「東京考察」カテゴリーアーカイブ

東京の街を写真と共にコラム形式で紹介. 東京は日本の顔であるとともに世界へ向けた窓口です.世界でも有数の大都市ですが,その中にも色々な街の表情があり,ひとつひとつ見ていくととても興味深いものがあります.そんな東京を紹介します.

ソニービル(銀座)【東京考察#248】

Sony building ( Ginza )


銀座ソニービル


 ソニービルは1966(昭和41)年に建てられたビルで,晴海通りの数寄屋橋交差点前にあり,斜め向かいには日本一当たり本数を出す宝くじ売り場「西銀座デパートチャンスセンター」がある.1階から4階まではソニーに関する製品を展示するショールームであり,上階から順に下に歩いて降りてくると結構楽しい.建物内部の構造も面白く,1つの階を段違いに4つのフロアーに分けて,それぞれが少しずつ螺旋状に配置されており,サザエの渦巻きのようにグルグルと回って上階から降りてくることができる.気がつくと1階に到着していたという感じになる.また,1階と地下とを結ぶ階段は,歩くとドレミファソラシドの音がなる面白い演出がされており,館内がリニューアルされた今でも,この伝統!?は受け継がれている.5階(正確には4階C)から上には衣料や雑貨等のテナントやレストランが入っている.ソニービルは入場無料で誰でも気軽に入れるので,銀ブラついでにどうぞ.
 
ソニービル1階 入場無料

展示スペースが螺旋状になっており,
各フロアーは下から順にABCDに分かれている.
例えば4階の下から1段目のフロアーは「4A」という具合に.
足下に青色プレートがはめ込まれている.

話題の「Rolly」 実演をやっていた
 
これが「メロディステップ」
1階と地下を結ぶ階段で,歩くとセンサーに反応して光りとともにメロディがなる.
昔はセンサーではなく,マットを踏むと音が鳴る仕組みだった記憶がある.

メロディステップ脇の看板
背後はエレベータ.8階までしかないのに結構高速である.

愛の泉 クリスマスチャリティーのツリー
Edyカードの「チャリ~ン」という音が鳴っている.

大丸リニューアル(東京駅八重洲口)【東京考察#247】

Daimaru renewal ( Tokyo station Yaesu-guchi )


大丸1階入口
(1階にいわゆる「デパ地下」がある)

 


 東京駅八重洲口では再開発が続いている.大丸は東京駅八重洲口の鉄道会館内に1954(昭和29)年にオープンし,東京駅の顔となっているデパートであるが,JR東日本や民間ディベロッパーが中心となって東京駅周辺で進めている東京ステーションシティ(Tokyo
Station City)の再開発によって完成したグラントウキョウノースタワの低層部に移転し,2007(平成19)年11月6日にリニューアルオープンとなった.特徴として,いままで「デパ地下」として地下にあるのが一般的だったお土産やスイーツなどの売り場を1階にもっていき,これから新幹線に乗る旅行客がお土産を買いやすいような配置としている.お弁当などの食料品は地下1階で販売している.化粧品売り場は近くで働くOLのために43ブランドに増やして充実を図っており,ここでは2階全フロアーが化粧品売り場となっている.旧デパートの建物(鉄道会館)は閉鎖しており,いずれ取り壊されて跡形もなくなる.跡地には新たにビルは建てられずに「グランルーフ」と呼ばれるデッキでノースタワーとサウスタワーのツインタワーが結ばれることとなる.2013年完成予定.丸の内口の赤煉瓦駅舎復活と合わせて,東京駅周辺が一体となった「Tokyo
Station City構想」が着々と実現していく.
 
1階のコンコース

1階の様子

かつての大丸デパートの建物(鉄道会館)地下は
閉店したテナントもあり,工事中となっている.

かつての大丸1階はシャッターが閉まっている

左が大丸が入っていた鉄道会館.
右の高層ビルがグラントウキョウノースタワの建物.

閉じられたシャッターに貼られていたポスター

 

東京駅グランスタ(東京駅エキナカ)【東京考察#246】

Tokyo station “GRANSTA”


東京駅地下にあるグランスタ

 


 かつての東京駅構内といえば,おみやげ屋も少なく,ビジネスマンの乗換駅,そして新幹線などの列車にのるために,休日などには家族でただ電車を乗り換えるための空間というイメージが強かった.東京駅で食事やおみやげを買うときは,八重洲口の改札を一旦出て,大丸デパートや八重洲地下街へ行っていたものである.しかし,JR東日本では近年「エキナカ」として,駅構内へ商業スペースを展開する事業を積極的に行っており,この東京駅の地下も「エキナカ」として2007年10月25日にオープンしたものである.駅構内は人が必然的に集まってくる空間であり,これからも他の駅でこの「エキナカ」は増えていくようである.まるでデパ地下の様相を呈している.営業時間は8:00(一部7:00)~22:00(日祝21:00)まで.

1階コンコースから地下へはエスカレータで降りれる

エスカレータで地下へ

色々な店が並んでいる.
駅構内なので,改札を出ずに買い物ができる.
 
パンやお酒などのお店

お弁当やお総菜を専門に売るフロアー
名店の味が弁当で味わえる
 
洋菓子やフレッシュジュースの店

「飲む酢」の店は大人気
 
「銀の鈴」待ち合わせ場所
昔は1階の八重洲口にあったが,今は地下に移動している

八重洲地下中央口の先にグランスタがある

恵比寿ガーデンプレイスのクリスマスイルミネーション2007【東京考察#245】

The Christmas illuminations in Ebisu garden place


シンボルツリー


 2007年恵比寿ガーデンプレイスのクリスマスイルミネーションは「Baccarat ETERNAL LIGHTS 2007-歓びのかたち-」と題して,観る人が共に喜びをわかちあえるクリスマスをコンセプトに実施されている.世界最大級を誇るバカラ製のシャンデリアが坂道のプロムナードの奥中央に配置され,しっとりと落ち着いた大人の雰囲気のイルミネーションとなっている.どちらかというと暖色系の灯りを用いており,寒い夜空でも観る人の心を暖かくしてくれる,そんなイルミネーションである.12月21日(金)には皇太子ご一家も訪れになっていた.ちなみに,バカラ製のシャンデリアは250灯だとのこと.クリスマスイルミネーションは2007年12月25日まで.Baccarat ETERNAL
LIGHTS 2007-歓びのかたち-(バカラ製シャンデリア)は翌年1月14日まで開催している.

恵比寿駅からスカイウォークの動く歩道を乗りかえていく

スカイウォークを抜けると恵比寿ガーデンプレイス
 
道路の街路樹にもイルミネーション

シンボルツリーと三越

坂道のプロムナード
赤じゅうたんの先にシャンデリアがある

樹木をライトアップする

これが,バカラ製シャンデリア
世界最大級

250灯のシャンデリア

シャトーレストラン「ジョエル・ロプション」
ミシュランガイド東京2008で三つ星を取ったレストラン.
つまり8店のうちのひとつ.

反対側から撮影

ステージでは音楽ライブも開催される

オープンカフェのテーブル席には,
傘の形をした暖房器具が置かれている.

ヱビスビール発祥の地
もちろんビアステーションもある

鉄道博物館(大宮)【東京考察#244】

The railway museum ( Oomiya )


入口のフロアーマット


 JR東日本創立20周年事業のメインプロジェクトとして平成19年10月にオープンしたのが,大宮(さいたま市)にある鉄道博物館である.かつて神田にあった交通博物館のうち鉄道に絞って展示している博物館で,数多くの実物車両やHOゲージのジオラマ模型ショー,運転シミュレーターなどがあって,子供から大人まで,それぞれの年代の思い出の車両たちと出会え,そして体験できる博物館である.JRで最大規模を誇るJR大宮総合車両センター(旧大宮工場)に隣接しており,レールがつながっているため展示車両の入れ替えなども,容易に行うことが可能だという.
開館時間は10時~18時まで.休館日は毎週火曜日.入場料は大人1000円,小中高生500円となっている.大宮駅で埼玉新都市交通ニューシャトルに乗り換えて,一つ目の「鉄道博物館(旧大成)駅」で下車.

チケット売り場は別れていて,
左側が「現金」で購入する場合,
右側が「Suicaを持っていて電子チケット」で購入する場合.

現金でチケットを購入すると,
Suicaシステムのカードを持って入場することになる.

入館ゲート.自動改札機を通って入場となる.
Suicaを持っていても,一度電子チケットの購入手続きをしないと
そのままでは通過できないので注意.

1号機関車
 
旧型客車
昔は,東北本線や磐越西線でも走っていた.
会津に行くときに郡山からよく乗った記憶がある(同形式ではないが)
上野駅から「はつかり」「やまびこ」「やまばと」「ひばり」「いなほ」などの特急に乗車し,
郡山駅で鈍行に乗り換えていたのである.
客車のいいところは,モーターが付いていないので,
車輪の刻む音と美しい風景が心地よいハーモニーとなっていた.
 
特急481系 (車内では弁当などを食べることができる)
新幹線開業前の東北本線には,数多くの行き先の特急や急行が走っていた.
「あいづ号」は1日1往復の会津若松行きの特急で,
私の中ではブルジョアジーのお金持ちが乗る列車というイメージだった.
椅子もフカフカだったし.上野から会津若松まで約3時間半だった.
 
急行455系
一番お世話になって思い出のある列車は,これ.
急行「まつしま号・ばんだい号」
仙台行きのまつしま号と喜多方行きのばんだい号が
郡山で分割して運転する電車で,4人のボックスシート.
窓も開くので駅弁を途中駅で買うこともできた.
4人のボックスに座った人同士では,冷凍みかんなどを交換しあって,
ちょっとした会話を楽しめる列車だった.
上野から会津若松まで約5時間,椅子も背もたれも堅くて,特急は憧れの列車だった.

昔の上野駅には,行き先を案内する数々の案内板が,
ずらりとぶら下がっていた.懐かしい.

駅弁を買って,展示車両内で食べることもできる.
昔買った駅弁は,正直あまりおいしかったという記憶がない.
 
3段式の客車寝台車

台車の下も覗けるようになっている

展示車両の置かれているレールは,
外とつながっているので,車両の入れ替えが可能となっている.

ぐるりと回る転車台にはC57蒸気機関車が置かれている.
この転車台を使って,展示車両を入れ替えることができる.


模型鉄道ジオラマ
HOゲージの模型で,日本最大規模のジオラマである.
1日8回程度,15分間の模型ショーがある.

通過する本物の新幹線を眺めながら
休憩できるスペースもある
 
1階外にはミニ運転列車があり,200円で運転することができる.
予約は入館ゲート近くの予約機で行う.

体験学習のできるラーニングホール
 
5台ある運転シミュレーターは大人気
(SLのみ500円かかる)

外を眺めると,高崎線や川越線の電車が見える

最後に,運転台をパチリ.
鉄道博物館には,夢を持たせてくれた幼い時代の思い出が詰まっており,子供から大人まで,童心に帰って郷愁を味わうことのできる博物館である.是非ご家族連れでどうぞ.

ジョイフル三ノ輪・三ノ輪橋商店街(都電三ノ輪橋停留所界隈)【東京考察#243】

Joyful Minowa shopping district ( The metropolitan streetcar Minowa-bashi stop )


ジョイフル三ノ輪(三ノ輪橋商店街)


 東京で唯一残った都電荒川線,その終点が三ノ輪橋である.下町情緒たっぷりの三ノ輪橋であり,都電の三ノ輪橋停留所は三ノ輪橋商店街(ジョイフル三ノ輪)の街の中にどっぷりと浸かり込んで存在している感じである.この終着駅がまた郷愁を誘う風景となっている.

ジョイフル三ノ輪商店街は,都電の線路と平行に
一本入った道路に約520m続いている.
(隣の荒川一中前停留所あたりまで)

昭和時代を思わせるパン屋
ショーケースがまた渋い

大勝湯(銭湯)とコインランドリー
銭湯は少なくなったが,三ノ輪ではまだまだ健在.
たいてい銭湯の隣にはコインランドリーがある.

夕刻どき,総菜を売る店には人が集まる

「荒川で一番 いい品そろえてどんどん安く売る店」
黄色い看板は出ていたがシャッターは閉まっていた

とにかく自転車の通行量は多い
猛スピードで商店街を走っていく輩もいる


こちらが都電三ノ輪橋停留所
「関東の駅百選」に認定されている

三ノ輪橋とは,かつてあった音無川に架かっていた橋の名前によるもの.
三ノ輪とは,かつては東京湾に出た台地の先端部だったことから,
「みのはな(水の鼻)」と呼ばれていたものが,三ノ輪になったといわれている.


停留所は商店街の中にとけ込んで存在している
奥が都電停留所とチンチン電車
 
地下鉄日比谷線の三ノ輪駅へも近い 徒歩5分程度
 
この喫茶店(あめみや)では,ほのぼの都電サブレを売っている
 
路地裏には赤提灯の灯る下町の酒処が点在する
 
下町の終着駅・三ノ輪橋

有楽町イトシア【東京考察#242】

Yurakucho ITOCiA

マルイがあるイトシア
上層部はオフィスとなっている


 有楽町イトシアは,有楽町駅前第1地区第一種市街地再開発事業として施工された再開発事業(約1.5ha)で,1980(昭和55)年に都市計画決定して以来,ようやく2007(平成19)年10月にオープンした施設である.有楽町マルイやイトシアフードアベニュー,レストランなどがあるイトシアプラザ,ミニシアター系のシネカノン映画館,そして10階以上の上層階はオフィスが入居している複合開発である.この再開発が行われる前は,小さな建物が密集して商業地を形成している地域だった(No.161 「有楽町駅前第1地区市街地再開発事業(従前の姿)」).地下には今話題のクリスピードーナツも入っており,早速1時間以上待ちの大行列となっていた.この再開発の完成により,有楽町駅からイトシアを通り,マリオンを抜けて銀座までの道のりがより楽しいものとなった.

半分は見覚えある景色である
フルーツの切り売りをしている果物屋(右側一帯)は変わっていない.
有楽町駅からマリオン方面への道

上の撮影位置からもう少し左に移動して引いて撮影した
背景右の建物はマリオン

マルイの入り口

駅前には広場ができた.
かつてここは道路が走っていて,横断歩道を渡った記憶がある方も多いはず.
道路は廃止されて,歩行者に優しい空間となった.
背景は東京交通会館.

JR線のガード下
かつてここも道路だったが,今は歩行者専用となった.
ビッグカメラ(旧そごう)へも行きやすくなった

JR有楽町駅(中央口)の姿は全く変わっていない.
この写真の反対側の風景が一変しているのである.

ビッグカメラ側から見たガード
レンガ造りのガードが歴史を感じさせてくれる.

新橋駅烏森口宝くじラッキーセンター(宝くじ売り場)【東京考察#241】

The Shimbashi station Karasumori exit lottery lucky center ( The lottery counter )



烏森口前の「ニュー新橋ビル」の1階にある
「大当たりの名所」とも書かれている

 


 今年もまた年末ジャンボのシーズンがやってくる.都内で最も多くの高額当選を出している宝くじ売り場は「西銀座チャンスセンター」であるが,それ以外にも高額当選を多く出している有名な売り場がある.高額当選が多く出ているということは,確率的に言えば多くの宝くじ枚数を販売しているということなのであるが,どうせ買うのなら,やはり大当たりの出ている売り場から購入したいと思うのは,人情というものであろう.
新橋駅烏森口宝くじラッキーセンターもそのひとつ.新橋の烏森口といえばサラリーマンの聖地であり,目の前にドンとそびえるニュー新橋ビルを思い浮かべるが,そのニュー新橋ビルの1階に売り場がある.よくサラリーマンやおやじ達がインタビューをされているSLの置かれている広場は,日比谷口と呼ばれる出口であり厳密にいうと烏森口ではなく,烏森口はさらに南側にある出口のことを指している.宝くじ売り場は,その南側の烏森口の前に存在している.朝は6時(土日は7時)から販売しており,夜も遅く(22時~23時頃)まで開いているので,残業で遅くなっても大丈夫である.
 
ニュー新橋ビルの1階部分にある

改札を出て,烏森方面の出口へ歩いていくと,目の前が売り場となる.

新橋駅烏森口

SL広場のある出口は日比谷口
売り場は南側(左方向)の烏森口となる
このページを見た方に,1等があたりますように・・・

 

池袋駅南口西武線構内売り場(宝くじ売り場)【東京考察#240】

The Ikebukuro station south exit Seibu Line premise counter ( The lottery counter )


池袋駅西武線構内売り場
(「構内」といっても改札の外である)

 


 今年もまた年末ジャンボのシーズンがやってくる.都内で最も多くの高額当選を出している宝くじ売り場は「西銀座チャンスセンター」であるが,それ以外にも高額当選を多く出している有名な売り場がある.高額当選が多く出ているということは,確率的に言えば多くの宝くじ枚数を販売しているということなのであるが,どうせ買うのなら,やはり大当たりの出ている売り場から購入したいと思うのは,人情というものであろう.
池袋駅南口西武線構内売場もそのひとつ.「西武線構内」と聞くと西武池袋線の改札内のエリアを想像してしまうが,「西武鉄道の敷地の中である駅構内」ということであり,改札内にあるのではなく,西武百貨店1階の南側通路のコンコース入口部分にある.さらに,「南口」と聞くよりは,「東口の南側」といった方が位置的なイメージはつけやすく,北通路・中央通路・南通路と3つの東西を結ぶ通路がある池袋駅であるが,とにかく東口に出てから目の前の明治通りを渡らずに歩いていけば売り場にたどりつける.
 
池袋駅南口(西武池袋駅) この売店の裏に宝くじ売り場がある.
地図などでは「南口」と標記されているが,現地看板では東口となっている.

横断歩道(明治通り)の前にある池袋駅への入口
この裏手に宝くじ売り場がある.緑の屋根は売店.
 
ナンバーズなどを記入するための台も売り場前に設けられている
かなり人通りの多いコンコースである

構内からみた東口出口方向
中央の黄色いところが宝くじ売り場
このページを見た方に,1等があたりますように・・・

 

旅行博(東京ビッグサイト)【東京考察#239】

Traveling expo ( Tokyo Big Sight )


旅行博の会場内


 9月の連休に,JATA(日本旅行業協会)国際観光会議・世界旅行博実行委員会の主催で開催されている博覧会が「旅行博」である.正式にはJATA世界旅行博という.金・土・日の3日間開催されているが,初日の金曜日は業界やプレス関係者のみの入場で,土曜日から一般者も入場できるようになっている.海外旅行のための情報を集めたイベントで,世界各国の旅に関する情報を知り,そして体験することができる.ステージでは各国の民族舞踊などのパフォーマンスも見ることができるので,1日いても飽きることはない.各国のブースではアンケートに答えると景品がもらえたりするので,帰りにはパンフレットとともに大きな袋を抱えて出ることになる.入場料は大人1200円.2007年の模様をお伝えする.
 
会場はお台場にある東京ビッグサイト西ホール
 
会場入口は成田国際空港を思わせる演出となっている
 
ヨーロッパやアメリカなど,各方面の国別にブースが分かれている
 
いろんな国の民族舞踊を披露している

パンフレットをどっさりもらってこれる

エスカレーターで4階の展示ホールへ

ステージではイベントが行われている

青色はもらえる紙バック
ここに各国のパンフレットを詰め込んでいく

景品でもらったJALワンワールド加盟を記念したエコバック

もらってきたパンフレットの山(一部)

 

黒酢バー(JR新橋駅)【東京考察#238】

The brown vinegar bar ( JR Shimbashi station )


黒酢バー受渡口


 健康志向が続く中で,黒酢が注目を集めている.そんな黒酢を飲みやすくアレンジして味わえるスタンドが,昨年(2006年)夏からJR新橋駅でオープンしている「黒酢バー」である.真っ黒に塗られたカウンターは見た目ちょっと独特であるが,黒酢のすっきりとした味わいを求めて,お客が黒酢を求めていく.かなり酸っぱいのかと思いきや,ほんのり酸っぱさが口に広がり,思ったよりも飲みやすい.メニューは純粋玄麦黒酢をはじめ,黒酢&豆乳,リンゴ酢&キャロット,黒酢&ブラッドオレンジ,黒酢&青汁!?など,いろいろなバリエーションの商品がある.1号店は新橋駅であるが,現在では渋谷駅や横浜駅,市川駅,八王子駅,宇都宮駅などJR東日本管内8駅で味わうことができる.販売は,NRE日本レストランエンタプライズ(昔の日本食堂)が行っている.ちょっとした話題にお試しを.

真っ黒なスタンド.一瞬何の店か戸惑う.

飲んでみたのは,黒酢&ブルーベリー
ほんのり酸っぱい味がするけど飲みやすい

新橋駅の南側改札を出たコンコースの汐留口方面にある
(ゆりかもめ乗り場方面)
赤丸のところにちょっとだけ黒いスタンドが写っている

小金井周辺の玉川上水(中流部)【東京考察#237】

Tamagawa-josui in Koganei

都立小金井公園の南側の五日市街道に沿って流れている


 玉川上水は,1653(承応2)年に羽村から四谷大木戸まで約43kmを開削によって上水路工事を行い,江戸時代に江戸市中へ上水を通水したものである.四谷から先は木樋などで地下水道となっていたが,その後の新田開発によって分水路が開削されるようになり,武蔵野の農地へも水を供給するようになっていた.
現在の玉川上水は3つの区間に分けることができ,現役の導水路として東村山浄水場へ導水を行っている羽村(羽村市)~小平監視所(立川市)間の約12kmの上流部,淀橋浄水場の廃止によって導水路としての役割は行っていないが,下水道の高度二次処理水を流して清流復活を行っている小平監視所(立川市)~浅間橋(杉並区)間の約18kmの中流部,そして,暗渠や公園などとなっている浅間橋(杉並区)~大木戸(新宿区)間の約13kmの下流部の3つである.
ここでは,小金井市の都立小金井公園付近の玉川上水中流部の風景をお送りする.

五日市街道に沿って流れる玉川上水
水路に沿って,桜などの樹木が植えられて,
グリーンベルトとなっている.
玉川上水を挟んで上下の車線が別れている.

橋の下に玉川上水がある

鯉がたくさん泳いでいた

夏は周辺の木々が生い茂っており,
水路を遠くまで見通すことはできない.

水路に沿って遊歩道が整備されている

羽村から浅間橋まで,橋のマップが作られている
 
玉川上水は,東京の歴史的遺産である

江戸東京たてもの園(小金井市)【東京考察#236】

Edo Tokyo old building Garden


ビジターセンターの旧光華殿


 江戸東京たてもの園は,両国にある江戸東京博物館の分館として,1993(平成5)年に小金井市の都立小金井公園内に建設された博物館で,江戸から昭和に渡って現存した歴史的建造物を移築し展示しているものである.この江戸東京たてもの園ができる前までは,武蔵野郷土館とよばれる武蔵野の生い立ちをテーマにした博物館が存在していた.現在27の復元建造物が展示されており,それぞれの建築物は中に入ることができるので,昔の建物内部の空間を感じることができて楽しい.じっくり見て回るには半日かかる博物館である.建物に入るときは靴を脱ぐので,くつ紐のない靴を履いてくることがお薦めである.
アクセスはJR中央線の武蔵小金井駅またはJR東小金井駅から100円循環CoCoバスに乗っていくと便利である.観覧料は大人400円,9時30分から17時30分(冬期は16時30分)まで.
 
【田園調布の家(大川邸)】
田園調布に建てられた住宅.
田園調布といえば田園都市株式会社(現在の東急電鉄)の
民間ディベロッパーによって開発された超高級住宅街である.
 
【小出邸】
文京区西片にあった住宅
木のお風呂が渋い!
 
建物内部へは玄関から靴を脱いで入れる.
玄関には靴べらがおいてある.
くつ紐のある靴だと何回も非常に面倒なので,
観覧中は紐を緩めて歩いていた.
 
【常盤台写真館】
東武東上線の常盤台駅前に広がっていた住宅地にあった写真館
館内には東武鉄道の常盤台宅地開発に関する古地図もある.
移築復元された建物とはいえ,バリアフリーに対応するためにエレベータがつけられている.
車いすでも安心して見学ができる博物館である.

【綱島家 (農家)】
世田谷区岡本に江戸時代にあった建物
 
建物を忠実に保存するため,囲炉裏やかまどには定期的に本物の火が入れられる.

段差はすべてバリアフリー対応である
 
【高橋是清邸】
1階には喫茶のできる休みどころがある.
↓<注文の仕方>↓
机にあるメニューを見て注文品が決まったら,部屋の隅にある内線電話で
テーブル番号と注文の品を伝えると運ばれてくる.半セルフ式

戸のガラスも明治時代に造られたもので,
よく見ると均一ではなく歪みが見える(写真ではわからない)
 
【都電7500型】
動きはしないが,車内には電気が通っていて扇風機も回っている

下町の風情が感じられる東ゾーン
正面は子宝湯
  
左から,醤油店,文具店,居酒屋
 
【銭湯 子宝湯】
足立区千住元町にあった銭湯
こういう銭湯はかつて都内にたくさんあった.熱い湯船のお風呂だった

屋上のモイスチャーミスト(小田急百貨店) 【東京考察#235】

The moisture mist at the rooftop ( Odakyu Department Store Co., Ltd. )


モイスチャーミストの機械


 今年(2007年)の夏は猛暑であった.日本各地で過去最高気温を更新していったが,そんな中で少しでも気温が涼しくなるような取り組みが見られる.その一つがこの「モイスチャーミスト」である.
モイスチャーミストとは直訳すると湿気の霧(モイスチャー=湿気,ミスト=霧)であるが,霧状の水であるミストと強力なファンの風を散布して,気化熱の作用により周囲の温度を下げる装置の名称で,2~3℃冷やすことができるという.さらに冬場は屋内の加湿装置としても利用できるので,冬でも有効活用ができる.近距離で手をかざすと濡れるが,離れれば霧が気化するので濡れなくてすみ,電気代も家庭用のエアコンと比べても電力が約20分の1ということで,環境にもやさしい装置である.今年はこの猛暑もあって全国各地で好評なため生産が追いつかないとのことであり,9月いっぱいまでは予約が難しいという.
小田急百貨店新宿店では9階の屋上広場に2007年9月30日まで設置している.その他,各地でも導入しているところがあるので,見つけたときは霧を浴びてみましょう.

屋上広場には4つの機械が設置され,
ミストが内向きに流されて,
その中の遊戯施設の空間が涼しくなっている

このように霧を吹き付ける
  

品川バスターミナル(京浜急行バス) 【東京考察#234】

Shinagawa bus terminal ( Keihin-Kyuko Bus )


品川バスターミナル


 品川バスターミナルは,品川駅から北に向かって5~10分程度歩いたところにある京浜急行バスの高速バスターミナルである.第一京浜(国道15号)沿いのJR線路側にある.東北・関西・山陽・山陰方面等の京浜急行バスと共同運行されているところの地域を結んでいる.駅からちょっと離れているので,大きな荷物を持っての移動はちょっとしんどい.しかしターミナル内は利用者以外立ち入り禁止とし,シャワー設備が付いているなど,設備が充実している.JR山手線や京浜東北線の田町・品川駅間に乗っていると車窓にバスターミナルが流れていく.
 
高輪口を降りて右側にバスターミナルがある.
ホテルパシフィックを背景に,小さな案内看板が立っている.

第一京浜の大きな道路沿いを北に向かって歩いていく
なかなか着かないなと思っていると
あと「直進200m」の看板が現れた
 
ターミナル入り口
バス乗車やチケット購入以外の者は
ターミナル内には立ち入り禁止

浜松町バスターミナル(世界貿易センタービル1階) 【東京考察#233】

Hamamatsu-cho bus terminal ( The 1st floor the World Trade Center buildings)


浜松町バスターミナル


 浜松町バスターミナルは,浜松町駅前の世界貿易センタービル別館1階にあるバスターミナルで,銚子・犬吠埼・君津・安房・小湊・勝浦方面(京成バス・千葉交通・日東交通・鴨川日東バス・ちばフラワーバス),横手・田沢湖方面(羽後交通・相鉄バス),仙台・山形方面(東北急行バス),萩・米子・鳥取・宮古・弘前方面(京浜急行バス),はとバスのツアー(主催旅行)バス,そして都バス虹01系統の東京ビックサイト(お台場)行きのバスが発着している.
JR山手線・京浜東北線や羽田空港へ向かう東京モノレールの浜松町駅,都営地下鉄浅草線・大江戸線大門駅と直結しており,アクセスは便利である.

世界貿易センタービル別館の1階にある
浜松町駅からのアクセスは便利

待合室を取り囲むようにバス乗り場があるので,
館内は冷暖房完備で快適である.

バス乗り場と待合室はドアで仕切られている

待合室の外.つまりバス乗り場

はとバスの案内所がある.しかし,ツアーバスの発着がメインなので,
定期観光バス(1日都内観光)は,東京駅丸の内南口のりばとなる.

清洲橋(隅田川橋梁) 【東京考察#232】

Kiyosu-bashi ( Sumidagawa bridge )


清洲橋


 清洲橋は,関東大震災の震災復興事業で架けられた隅田川橋梁群のひとつである.隅田川橋梁群は当時の新技術が駆使され,同じ形式の橋を造らず,ほぼ同じ長さのそれぞれ異なった形式を採用することにして,橋梁群全体のデザインを示しており,後世に語り継ぐことのできる土木遺産として高い評価を得ている.清洲橋の構造形式は三径間の鋼鉄製吊り橋,1928(昭和3)年に架設された,橋長186.6m,幅員22.0mの橋である.ドイツのケルン大吊橋を模範にしており,隅田川に架かる橋の中で最も美しいと言われ,人気の高い橋となっている.
「清洲」の名の由来は,深川の清澄町と日本橋中洲町を結ぶ橋であったことから付けられた.清澄町はセメント工場の発祥の地であり,中州町は1771(明和8)年に埋め立てを開始して造られ,一時は取り壊されていたが1886(明治19)年に再び埋め立てられた経緯のある場所である.

街灯もレトロで洒落ている

橋の下の川縁は歩けるようになっている.
隅田川の川面が見れる.

浅草や日の出桟橋からの水上バスが橋の下をくぐる

橋の下 いろいろな配管が付けられている
 
吊り橋の鋼製部分には,ライトアップ用の照明が取り付けられている

間近で見ると,鋼製の武骨なところがまた魅力的

歩道から


水上バスからみた清洲橋(昼)

水上バスからみた清洲橋(夜)

水天宮(日本橋蛎殻町) 【東京考察#231】

Suiten-gu ( The Nihonbashi kakigara cho )


水天宮へ向かう階段


 水天宮は,日本橋蛎殻町にある安産・子授けのお宮となっている.そもそも起源となっている水天宮は,福岡県久留米市の筑後川畔にある全国総本宮「水天宮」となっているが,江戸時代に参勤交代が義務づけられていた久留米藩主が水天宮にお参りができないので,第9代久留米藩主・有馬頼徳が久留米から分霊をして江戸屋敷内(港区赤羽橋付近)に水天宮を祀ったのが,東京水天宮のはじまりとなっている.当初は,一般人のお参りはできなかったが,次第に信仰が高まって塀越しに賽銭を投げ込む江戸の人が後を絶たなくなり,五の日に限り屋敷が開放されて参拝が許されるようになっていったという.
1871(明治4)年の屋敷移転とともに水天宮は青山に移り,その翌年に,現在の蛎殻町に移転して現在に至っている.おなかを大きくした妊婦さんや,若い夫婦たちの参拝する姿が後を絶たない.御利益があったときは,そのお礼参りとして,小さな赤ちゃんを抱きながら参拝にくる家族の姿も多く目にする.

人形町通りから階段でちょっと上る
結構急な階段である

妊婦さんなどのために,
社殿へ直行できるエレベータが
水天宮交差点脇(交番脇)に設置されている.

水天宮「社殿」
現在の社殿は,昭和41年に建てられた権現造りとなっている

若い家族連れが多い

境内にはベビーカーも置いてある

記念撮影をする家族が多く,警備員さんは専ら撮影係となっている
これも業務の範囲内ということで.
 
安産ご祈祷の時間になると,列を作って社殿の中に入っていく

子宝いぬ
産まれ年の干支のところを撫でると,安産・無事成長が祈念できる

境内にある屋台

通り沿いにある土産物
「安産狛犬煎餅」「安産人形焼き」

人形町界隈(日本橋人形町) 【東京考察#230】

The Ningyo-cho neighborhood


人形町の路地裏

 


 人形町は江戸時代の町人歓楽街として栄えていたところで,今でも江戸の面影を残す地区である.人形町の由来は,この地区に人形師が多く住んでいたことからつけられた名前で,江戸時代の人形町界隈は中村座や市村座などの江戸大歌舞伎が存在し,見世物小屋をはじめ人形芝居の小屋が並ぶ江戸唯一の歓楽街であった.これらの歓楽施設は,天保の改革の風俗取り締まり(1842(天保13)年)によって,浅草猿若町などに移転した.現在の人形町は,古き江戸時代の面影を残すとともに,東京都心のビジネス街・問屋となっており,休日はビジネスマンが少ないので,散策をするのには適している.ちなみに,1656(明暦2)年に新吉原に移転する前の元吉原も,人形町界隈にあった.
 
人形町駅前は甘酒横丁交差点となる
明治はじめに,この横丁の入り口に甘酒屋があったことから呼ばれている.
人形町駅から明治座にかけて,商店街が続いている

日本一のほうじ茶を売る「森乃園」 大正3年(1914)創業
「ほうじ茶 175g 820円」で売っている.
香ばしくておいしいほうじ茶である
店内には甘味処もある

自家製豆腐やがんもどきを売る「双葉」 明治40(1907)年創業
甘酒やソフトクリームも売っている
甘酒プリンもある!
  

 
路地裏は江戸風情を残す空間がある


甘酒横丁をまっすぐ歩き,隅田川近くの浜町になると
明治座がある.現在の明治座は1993(平成5)年に建てられたもの


「人形町今半」といえば,すき焼き・しゃぶしゃぶである
昼食は今半に決定!人形町今半は、1895(明治28)年創業した牛鍋屋が起源となっている.
1952(昭和27)年に浅草今半日本橋支店として開店したが,
1956(昭和31)年に別会社として独立分離し,今に至っている.
都内には,今半と名の付いた店は5社あるとか.

食べたいメニューによって,
1階のびーふ亭か,2階のお座敷か,に分かれる
入り口をくぐると,仲居さんに聞かれる
御膳や弁当だと,夜のコース料理よりは手頃な値段で食べれられる.
 
すき焼き御膳(2,625円)
御膳は2階の座敷で食べることになる

「御膳」を注文すると,仲居さんがすべて焼いてくれる
高級店のすき焼きは,自分で焼くのではないらしい
ちょっと緊張する.(弁当は直接机では焼かない)

基本的には,ビジネスビルの建ち並ぶ地域である

 

朝顔まつり(入谷鬼子母神) 【東京考察#229】

The morning-glory fair ( Iriya goddess of children )


いろいろな朝顔がある


 入谷朝顔市は,入谷鬼子母神を中心として,毎年7月6~8日の3日間開催されるものである.もともと朝顔は,奈良時代に薬用として中国より入ってきたもので,最初は青色のみだった.入谷で盛んに朝顔が栽培されるようになって,「入谷の朝顔」として知られるようになったのは明治の中頃からで,植木氏成田屋留次郎の活躍をはじめ,十数件の植木屋が始めたものと伝えられている.
大正初期に市街化によって途絶えた朝顔市だったが,戦後の昭和25年になって朝顔市が復活し,七夕にちなんで7月6・7・8日が祭りの開催日と決定したという.当初は朝顔の咲く時期ではなかったため,大変苦労したとのことである.毎年,大勢の人出で賑わい,土日開催の時などは身動きがとれない程の人出でごった返す(今回).朝顔市が始まると,これから暑い夏がやってくるんだな,と思わせる季節の風物詩である.

地下鉄入谷駅側の様子
JR鶯谷駅からもアプローチできる

言問通り沿いに出店が並べられる

たばこの自動販売機に貼られた朝顔まつりのポスター

朝顔が棚に並べられる
 
威勢のよいかけ声で,朝顔が売られる

色とりどりの朝顔

朝顔にも様々な種類があるようだが,
1鉢2000円となっていて,この値段は朝顔組合で決まっている.

溢れんばかりの人で歩道は満杯である


入谷鬼子母神
朝顔まつりの中心的存在である
 入谷鬼子母神は,日蓮上人の尊像とともにこの地の眞源寺に祀られており,1659(万治2)年に創建されたものである.入谷鬼子母神では,子育ての善神になったという由来から本来の名称記述には「鬼」の字の角(上のチョン)がない字を使用している.(変換文字にはないので,表記は「鬼」にしている)

お守りを買うと,火打ち石で念仏を唱えてくれる

入谷鬼子母神も人出が多い

組合の朝顔には,すべてこの札が取り付けられている

反対側の歩道は,食べ物の屋台が並んでいる

両手に朝顔!

伊勢丹の(旧)紙袋 【東京考察#228】

Isetan Co., Ltd.’s paper bag (Old version)


伊勢丹の紙バック(タータンチェック柄)


 伊勢丹は1886(明治19)年に神田旅籠町に伊勢屋丹治呉服店を創業したのが始まりで,その後百貨店へと変化し,伊勢丹となったのは1930(昭和5)のことである.流行のファッションをリードするアイテム・品揃えと店員さんの質の高さには定評があり,人気のある老舗百貨店の一つである.高島屋,三越,伊勢丹,松屋などなど・・・老舗百貨店で買い物をすると,その店の紙バックがもらえるが,その中で私が最もお気に入りなのが伊勢丹の紙バックである.
ちまたでは「伊勢丹チェック」などとも呼ばれているタータンチェック柄であるが,正式にはマクミラン・アンシェント・クラン・タータン(MacMillan
Ancient Clan tartan)という柄で,この紙袋は黄色の紙に赤と緑の2色刷で印刷されているのだとか.
まず,色合いが好きである.黄色と赤という取り合わせが暖かみを出してくれる.また,メンズ館の紙バックは緑と群青に色合いが変化した紙バックで渡される.それから,手提げの部分が「ひも」になっているところも高級感があっていい.新宿の街を歩いていると,高島屋の花柄の紙バック,三越の白を基調とした中央に青と赤い色が入った紙バックとともに,伊勢丹の紙バックをもって百貨店をはしごしている人が多い.

大小並べてみました

この手提げ部分が紐状になっているのがいい

メンズ館の紙袋 この色合いも渋い
紙バックは,この柄の他にも,単色バージョンもあります.

クリスマスバージョン
(Christmas at Home)


包装紙はこちら


新宿伊勢丹(本店)の外観

都庁の展望台(西新宿) 【東京考察#227】

Tokyo Metropolitan Government’s observatory (shinjuku)


都庁を下から見上げる


 都庁は,平成3年に丸の内(現東京フォーラム敷地)から新宿副都心の現在の場所に移転したもので,都庁舎の竣工は平成3年3月,第一本庁舎,第二本庁舎,都議会議事堂からなっている.第一本庁舎の高さは243m(地上48階)で,しばらくの間は,かつて日本一だったサンシャイン60を抜いて日本一の高さだったのであるが,横浜のランドマークが完成してからは,日本一の座を明け渡して「都内一」の高さを誇っていた.ところが,六本木の東京ミッドタウンが完成してからは,都内一の座も明け渡すこととなったが,展望台への入場は無料ということもあり,高いところから手軽に東京を眺められるスポットとして,多くの人が訪れている.
展望室のあるところは第一本庁舎の45階,高さ202mである.第一本庁舎は,上層部にいくと北側と南側に分離されるようになっており,展望台も「北展望台」と「南展望台」の2カ所存在している.それぞれは展望室では行き来することができないので,1階の展望室行きエレベータに乗るときに北側に行くのか,南側に行くのかを選択しなければならない.
開館時間は,9時30分~23時までとなっており,夜遅くまで夜景を楽しむこともできる.ただ,17時30分以降オープンしているのは展望室フロアの一部でバーを営業している北展望室のみである.閉館日は火曜日であるが,南展望室と北展望室を交互に閉めているので,どちらかの展望室には入れるようになっている(点検日などの例外を除く).また,南展望室の一部をイベントなどの会場として、有料で利用することもできるようになっている.

展望室(45階)行き直通エレベータ
入口で荷物のチェックがある.このエレベータは結構遅い.
北展望台と南展望台では乗り場が違う.

銀座「博品館」のお土産ショップがある
 
無料で入れるのも魅力のひとつ

眼下には,首都東京の巨大な街並みが広がる
  
眺望三連発
 
展望室にはカフェ&バーがある
昼はカフェとして,夜はバーとして23時まで営業している
ピアノまで置いてあって,なんか本格的で役所的ではない

下りのエレベータに乗るのにも行列する

お土産屋に,王貞治や長島茂雄のブロマイドとともに石原裕次郎も置いてあった.
せっかくだから都知事石原慎太郎氏もあれば面白いのでは.
右に映っているジオラマ東京(鳥瞰図)は人気商品のひとつ


1階には「東京観光情報センター」があり,
国内外から東京を訪れる人のために
さまざまな種類の無料パンフレットが置かれている.

国立新美術館(六本木) 【東京考察#226】

The national new art museum (Roppongi)


国立新美術館

防衛庁は,現東京ミッドタウン


 国立新美術館は,1923(昭和3)年に旧陸軍第一師団歩兵第三連隊新兵舎として建設され,戦争が終了してからは,東京大学生産技術研究所として利用されてきた跡地に建てられたもので,2007(平成19)年1月にオープンした.東京大学生産技術研究所は駒場に移転している.独立行政法人の国立美術館としては5番目の美術館で,特定の美術品を所蔵せずに,国内最大級の展示場(延べ14,000m2)を有し,展覧会会場の提供や自主企画展などを実施している.
建物は建築家黒川紀章氏による設計で,外観は前面を覆うガラスカーテンウォールが波のようにうねって曲線を描いている.10を越える展覧会が同時並行で開催できるよう,作品の搬出入において機能性を重視し,バリアフリーへの対応も行っている.

美術館建物内への入口

最上階までは吹き抜けになっている

椅子と机が置いてあり,休憩をとることができる
 
曲線でうねる外壁・ガラスカーテンウォール
施工するのは大変だっただろうと想像する
右側写真の逆円錐の上の部分にはレストランやカフェがある

展示室側の壁は木目調

エスカレータの上階より撮影

やっぱり,ここにも「竹」が.

館内には,1つのレストランと3つのカフェがある.
ここは,フランスの三ツ星レストラン『レストラン ボキューズ』
初の海外進出だとか.

資料室「アートライブラリー」があって,誰でも利用することができる

地下1階はミュージアムショップ
 六本木には三角形を描くように3つの美術館が位置するようになり,この「国立新美術館」,東京ミッドタウンの「サントリー美術館」,六本木ヒルズの「森美術館」の3つのことを「六本木アートトライアングル」と称して,六本木をアートに親しめる街にしていくことを目指している.六本木ヒルズと国立新美術館との間には,無料のシャトルバスが運行されている.

東京ミッドタウン(六本木) 【東京考察#225】

The Tokyo midtown


六本木の新たな名所
「東京ミッドタウン」
地図が古いので「防衛庁」のまま
ちなみに,西側の東京大学生産技術研究所は
今は「国立新美術館」となっている


 東京ミッドタウンは,六本木の旧防衛庁跡地(防衛庁は市ヶ谷に移転)で行われた再開発であり,2007年3月30日にグランドオープンした.現在,日本で行われている再開発の中で最大規模の事業となり,隣接する檜町公園を含めた敷地面積は10.1haにもなる.事業者は,三井不動産・全国共済農業協同組合連合会・明治安田生命・富国生命・積水ハウス・大同生命となっており,マスターアーキテクト(全体建築計画)にアメリカの総合建築設計事務所スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリルを起用している.
再開発のコンセプトは,世界中の人や企業が交流できる「職・住・遊・憩」が高度に融合された街づくりで,敷地内には完成によって都内で最も高いビルとなるミッドタウンタワー(高さ248m)を中心として5棟のビルが建設されて,オフィスあり,商業施設あり,ホテルあり,住宅あり,文化施設ありの,今流行の複合再開発となっている.
六本木駅を中心に,六本木ヒルズとは対角線上に位置しており,国立新美術館とのトライアングル回遊によって,六本木全体の相乗効果も期待できるものとなる.実は,地名上は六本木ではなく,赤坂9丁目に位置している.

地下鉄六本木駅と直結している
こちらもすごい人出であった

東京ミッドタウンも「和」を意識したインテリアとなっており,
天井は木目を使用したものとなっている.
 
天井に水が流れている
この水の流れによって,差し込んでくる陽の光が
ゆらゆらと幾何学的な色彩となって
面白い光りの演出となっている.夏は涼しそう.

上から見ると,このように涼しげな水の流れとなっている.

1階の「プラザ」へ通じる空間
竹を使用しているところが「和」となっている

「プラザ」には大型のビジョンがある

 
商業施設の入る「ガレリア」
4階吹き抜けの空間となっており,木目を基調とした色彩になっている.
木目調は,暖かい温もりを感じる色彩である.
 
この吹き抜けにも「竹」があった

英語クラスもある料理教室

白の空間となっている
「ビューティー&ヘルスケア」

サントリー美術館入口

さすが六本木.外貨両替の窓口があった
最近は,東京でもようやく外貨両替窓口を見かけるようになった

24時間オープンの「スーパーマーケット」
東急ストア系列である


レストランは大行列なので,
先ほどのスーパーで弁当を買って昼食を外で食べた.
 
外では,座って休むことができる

檜町公園
再開発前からあったこの公園は,
地元住民の参加によって整備案が決定した.
 
動きのある噴水があって面白い
子供が触ることもできる.
 
ガーデンテラスのレストランは人気が高いとか
メキシコ料理店では,生演奏のサービスがあるとか.
 
いろいろな角度からミッドタウン

ミッドタウンタワーは,都内で一番高い建物となるが,
展望台は設けられておらず,上からの眺めを楽しみたいときは,
上層階で営業しているホテル「ザ・リッツ・カールトン東京」を利用する.

何じゃこれ?

色々と面白い演出もあるのが,東京ミッドタウン!


浜離宮恩賜庭園 【東京考察#224】

The Hama-rikyu royal gift garden


中島の御茶屋と大泉水


 浜離宮庭園は,江戸城の出城としての機能を果たしていた徳川将軍家の庭園だったところで,明治になって皇室の離宮となり,昭和20(1945)年に東京都に下賜され現在に至っているものである.徳川時代には,鷹狩り場や鴨場が整備され,別邸を建てたりし,現在の姿の庭園になったのは,11代将軍の家斉の時だという.関東大震災や戦災によって大部分は損傷したが,その後の整備によって現在の姿になって公開がされている.近年は,汐留の再開発によって庭園近隣に超高層ビルが林立するようになり,公園からの景観が一変している.賛否両論あるようだが,自然の緑の背景に,このダイナミックな背景も面白いように感じる.周辺は,江戸時代には想像できなかった景観が広がっている.
 
浅草からやってくる「水上バス」で入園することもできる
アプローチが面白くてお奨めである.

横堀水門
浜離宮の池の特徴は,海水を引き入れた池となっていることにある.
潮の満ち引きによって水位が変わるが,その海水を引き入れる水門.

新樋の口山

東京湾側の海岸線
 
鴨場に設けられているのぞき穴
鴨場の池から小さな引掘り(写真右)が掘られており,
この土手の「のぞき穴」から覗きながら,
エサやアヒルで鴨を引き寄せて,すくい上げるという猟.

緑の中を歩くと,やっぱり心が安らぐ
都心にいるとなおさら強く感じる

「潮入の池」と「汐留シオサイト」の再開発
真ん中に見える建物は「中島の御茶屋」
このコントラストは,新たな都市景観として面白い.
潮入の池は,江戸の庭園では唯一現存する海水の池である.

御茶屋では抹茶セットを飲むことができる
お手前など堅苦しいことは不要.
とりあえず正座して,それなりの飲み方でOK.

お手伝い橋
総檜造りの橋で,平成9(1997)年に架け替えられたもの

馬場跡
馬を走らせる馬場の跡地

芝とビル
 
内堀
現在,潮が引いているときであり,
水位が下がり,どんどん水が外に流れていた

三百年の松
徳川6代将軍の家宣が植えた松

お花畑では菜の花やコスモスが咲き誇る

新橋駅からは大手門橋を渡り,大手門から入場する
入場料大人300円 9時から17時まで

谷中銀座 【東京考察#223】

Yanaka Ginza


休日には観光客で賑わう谷中銀座


 近年,下町情緒の残る街として脚光を浴びている「谷根千(やねせん)」である.谷根千とは,地名の谷中・根津・千駄木の頭文字をとって付けられたもので,昔の東京の面影を残す下町の路地裏に,小さな店や施設が点在しており,マップ片手にブラブラ歩くと新たな発見があったりして面白い.その谷根千の中にある商店街が「谷中ぎんざ」である.日暮里駅を降りて歩いていくと谷中銀座にたどり着くが,お寺,煎餅屋など,下町風情の香りが伝わってきて,谷中銀座では名物の谷中メンチを頬張って,ポカポカ陽気の下町をふらっと歩いてみるのもまた楽し.

JR日暮里駅
駅の西側は武蔵野台地となっていて,そこはもう谷中である

木陰で客待ちをする人力車

下町に必ずあるせんべい屋
もちろん1枚から買える.色々な種類のせんべいがある.

こちらは佃煮屋
大皿から量り売りする.
 
「経王寺」
慶応4(1868)年の新政府軍の攻撃を受けて,
この山門に今も銃弾痕が残っていることはあまり気づかれない.

ツツジが満開の延命院

だんだんと「谷中ぎんざ」が見えてきた

「夕やけだんだん」の階段を下りると,谷中ぎんざが広がる
ここから眺める夕焼けは絶景だという 命名は作家・森まゆみだとか

「夕やけだんだん」
谷中という地名は,台東区に位置するのであるが,
この階段は,荒川区西日暮里にある.
谷中銀座の中に区境があって,
行政区名上は荒川区西日暮里と台東区谷中が混在している.

飴(あめ)屋
 
狭い商店街,最近の谷根千ブームで人出が多い
カフェ有り,雑貨あり,肉屋あり・・・・
 
谷中名物のひとつに「谷中メンチ」がある
もともとはお肉屋さん.1個100円


「谷中ぎんざ」を抜けると「よみせ通り」となる

谷根千の魅力は,路地裏をブラブラ歩くことにある

福丸の10円まんじゅう

台東区循環バス「東西めぐりん号」も
人を避けながら路地裏を走っていく
いまはやりのコミュニティーバス

地下鉄千駄木駅に到着
(団子坂下交差点前)
明治時代は菊人形の名所だった.

東京国立博物館(上野) 【東京考察#222】

Tokyo National Museum


東京国立博物館


 東京国立博物館の歴史は古く,明治5(1872)年に文部省が湯島聖堂で最初の博覧会を開催したのが博物館としての始まりで,その後,明治15(1882)年に上野公園に移ってから,現在に至っているのが,東京国立博物館である.
展示館は,「本館」「東洋館」「平成館」「法隆寺宝物館」「表慶館」の5つに分かれており,全ての展示を見ようと思ったら,丸1日がかかるほど,ボリュームのある博物館である.国立博物館だけあって,常設展示されている本館の「日本ギャラリー」では,国宝や重要文化財などの展示品が紹介されており,日本文化を知る上では欠かすことのできない博物館である.彫刻,陶磁,刀剣など,日本に訪れた外国人観光客の方にとっても,興味深い展示である.
入場料金は大人600円と大変安いが,特別企画展などがあると料金は高くなる.時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)となっているが,特別展によっては金曜日は20時まで延長したり,土日は18時まで延長したりしており,夜までゆっくり鑑賞することも出来る.ちなみに,上野駅から歩いてくるよりも,実は鶯谷駅から歩いてきたほうが近い.しかし,鶯谷駅からは裏道を歩いてくる感じで,案内板などがないので,鶯谷駅から来る場合は地図などを見ながら歩いてくることをお奨めする.


入口正面にある「本館」
 現在の本館は,昭和13(1938)年に昭和天皇の即位を記念して開館したものである.渡辺仁設計で,コンクリート建築に瓦屋根をのせてた「帝冠洋式」の代表建築といわれており,平成13(2001)年に重要文化財に指定されている.この本館では,日本ギャラリーとして日本の美術,工芸,歴史資料などを展示しているが,企画展示室も設けられている.2007年ゴールデンウィークの時はレオナルド・ダ・ビンチの「受胎告知」が特別展示されていた.

本館内部 重厚な雰囲気である

本館から後ろの正面入口の先に広がる上野公園
 
人気のある企画展では行列ができる

日本ギャラリーでは兜も展示されている
撮影禁止マークが付いていなければ撮影OKである

本館から見える茶室

新しい「平成館」
平成館は,皇太子殿下のご成婚を記念して平成11(1999)年に開館したものである.1階は考古展示室,2階は特別展が開かれる展示室となっており,講堂なども備えている.

1階から2階へ向かうフロアー
こちらも重厚な感じに造られている

ラウンジにはドリンクコーナー(自販機)もある
京菓子の老舗・鶴屋吉信のあんみつを売っていた

エントランスから本館へ向かう通路


最も古い建物である「表慶館」
 東京国立博物館では最も古い建物で,大正天皇(当時は皇太子)のご成婚を記念して明治42(1909)年に開館したものである.日本における最初の本格的な美術館で,設計はJ.コンドルの弟子である片山東熊,中央と左右にドーム屋根があり,上部の外壁には製図用具や工具・楽器などのレリーフがある.昭和53(1978)年に重要文化財に指定されている.かつては通常の展示を行っていたが,改装が終わった2007年4月より教育普及活動を行う場所となっている.
 
中央ドームの内部
 
展示室 シンプルなシャンデリアがかえってよい


「法隆寺宝物館」
 かつては週1日だけの公開だったのであるが,平成11(1999)年に現在の新宝物館がオープンしたことにより,毎日公開されるようになった.法隆寺宝物館は,法隆寺献納宝物をまとめて保存展示する展示館として,昭和39(1964)年にオープンしたもので,お釈迦様などの像がずらりと並べてある.1階にレストランがある.


本館の右となりにある「東洋館」
 東洋館はアジアギャラリーとなっており,中国や朝鮮半島,東南アジア,インド,エジプトなど東洋の美術と考古物を展示するものとして昭和43(1968)年に開館した.ミイラなどが展示されている.内部は吹き抜けになっていて,半階ずつ上がっていく展示室になっているという.(夕刻になり時間がなくなってしまったので,内部には入らなかった)

東京国立博物館HPを参考に作成しています

新丸の内ビルディング 【東京考察#221】

The Shin-marunouchi building


オープンしたばかりの
新丸の内ビルディング

 


 2007年4月27日に,新しく生まれ変わった新丸ビルが誕生した.「新丸ビル」と頭に「新」がつくので,かつては「丸ビル」と呼ばれていた建物を新しく建て直したように思うかもしれないが,そうではなく,この場所にかつて建っていたビルも「新丸ノ内ビルヂング(昭和27年竣工)」と呼ばれていて,そのビルを新しく再開発したものが,この新丸の内ビルディングである.丸ビルは,新丸ビルの道路を隔てた南隣りに建っており,こちらは,一足早い2002年9月に再開発ビルとしてオープンしている.
もともと,この丸の内一帯は,明治時代に欧米のようなビジネスセンターを建設する構想を,軍用地の払い下げを受けた三菱財閥によって進めらたところで,旧丸ビルは大正12(1923)年に,旧新丸ビルは昭和27(1952)年に完成した.かつての丸の内地区では,高さや看板の規制により,統一したスカイラインのある景観に優れたビジネス街が形成されていたが,規制緩和によって高層ビルが建てられるようになり,建物の老朽化もあって,このような新しい再開発が次々と行われているのが,今の丸の内地区である.
新丸の内ビルディング(三菱地所)は,地上38階,高さ198mで,かつての新丸ビルの高さである31m以下の低層部の商業ゾーンと,高層部のオフィスゾーンに分かれている.新丸ビルでは,丸ビルのように最上階部への商業施設は設けていない.商業施設は,30代から40代の大人をターゲットにしているとのことで,インテリアも落ち着いていて,大人の雰囲気を演出する空間となっている.なお,丸ビルも新丸ビルも,商業施設のオープン時間は午前11時からなので,お間違いなく.
 
地下道(地下鉄の駅)から直結している
 
1階のエントランス

電球色の柔らかい照明が空間を暖かくさせている
木目を使用するのが,最近のインテリアの流行のようである

こちらも地下1階の飲食店街
 
壁に掛けられているスタンド照明がいい

このように床も木の素材が使われていて,
木の温もりと照明の電球食によって,和やかな雰囲気となっている

各フロアーにはソファーが設けられている
疲れたら足を休ませることができる
 
上階のレストラン街
明るい光りが入ってくる

店舗の窓からは,隣のオフィスビルが見える

アフタヌーン・ティー・ルームからは
皇居の緑を眺めることができる
 
2階フロアーからは
東京駅の赤煉瓦駅舎を眺めることができる
3階建てへの復元工事が行われる

その景色の拡大版
背後に見えるビルは八重洲口の再開発ビルで
東京駅周辺は超高層ビルの開発ラッシュである

2階から1階へ下るエスカレータより撮影
アーチの空間と照明がレトロな感じでいい

1階入口側から見たフロアー

この低層部の建物の高さが,
かつての新丸ビルの高さである31mとなっている
つまり,昔の高さ規制の限界値
商業施設は,この低層部に入っている

昔の東京駅丸の内口は,休日にこれだけの人出はなかった

赤羽台団地(その2) 取り壊される団地群 【東京考察#220】

The Akabanedai housing complex part.2


取り壊される21号棟

 


 赤羽台団地(その2)では,赤羽台団地の建て替え事業によって,間もなく取り壊される建物群と,新しく生まれ変わったヌーヴェル赤羽台の建物を紹介する.2部構成で作成しており,(その1)では現在も入居されている建物群をお送りしている.
昭和の高度経済成長の象徴のような赤羽台団地も,老朽化によって建て替え事業が行われており,順次取り壊しが進んでいる.既に,赤羽台西小学校側にあった27~32号棟は取り壊されて真新しい賃貸住宅が建っている.16~26号棟も既に入居者の退去が済んでおり,人々のいなくなって鼓動が止まってしまった団地群が,取り壊される日をひっそりと待ち偲んでいる.昭和の一コマがまたひとつ消えてしまうようで,ちょっと寂しい感じもする.
 
団地の案内図
左が昔ながらの手書きの案内図で味があって渋い.


16~26号棟は,赤羽台団地建替事業(第Ⅰ期2ブロック)が着工されるため
平成19年1月より仮囲いによって通行止めとなった.
平成22年3月までの予定.
 
非常にインパクトのあった21号棟
他の住棟とは直交に配置されているため,
プライバシーを保つために廊下の壁を高く設置しているという.
右の写真を見てみると,確かに外からは見えにくい廊下である.
 
21号棟は既に入居者が退去し,
あとは取り壊される日を,ただ静かに待ち偲んでいる
 
入口が閉鎖されている25号棟
階段が横向きである
ダストシュートもある

正面は21号棟
右は25号棟

26号棟も空っぽである

手前から順に,24・23・22号棟
24号棟は,側面にベランダがついており,
23号棟は,側面に焼却炉がついており,
22号棟は,側面になにもついていない.
これを見ても,様々な設計の建物が建てられていることがわかる

16号棟 関係者以外立ち入り禁止

仮囲いで隔離された22号棟

 
かつての27~32号棟だったところで行われた
第Ⅰ期1ブロックの建替事業で建て変わった賃貸住宅
モダンなデザインの住宅である.(ヌーヴェル赤羽台)

入口はオートロックセキュリティー

「ヌーヴェル赤羽台」のモデルルーム
賃貸住宅であり,月額169,400円からだとか・・・・・。

団地内にある「あかいとり幼稚園」

桜が満開であった.
参考文献:「僕たちの大好きな団地」,洋泉社,平成19(2007)年4月

赤羽台団地(その1) 区内初の大規模団地開発 【東京考察#219】

The Akabanedai housing complex part.1


赤羽台団地

 


 知る人ぞ知る「赤羽台団地」である.
赤羽台団地は,旧陸軍被服本廠跡地であり国有地だったところを,当時の日本住宅公団(現在:独立行政法人都市再生機構)が団地開発したもので,1963(昭和38)に完成した.全戸数は3373戸,東京23区内で初めての大規模団地として知られ,単身者から4LDKファミリータイプまで幅広いユーザーをターゲットにしており,団地設計も当時としては様々な新しい試みを取り入れていることから,団地開発のモデルとして色々な形の団地や,住棟・公園の配置設計を見ることができて興味深い.
公団の団地は,洋式のダイニングキッチンや洋式トイレなどを備えたモダンな住宅で,当時は憧れの住まいであり,入居当初の倍率は高かったようである.賃貸住宅の家賃は当時の大学卒初任給と同じ程度するもので,高額所得者の住む団地であった.
この昭和の高度経済成長の象徴のような赤羽台団地も,老朽化によって建て替え事業が行われており,順次取り壊しが進んでいる.既に,赤羽台西小学校側にあった27~32号棟は取り壊されて真新しい賃貸住宅が建っている.16~26号棟も既に入居者の退去が済んでおり,人々のいなくなって鼓動が止まってしまった団地群が,取り壊される日をひっそりと待ち偲んでいる.昭和の一コマがまたひとつ消えてしまうようで,ちょっと寂しい感じもする.
写真の掲載量が多いので,2部構成でお送りする.(その1)では現在居住者のいる建物群を,(その2)では取り壊される建物群と新しく出来上がった建物を紹介する.
 
まずは,団地の案内図
左が昔ながらの手書きの案内図で味があって渋い.
下は新しいもの.(クリックすると拡大)

JR赤羽駅から歩いてくると赤羽台トンネルが見えてくる
その上に広がっているのが赤羽台団地.
トンネル脇に団地へ向かう階段がある.
シンボル的存在のスターハウス49号棟がお出迎え

これが「スターハウス」49号棟
団地の配置計画を行うときにポイントとなる場所に建てる住棟のことをポイントハウスと呼んでいるが,スターハウスは,そのポイントハウスの一種で,1フロアー3戸のY字型をしている建物である.非効率な形状をしており,近年はほとんど建てられなくなったが,公営の集合住宅の歴史を語る上で,スターハウスは外せない存在である.赤羽台団地では,駅から団地にかけて存在する崖線の頂上に,8棟のスターハウスを建てており,高台にスターハウスを並べることによって景観上のアクセントとしている.
 
左:裏側から見たスターハウス
右:8棟連続で並ぶスターハウス

緑地と6・8号棟
この公園(緑地)の下に赤羽台トンネルの道路が走っている
赤羽台トンネルは,団地を分断する都市計画道路をどうするかで議論が続き
最終的には現在のトンネルの形で決着がついた経緯がある.
 
14・15号棟
5階建ての住棟である
階段の向きが横向きになっている

4・6号棟
こちらの階段の向きは,よく見かける縦向きである.
 
50号棟の1階にある「赤羽台団地商店街」
赤羽駅前のイトーヨーカドーなどに押され気味の感が否めない
 
50号棟の廊下は,片廊下式であるが,室内式となっている
冬は暖かくて良さそうである

50~53号棟は,□型に囲まれていて,中心に公園を配している
写真は,エレベータ棟を境にして左が53・右が52号棟.
1階に診療所や郵便局がある.
左側の53号棟は単身者用の住宅で,トイレと風呂は共同だとか.

53号棟の脇の階段は,天気がいいと洗濯物や布団を干している
これを見ると,生活感があって「団地にきたな」と感じる.

20号棟1階部分
玄関まではちょっとしたアプローチがあって,
ガーデニングを楽しむこともできる
 
スキップフロアー形式の33号棟
廊下があるのは3階と6階のみで,
「33」と書かれた部分の出っ張っているところに6階の廊下がある.
例えば,5階に行くためには,一度6階まで上がって,
6階の廊下を歩いて,各戸に付けられている5階へ降りる階段を使う

40号棟の脇にある黄色い注意信号機
サイズが小さくてレトロチックである
 
住棟と住棟の間には,公園が配されている
参考文献:「僕たちの大好きな団地」,洋泉社,平成19(2007)年4月