思うが、現在のライトアップは、下からライトを照らしてタワー全体を光らせるものとなっている。夏と冬では色が異なっており、秋~冬~春にかけてはオレンジ色っぽいものが、夏は白っぽい色となっている。 |
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サンシャインシティーは、東京拘置所(戦後米軍に接収されて以来「スガモ・プリズン」と呼ばれていた)の足立区小菅移転に伴ってできた跡地を再開発したものであり、昭和53(1978)年に地上60階、240mの日本一(当時)の超高層ビル・サンシャイン60の完成と同時に、サンシャインプリンスホテル・ワールドインポートマート・専門店街アルパ・プラネタリウム&国際水族館などを備えた複合施設である。
日本一高いビルもさることならが、日本一高いところにある水族館などが目玉となり、日本全国から観光客がやってきて、サンシャインシティーは一躍脚光を浴びる施設となった。この再開発の中には、オフィスをはじめホテル、会議や展示のできるコンベンションセンター、商業娯楽施設などが複合して入っており、日本における最初のミックスドユースの再開発と言っていいだろう。このような再開発手法を日本に浸透させるきっかけを作ったことはもとより、サンシャインシティーは東京の中に位置する「池袋」という街全体の地位向上に大きく貢献した開発である。 週末になると溢れんばかりの人が、池袋駅東口からサンシャイン60通りへとなだれ込み、そのまま東急ハンズ脇の地下歩道へと吸い込まれていく。日本一高いビルが東京都庁へと変わり、そして現在は横浜のランドマークタワーとなってしまった今、サンシャイン60の話題は以前に比べると少なくなってきているようである(サンシャインへ寄るはとバスツアーも少なくなってしまった)が、ナンジャタウンのオープンや、屋上である61階(スカイデッキ)を開放して最も高い位置の空気を肌で感じることができるようにするなど、イベント盛りだくさんで訪れる人を楽しませてくれる。
サンシャインシティーに最初に行ったとき、なんと楽しい夢があふれるビルなのだろうと思った。そのひとつが、噴水広場である。地下1階から地上3階までを吹き抜けにして、その下に噴水とステージをつくり、上の階の人からも下のステージを見れるようになっている。初めてこれを見たときは、小学生ながら感動したものである。しかも、音楽に合わせて噴水のパターンが変化するというのも面白い。天井まで突き抜けるような大噴水になると、周りから歓声があがる。
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Ebisu Garden Place (redevelopment of a beer factory former site)
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恵比寿ガーデンプレイスは、サッポロビール恵比寿工場の跡地に1994年に開業した、ミックスドユースの複合再開発である。 敷地内には、サッポロビールの本社をはじめ、オフィス地区、レストラン街、デパート、映画館、東京都写真美術館、ホテル、そして住宅まで、職・住・商が一体となった再開発である。都心では、インナーシティー問題として、夜間における居住人口の減少が問題となっており、近年の再開発では必ずといっていいほど、居住地域が併設される開発が行われるようになっている。
サッポロビール恵比寿工場は、日本における最初のビール発祥の地であり、1889年に創業が開始された。恵比寿駅もビール出荷のために設置されたものであり、駅の名称もエビスビールからとってつけられたものである。近年は、増産における工場敷地の手狭及び環境基準の強化により対応できなくなり、移転(千葉県船橋)によって閉鎖したのである。
事業主はサッポロビール㈱、運営管理はエビスガーデンプレイス㈱が行っている。イベントなどを随時開催しており、中央の広場ではヨーロッパ民族衣装の生演奏などが行われており、日本でもこのような光景が見られるのは非常にうれしい。ロンドンのアップルマーケットのようである。また、サッポロビールということもあって、新発売のビールの無料サービスが振舞われたりすることもあり(GW中)、ビール党にはたまらないものとなっている。
恵比寿麦酒記念館というビールの博物館がある。入場は無料であり、ビールの製造工程や歴史について展示が行われている。その中で、ビールの利き酒ならぬ利きビールがあり、400円を払うと4種類のビールを飲み比べることができる。
恵比寿ガーデンプレイスの開発テーマは「水と緑」である。敷地内には水の流れと緑の木立が配置されており、「ガーデンプレイス」との名のとおり、庭をイメージして設計が行われている。
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An azalea in the Komagome station
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JR山手線の駒込駅は、切り通し構造となっており、その法面(のりめん)には「ツツジ」が植えられている。そして、毎年5月になると濃ピンク色のツツジの花が、ホーム両側に広がって、乗客の目を和ませている。都内のJR線の車窓から季節が感じられる花としては、ツツジのほかに、サクラ、アブラナなどがあるが、駒込駅のツツジは最も鮮烈に目に飛び込んでくるものである。この季節、駒込駅に電車が到着すると、車内の色彩が一瞬変化する。 |
‘HATO BUS’ (sight-seeing tour bus)
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旅に出かけると大抵の街(世界中どこでも)には日帰りの定期観光バスが走っている。定期観光バスは、自分の旅プランに合わせて見所をコンパクトに見てまわれるので便利である。そんな定期観光バスを東京で運行しているのが「株式会社はとバス」である。鮮やかな黄色いボディーに「HATO BUS」と描かれた赤文字のバスは、非常に目立つペイントである。はとバスの歴史は古く、今年(2001年)で創業52周年(1949年創業)とのことである。
はとバスのツアーは実に様々なコースが用意されており、初めて東京を訪れる人のためのコースから、最近流行のお台場やアクアラインへのコース、桜の名所めぐりや屋形船、夜景見物、有名ホテルでのディナー、歌舞伎鑑賞、ヘリコプターツアー、トップレスショー、ニューハーフショーなどなど、東京に住んでいる人にとっても多彩なコースが用意されている。一日コースから、半日コース、ナイトコースと時間も好みに合わせて選択でき、また、外国人観光客のための英語ガイドツアーも用意されている。(英語ツアーは浜松町駅・世界貿易センタービルからの発車となる) はとバスのりばは、東京駅・新宿駅・浜松町駅・上野駅・池袋駅・渋谷駅にあるが、メインとなるのりばは、東京駅丸の内南口となっており、ほとんどが東京駅からの発車である。東京駅のチケット売場に行くと、電光掲示板にずらずらと発車コースと空席状況が表示され、東京にはこんなに「はとバス」が走っているのか、と驚いてしまう。発車のラッシュ時(9時、13時、17時頃)には、何台も連なったはとバスが、東京駅南口ののりばにずらりと並んでいる。 また、はとバスでは系列ホテル「銀座キャピタルホテル」の宿泊プランを組み合わせることができるコースもあり、これを利用すれば1泊5500円(コース代別)で東京に宿泊することが可能であるが、曜日限定なので利用の際は注意が必要である。(とはいっても、ナイトコース+宿泊プランのセットの場合、月・金・土・日・祝休前日限定となっており、土曜日に利用できないということはない。)
参考までに、ツアーを一部紹介する。たまには黄色いはとバスで新たな東京を発見してみてはいかがでしょうか。
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Tennouzu Isle (City area redevelopment)
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天王洲アイルは、日本で最初に民間デベロッパーによって開発された大規模な開発事業である。「大規模な開発を民間で行った」というところに、天王洲アイルの特筆される部分がある。首都高速1号(羽田)線と浜松町駅と羽田空港とを結ぶ東京モノレールを中央に挟んで、スフィアタワー天王洲とシーフォートスクエアの高層ビル群を配しており、それらの高層ビルは歩行者専用のペデストリアンデッキによって相互につながっている。テレビドラマのロケ地としても使われたことがあるように、お洒落でハイセンスなムードを味わうことができ、オフィスとしてはもとより、ホテル・レストラン・ショップ・喫茶店・郵便局・写真屋・ファーストフードなどがテナントとして入っているミックスドユースの開発である。いろいろな店があるのであるが、それらが非常にコンパクトにまとまっていて、人間の尺度にほどよくフィットする。お台場に飽きてきたら、天王洲でデートといったコースはお奨めである。夜になると芸術的なライトアップにより、さらにムード満点の空間が演出され、ますますデートコースにもってこいのエリアとなる。
是非とも、夜に訪れて下さい。 |
Asukayama Park and three museums (at Oji)
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飛鳥山公園は北区民のシンボルである。JR京浜東北線や東北本線に乗っていると、鬱蒼とした緑が車窓に広がるのがわかる。公園の歴史は古く、徳川8代将軍「吉宗」が庶民の行楽のために桜の木を植えたことからはじまる。それ以来、桜の名所として、花見シーズンになると夜な夜な宴が繰り広げられるのである。王子にある小学校の写生大会や低学年の遠足は、必ずといっていいほど飛鳥山公園であった。首都高速中央環状線(王子線)の工事で、公園の上空を高架橋で渡す計画があったが、区民や環境団体の反対を受けて地下トンネルに工法が変更され、飛鳥山の自然環境は守られることになった。現在、トンネル工事は鋭意施工中である。
飛鳥山には1998(H10)年3月に開館した3つの博物館がある。 ちょっと余談になるが,製紙会社の沿革について記してみたい.現在,北海道の苫小牧にある王子製紙は,この王子に存在したから付けられた名前であり,王子製紙の創業者は渋沢栄一である.明治時代に苫小牧に移転したのち,戦後になって過度経済力集中排除法によって「十條製紙」「本州製紙」「苫小牧製紙」に分割され,今の王子にある施設を引き継いだのは十條製紙であった.その後,十條製紙は合併によって「日本製紙」となり,苫小牧製紙は「王子製紙」の名前を復活させて本州製紙と合併し,現在に至っている.駅前のサンスクエアビルは十條製紙(現日本製紙)グループが引き継いで運営しており,かつてはスケートリンクも存在していた.つまり,今の王子周辺にある製紙関係の施設は「日本製紙」であり,「現王子製紙」ではないのであるが,複雑に分割・合併を繰り返してきた製紙業の歴史を辿ると,製紙会社は「王子」から出発したことになるのである. 飛鳥山から明治通りの反対側(歩いていくとなると、駅前の歩道橋を越えて回らなければならない。王子駅北口の公園側)に音無親水公園という素晴らしい公園がある。日本の都市公園100選にも選ばれ、音無橋のアーチと音無川のせせらぎが心を和ませてくれる。玉子焼きで有名な割烹扇屋もこの近くにあり、江戸時代には扇屋から音無川の渓谷と紅葉が眺めることができる行楽地であった。音無川は、石神井川の飛鳥山下を通る隧道の通水によって豪雨時以外は使われることがなくなっていた河川であった。
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‘Kojunsya’ building (at 6 chome of Ginza)
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銀座6丁目の中央通りから1~2本JR線側に入ったところに、交詢社ビルディングが建っている。「建っている」と現在形で話ができるのもあとわずか、まもなく取り壊される運命にある。既に、解体用の仮設の壁がたてられ、ビルにはネットがかけられて、あとは入居者が出ていくのを待っている感じである(H13.3現在)。 交詢社ビルは昭和4年に建てられ、設計者は横河工務所の横河時介、当時流行のアールデコを意識した設計となっている。戦前の重厚な古き時代の銀座を象徴する建物として、広く親しまれてきたが、平成11年度の耐震調査等の結果により、取り壊されることが決定されたようである。 交詢社とは、福沢諭吉が設立した1880年創立の社交倶楽部であり、知識を交換し世務を諮詢することから命名されたという。
1階には「ピルゼン」というドイツ風ビアホールが営業されており、建物内部の重厚な雰囲気を味わうことができたが、店員さんによると、もう既に立ち退きの話がきていて、今すぐにでも営業をやめなければならないのであるが、ぎりぎりまで頑張って営業しているとのこと。しかし、6月(H13年)までが限界でしょうと話していた。残念な限りである。この店のトイレにいくと、いかにも昭和初期の建物であるというタイムスリップした雰囲気を肌で感じることができる。
古き良き時代のビルがまたひとつ消えることになる。 そして,取り壊されて跡形もなくなり,現在は新しい交詢ビルディングが建っている. |
豊ヶ丘4丁目までの行き方
多摩センター駅バスターミナル8番のりば 全路線が豊ヶ丘4丁目停車 約15分
A:豊ヶ丘・貝取南近隣センター
B:歩車分離(車道と立体交差)
C:タウンハウス(低層集合住宅)
D:鶴牧近隣センター
E:富士見通り(道路の軸線上に富士山が存在)
F:タウンハウス鶴牧(3つの公園を環状につなげ、その内外に住宅を配置)
G:鶴牧東公園
H:グリーンメゾン鶴牧(メニュー方式による中層住宅)
I:プロムナード多摩中央(プラス1住宅)
J:多摩中央公園
K:パルテノン多摩(多摩市総合複合文化施設 大小ホールと展示室、ギャラリー等)
L:多摩ヴァンサンカン(多摩ニュータウン展示室)
M:都市センターの中心地
N:多摩センター駅前広場(ペデストリアンデッキを配して、徹底的に歩車分離を図る設計)
O:東京都立大学(イタリアの山岳都市をイメージさせるような設計)
P:宮上中学校(学校も周辺の景観イメージに合わせて設計)
Q:ベルコリーヌ南大沢(マスターアキテクト制による、強烈な個性ある中・高層住宅)
三徳前バス停より南大沢駅までバスで約10分
★ベルコリーヌ南大沢 1989(H1)年入居開始
★ライブ長池 1990(H2)入居開始
開発の行われる前の多摩NTは、畑や山が広がるのどかな丘陵地であり、このような街に大変身するとは、誰も想像していなかっただろう。その当時の写真や様子は、多摩ヴァンサンカンの展示室にて公開されている。タヌキやキツネがでそうな、雑木林であった。 参考文献 |
1980年代前半 住環境の向上を図るため、多摩NTにタウンハウス(低層集合住宅)が建設された。多摩NTで最初にタウンハウスが建てられたのは諏訪地区(1979年)であり、続いて4年後に鶴牧地区で建設された。また、入居者がメニューの中から自分で設計するフリースペースを含んだ、メニュー方式による中層住宅も登場した。 ★タウンハウス諏訪 1979(S54)年入居開始 ★タウンハウス鶴牧 1982(S57)年入居開始 ★グリーンメゾン鶴牧 1983(S58)年入居開始
1980年代後半 この時代になると、アイデンティティー(個性・その人らしさ)を重視した街づくりが現れるようになってきた。プラスワン住宅と呼ばれる、通りに面して開かれたもう一つの部屋(フリースペース)を持つ住宅が登場し、キャラクタープランと呼ばれる、個性的な間取りが考え出されるようになった。また、マスターアーキテクト制を導入して、街全体を調和のあるデザインに設計された開発も登場した。 ★プロムナード多摩中央(プラスワン住宅) 1987(S62)年入居開始 ★ファインヒルいなぎ 1988(S63)年入居開始
参考文献 |
(出典:「多摩ニュータウン」パンフレット)
多摩ニュータウン(以下多摩NT)は東京都南部の多摩丘陵に位置し、標高150m前後、多摩市を中心に稲城市、八王子市、町田市に及ぶ東西14km、南北2~4kmの大規模な住宅開発地域である。京王相模原線を利用することにより、新宿から約35分で結ばれており、大都市東京のニュータウンとして、大阪の千里ニュータウンとともに、大都市の住宅供給を行ってきた開発である。 1960年代、日本の高度経済成長によって東京圏は都市化が急速に広がっていき、大量の勤労者が流入していった。それに伴って、住宅宅地需要が増加していき、中心市街地の地価の高騰によって、郊外である多摩地域でも無秩序な開発(スプロール化)が進行していった。このことから、居住環境の良い宅地・住宅を大量に供給することを目的として、1965(昭和40)年、「新住宅市街地開発事業都市計画」が決定、計画人口約30万人、総面積約2980haの多摩NT開発が行われることになった。 多摩NTの宅地開発は、施行者が土地を全面買収して宅地造成などを整備する事業(新住宅市街地開発事業という)と、所有されている土地を換地という手続きによって区画形質の変更を行って宅地としての利用を増進する事業(土地区画整理事業という)によって行われている(道路や下水道などの整備は関連公共施設整備事業によって行われている)が、多摩NTでは前者の土地を全面買収することをメインとして宅地造成をしており、歩車分離を徹底させた(ラドバーン方式)道路構成やバランスのとれた建物や公園の配置など、開発設計思想の反映された個性と魅力のある面的な住宅開発がされている。 新住宅市街地開発事業の施行者は、都市基盤整備公団(前住宅・都市整備公団)、東京都住宅供給公社、東京都によって行われている。 1970年代前半 多摩NTで最初に入居開始された地区が諏訪・永山地区であり、その翌年に入居開始されたのが和田・愛宕東寺地区である。「安く良質な住宅を、早く大量に供給する」という時代であり、箱形の中層住宅(5階建て)が平行に建設され、ポイントには高層住宅(14階建て)も建設された。 ★諏訪・永山団地 1971(S46)年入居開始
1970年代後半 ★貝取・豊ヶ丘団地 1976(S51)年入居開始
公団住宅の入口は開放的で入りやすい。それは、居住者以外の人も入りやすいということであり、そういう構造上のこともあってか、公団の団地というのは、壁への落書きやエレベーターボタンのいたずら(ライターでプラスチックのボタンを溶かしてしまう)が多いように思う。
新住宅市街地開発事業で整備された区域内では、中学校区を基本的な単位として、幹線道路を境界に「住区」と呼ばれるブロックに分けられている。 参考文献 |
The fish market in Tsukiji (inside market)
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「築地の魚河岸」は有名である。それは、築地に東洋一の取扱量を誇る中央卸売市場があるからである。現在の築地の魚河岸(築地では青果も取り扱っている)は、関東大震災後に江戸時代より日本橋にあった魚市場を海軍兵学校跡地に移転したことに始まる。中央卸売市場の中を「場内」と呼ぶが、場内では小売りは行わずに原則として仲卸業者へのみの販売となる。小売りは「場外」と呼ばれる晴海通り沿いの市場で行っている。
築地に来たら、絶対に場内へ入ってみるべきである。この中に一歩足を踏み入れると、ここが日本なのか!と驚くほど威勢と活気と躍動感に満ちあふれており、気分が高揚してくる。この場内の風景を眺めていると、つくづく日本もアジア人だなと感じずにはいられない。とにかく、けたたましくて騒々しい。東京のエネルギーを十分すぎるほど肌で感じることができる場所である。 この築地市場は都市計画市場として位置づけられているが、場内の老朽化や手狭な敷地を解消するために、平成24年に豊洲への移転話が決定しており、この計画に反対運動も起きている。築地の魚河岸が過去の話として語られるときが、もうすぐそこまでやってきているのである。また、移転先の豊洲の埋め立て地において、土壌にベンゼンやヒ素などの有害物質が検出され、安全性の面からも移転反対の議論が沸き起こっている。 ちなみに、場内へは誰でも入ることができ、外国人観光客の姿も目にすることができる。一般者が見学するには、一段落する午前9時過ぎがちょうどいい時間であろう。が、ぼやぼやしていると場内を走っているリアカーやターレット車と呼ばれる三輪自動車にひき殺されそうになるので注意すること。すきがあればどんどん割り込んでくるし、待っているだけではいつまで経っても通路を横断することはできない。ぼけっと立っていると「ちょっとどいてー」と大声をかけられることになる。邪魔をしないように・・・。 動画コーナー 場内の様子1 (交差点の喧噪) 交通整理員が役目を果たしているのか・・・?不明. 場内の様子2 (交差点の喧噪)
場内の様子3 (建物内の喧噪)
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The fish market in Tsukiji (outside market)
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「築地の魚河岸」は有名である。それは、築地に東洋一の取扱量を誇る中央卸売市場があるからである。中央卸売市場の中を「場内」と呼ぶが、場内では小売りは行わずに仲卸業者へのみの販売となる。個人客は、その市場の隣(中央卸売市場の晴海通り寄り、築地4丁目交差点に向かった側に広がっている)にある「場外」と呼ばれる市場で購入することになる。魚はもちろん、包丁屋、かつお節屋、卵焼き屋、漬け物屋など、さまざまな小売店が並んでおり、アジアチックな市場を形成している。
年末は,人でごった返し,大混雑となる.身動きがとれない. |
地吹雪吹き荒れる「冬の津軽半島」に行って来た。
強寒風の吹き荒れる「龍飛崎」。
石炭をくべて走る「ストーブ列車」。
弘前城雪灯籠祭り。
それぞれの風景をどうぞ。
(旅行年月:2001年2月)
「ごらんあれが龍飛岬 北のはずれとー、見知らぬ人が指を指す・・・。」 石川さゆりの津軽海峡冬景色はあまりにも有名な歌である。そして、龍飛の地に立ってこの歌を聴くと、身にしみて歌詞を実感することができる。寒強風が吹き荒れ、ここが極寒の最果てであることを充分すぎるほど、感じることができる。
写真では分からないが、とにかく超強寒風の吹き荒れる寒い岬であった。
JR五能線五所川原駅から津軽半島へのびる1本の地方私鉄がある。その名は「津軽鉄道」。そこには、冬になると(11月から3月の間)運転されるストーブ列車がある。石炭が燃えるだるまストーブが1両に2台設置されており、車内の暖房として今なお健在なのである。ストーブ列車は1日2往復であるが、特別なダイヤを組んである特別な列車ではなく、毎日運行されている普通の定期列車である。車両はかつて国鉄時代に東北本線などの「鈍行」でよく走っていた茶色や青色の客車と同じタイプのものであり、定期列車としてこの客車が走っているのは、この津軽鉄道のみであるという。ストーブ列車は3両のみとなっている。なお、するめは持参のこと。
だるまストーブの石炭は、2~30分もすると火が弱くなってくる。すると、車掌がやってきて、座席の下の金バケツに入っている石炭をくべに来る。
2001年の会津地方は、元旦より3日間に渡って大荒れの天候となり、その後も雪は降り止まず、豪雪対策本部が開設されるなど、記録的な大雪に見舞われている。これは、会津地方に限ったことではなく、全国的に厳しい寒さと共に大雪に見舞われているようである。
そんな、会津若松の街の様子を、お伝えします。
中央通り
千石バイパスの中央車線 歩道との境界にも雪の壁
車に踏み固められると雪は堅くなって氷になってしまう。こうなると、後は溶けるまで待つしかない。このボコボコになった道路ほど走りにくいものはない。これを防ぐためには、雪が固まる前に圧雪を残さないで除雪をすればいいのであるが、多量の雪が連日降り続くと、とにかく雪を掻くだけで精一杯で、路面の圧雪まで処理する時間がなくなってしまうのが実状である。
神明通り 富士銀行前(郵便局前・マクドナルド前)
左の空き地には、除雪後の雪を堆積させている。市街地では雪の捨て場に困ってしまう。
たんぼの中の農道(河東町)
雪の磐梯山(磐梯町)
日が照って気温が上昇してくると道路の雪が溶け出す。ところが、氷(圧雪)の上で水の膜ができるため、上り坂の途中で信号待ちやスキー渋滞で止まったりすると大変。発進するときに、車輪が空転してしまい、前に進まず横に進んだりする。最悪、上れなくなって、立ち往生。また、直線道路でも、ズリズリ外側にズレながら斜めに走っていったりもする。こんな時、4WDは心強い。気温が低いままだとこんなことはない。バンバン止まるし、スピードも出せる。
猪苗代町の交差点
快速バス 東京駅丸の内南口⇔お台場循環(経由)お台場海浜公園駅・船の科学館駅 目黒営業所
路線keyword:レインボーブリッジ,お台場,臨海副都心,銀座
今や一大観光スポットとなっているお台場までを結ぶ路線であるが、観光バスの車両を用いた座席定員制の快速バスで、料金が300円となっている。お台場までのアクセスとしては新交通システムのゆりかもめが思い浮かぶが、東京駅からお台場に行こうと思った場合、新橋でゆりかもめに乗り換えるよりも、この快速バスを利用した方が値段も安いし快適である。また、快速バスのサービスとして誕生日に乗車する人は無料になる特典がある。
発車は東京駅丸の内口(赤煉瓦駅舎)の南口から出発する。東京中央郵便局前を発車し、東京日帰りツアー観光の定番であるはとバスのりば横を通り過ぎ、元都庁跡地であった東京国際フォーラムの横を走っていく。
看板のないすっきりとした丸の内のビジネス街から有楽町・銀座のネオンきらめく賑やかな街に入っていく。マリオン前・銀座4丁目で乗客を乗せ、あとはお台場まで直行する。
三原橋交差点で昭和通りへ右折する。左手を眺めると歌舞伎座の江戸時代を思わせるような面構えを見ることができる。
右手に汐留の再開発地、左手に浜離宮庭園の緑を眺め、ゆりかもめの水色の高架橋が現れると、それに沿って走っていく。左手に四季劇場が過ぎ去り、三宅島や八丈島・小笠原諸島への乗船口である竹芝桟橋となる。竹芝桟橋は新しくリニューアルされ、真新しい再開発ビルが建ち並ぶ。
浜崎橋で運河を渡り、左手にレインボーブリッジが現れると、隅田川やお台場への水上バスのりばのある日の出桟橋となる。はとバスなどの大型観光バスが数多く停車している。
バスはお台場・船の科学館駅まで、ゆりかもめの高架にそって走っていく。大倉庫群の建つ芝浦埠頭を走り、レインボーブリッジにさしかかる。レインボーブリッジは2層構造となっており、上が首都高速道路、下が一般道路とゆりかもめとなっている。このバスは下の一般道路を走っていくのであるが、これらは橋への勾配やカーブのアプローチがとれないため、ぐるりとループ状に1周走って坂を上り橋にのっかるルートをとっている。左手にフジテレビ本社、コンテナ埠頭、天王洲アイル、東京タワーを見て、ぐるりと右回りに1周し、レインボーブリッジに入る。
非常に眺めはよい。といってもフェンスや橋の構造物で視界が遮られることもあるが、晴海埠頭や東京港が一望できる。江戸時代の砲台が配備されていたお台場が右手に見えて、橋を終わると臨海副都心・お台場海浜公園駅となる。
副都心とは、都心部への業務機能の集中を分散させて多心型都市構造への転換を図るために設けられた地区のことで、池袋、新宿、渋谷、大崎、上野・浅草、錦糸町・亀戸、そしてこの臨海副都心の7つが副都心として指定されている。東京都市博覧会の中止決定以降、景気の低迷も影響して、臨海副都心開発の見直しについての議論が行われ、就業人口10万6千人、居住人口6万3千人の街から、7万人が働き、4万人が生活する街を開発することに変更された。開発目標年度は21世紀初頭を目指して国際化・情報化に対応した機能を整備する計画である。
さらに細かく臨海副都心を探ってみると、有明北地区、有明南地区、台場地区、青海地区の4つの地区に分かれており、それぞれテーマを設定して開発が行われている。ちなみに臨海副都心全体のテーマは「国際化、情報化に対応した未来型の副都心」となっている。
臨海副都心の近未来的な風景のお台場をぐるりと走る。フジテレビ前、台場駅、船の科学館駅、パレットタウン(青海駅)と止まり、東京駅へ向かう乗客と、東京駅から乗ってきた乗客が少しずつ入れ替わっていく。そして、バスは再び銀座4丁目・東京駅へ向けて戻っていく。循環バスなので、ぼけっとしていると戻ってしまうので注意が必要である。
なお,現在この路線は廃止され,運行していない.
田99 品川駅東口⇔港区スポーツセンター(田町駅)(経由)汐路橋 目黒営業所
路線keyword:港南・芝浦界隈,倉庫群,元祖埋立地,モダンなオフィス
朝と夕方しか走らない路線であり、芝浦埠頭への通勤を考慮して運行されているのだろうと思われるが、本数は20分に1本程度であり、それほど多くはない。
NTT品川ビル前の品川駅東口を出発すると、旧海岸通りを横切って御楯橋を渡ってすぐ左折する。右手に芝浦第2住宅の団地群を見て、新港南橋で右折し、高浜運河を渡る。
首都高速1号線が見えると左折し、その下を走っていく。埋立地特有の殺伐とした倉庫群が車窓に広がる一方で、モダンなオフィスが建っている。一時は「ジュリアナ東京」などの倉庫跡とディスコとして開発した事例があったが、やはり芝浦の基本は流通倉庫である。汐路橋で左折する。そして、田町駅を過ぎて、港区スポーツセンター終点となる。
品99 品川駅東口⇔品川埠頭循環(経由)東京港湾合同庁舎・品川埠頭 品川営業所
路線keyword:品川埠頭,水上警察署
品川駅東口を出発すると旧海岸通りを横切り、高浜運河を御楯橋で渡るとすぐ左折する。右手には都営港南団地が現れ、港南三丁目交差点を右折する。首都高速1号の高架道路と東京モノレールのレール下を横切り、左手に東京港湾合同庁舎が見えてくると港南大橋で京浜運河を渡る。橋の上からは海に浮かぶ海上保安庁の巡視艇やレインボーブリッジの迫力ある全姿を眺めることが出来る。
橋を渡ると品川埠頭である。右に大きくカーブしてバスは道なりに沿って直進する。左手に東京税関が現れると東京税関停留所となる。周辺には物流関係の企業が多く立地しており、大きな倉庫が並んでいる。
埠頭通り停留所あたりから、客の流れが変わる。ここまでは品川駅から乗った乗客が降りる一方であったが、ここからは品川駅に向かう客が乗車してくるようになる。大きく右にカーブすると、品川火力発電所停留所になり、左手に東京電力の発電所が存在する。
次の交差点でバスは右折する。今通ってきた道の1本東側の道路を今度は逆方面に走っていく。左手には天王洲アイルのビル群が立ち並び、夜になると運河に面する木製デッキ部分に照明が灯され、対岸にいてもそのムードは充分に伝わってくる。
バスは港南大橋の陸橋下を走り、海に面する道路を走っていく。海上には警視庁の船が何艘か浮かんでおり、しばらく走ると水上警察署前となる。正面に品川埠頭の内貿上屋が見えると、左前方にレインボーブリッジを眺めながらバスは右折する。
左手に埠頭岸壁を見ながら、さらに右折して品川埠頭岸壁入口停留所となる。次の交差点をまたまた右折してバスはぐるぐる品川埠頭の中を回っていく。そして、港南大橋を再び渡って品川埠頭を後にして、終点品川駅東口を目指して走っていく。
井98 大井町駅東口⇔大井水産物埠頭(経由)青物横丁・5号バース 品川営業所
路線keyword:大井埠頭,大井コンテナ埠頭,大井水産物埠頭
大井町駅から大井埠頭までの通勤アクセス路線である。大井埠頭までの路線はこの他に品98(甲)系統が存在しているが、本系統は大井埠頭を直通で結ぶという目的から、品98(甲)系統とは違う運行経路を走っている。大井埠頭へ向かうバス路線の運行形態はかなり複雑である。
「直通 大井ふ頭」と書かれた行先方向幕を掲げ、バスは品川区総合区民会館きゅりあん・丸井前のロータリーから発車した。朝は大井埠頭方面が混雑し、夕方は駅方向の便が混雑する。逆方向の便は誰も乗車しておらず、空気を運んでいる状態になる。
仙台坂を下って第一京浜を横切り、青物横丁を過ぎる。海岸通りと交差すると、中央車線に入って陸橋を上り京浜運河を大井北ふ頭橋で渡る。左手に天王洲アイルのビル群、右手には八潮パークタウンの団地群を眺めることができる。ここから大井埠頭である。
左手前方に大井火力発電所の煙突を見て、周囲の視界が開けているカーブを右に曲がりながら陸橋を下りる。そして、2号バースとなり、以後3号バース、4号バース……と、コンテナ船からコンテナを積み下ろす基地のオンパレードとなる。夜になると、バース内にはオレンジ色の照明が照らされ、一種独特の風景を見ることができる。
6号バースを出ると、左手に日本郵船を見ながら右折し、東京税関大井出張所前に立ち寄るルートを走る。再び同じ道路に戻って8号バースとなる。
植物防疫所大井出張所を出ると左折し、大井水産物埠頭入口停留所となる。ここで品川区八潮から大田区東海に地名が変わる。と同時に、埠頭の役割もコンテナ埠頭から水産物埠頭に変わる。ここから先の路線は、午前便と午後便とでルートが変更する。午前便は右折して、ニチレイ、大井埠頭シャーシープールを経由して大井水産物埠頭となり、午後便は直進して大井水産物埠頭にて一旦終点となり、大井町駅行となって大井埠頭シャーシープール、ニチレイを経由して大井町駅に向かうルートとなる。
品98丙 品川駅東口⇔大田市場(急行) 品川営業所
路線keyword:大田市場(東京都中央卸売市場),急行バス
朝早い市場へのアクセスの為に設けられた路線であり、5時32分の始発より6本のみがノンストップの急行バスとなる(現在は日中も走っている)。大田市場までは約20分で到着する。品98(乙)系統の大田市場行とは走行するルートが異なる。
品川駅東口(港南口)を出発すると、新港南橋交差点にて右折し、旧海岸通りを南下する。天王洲橋で運河を渡ると、左手に天王洲アイル(→p.)の再開発ビル群が現れて、バスは左折し新東海橋で高浜運河を渡る。今度は京浜運河を品川埠頭橋で渡って右折する。運河の多さは湾岸の埋立地であることを実感する。
左手に火力発電所の赤白に塗られた煙突を見ながら、バスは柳の街路樹の植わる道路を南に進む。左手に大井清掃工場を見て大きく左にカーブすると、首都高速湾岸線を渡って右折する。左には東海道新幹線の広大な車両基地が広がり、のぞみ号やひかり号が出番を待っている。右には八潮パークタウンの高層住宅群が建ち並んでいる。バスは中央に首都高速湾岸線を挟んだ国道357号線をひたすら快走する。
環七大井埠頭交差点で環七通りに左折し、すぐに左の側道に入って右に曲がり、大田市場北門をくぐり抜ける。市場内に入ると、段ボール箱・青果物・ターレット車・トラックなどが目に飛び込んでくる。場内は広々として整然としており、スケールが大きい。
大田市場は、秋葉原に存在していた神田市場が平成 年に移転してきたものであり、築地市場とは違ってござっぱりとしている。敷地面積約39万㎡、青果、水産、花などを扱っている。場内には見学者用の徒歩コースも設けられており(無料・いつでも見学可)、建物内の上部からセリ(5時30分~8時30分頃)などを見学することができるようになっている。
市場内のバスはループ運行となり、市場の建物を右手に見ながら大田市場北門→水産棟と右回りに走って、正門・事務棟のある大田市場に到着して終点となる。
品98乙 品川駅東口⇔大田市場(経由)5号バース 品川営業所
路線keyword:大井埠頭(コンテナ埠頭),大田市場,倉庫群,コンテナ,湾岸埋立地
品川駅と大井埠頭とを結ぶ路線であり、終点の大田市場を除いて品98(甲)系統の品川駅東口-大井町駅東口線と同じルートを走る。
品川駅東口(港南口)を出発すると、新港南橋交差点にて右折し、旧海岸通りを南下する。天王洲橋で運河を渡ると、左手に天王洲アイルの再開発ビル群が現れて、バスは左折し新東海橋で高浜運河を渡る。今度は京浜運河を品川埠頭橋で渡って右折する。運河の多さは湾岸の埋立地であることを実感する。
左手に大井火力発電所の煙突、東京港海底トンネルの出入口を見ながら、バスは左折して陸橋を下りながら右にカーブしていく。そして、コンテナ埠頭となり、2号バース、3号バース……と「バース」の連続となる(→p.)。周囲を走る車は、ほとんどがコンテナ車であり、埠頭内に入場を待つトラックの列が、道路の端にズラリと並んでいる。
運輸・物流関係の社名が記載された巨大な倉庫群の中を走り、側道に入って左に曲がると大田市場北門を通り抜け、市場内を右回りに走って終点大田市場に到着する。
品98甲 品川駅東口⇔大井町駅東口(経由)5号バース・大井競馬場 品川営業所
路線keyword:大井埠頭,コンテナ,倉庫群,バース,東京港野鳥公園,大井競馬場,湾岸臨海部
JR京浜東北線を利用すれば僅かひと駅3分の区間を、このバスは約1時間もかけて大井埠頭をぐるりと1周する。非日常的な空間を味わいたい時には、この路線に乗車することをお薦めする。
大井埠頭へのバス便は、この路線以外にも太田市場行や大井水産物埠頭行、さらには品川駅からの路線や急行便など数系統運行されており、それぞれルートや運行時間帯が若干違って複雑なので、全てを把握するには少々厄介な地域である。大井埠頭の骨格的な路線はこの品98(甲)系統である。
大井町駅東口の丸井前よりバスは発車し、仙台坂を下って第一京浜を横切る。昭和6年までは品川青物市場があった青物横丁を過ぎ、海岸通りに入って南下すると、東京陸運支局と免許更新時にお世話になる鮫洲運転免許試験場が左手に現れる。試験場の道路を挟んだ向かい側には品川自動車教習所があり、敷地のない都市の教習場らしく2階建ての教習コースが眺められる。ここで、正面やや上部に目を移すと、ニュース等を流す巨大な電光掲示板とサントリーの巨大なネオン広告が見える。夜になるとひときわ目立つ色彩を放つが、これは羽田空港に離着陸する飛行機の乗客に向かって宣伝するために取り付けられた広告なのである。この左手上空は羽田空港A滑走路に離着陸するときの飛行ルートとなっており、巨大な飛行機を間近で見ることができる。運が良ければバスとの併走がみられる場所である。
正面突き当たりが大井競馬場である。バスは左折し、東京モノレールの下をくぐり抜けると、京浜運河を勝島橋で渡る。右前方には大井ふ頭中央海浜公園の緑の茂みが見渡せる。この運河を越えると大井埠頭に突入する。
首都高速湾岸線が現れるとバスは右折し、高速沿いの国道357号線を走る。左には東海道新幹線の車両基地が見える。そしてバスは左折し、環7通りへ入る。この辺りの環七通りは、都心とは違って8車線(片側4車線)もの道幅を誇り、広々とした空間が保たれている。同時に周辺には空き地も目立つようになった。
東京港野鳥公園を過ぎると、青や茶色の色とりどりのコンテナが目立つようになる。バス停名も「ダイトー大井物流センター」「丸全昭和アムウェイ」「鴻池運輸」「ニチレイ」などといった会社名称が多くなる。周囲を走る車は、コンテナを牽引したコンテナ車がほとんどである。一方、休日になるとこの大井埠頭はほとんど車の走らないゴーストタウンの様相を呈する。太田市場は右手奥に存在する。
右手にコンテナをコンテナ船に積み降ろしするクレーンと山積みにされたコンテナ群が見えるようになる。コンテナ埠頭と呼ばれる所以である。8号バース、6号バース、5号バース……2号バースと、バス停留所が「バース」のオンパレードとなる。バースとは船1隻分の接岸係留に要する水域のことをいう。大井埠頭は、京浜運河北側に位置する外国・国内貨物船と東京電力原油輸送船の大型船専用埠頭であり、8つ(8バース)の外貿コンテナ専用埠頭と2つ(2バース)の水産物専用埠頭を有する、昭和48年に完成した世界でも最大級のコンテナ埠頭である。。
右手に大井・品川火力発電所の煙突が現れ、ブルーに塗られた橋で京浜運河を渡ると天王洲アイルの超高層のビル群が見え、旧海岸通りを東京水産大学の脇を通って北上すると、終点品川駅東口となる。
東98 等々力(操車所)⇔東京駅南口(経由)目黒駅・東京タワー 目黒営業所
路線keyword:目黒通り,新山の手住宅地(目黒区),東京タワー,赤煉瓦駅舎
赤煉瓦駅舎の東京駅丸の内口(南口)から、山の手住宅地として人気の高い目黒区を通って、神奈川県との県境近くである世田谷区等々力駅までを結ぶ路線である。東急バスと共同運行しており、東京駅で赤い帯を締めた東急バスの姿を見ることができる。
内幸町までは黒10系統と同じルートを走る。
内幸町にて右折し国会通りに入る。右手には比谷公会堂・市政会館、都立日比谷図書館が現れ、バスは次の家裁前交差点にて左折する。まっすぐ進めば霞が関となって国会議事堂に突き当たる。家裁前交差点の左手にはロンドンの二階建てバスをそのまま喫茶店にした店が過ぎ去って、通産省前停留所となる。
中小オフィスビルの立ち並ぶ西新橋界隈の2車線道路をバスは南に走っていく。左手に東京慈恵会医科大学看護専門学校、続いて芝公園が現れて突き当たりを右折すると東京タワー停留所となる。東京タワーはあまりにも近すぎる為に右側の窓側に座って首をひねり上げないと見ることができない。左には東京プリンスホテルがある。
赤羽橋を通り桜田通り(国道1号)となる。三田二丁目にて右折すると右手に慶應義塾大学が現れて正門前となる。魚藍坂下を過ぎて清正公前になると目黒通りに右折する。ここが目黒通りの起点である。赤羽橋から清正公前までは右左折を繰り返したが、通り名は同じ桜田通り(国道1号)である。
坂を上って白金台となり、首都高速と交差してしばらく走ると駅ビル「サンメグロ」が見えて目黒駅前となる。
ここから先は東急バスのエリアとなる。権之助坂<説明>と呼ばれる大きな坂を下って目黒川を渡り、今度は坂を上って大鳥神社前となる。山手通りと横切り、かつては競馬場のあった元競馬場停留所となる。バス停の名前には、かつての街の様子を伝えてくれるものもあり、路線バス旅の魅力の一つである。
三代将軍家光の鷹狩りの狩猟地であった鷹番、そして碑文谷を過ぎ、柿の木坂陸橋にて環七通りと横切り、東急東横線のガードを上に見て都立大学駅前となる。この辺りは昭和以降に高級住宅街として人気の高くなった地域であり、現在の「山の手住宅地」と言えば目黒区・世田谷区あたりのことを指す。付近には芸能人も多く住んでいる。目黒通りからの風景では高級住宅街の家並みを見ることは難しいが、一歩裏の路地に入ると庭付きの豪華な一戸建て住宅が現れ、そこには東急バスが縦横無尽に走っている。
ケニア大使館のある八雲を過ぎ、目黒区から世田谷区に入って等々力となる。密度の低い住宅地の広がるところである。この辺りまでくると、丸の内や日比谷、霞が関のピリッとした緊張感の走る刺々しさがなくなり、静閑な住宅街の様相を呈するようになる。東急大井町線を越える陸橋には上らずに側道に入り、線路手前を右折する。そして終点等々力駅前に到着する。等々力操車所は少しまっすぐ行ったところにあり、始発はその操車所からの発車となる。