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フルキャストスタジアム宮城[東北楽天イーグルス本拠地]~仙台~

11連敗中.今日の西武戦に負けると12連敗に.どうしても本拠地・仙台での試合は負けられなかった.そんな状況の中,仙台のフルキャストスタジアム宮城に出掛けた.

フルキャストスタジアム宮城の改修工事は,2004年11月2日に楽天球団の新規参入が正式に決定され,それからたったの5ヶ月で球場を仕上げなければならない急ピッチの対応がせまられるものであった.施工を請け負ったのは,コンペで争われた結果,野球場としては日本初である「砂かぶり席」や外野席と公園とを接続させた「楽天山」などを提案した鹿島建設が行っている.
工事は第1期工事と第2期工事に分けられており,現在は第1期工事までが完了した段階(収容人数:約2万人)であり,今シーズン(2005年)が終了した後,第2期工事である内野3階席の増設等が行われて収容人数約2万8千人の球場が完成となる.

(撮影年月:2005年4月)


最寄り駅はJR仙石線の宮城野原駅
駅の出入口や通路は,東北楽天ゴールデンイーグルスのカラーであるワインレッドに統一され,出入口屋根にはヘルメットが.

フルキャストスタジアム宮城正面(略して「フルスタ」と呼ぶ)
大勢の人で賑わっていた.思ったよりもきれいに仕上がっている球場である.

当日券売り場

楽天イーグルスファンクラブ入会受付.クレジット機能付きだとか

場外にあるお弁当売り場
球場内には専用シールの貼ってある弁当しか原則持ち込めない.が,入場チェックは非常に緩やか.

R6ゲートの入り口
階段を上がってすぐに内野席となる.敷居が低くてのどかな感じがいい.

入口では,「缶やペットボトル,楽天シールの貼っていない飲食物の持ち込みは禁止」
となっていたが厳しいチェックもなく,今のところ持ち込みは可能である.周辺のコンビニでは,わざわざ中の見えない紙袋で商品を渡してくれる.

スタジアム内.距離感がなく,野球が身近に観戦できる

外野のバックネット付近は芝生となっている.応援団の一番盛り上がる席.

RAKUTEN EAGLES のカップ.生ビール(650円)を頼むとこのカップに注がれる

牛たん弁当
まぁ,専門店で食べた方がよさそう・・・

牛たんまんじゅう.これはいける.塩味(緑色)としょうゆ味(白)がある.1個300円也.

JR東日本のSUICA(スイカ)
仙台限定発売のスイカである.球場では売っていない.駅窓口へ.

楽天の野球帽

満席の楽天側外野応援席(レフト側)

7回の風船上げ.
鳴り物の応援がないので,静かに鑑賞できるが,賑やかに応援をしたい人には物足りないかも.なお,試合終了後,物を投げ入れるファンが皆無であった.入口のチェックが甘いのも,良識ある観戦の結果なのであった.

試合終了後,西武ナインを乗せたバス

公園内に設けられた臨時JR切符売り場

国分町にある「おでん屋三吉」.楽天イーグルスの応援団をやっている

店先には,ポスターが貼ってある.「熱烈応援!がんばれイーグルス」

楽天イーグルスが勝った日にはサービスで振る舞われる「イーグル串」
5角形のベース・ボール・バットの順で串にネタがささっている.

東北楽天ゴールデンイーグルスの応援歌「黄金のつばさ」

楽天イーグルスを応援する横断幕が仙台の街のいたるところに掲げてある

※現在は,スポンサーの交代により「フルキャスト」の名は冠されなくなっている.

東京都庭園美術館【東京考察#166】

Tokyo Metropolitan TEIEN Art Museum


正面入口


 東京都庭園美術館は,朝香宮邸(朝香宮殿下:久邇宮家第8王子,妃殿下:明治天皇第8皇女)として昭和8(1933)年に建てられた建物を昭和58(1983)年にそのまま美術館として公開したもので,戦後は外務大臣や首相公邸・国の迎賓館などとして使用されていた.
建物は1920年代から1930年代にかけての,ヨーロッパの装飾美術を席巻したアール・デコ様式を現在に伝えるもので,フランス人が設計し,内部装飾もフランスをはじめとする外国から輸入されたものが使われている.都内におけるオアシスとして,歴史ある建物と庭園とが調和した落ち着いた空間が広がっている.
庭園美術館の中
アールデコ調の歴史ある旧朝香宮邸
広々とした西洋の庭園
いくつかモニュメントが置かれている
日本庭園もある
 
お茶室もある
梅が咲いていた

皆様からのご意見・ご感想(No.1-20)[一括掲載]

No.20
性別 = 女性
年齢 = 30-39歳
地域 = 北海道
件名 = 初めまして
メッセージ = 私は高校卒業と同時に専門学校に通うため一年だけ東京に住みました。今は地元に住んでいます。こちらは北海道で歴史がやはり浅いため、東京のような歴史をそのまま感じとれる街並みが好きでそちらのHPをじっくり堪能させて頂きました。特に東京港フェリー埠頭ターミナルを読んで驚きました。高校生の時、東京へ釧路からフェリーで行きました。今から20年ほど前です。今回初めてそれがお台場の方だったと知りました。当時は木場からバスでフェリー乗り場まで行き、夜の23時過ぎに出発していたのを覚えています。今ほど情報がなかったので、早めにバス停に着いて40分近く人気のないバス停で待ったことなど懐かしく思い出しました。そして都庁の移転が決まり、その土地に工事用のプレハブがぽつんと一個だけあったことも思い出しました。当時は地元に帰るとは思っていなかったので、あれだけ東京に行ったら色々歩いてみたいと思っていたにも関わらず「いつでも行ける」とあまり出歩かなかったのが今でも悔やまれます。「なんで生れ落ちたところの違いだけでこんなに受け取るものが違うのか?」などと、どうしようもないことを思ったものです。それを自分の力で克服する力がなかったのが地元に帰ってきた最大の原因です。今でもいつかいつか東京を堪能したいと思いつつなかなか思い通りにはならないので、せめてHPや本などで自分なりの東京を楽しんでいます。これからも更新楽しみにしております。

【お返事】
はじめまして,アクセスありがとうございます.当時のフェリー埠頭周辺は,恐らく何もない殺伐とした埋め立て地であり,当時は近未来のお台場のような姿に変貌するとは誰も思っていなかったでしょう.ですので,逆にフェリー埠頭周辺だけが,昔ながらの埋め立て地の風景を残している場所だということが言えます.
東京に住んで,いろいろと深く考えたことがあったようですね.東京は夢や希望を持って人々が集まってくるところでもあり,今までに自分の経験してきたことが丸ごと覆されてしまうこともある場所でもあるかもしれませんね.東京も,観光客があつまる場所もあれば,生活活動が垣間見れる場所もあります.今度は,是非,東京に遊びに来たときに自分の足で歩いて,街の空間を肌で感じ取ってみてください.なにか新たな発見や感動や想いが駆けめぐることがあると思いますので・・・. (2005,02,20)


No.19
性別 = 女性
年齢 = -19歳
お気に入り = イギリス散策 東京考察 都バス 京都大阪
メッセージ =  学生の傍ら、来日外国人向けに英語による通訳ガイドをしているので、とても参考になります。なにも難しい本に書いてあるようなことを知りたがるわけではないので、このように個人的な感想や発見が書いてあると、行ったことがなくてもある程度は説明できるのでとても便利です。またどこかお出かけになったら更新してください。楽しみにしています。

【お返事】
アクセスありがとうございます.感じたことをそのまんま書いています.そのように言っていただけると励みになります.なお,外国にいる人に対して少しでも東京の素顔のPRができればと英語のページも造っているのですが,こちらは自動翻訳ソフトを用いてそのまま修正せず(修正できないのが本当!?)にアップロードしていますので,文法的に変な文章になっていると思います.これからも東京のディテールを外国の方に紹介して,東京(日本)の良さをお伝えください.今後ともアクセスよろしくお願いします. (2004,09,12)


No.18
性別 = 男性
年齢 = 20-29歳
お気に入り = いわき見聞録 いわきおどり
メッセージ = はじめまして。いわき出身で現在は横浜在住の者です。いわき小名浜・見聞録、楽しく読ませてもらいました。ところで「いわきの冷し中華」なんですけど、こんなのがありました。ちなみにこちらのコンビニ、「サンクス」や「ミニストップ」、たしか「ファミリーマート」にもマヨネーズついてますよ。いわきで一番多い「セブンイレブン」にはついてませんけどね。

【お返事】
これはおもしろいページですね.これによると,マヨネーズ優位な地域は,東北では福島県だけ,あとは中部から近畿にかけてと佐賀県ですか.福島県でもいわき地方だけではないかと思われますが,いずれにせよマヨネーズを付ける地域は少数派ですね.でも,ほんとにマヨネーズと冷やし中華のルーツは何なんでしょうね.(2004,09,12)


No.17
性別 = 男性
年齢 = 20-29歳
お気に入り = 東京考察
メッセージ = 東京考察しか知らなかった!ほかにも面白そうなページがずいぶんあるんですねえ.いままで東京考察だけで満足してましたわ.要望なんですが,写真をクリックすると大きくなるようにしてくださると嬉しいです.写真,いいのにいささか小さくて.

【お返事】
このサイトは写真が多く使われております.写真をクリックして大きくしたいところですが,そうすると解像度の高い写真を多くサーバーにアップさせなければならず,そうなるとサーバーの容量や1週間でダウンロードできるデータ量の制限を超えてしまうため,あえて写真は小さめの低解像度の画像を掲載しております.なにとぞご理解を・・・・.(2004.06.01)


No.16
性別 = 女性
年齢 = 30-39歳
お気に入り = 東京考察 都バス
メッセージ = いつも楽しく見させて頂いてます。東京に住んでいながら、知らない街がたくさんあり、写真を見て行った気になっています!これからも独自の視点で、興味深い写真を掲載してください。

【お返事】
東京はじっくり歩いてみると,いろいろと面白い街がたくさんあります.東京を面白くしているのは「江戸時代があった」ということが大きいと思います.表面的なところだけではなく,ディープな東京を体験していただけたらと思います.今後ともよろしくお願いします.(2004,05,26)


No.15
性別 = 男性
年齢 = 40-49
件名 = 有難うございます
メッセージ =  東京を知るための立派なホームページを見せていただき、有難うございます。
平成の代に入ってから東京の街並みが大きく変わりってきたことが、とてもよく分かり、勉強になりました。小生昭和五十年代頃にはよく都内を回って歩きましたが、最近は仕事以外ではほとんど出向かなくなっております。これからまた昔のように、新しい東京と昔懐かしい東京を眺めながらぶらっと歩いてみたいと思っております。そんな気にさせていただいたことを、ここに感謝いたします。

【お返事】
アクセスありがとうございます.そう言っていただけると励みになります.「立派な」といわれるとちょっと頭をひねってしまうようなシンプルな内容かもしれませんが,少しずつ積み重なって140を超えるほどになりました.今後ともよろしくお願いします.(2004,05,26)


No.14
性別 = 女性
年齢 = 20-29歳
お気に入り = いわき見聞録 アクアマリン 小名浜港 小名浜観光
メッセージ = 私はいわき市出身です!小名浜ではないですが、隣の泉に住んでます。って、今は東京にいるんですが…。母校の泉小学校のことが書いてありとても嬉しかったです♪あの校歌は二部合唱になっていて高学年の男女が低音と高音に分かれて歌うんです。たぶん…(笑)ちなみに泉中学校の校歌は三部合唱になってるんです!!

【お返事】
「90へぇ~」.やっぱりそうでしたか.男子と女子で分けていたとは新たな発見です.今はいわきを離れてしまいましたが,職場は泉にありましたので,泉周辺ではよく昼食を食べに歩きました.なかなか閑静な住宅街の広がる住みやすいところです.昔は何もなかったところだと聞いていますが・・・.(2004,04,19)


No.13
性別 = 男性
年齢 = 30-39
件名 = お問い合わせ
メッセージ = お忙しいところ申し訳ございません。HPをとても興味深く見させていただきました。
昨今、東京タワーのまわりに高層ビルが建ったりで、遠方からのタワー風景が段々、変わってきていることと思います。タワーが見えなくなった場所などで、そこにいる人々のタワーに対する思いがなんらかの形になっているところなどないかと思いまして、メールさせていただきました。また全体的な風景が立体的になってきたと思いますが、BANCHANさんの東京考で是非、ご意見を伺いたいと思いまして。 唐突で恐縮ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

【お返事】
アクセスありがとうございます.確かに,東京は容積率の緩和で高いビルがどんどん建ってきています.東京タワーが見えなくなってしまった地域で,タワーへの思い入れがあるところ・・・.私の住んでいたところは,東京タワーが見えるところではありませんでしたので,個人的にはあまり東京タワーへの思い入れは浮かばないのでした.
東京タワーは富士山のようなホッとする心のよりどころとなるようなランドマークというよりは,活動的で刺激的な首都東京を象徴するランドマークなのだろうと思います.そう考えると,東京タワーへの感慨深い思いというのはあまり湧かないのかな,富士山など昔から存在する景色は日本人の心の中に刻み込まれていて,日本人としてのアイデンティティを感じる景色ですが,東京タワーにそこまでの歴史と重みがあるかというとそうではないのではないかと,私は考えます.そうなるまでには,もう少し,時間(とき)がかかるのではないでしょうか.
「風景が立体的になっている」.容積率が緩和されて,建物が上に上に伸びていて,超高層ビルが林立するようになってきているのですね.既に東京では横に土地を広げるわけにはいかないので,必然的に上に上に広がっていくわけです.香港にいったとき,東京よりも建物の高さが高く密集していて空が見えず,密度の高い都市で息苦しく感じたことがありました.人間が住むには,東京でさえも空間の密度が高すぎるように感じます.高層ビルが林立する風景は,近代的でかっこいいですがね.(2004,04,05)


No.12
性別 = 男性
年齢 = 20-29歳
お気に入り = 並木西ノ内
その他メッセージ = 郡山の外食情報(特にB級グルメ)をもっと教えてください

【お返事】
やっぱり郡山は福島県随一の都会ですね.様々な分野のサービスが充実しています.外食産業もいろいろとあって,非常にいろんな味を楽しむことができます.B級グルメとなると,どうしても住まいの近くになってしまいますね.このあたりに住んでおります・・・・(2003,07,27)


No.11
性別 = 男性
件名 = お礼
メッセージ = いわき小名浜のディープな情報を提供していただきお礼申し上げます。
更新を楽しみにしていましたが残念です。が、これからは郡山の知られざる情報を発信していただくことを期待しております。ご健康をお祈りします。

【お返事】
はい,非常に残念ですが,いわきを離れることになりました.いわきには3年間住んでいましたが,楽しいことばかりで「いわき」のすばらしさを存分に味わうことができました.これからは経済県都といわれる「郡山」です.つかみどころがないのが郡山の特長ですが,なんとか情報をお伝えしていこうと思います.落ち着くまでは,しばしお待ちを・・・(2003,03,31)


No.10
性別 = 男性
年齢 = 30-39歳
お気に入り = 東京考察
その他メッセージ = 中々普段気が付かない事の発見をする事ができました。
とても面白いです。

【お返事】
僕なりの視点であまり偏らない程度に主観を入れてお伝えしております.やっぱりちょっとマニアックな話題を入れると面白いですよね.(2003,01,01)


No.9
性別 = 女性
年齢 = 20-29歳
お気に入り = 東京考察
その他メッセージ = 東京考察は、いかにも東京の日常が見えていいですね!
デートのネタには最高です。
これからも、河童橋の店舗用品の問屋街や中目黒 目黒川沿いの目立たない洋品店街など、
穴場的スポットの紹介を期待しています!

【お返事】
アクセスありがとうございます.東京考察は当サイトの中でも一番アクセス数の多いページです.というのも,ページ数が100近くあるため,それぞれに検索エンジンから訪問してくださる方がほとんどです.ジャイアンツの優勝パレード開催時や神宮外苑の銀杏が紅葉しているときなどは,そのページのアクセス数がアップしています.
調理器具や販売道具などの専門店街である「合羽橋道具街」や白銀・高輪界隈,目黒川や代官山近辺も,実は取り上げたいテーマの1つとして考えているところでした!! なかなか鋭い読みですね.これからもよろしくお願いします.(2002,12,21)


No.8
性別 = 男性
年齢 = 30-39歳
お気に入り = いわき見聞録
その他メッセージ = 遠く離れた故郷の様子が見えるようでとてもよい

【お返事】
いわきの生の情報を発信しております.同じように,昔が懐かしいとメールをいただくことが多いページです.これからもよろしくお願いします.(2002,10,17)


No.7
性別 = 男性
お気に入り = アジアの光景 東京考察
その他メッセージ = 東京考察は既に70回以上もの記事があり、非常に読み応えがあります。
これからもがんばってください。
僕も最近HP作りました。そこに東京関係のページがあります。
内容はまだかなり薄いですが、これからばんちゃんのようにがんばりたいと思ってます。

【お返事】
アクセスありがとうございます.東京考察も積もり積もって70回を越えるまでに・・・.まだまだ,掲載したいテーマがたくさんありますので乞うご期待,といったところです.東京関係のページ,制作頑張ってください.お台場から東京タワーへ,僕もむかしは自転車で徘徊しておりました.歩行者天国が上野から銀座までつながっていたときは,そこを快走した記憶があります.(2002,04,22)


No.6
性別 = 男性
年齢 = 20-29歳
お気に入り = 都バス
その他メッセージ = 柳田小学校の出身の方ですか?僕は豊川なんですよんっ。王子とお茶の水を結ぶバスっていつ廃止されてしまったんですかね?大学1年の夏に乗ったのですが…。今度4年生なんですが。

【お返事】
はい,何を隠そう柳田小出身です.柳田と豊川ってそんなに離れていないんですよね.さて,そのバスは確か2年くらい前だったと思います.詳しいことは忘れてしまいましたが・・.神田神保町の本屋街に行った帰りはよくこのバスを使っていて,便利だったけれども・・.(2002,04,01)


No.5
性別 = 女性
年齢 = 30-39歳
お気に入り = 都バス
感想(その他) = わけあって東京のその付近の風景を知りたかったんですが、よく作ってありますねー。すごい。あまりに丁寧に作られているウェブサイトなので黙って立ち去るに忍びずアンケートに回答させていただきました。これからも傑作をお作りください。

【お返事】
ありがとうございます.そのように言っていただけると,造りがいがあります.ページによっては手抜きもあるのですが,これからも様々な様子をお伝えしていきますので,アクセスよろしくお願いいたします.(2002.03.14)


No.4
性別 = 男性
年齢 = 20-29歳
お気に入り = 東京考察 都バス
一度ここのアンケートに記入したのですが、それ以降、じっくりページを読んでいたら、最初の思いよりもいい印象なのでもう一度書いています。

【お返事】
その後翌日,下記「3」の方から,追加のアンケートが入っていました.最初にご覧になったページが手抜きページだったのでしょうかね・・(笑) (2001,11,08)


No.3
性別 = 男性
年齢 = 20-29歳
お気に入り = 東京考察
僕は「散歩の達人」という月刊誌が好きなのでホームページを見ていても散歩の要素のあるページに目が行くのです。そんなわけで東京考察を見入ってしまいました。
このページの問題点は読むのが少なくてじつくり読むには物足りないし写真が多いと画面があらわれるのに時間がかかるので、もっと読み物を多くして写真は程ほどにしてほしい。
あとは背面の色と文字の色のバランスが読みにくいので白の背景に黒文字というような読みやすくして欲しい。
散歩的なページは好きです。がんばってください

【お返事】
なかなか厳しいご意見を頂戴いたしました.これを受けて東京考察の背景の灰色を,さらに濃い灰色に変更し,明るい文字をより引き立たせるようにしました.東京考察のコンセプトは文字よりも写真を多く載せて,その街の雰囲気を伝えることにあります.「考察」という仰々しいタイトルからすると矛盾を感じるかもしれませんが,内容(文字・文章)は街並みや街づくり・都市計画の視点をちょっと挟んでコンパクトにまとめているつもり!?です.ただ,タイトル(No.)によっては,手抜きとも思えるくらい文字の少ない(画像だけの)ページもありまして・・・.正直言って,そのときの気分で中身のボリュームが変わっているのでした!今思うと,「東京考察」というタイトルは失敗したかなって思うときもあります.(2001,11,07)


No.2
性別 = 女性
ある掲示板でこちらのHPを知り見させていただきました。私も小名浜に住んでいて結構興味深く見ました。umi-tsukushi と wave-wave-wave は感動!まさかPC上で聞けるとは思いませんでした(*^ ^*)
三崎公園は、ピクニックガーデンとかも充実しててバーベキューとかもできていいですよ♪
ちなみに、外貿コンテナは週3便です。(笑)ちょくちょく見させていただきますので、これからも頑張ってください☆

【お返事】
とある掲示板とは,磐城青年会議所(磐城JC)のオフィシャルホームページの掲示板でした.いわき小名浜見聞録は,いろいろな方からメールをいただく人気コーナーのひとつです.外貿コンテナの便数が間違っていて教えていただきました!!(2001,11,03)


No.1
性別 = 男性
年齢 = 30-39歳
東京、小名浜、津軽地方...私が好きなところがいろいろ紹介されていて大変うれしいサイトだと思いました。もしかしたら感性が似ているのかも知れませんね。これからもずっと覗かせていただきますので宜しくお願いします。

【お返事】
感性が似ている・・・うれしいですね.もっとハイペースで更新しようと思っているのですが,時間がなく・・・.気長にお待ちください.(2000.10.20)


堀切・牛田・千住界隈(金八先生のロケ地)【東京考察#165】

The Horikiri, Ushida and Senju neighborhood
(The home town of the Kinpachi teacher)


オープニングで流れる荒川土手
冬なので茶色である


 東武伊勢崎線,JR常磐線,京成本線それと荒川放水路に囲まれた地区は,3年B組金八先生のロケ地となっている,下町情緒の色濃く残る地域である.金八先生のドラマの設定通り,バイクに乗った暴走族や校内暴力(ちょっと古いか!?),お高くとまっていないざっくばらんな市民が登場するのにはぴったりといったところであろうか.でも,街並みを歩いていると,昔懐かしいラーメン屋や自転車を押しているおばあちゃん,幅員の狭い近隣商店街などが存在して,心がほっとするのは不思議である.路地のカドから,「よぉ,元気か~.久しぶりだな~」などと金八先生がすぐに現れてきそうな,そんな雰囲気の街並みであった.(金八先生のドラマは大好きで第1シリーズよりずっと見ておりました・・・)
荒川土手から眺める界隈
3Bはこの地域で育っている
中華そば・甘味処「日の出屋」 店構えが下町らしくていい
当地域で唯一,金八先生のポスターが貼ってあった
実は,撮影スタッフのお休み処で中にはサインが多く貼ってある
 
桜中学・・・ではなく,足立区立足立第二中学校
堀切駅のすぐ裏手にある
金八先生に関するものは一切掲示していない
なんと,平成17年3月で統廃合のため廃止になるとか.
現在,金八記念館推進運動が起こっており,
足立区長に対して署名活動などを行っている.
背後の建物が足立二中. まもなく統廃合で移転となる
東武伊勢崎線堀切駅
駅の雰囲気も下町である
入試の出発時のシーンでよく使われる
このガード下,見覚えありませんか?
周辺は,細い路地と密集した住宅街となっている
 
いかにも下町らしい近隣商店街 柳原商店街(千草通り)
たい焼きを買いました
ドラマでもよく出てくる「学園通り(旭町商店街)」
北千住駅東口から延びる商店街
卒業生のスーパーもここにある
商店街には金八先生に関するポスター等は一切なかった
地元としてはロケ地として積極的にPRしていないようである
 
偶然にも第7シリーズのロケをやっていた
救急車もロケ用(倒れたお婆ちゃんを生徒が助けているシーンだった)
柳原千草園という公園があった
ロケ地を散策するときは,近隣の住民等へ迷惑のかからないようにしましょう.

 

東京拘置所(小菅)【東京考察#164】

Kosuge bridewell


小菅駅ホームから見た東京拘置所


 東京拘置所は面積約21万㎡の国内最大の拘置所(監獄)である.ここが監獄として使用されはじめたのは明治11年であり,歴史は古い.小菅刑務所が未決囚専門の拘置所となったのは昭和20年であり,「刑務所」に「拘置所」が併設された.その後、昭和45年に旧東京拘置所(スガモプリズン=現サンシャイン60敷地)が廃止され,名称を「小菅拘置所」から「東京拘置所」に変えた.
東京拘置所は設備が古く,未決囚への人権配慮が足りない施設であるとのことで,現在建替え工事が行なわれている.東京拘置所の建替え工事は1997年に着工され,2003年4月段階で中央管理棟・南収容棟が完成している(約1500人の被収容者が移動したという).北収容棟が完成すると,さらに1500人が収容されることができるようになるという.
面会者用の入口と新しい管理棟
綾瀬川に挟まれて建つ無機質なコンクリート塀
監視小屋とサーチライトが敷地のカドに建っている
こちらには川(というか堀)が巡らされている
脱走しにくくしているのか?
大正時代に作られたというレンガ塀
敷地内の団地は中で働く人の住宅だとか.
東京拘置所正面入口

丸の内オアゾ【東京考察#163】

Marunouchi OAZO


夜の「丸の内オアゾ」


 旧国鉄本社跡地を中心として交通公社ビルヂング・丸の内ホテル・東京中央ビルヂング・丸の内センタービルディングの敷地を利用して,三菱地所など6社が共同して進めている再開発が「丸の内オアゾ」である.オフィス,ホテル,商業施設が入っており,新丸ビルに続いて,丸の内の新たな再開発エリアが誕生したといったところであろう.
 
1階は吹抜空間の通路となっている
エスカレーターから窓の中も覗けます
エントランスを上から撮影
 
エレベータの外側にガラスがない
そして,ロープがカゴの上にないエレベーター(でも油圧式ではない)
景観上すっきりしている
宇宙航空研究開発機構の展示室
(現在は事業仕分けにより閉鎖された)
テナントに丸善が入っている
洋書の充実度では有名な書店
地下は東京駅と大手町とを結んでいるため人の流れがある

山の上ホテル(結婚式バージョン)【東京考察#162】

Hill Top Hotel(The wedding version)


文化人の香りがする山の上ホテル

 


 山の上ホテルは多くの作家や文化人の方に親しまれているホテルで,文化人のホテルとも言われている.昭和12年に財団法人日本生活強によって建てられた建物であるが,第2次世界大戦の時にはまず日本海軍に接収され,戦後は米軍の陸軍婦人部の宿舎として使われた.建物の中にはいると(本館),昭和初期を思わせる重厚な雰囲気を肌で感じることができ,アール・デコを基調とした優雅な姿と眺望のよさから,「ヒルトップ」の愛称で呼ばれていたという.その後,昭和28年に米軍から返還されたときに,吉田俊男氏がホテルを受け継ぎ,丘の上ホテルではなく山の上ホテルと名付けたのだということである.(山の上ホテルホームページより)
このクラシックな雰囲気の漂うホテルで知人の結婚式の披露宴が行わました.歴史と品のあるホテルで行われるセレモニーは,最高級のムードと品格の高さを感じることができるものでありました.その山の上ホテルを結婚式バージョンとしてお伝えします.

明治大学の脇にある小径を入ると,丘の上にホテルはある
 
クラシックな雰囲気のロビー待合室

エントランス(入口)を入ったところ

当日は受付をさせていただきました
 
会場

新郎新婦のお二人
(おめでたいことですが,プライバシー保護のため加工してあります)
 
語らい

シェフから料理についての説明がある
今日のメニューは「フランス料理」

全てホテルの刻印が入っているフォーク

Jambon de Parme
イタリアパルマ産生ハム ルッコラ添え

Composition de Fruit de Mer au Caviar
海の幸盛り合わせ キャビア添え

Consomme Brunoise
コンソメスープ 野菜のブリュノア入り

Homard Frais a l’ Americaine
活オマール海老ポワレ アメリカンソース

生演奏が雰囲気を盛り立てます

St-jacque Saute au Safran
青森産帆立貝のソテー サフラン風味

Sorbet au Citron Vert
シトロンベールのソルベ

Filet de Boeuf Roti Sauce Poivre Noir
牛フィレ肉のロースト ブラックペッパーソース
 
Melon Rafraichir / Cafe
静岡産マスクメロン コーヒー ケーキカットのケーキ

ワイングラスも刻印入り

有楽町駅前第1地区市街地再開発事業(従前の姿)【東京考察#161】

The urban area redevelopment project in front of Yuurakuchou station (Before building)


取り壊される寸前の有楽町駅前地区


 有楽町駅前を降りてマリオン(銀座)方面に向かう一角は,戦後の密集した面影を色濃く残す地区であったが,第1種市街地再開発事業によって新しいビルディングに生まれ変わることになった.ヒューマンスケールの街並みといった視点からは非常に残念であるが,美的といった観点からは今流行の複合ビルディングに生まれ変わった方がいいのかもしれない.東京銀座の玄関口として.昨年末までに閉鎖した店舗が多く,残りの営業を行っている店もまもなく店じまいすることになるのだろう.そんな風景を撮ってみた.

ミニシアター系の映画館「シネ・ラ・セット」も閉鎖している

かどの果物屋さんは,営業を続けていた

有楽町駅からマリオン・銀座方面への近道となるこの通りは,
いつも人通りが多い.工事中は迂回することになるのだろう

一本裏の通りになると,ごらんの通り全て既に閉鎖していた

店先に張ってあった閉鎖を知らせる張り紙
「昭和22年の創業以来・・・」 歴史を感じさせる

あとは取り壊される日を待つのみ・・・
 
歴史を感じさせる建物も建っている
有楽町駅前第1地区第1種市街地再開発事業は,平成19年の竣工予定である.

郡山見聞録【21-40】[一括掲載]

(このページは2003~04年に記載されたものです)

No.40 発車の「ぷっ!」

雨の日などはバスに乗って職場に通っている.ここで気になっていることがひとつある.郡山に限らず,福島県内の路線バスに乗ると大抵そうなのであるが,ドアを閉めてバスがバス停を発車する瞬間に,クラクションを「ぷっ!」と鳴らすのである.全国旅行に出かけているが,あまり発車の際にクラクションを鳴らすバスを見たことがない.東京でもクラクションはならさないし,仙台でもならしていないように思う.これは決まりでもあるのであろうか.恐らく,バスが発車するときに周囲に対して警告を発することにより,安全確保と注意喚起を促すためだと思われるが,これだけ車が多く走っている中でクラクションを鳴らされると,周辺の人々(ドライバーも含めて)は発車の合図なのか注意されているのか分からなくなってしまいそうな気がするのである.確かに,昔の映画などを見ると,バスが発車するときには,「ふぁ~ん」とクラクションを鳴らす光景が目に浮かぶが,運行規則か何かに「バスが発車するときはクラクションを鳴らすこと」といったことが記載されているに違いない.そう考えると,福島県内のバスの運転手さんは律儀で真面目であるということが言えるのである.

No.39 駅前アーケードが変わります!

郡山駅から国道4号にかけて通っている通称「郡山駅前通り」のアーケードが今年度中に立て替えられることになっている.併せて,現在3車線ある車道のうち外側の1車線をなくして歩道を広げる計画となっており,来年になれば見違えるような駅前空間が広がるようになるのである.歩道整備は県において,アーケードの建替えは地元商店街と商工会議所が主体となって事業を進めているが,中心市街地に人を呼び戻すための,郡山の発展のためのハードウエアの整備として,郡山市民を挙げて大いに期待しているところであろう.新聞発表によると,アーケードはシルバーを基調にしたシンプルなつくりで,音響設備などを備え,防犯対策としてテレビカメラを32基設置するという(福島民友より).あとは,ソフト対策であり,人を呼び込むためにいかに魅力ある街並みの空間や賑わいを創出することができるのかである.現在の,消費者金融と夜のネオンの店のみがずらずらと建ち並ぶアーケード街では誰も寄りつかない.道路占用許可も道路を有効に活用できるよう緩和される方向であるとの新聞記事を目にしたが,大道芸人や街中コンサート等のイベントを積極的に行っていったり,魅力ある店舗を誘致し開設しやすくするようにしたり,郡山の知名度アップに貢献している日本一水質の綺麗な猪苗代湖から流れてくる本物の安積疎水の水をアーケードの歩道にせせらぎとして流したりするなど,徹底的にアイデンティティーの確立を行うとともに,街並み空間の楽しさを演出する試みを併せて充実させていければいいのだけどな,と思う今日この頃でした.

No.38 郡山駅リニューアルオープン

4月に入り,JR郡山駅がリニューアルされてオープンした.今まで1階にあった「みどりの窓口」を2階に持っていき,新幹線乗り場のすぐ脇で長距離切符や指定券を購入することができるようになった.
1階には「郡山おみやげ館」という物産館がオープンし,郡山を代表する菓子店舗では「柏屋」「かんのや」「三万石」の御三家の他に「大黒屋」が入店しており,薄皮まんじゅうやゆべし,ままどおるなどを販売している.それ以外にも,会津塗りや会津名産「こづゆ」のレトルトパック,日本酒なども,さらに仙台名産阿倍の笹かまぼこまで置いてある.仙台出張の帰りなどには,郡山駅で土産を買うこともできるのである.
ほかに「FOOD BAZZAR」というショッピングセンターによくあるセルフサービス式の飲食フロアーが出来ていた.クレープやソフトクリーム・各種色付きジュース(とでもいっておこう.こういう類の飲み物は何というのだろうか.アジアンジュースとでもいうのか?)の「デザート王国」,お好み焼きと焼きそばを売るその名も「ふうふう」,石焼きビビンバの「東大門」,尾道ラーメン「岡本屋」,ロコモコとオムライスを売る「LOCOMOCO(ロコモコ)」がテナントとして入っている.ロコモコなんて初耳であるが,ご飯の上にハンバーグと目玉焼きとレタス等をのっけて特性のソースをかけた丼のことで,ハワイが発祥の地の食べ物だそうである.びっくりドンキーのエッグバーグデッシュのライスの上に具がのっているような感じである.客層は,学校帰りの高校生が多い.地方都市で駅を多く利用するのは,相対的に車を持たない学生達が多くなるということなのだろう.フードバザー内のインテリアは「和」の雰囲気で統一されているが,広い空間なので一人でちょこんと食事をするにはだだっ広すぎてちょっと落ち着かない感じである.ソファー席も用意されている.
おばあちゃんの民話茶屋も2階待合室の奥に健在であった.また,なめこそばが一部ちまたのファンで有名な(?)立ち食いそばやも,同じ場所で健在である.さらに,S-PALに向かう2階コンコースには,リラクゼーションサロン「カジュアル」の整体マッサージもオープンした.店名がローカルチックで気に入っていた「福豆屋食堂」はなくなっていた.さらに,1階にあったスパゲティ屋ではモーニングトーストセットをやっていてそこのバナナジュースがおいしかったのであるが,モーニングセットがピザトーストに変更になってしまいバナナジュースもなくなってしまった.残念!である.

No.37 国道49号線・中山峠のトンネルは凍結注意!

郡山と会津を結ぶ国道49号線.中通りと会津地方の境には中山峠があり,中山トンネルで両地方は結ばれている.ところが,このトンネルは凍結による事故が毎年起こっており,数年前には正面衝突による死亡事故まで起こっている.寒さの一番厳しい2月のとある日,この日は強い冬型の気圧配置で,会津地方は気温が低い上に猛烈な風による吹雪が舞い上がっていた.猪苗代から磐梯熱海に向かう国道49号を走っていたが,中山トンネルの手前は,大きな風力発電が1基置かれていることからも分かるように,非常に風の強い区間となっている.防雪柵が立っているにもかかわらずこの日も視界はゼロに近く,ノロノロの渋滞が続いていた.さらに渋滞は続いており,中山トンネルに入っても渋滞が収まらない.トンネル内で事故があったようで,パトカーによる事故処理が行われていた.凍結スリップによる正面衝突のようである.国道を管理する国土交通省も凍結を防止するための「凍結防止剤」をまいているのであろうが,なかなか四六時中凍結を防止することは無理なのだろう.
そんなことを思っていたトンネル内で,ふと車の窓を開けてみた.手を出してみるとすごい強風である.つまり,猪苗代から郡山方面に向かって風が吹き抜けていくのである.車の温度計を見てみたら「マイナス4度」に.つまり,中山トンネルは冬になると強風の吹き抜ける冷凍庫になっているのである.これでは,いくら凍結防止剤をまいても,すぐに路面が凍るわけである.車は一度滑り出すと,どうにもこうにもハンドルが効かなくなって,対向車線にはみ出して正面衝突するといった事故パターンなのであろう.中山トンネルをを通るときには,徐行して注意しながら通過しましょう.

No.36 「幸楽苑」の朝定・納豆定食の納豆

無性に納豆が食べたくなるときがある.外で納豆を食べようとすると,吉野家の牛丼で朝定・納豆定食を食べるということがすぐ思い浮かぶが,郡山市に本社のあるラーメンチェーン店「幸楽苑」の栄町店(国道4号沿い図景町の手前)では24時間営業をしており,朝定食をやっている.ここの納豆定食は304円と,吉野家に比べても安いのであるが,出てくる納豆がちょっと気に入ってしまった.
まず,小粒納豆であること.吉野家では大粒のいかにも「マメ・マメ」とした納豆なのであるが,こちらは食べやすい小粒である.次に,プラスチックの容器の底面にボツボツがついていること.これは,かき混ぜれるときに混ざりやすいようにするといった細かなアイデアが盛り込まれている容器なのである.そして,地元製造業者の納豆を使っていること.郡山市富久山町久保田にある郡山食品団地内にある「久米商店」というところで造られているもので,地産地消が図られているのである.ちなみに,吉野家の納豆は,茨城だか栃木だかの納豆であったように思う.
是非一度,幸楽苑の納豆定食を召し上がれ.朝定は早朝4時から午前11時までである.

No.35 風の強い冬の郡山

いやー寒い!郡山は雪の量もそれほど多くないし,気温も会津に比べれば暖かいのであるが,なんといっても風が強い.これだけは耐え難いものがある.雪が積もっていて風の強くない会津の方がよっぽど暖かく感じるのである.台風並みの強い風が吹くときもあって,「なんでこんなに強い風が吹くの?」といつもぶつぶつ言いながら,マフラーを巻いて郡山の街を歩いている.早く春が来ないかな,と待ち遠しい限りである.あんまり今回は中身がないが,とにかく寒いので記してみました.

No.34 ヨン様!福島空港に現れる

日本でも一大ブームを呼び起こした「冬のソナタ」の主人公,ぺ・ヨンジュン(ヨン様)がお忍び旅行で福島空港に現れた.先日,成田空港から来日したときは,ファンでごったがえしていたが,今回は,首都圏から最も近い地方空港で,こっそりと日本入りを目指したようである.このニュースは地もとNHK福島放送局が福島県内だけでニュースと報じたところから知れ渡ったのであるが,ヨン様が福島空港に来るという話が空港関係者に伝えられたのは当日の朝のようで,周辺関係者も大変驚いていたという.ヨン様は,アシアナ航空156便で12時20分頃に到着し,茶色っぽい帽子とサングラスにコート姿で現れ,1階の手荷物受取所南側の非常口から待機していた白いワゴン車に乗って東京方面に向かったとされている.同じ飛行機には約150人の日本人客も乗っていたというが,「近くの人がヨン様が乗っているよ,と教えてくれたので分かった.最初は幻影を見ているのではないかと思った.帽子をかぶり新聞で顔を隠して,カーテンで仕切られたファーストクラスにのっていたので近づけなかった.見に行きたいという気持ちを必死にこらえてた」と話していた(毎日新聞福島版より).
福島空港とソウル仁川空港には,週3便の定期便が飛んでいるが,福島空港発は日・火・金曜日となっている.昨日も,ヨン様が帰国するために福島に現れるのではないかということで,マスコミ数社が空港内で待機していたという.空港にはワイドショーなどのレポーターがやってきて,どこからヨン様が出て行ったか,姿はどうだったかなどと取材を行っていったとのことである.ひょんなことで,全国に有名となった福島空港であるが,ヨン様効果は我がHPにも影響を及ぼし,ヨン様が訪れた日の「福島空港から行く韓国ソウルへ」「福島空港航空時刻表リンク」へのアクセス数が約200ヒットも増えた.ヨン様,様々である.地元紙である福島民報では1面トップで報道し,福島県内ではちょっとしたヨン様ブームが巻き起こっている.

No.33 テアトル映画村

郡山には映画館が固まっているエリアがある.通称「テアトル映画村」と呼ばれているが,郡山テアトルという映画館の建物が3棟集まって建っており,合計で8つのスクリーンが集まるエリアである.外見は一昔前のボーリング場兼映画館といった感じで,決して今風のオシャレな外観ではない.上映映画も全国上映の映画のみで,いわゆるミニシアター系の「単館映画」は上映されていない.可もなく不可もなくといった感じの普通の映画館である.ただ,割引が多くあってよい.
毎月1日は「サービスデー」で1,000円(小・中学生・2歳以上800円),毎週月曜日は「メンズデー」で男性1,000円,毎週水曜日は「学生サービスデー」で学生証提示1,000円,毎週金曜日は「レディースデー」で女性1,000円,午後7時以降に上映される「レイトショー」は1,000円均一,どちらかが50歳以上の夫婦は「夫婦50割引」でペア2,000円(要証明)となっている.特に,レイトショー割引はありがたく,夜の上映は全て1000円というのだから,仕事帰りにちょいと映画を見るのにとてもいい.駐車場を利用する人は300円割引となっているが,重複しての割引は不可能であろう.通常の大人料金は1,800円である.
ちなみに,福島県内でミニシアター系の上映をやっている映画館は,福島市の福島フォーラムのみである.僕もわざわざフォーラムまで見に行ったこともあるが,是非,郡山市でもミニシアター系の上映をしていただきたいと思う,単館ムービーファンの僕でした.

No.32 猪苗代湖は今!(日本一水質のきれいな湖)

猪苗代湖は会津地方に存在するのであるが,湖の南側である「湖南」地区は郡山市に属しており,猪苗代湖は郡山市にも接している.郡山市民へのアンケート調査でも,猪苗代湖は最も誇りに思うもののひとつに挙げられており,福島県を代表する財産である.さて,先日猪苗代湖の水質保全対策についての講演を聴く機会があって,猪苗代湖の現状について興味深いことを知ることができた.
猪苗代湖は日本第4位の面積を誇る淡水湖で,日本最大の酸性湖となっている.猪苗代湖が酸性なのは,硫酸酸性の強い長瀬川(裏磐梯から流れてくるときの長瀬川は中性であるが,途中で安達太良山系から流れて合流する酸川が酸性である)が流入しているためで,このことが,魚やプランクトンが棲みにくい環境をつくりだし,結果として,水質や透明度は日本でもトップクラスの綺麗な湖となっている.湖沼の汚れを表す指標であるCODは毎年0.5mg/Lで推移し,現在も汚くなる傾向にはなっておらず,全国一の清澄な水質となっている.透明度は例年7~9mで推移していたものが平成14年度から上昇(つまり透明度が増している)していて,平成16年度は12.9mとなっている.アオコ等の富栄養化の元凶となる栄養塩(窒素やリン)の量も環境基準を大きく下回る量で,増加傾向も見られない.(いずれの測定も湖心による)
ところが,水質結果でひとつだけ懸念されることある.それは,PH(ペーハー)が平成8年度まではPH5前後の酸性で推移していたものが,徐々に上昇してきて,平成16年度はPH6.1となり中性化が進行している結果となっていることである.しかし,この中性化の原因がいまだに特定できていない.調査の結果,流入河川の水質にも変化が起こっていないし,平成8年に開通した磐越自動車道に冬期間まかれる凍結防止剤(塩化カルシウム・塩化ナトリウム)との因果関係も確認できなかった.今もって,猪苗代湖の中性化は謎に包まれているのである.
中性化が進むと,いままでの猪苗代湖の水環境が変化し,生態系の変化が予想される.僕も初めて知ったことなのだが,猪苗代湖の水の中では,長瀬川から流入した鉄やアルミニウムを含む酸性の水が,猪苗代湖内の有機物(有機リンや有機窒素など)と結合してフロック(濁りの固まりのような泥)を形成し,そのフロックが湖底に沈降していっているのだそうで,この中和反応によって猪苗代湖の水質は非常に良好になっているとのことである.ロボットカメラで湖底を眺めたら,3cm程度に積もった茶褐色のフロック(泥)が確認されている.そのため水面から2~30m程度以下の水深では,このフロックの影響で逆に濁度(濁り)が非常に大きくなっているとのことである.このまま中性化が進行すると,この中和反応による水質浄化が行われなくなり,長瀬川の流入水の影響が遠くて及ばない湖南地方などで,有機物による富栄養化が起こって水質が悪化することが懸念されている.
また,植生については,絶滅危惧種に指定されているアサザや,栄養塩を吸収するヨシなどは増殖している傾向にあると言っていた.水質改善という点ではいいことなのだが,増殖している背景には,成長に必要な栄養塩類が多く流入しているからであると予想されており,つまり,猪苗代湖に流入する水質に富栄養化の原因となる栄養塩が多く入り込むようになっているのではないかとのことであった.また,ヨシは栄養塩を吸収して水質の浄化は行うが,吸収された栄養塩はヨシの中に蓄積されていくということで,この蓄積が猪苗代湖の土に影響を与えないのか心配であるとの専門家の指摘があった.
猪苗代湖が綺麗で美しく,澄んだ水であることの背景には,強い酸性であるということが挙げられる(農業を行う側としては貧栄養の水なので敬遠される水質である.安積疎水の受益者は低温で貧栄養水なので大変だろう.)が,これは過去から受け継がれている猪苗代湖の財産なので,酸性を維持できるような対策を行って綺麗な猪苗代湖を維持していくべきであろう.

No.31 福島空港を改名して「福島野口英世空港」に

2004年11月1日より新千円札が発行された.肖像は野口英世.福島県が生んだ偉人である.福島県といっても広いのであるが,生まれは猪苗代町で,その後青春時代を会津若松市で過ごし,黄熱病研究のため外国に渡航したのである.地元福島の夕方のニュースは野口英世のニュースで占められており,新札発行に寄せる期待の大きさが伺える.ところで,諸外国の空港ではその国で活躍した著名人を空港名にすることが多い.例えば,パリのシャルルドゴール空港,ローマのレオナルドダビンチ空港,ニューヨークのジョンエフケネディ空港といった具合に.イギリスのリバプール空港はジョンレノン空港に改名している.日本でもこれに習って,坂本龍馬の高知空港では「高知龍馬空港」と改名しており,時刻表などの公の印刷物にも「高知龍馬」の文字が記載されている.
ここで,いっそのこと,福島空港も「福島野口英世空港」に改名したらどうだろうかとの意見が出されている.恐らく,東日本以外の人は野口英世が福島県出身だということを知っている人は少ないと思う.こうすれば観光客の増加によって,伸び悩んでいる福島空港の利活用にも多いに役立つのではないか.福島県民200万人を相手にするのではなく,日本総国民1億人を相手にPRをするのである.福島空港の存在している場所が,中通りの須賀川市・玉川村なので,野口英世とは関係ない土地だとの意見が,県内から出そうであるが,ここは広い視野に立って,会津の野口英世ではなく,福島県の野口英世という位置づけで考えたいものである.むしろ頑固な会津人から,福島空港は会津ではないので命名されては困る!などといった意見が出そうでもあるが,地元の猪苗代町の町議会では,「福島Dr野口英世空港」へ改名することへの意見書を提出し,地元住民の運動の盛り上がりを起こそうとしている.野口英世は世界の野口なので,成田野口英世空港にしてもいいくらいなのである.

No.30 三万石の「ままどおる」

薄皮まんじゅう,ゆべしを紹介したら,ままどおるも紹介して欲しいとの依頼があった.こちらも郡山では有名なお菓子である.郡山市に本社のある三万石の代表するお菓子で,ミルクとバターを使ったまろやかな味わいで,洋菓子のような和菓子!といった感じである.「ままどおる」とはスペイン語でお乳を飲む人々という意味だそうで,昭和42年に発売されてからの人気商品となっている.ホコホコとした感触で,この舌触りはなんと表現してよいのか,パンケーキの生地の中にクリームあんこが入った感じといったところか?

No.29 郡山にも「メロンパン」を求めて行列が・・・

郡山にも行列が出来る店ができた.駅前から国道4号線まで延びる駅前大通りのアーケード内に,全国展開するチェーン店の「ボンジュール神戸」という京都市に本社のあるパン屋さんが8月中旬にオープンしたのであるが,連日1個130円のメロンパンを求めるお客で行列ができているのである.休日には大行列となり,車の中からもその様子がよくわかる.このメロンパンは焼きたての無添加であることが売りで,口コミで市民の間に広がったといい,今では1人10個までの限定販売も行っている.まだ食べたことがないので,今度食べてみようと思う.この話題は新聞にも掲載されていたので,郡山で一般市民が行列を作っているという光景は,よっぽど珍しいのではないかと思う.

No.28 朝日町の飲屋(スナック)街

「忽然とネオンが浮かび上がる不思議な街」,朝日町の飲屋街はこんなイメージである.どうしてこの場所にこのような飲屋街が形成されているのか.郡山市役所と郡山郵便局と内環状線に囲まれた地区に,非常に不思議な空間が広がっている.駅からは遠いし,しかも,ゴチャゴチャとした路地に色々な形の建物が建っている飲屋街ではなく,5軒が1棟となっている長方形のアパートのような建物が,3~4棟程度ならんで建っており,入り口には同じようなネオンがつけられて,飲み屋やスナック・パブなどがずらりと並んでいるのである.歴史的に形成された街ではなく,あたかもとってつけたようにスナック街が形成されたような,「スナックのニュータウン」みたいな空間なのである.まったく同じような建物なので,どの店がどの名前なのか覚えづらい.夜に歩くと,「何なんだこの空間は?」と思わせる.一説には,市役所の裏だから飲屋街が形成されたんだ,という意見もあるが,真相を知りたい飲屋街であった.
そしてその後,タクシーの運転手さんに聞いてみた.すると,駅前よりも地価が安いために飲屋街が移ってきたといい,飲み代も安く済むのだということであった.

No.27 ますますヒートアップ,仙台郡山間の高速バス熾烈な戦い!

新規参入の富士交通の参加によって,仙台郡山間の高速バスの競争が激化していることはNo.6で紹介した.その後,熾烈な競争は留まることがなく,各社次々と戦略を打ち出している.新規参入組は仙台市に本社をおく富士交通のみであったが,福島県白河市に本社をおく桜交通が加り便数も増便され,新規参入2社あわせて1日14往復の運行となった.基本の片道運賃は1800円と変わりがないが,2枚綴りの回数券は既設運行3社(福島交通,宮城交通,JRバス東北)が2600円から2400円の同額に値下げすると,新規参入組はそれまでの2400円から2300円にまたまた値下げして差別化を図っている.さらに,既設3社組はいままで1時間に1本程度だった便数を倍増して約30分間隔とし,1日24往復の運行とした.そして,2004年6月19日より回数券の値段をさらに100円さげて,新規参入と同額の2300円に値下げすることを決定した.こうなってくるとイタチごっこで,どこまで値段が下がってくるのだろうか.片道1800円なのに対し,往復だと2300円なのだから,破格の割引率である.いつかは,片道1800円,往復1700円という時代がくるのだろうか?
お互いの熾烈な競争は随所に見ることができる.
仙台駅ののりばは宮城交通の待合所のとなりに,新規参入組のバス停がある.新規参入組には待合室がない(郡山にはある)のだが,宮城交通の待合所入り口には,「この待合室は下記のバス会社をご利用する方の待合室です.」と書かれた看板がわざわざ掲げられており,もちろん宮城交通と共同運行を行っている会社名のみが書かれている.待合室のガラスには,福島・郡山線の回数券がさらに値下げすることが大きく宣伝されている.
既設3社(宮城交通)のバス本数も多くなっていることから,2台が同時に止まれるように補助バス停が設けられた.その位置が,新規参入組が置いているバス停といままでの既設3社が利用していたバス停との間で,新規参入組のバス停にほど近い位置に置かれた.つまり,新規参入組のバスが止まっている場所に割り込ませるように補助バス停を設けたのである.新規参入組のバスが止まっているときは,この補助バス停にバスを止めることはできないが,新規参入組のバスが発車するとすかさず既設会社はバスを前に移動させて補助バス停を使うようにしている.でも,補助バス停の置かれている位置は,宮城交通の待合室の正面なので,先にバス停を置いた新規参入組の方が優位なのか,宮城交通の待合室は以前からあって,その前の位置なので補助バス停を置いてもいいではないかという理屈の方が優位なのか.こうなってくると,隣の家との境界争いみたいな話になってくる.
土曜日,買い物客が帰る時間帯である19時のバスに乗ったが,新規参入組は12名程度,既設会社組は6名程度であった.今は,往復で100円の料金差があってお茶が出される新規参入組の方が軍配が上がっていたようだが,いずれにせよ5社合わせて1日に38往復も走っているのだから,どう考えても供給過剰である.既設大手3社も,もう利益などは関係なく,会社のメンツにかけて意地になって競争しているようにも見える.利用する方としては,安くてガラガラのバスに乗れるのでありがたい.この競争どこまで続いていくのだろうか.ちなみに,一番最初に運行されたのは2000年3月15日で当時はたった1日6往復であった.
ところが,2004年8月,富士交通は会社更生法を適用し,事実上の倒産となってしまった.高速バスは続行するようであるが.

No.26 ホテルハマツ

駅前から延びるさくら通りを走っていき,坂を上った虎丸町に「ホテルハマツ」が建っている.郡山随一の高級ホテルで,かつては東京のアメリカ大使館隣に建っているホテルオークラの系列に加盟していた.もともとは,昭和28(1953)年に郡山で濱津衣装店として貸衣装を行っていたのが始まりで,冠婚葬祭業として成長していき,会津平安閣やはまつ典礼などをオープンさせていった.ホテルハマツは平成3年(1991)年に開業した比較的新しいホテルであるが,ふくしま国体開催時の秋篠宮殿下の来館をはじめ,皇太子殿下および妃殿下,常陸宮殿下及び妃殿下などの皇族方も利用したことのある気品あるホテルとなっている.ところが,バブル崩壊の波はこのホテルにも押し寄せ,ホテルハマツを経営する「ホテルはまつ」が120億円の負債を抱えて民事再生法の適用を昨年の夏(2003年8月)に受けた.産業再生機構の支援を受けたうすい百貨店もそうであるが,高級感を目指した大きな施設が相次いで破産していることは残念である.地方都市においては,高級派よりも庶民派の施設の方が生き残れるのかもしれないが,地域の文化レベルの向上を図る上では重要な施設である.
ちなみに,1泊の宿泊料金は約15,000円~.インペリアルスイートルーム(124.8m2)として1泊1室231,000円(2人まで可)の部屋もある.平日昼には1,050円のランチタイムを実施しており,ちょっとした料理が手頃な値段!?で食べることができる.しかし,奥様方の来店が多いこと,多いこと! クリスマスシーズンになると,正面には大きな電飾ツリーが飾られ,恒例の「中森明菜ディナーショー」が行われている.(2004年は美川憲一ショーであった.)

No.25 おにぎり「たけや」

堂前町におにぎりや団子の専門店「たけや」がある.ここのおにぎりはお勧めである.梅,たらこ,味ご飯,きのこ,わかめ,いなりずしなど,手作りおにぎりがショーウィンドーに並べられ,さらにお総菜や団子なども売っている.値段も110円程度とコンビニとさほど変わりなく,ご飯の味もよい.包装もなかなか凝っていて,日本昔話にでてくる握り飯を竹の笹でくるんだような包装紙におにぎりが詰められて,左右から重ねるようにフタをして,ぺらぺらの紙で包んでくれる.透明なプラスチック製のパックと違い,なかなか食欲をそそる包装なのである.土日の昼時になると,一方通行の道路には車がびっしり止められて行列ができる程で,店内のおばちゃんは忙しそうに客をさばいている.場所は,国道4号線の消防署前から裁判所方面に入っていったところの,如法寺前にある.ちなみに,うすい百貨店のB1階にも出店しているが,包装がプラスチックのパックであり,本店で造った商品を運んでくるようなので,できたての味があじわえず,販売の回転率が良い本店で買う方がよい.また,県道郡山湖南線から静団地に入ったところに姉妹店「さくら」が営業している.

No.24 桜前線は南下中

厳しい冬もやっと過ぎ去り,ようやく桜がほころぶ季節となった.今,郡山市では桜が満開で,あちこちでピンク色の桜が咲き誇っている.不思議なことに福島県の中通り・会津では,桜前線は南下していく.一番早く桜が咲くのは,一番北に位置する「福島市」で(福島県内で最も早いのは「いわき」だが・・),その後に「郡山市」,さらに時期が遅れて一番南の「白河市」と咲いていく.白河と同じくらいの時期に会津若松市が満開となり,その後に,南会津の田島町,猪苗代湖のある猪苗代町へと移っていく.これは,桜の咲くための条件である気温が密接に関係しており,暖かくなる順番に桜が咲いていっている.福島市の海抜は66m,郡山市は海抜245m,白河市は361mなのである.南に行くに従って,標高が高くなっているのである.
このため,冬も南の方が寒い傾向にあり,仙台から東京に出張に行くビジネスマンが,仙台では全く雪がなかったのに,新幹線に乗って車窓を眺めていると,南に向かっているにもかかわらず,段々と白い雪景色と変わっていき,栃木県の那須を過ぎると,また雪が無くなってくるといった不思議な風景がよく見られる.ちなみに,会津若松市の海抜は218m,南会津の田島町は海抜550m,日本第4位の湖である猪苗代湖は海抜514mのところにある.

No.23 寒波の大雪で大渋滞!

冬も最も厳しい季節になってきた.福島=雪の多く降る所というイメージがあるが,実際大雪が降るのは会津地方で,中通りでは思ったほどは雪が積もらない地域であり,春先にドカッと降る程度のようである(といっても今年初めて住むので実際のところは判らないが・・・).
ところが先日,郡山市で35cmの積雪があり,街中大混乱に陥った.道路は大渋滞,バスはこないしタクシーはつかまらない.完全な交通マヒ状態になったのである.郡山でこれだけの雪が降ると,もうお手上げ状態である.除雪も慣れていない地域なので,会津地方のように綺麗でスムーズな除雪作業が完了せず,ボコボコになった圧雪がいつまでも道路上に残ってしまう結果となってしまう.特にひどいのが,日陰の路地裏の通りであり,ボコボコでツルツルになった氷(雪がいつのまにか踏み固まって氷になっている)が路面に残ってしまい,車のハンドルが思うように効かず左右に振られながら超徐行で走っている.このときばかりは4WDでよかったな,と思ってしまう.4駆でないと前輪がスリップして発進できなかったり,車の尻が振られてクルリとまわったりと,思った通りに車が動いてくれないのである.
すでに雪が降って4日間が経過したが,未だに日陰部の道路の雪は解けず,道路は大渋滞となっている今日この頃であった・・・.

No.22 大雪でも「普通の靴」

冬将軍の到来である.寒波によって会津では大雪となった週末であったが,郡山でも雪となり道路は圧雪シャーベット状となっている.駐車場なども雪と水でビショビショであり,車から降りた人々は足早に店へと走っていく.会津では,大雪になるとたいていは「長靴」を履いて買い物などに出かけるのであるが,郡山では大雪でも99%の人が普通の靴を履いていた.確かに,長靴は見た目も格好も悪い.東京でも雪が降ったからと言って長靴を履いて街を歩いている人など皆無であり,長靴は「ダサイ」の代名詞なのである.僕は今日,CDを買いに「TUTAYA」に長靴を履いていったら,誰も長靴なんて履いている人がいないではないか.でも,声を大にして言いたい.大雪には長靴が最適である!長靴に勝るものはない!スノトレということも考えられるが,やっぱりビショビショの雪と氷と逃げ場の失っている水が溜まっている駐車場を歩くには,「長靴」が最高なのである.

No.21 国道4号線のイルミネーション群

クリスマスシーズンを控え,あちこちでイルミネーションが見られるようになった.そんな中で,車を運転していて特にイルミネーションが目につく地区がある.それは,国道4号線の郡山駅から須賀川方面に走って図景町までの三菱電機の工場がある「本町」や「栄町」付近である.お互いのビルが競い合っているように,それぞれのビルでツリー型の電飾にしたり,入口の屋根に電飾を飾っていたりしている.まさに,イルミネーションストリートである.郡山の冬は初めてであるが,これほどまでに街中がイルミネーションに包まれているとは思わなかった.気温が低下し,寒い冬がやって来ているが,ちょっと心がホッとするイルミネーションであった.

(このページは2003~04年に記載されたものです)

イルミネーションの渋谷【東京考察#160】

The illuminations at Shibuya


渋谷ハチ公前

 


 クリスマスシーズンが近づくと,渋谷の街はイルミネーション一色で彩られる.原宿表参道のケヤキ並木のクリスマスライトアップが,近隣住民の苦情によって廃止となってしまったので,この周辺でイルミネーションが見られるのは渋谷となっている.しかし,新宿では南口の高島屋タイムズスクエアなどによるサザンライツが開催され,六本木ヒルズでもイルミネーションが開催されるなど,どこへ行っても東京はクリスマスムード満点となっており,不況どこ吹く風,といった感じである.そんな渋谷の点景をどうぞ.

スクランブル交差点から109(マルキュー)を眺める

渋谷センター街入口
下に見える黒い部分は全て人の群れ
やっぱり渋谷はエキサイティングな街である

道玄坂方面

文化村通り
イルミネーションも凝っている

センター街

広告専用の光るトラック

ハチ公前からスクランブル交差点を眺めると
オーロラビジョンが3つもある.どれを見ればいいのか.

ゲートシティ大崎【東京考察#159】

Gate City Osaki


ゲートシティ大崎


 東京都の都市計画においては,1つの「都心(東京都の中心業務商業地で丸の内を中心とした地区を指す)」と7つの「副都心(新宿,渋谷,池袋,大崎,上野・浅草,錦糸町・亀戸,臨海副都心)」を位置づけている.大崎はその7つの副都心のひとつで,工場跡地等の土地利用転換を生かし,研究開発型産業を核とした業務・商業・文化・居住など複合機能を備えた拠点を形成するよう位置づけられている.
あまりパッとしたイメージのない大崎であるが,駅東口には大崎ニューシティーとゲートシティ大崎の2つのビジネスエリア(複合開発)が存在する.地図を眺めてみると,大崎周辺にはソニーや明電舎といった日本の技術を支える企業が多く立地している.このゲートシティ大崎にも富士電機が入居している.六本木ヒルズや汐留のように,派手に知られている開発ではないが,大崎にもちょっとしたミックス・ド・ユースの再開発エリアが存在している.

大崎駅からはペデストリアンデッキで直結している

開放的な空間の中にあるスターバックスコーヒー
 
中央には吹き抜けのアトリウムがある

大きなクリスマスツリー
  
イタリア風の空間も・・・

Happy Wedding!!

居住エリアも設けられている

八丈島【島紀行】

(旅行年月:2004年11月)

八丈島は伊豆諸島の最南端に位置し,東京から南へ287km,黒潮に浮かぶ亜熱帯性の植物が茂る島である.面積68.52km2,人口約9300人であり,三根・大賀郷,樫立,中之郷,末吉の5つの集落に分かれている.
八丈島の歴史を考えるにあたっては,江戸時代における流人の歴史が大きなエポックとなる.江戸幕府はこの島に1862人の罪人を島流しにしたが,これらの流人や土着の人々によって造られた風俗,習慣,生活様式が島内で見ることができる.八丈島の歴史を知るには,「八丈島歴史民俗資料館」に行くと,流人のことも含めて展示がしてある.
羽田空港からジェット機で45分という近さで,亜熱帯を味わうことができる島が八丈島である.

八丈富士(西山)
八丈島には2つの山があるが,こちらは山の姿が美しい八丈富士である.標高854.3mで1時間程度で頂上まで登ることができる.

登山道には火山による噴石がごろごろしている.

頂上付近からの絶景

なんと,斜面の植裁が「アロエ」

アロエは自生している

玉石垣の道

ハイビスカスの花

名産「明日葉(あしたば)」のソフトクリーム

「あしたば」のおひたし

島寿司
白身魚のネタを醤油ダレにつけ込んで,握ったもの.わさびではなくカラシを入れる.

でたーーー!これが「くさや」である.
バキバキと折って食べるのであるが,結構焼酎には合う.
「あの独特の匂い」とガイドブックなどでは表現されることが多いが,具体的には,「へその中のゴマの香り」「汲み取りトイレの便器の匂い」といったところか!!

八丈島空港

南原千畳岩海岸からの日の入り

八丈小島
かつては人が住んでいた

立教大学【東京考察#158】

Rikkyo St. Paul’s University


立教大学正門


 立教大学のキャンパス内に入ると,まるで外国に行ったかのような錯覚を覚える.立教大学は明治初期にアメリカ聖公会の宣教師,チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教によって,東京築地の外国人居留地に英語と聖書を教える私塾を開いたのが始まりで,宣教師たちによるキリスト教に基づく教育をうたってきた.この池袋にキャンパスを移したのは,1918(大正7)年で,本館・図書館・2号館・3号館・食堂は,このときに建てられた建物が今でも健在で残っている.英語ではセントポールズカレッジとなる.
何しろ全ての建物がレンガ調に統一されており,徹底的に景観に配慮している点が素晴らしい.この繊細なセンスは日本人にはないもののように感じてしまう.現在建設中の新しい公舎も,ガラスとコンクリートの合間にレンガを配するなど,赤煉瓦への徹底的な思い入れ・統一感は絶賛に値する.一歩足を踏み入れると,異国情緒たっぷりのキャンパス空間が広がっており,さらに大正時代に建てられた建物のちょっと狭苦しい空間が,かえって心地よさを持たせるようなものとなっている.また,食堂が素晴らしい.残念ながら行ったときは休日で営業していなかったが,ちょっとした洒落たレストランで食べているような感覚で,そのまま結婚式でも挙げられそうな雰囲気である.メニューはどうなのか味わってみたい.

ツタの絡まる本館(モリス館)
 この本館は,東京都選定歴史的建造物にも指定されており,立教大学が池袋に移転した1918(大正7年)に建てられたものである.この大学の計画はニューヨークの建築家マーフィ&ダナ建築事務所によるもので,当時は中央の塔屋を境に左が図書館,右に礼拝堂(チャペル)を配し,中央の軸線を延長して,中庭を囲んで学生食堂を中心に左右に寄宿舎を置くプランニングを行っている.各建物のデザインはゴシックリバイバル様式を基調とし,簡素でありながら重厚な赤レンガ造りでまとめられている.(東京都生活文化局看板より一部抜粋)

食堂の正面
 
食堂内部 なんともいい雰囲気!

中庭
  
建物(公舎)は徹底的にレンガ調を配している

チャペル(礼拝堂)とウイリアムズ主教の像
 
本館内部 扉が西洋風

各教室の扉には「授業中」というランプが付けられているが,
この文字が,いかにも慣れない外国人が
手書きで書いたような感じで趣がある
 
廊下の蛍光灯へのこだわりも徹底的
青白いのもではなく,電球色の蛍光灯が全てに使われている
一つだけ青白い蛍光灯などといった愚行は行われていない

学生用への掲示板の柱にもレンガが使われている

レクイエム奉唱会 立教大らしい

キャンパス内は狭い空間なのだけれども
統一感ある構成がとてもよい

池袋駅北口【東京考察#157】

The Ikebukuro station north exit


意外なことに,池袋に北口もあります

 


 池袋といえば,「東口に西武」「西口に東武」といった具合に東西対抗みたいなところがある.しかし,北口というエリアが存在していることを忘れてはいけない.北口は西口の北側なので厳密に言うと西口にあたるのであるが,「池袋北口」は池袋を代表する大人の歓楽街が存在しているエリアである.大人の欲求を満たすこのエリアは,夜になるとネオン輝く街となり,かつては暴力団の抗争による発砲事件などもあったが,今でもかつての西口のダーティな部分を残すエリアとなっている.


中央通り西一番街(繁華街)への入口


客引き禁止


池袋演芸場もあります

 

無料案内所は至る所にあります


怪しいピンクのネオンが瞬く


「ロマンス通り」なんともネーミングが怪しい


外壁がピンクの「ロサ会館」
ゲーセンやボーリング場,映画館が入る


この「情報喫茶」の情報って,何?

 

新宿高速バスターミナル(JRハイウェイバス)【東京考察#156】

Shinjuku high-way bus terminal (The JR highway bus)


JRバスの高速バスターミナルは
新南口の1階にある

 

 No.114では,中央高速道方面の京王バスの高速バスターミナルを紹介したが,JRハイウェイバスとは乗り場が違っている.今回は,JRバスの乗り場を紹介する.
新宿駅で昔からの景観が最も変化したエリアは「南口」である.かつては何もなかった(というか商業エリアではなかった)が,今では,ルミネも改装され,高島屋タイムズスクエアーがそびえ立ち,NTTドコモの先の尖ったビルディングが建ち,ここ10年で風景が一変した場所である.JRハイウェイバスもその「新南口」の1階に入り口が存在している.バスの乗降場所は,薄暗い高架橋の下に位置するので,外からはバスの姿を見ることができない.どこからバスが発車するのか,不安になってしまう入り口であるが,切符売り場の脇にある狭い通路を奥に歩いていくと,狭隘なバス乗り場となり,出発時間の10分前から乗車の手続きが始まる.この周辺は交通渋滞が激しいので,定時運行も大変だろうが,下り便は途中から乗ることができないので,すべて新宿駅から乗車して目的地に向かうのであるが(上り便は途中の王子駅や池袋駅で下車できる),都心を抜けるのだけで1時間もかかることもあり,下り便はちょっと辟易してしまうこともある.でも,なんといっても値段が安いのは大変魅力的である.「ニュー」のつく夜行高速バス「ニュードリーム号」は,新宿駅からの発着となっている夜行便である.
なお現在,新宿駅南口では,「新宿駅南口地区基盤整備事業」が国土交通省によって実施されており,この事業は人工岩盤によって土地を造り,その上に交通広場等の創出として,2階のJR駅施設,3階のタクシー・一般車乗降場とあわせて,4階に新宿駅を発着する全ての高速バスを集めたバスターミナル(乗降場)を整備する工事が行われている.


高島屋タイムズスクエアの手前に入口がある


チケット売り場の脇の通路を進むとバス待合室と乗り場となる


バス待合室


バス乗り場からは埼京線のホームが見える

月島もんじゃ焼き【東京考察#155】

A Monjya-yaki in Tsukishima


もんじゃ焼き
見た目はグロテスク,でも味は最高!


 無性にもんじゃ焼きを食べたくなるときがある.やっぱり「もんじゃ」は月島である.

もんじゃ焼き発祥の地が中央区月島であり,むかし駄菓子屋で子供達に鉄板の上でメリケン粉を水で溶いたものを薄く焼き,醤油をたらして食べたのが始まりだという.もんじゃ焼きの語源は,焼きながら鉄板に文字を書いていたので通称「文字焼き」と呼ばれ,それがいつのまにか「もんじゃ焼き」になったとのこと.現在のもんじゃ焼きはソースが主流となっている.
月島には約70件のもんじゃ焼き屋があって,月島もんじゃ振興会協同組合を作ってPRに努めている.月島駅前にはもんじゃ焼きを紹介してくれる窓口もあって,地下鉄改札前にももんじゃ屋さんのマップが置いてあるので,地図を片手に街を歩いて店を探してみるといい.大抵の店では,最初の1つは作り方を教えてくれるので,それを覚えて2つ目からはもんじゃ焼きに挑戦してみよう.もんじゃはみんなでつついて食べるものなので,同じ具を注文するよりは違う味の具(例えば,辛味のキムチ・明太子,チーズ系,そば系などバリエーションを変える)をそれぞれ頼んで味わうと良い.
なお,個人的にはデザートとなっている「あんこ巻き」が大好きである.今風に言えば「あんこクレープ」であるが,鉄板の上に薄く生地を敷いて.焼き上がったところにあんこを置いて巻く.これがうまいんだな.みなさんも「もんじゃ」だけではなく,あんこ巻きもお試しを.
では,作り方をお教えしましょう.


作り方の前に,街並み紹介・・・・


月島駅前には案内所もある


月島西仲通商店街
もんじゃ焼屋がびっしりある


今風の「オープンカフェスタイル」のお店もある


路地裏のお店も魅力的


もんじゃ焼の旗が立つ


レトロな交番を発見


では,いよいよ「もんじゃ焼き」の作り方・・・


鉄板に油を敷いて,充分に暖める


具は「豚キムチ」


具を全て入れる


汁だけはまだ入れない


具を切り刻む(これがポイント)


ちょっとだけ「汁」をたらして混ぜる
これは土手を造りやすくするため


真ん中に穴をあけて土手をつくる


真ん中に残りの汁を入れて混ぜる


のばして出来上がり!


小さい「へら」で直接食べる
でも美味しいのは,鉄板にこびりついている「おこげ」である


明太もちもお薦め!

くどいようですが,是非「あんこ巻き」も・・・

味の素スタジアム【東京考察#154】

The Ajinomoto Co., Inc. stadium(The football watching)


やっぱりスポーツ観戦はライブに限る
味の素スタジアム


 かつては「東京スタジアム」と呼ばれていたが,味の素がスポンサーとなることでスタジアム名に「味の素」の名を付けるネーミング・ライツという制度を日本で初めて導入したスタジアムである.運営・管理は,現在も(株)東京スタジアムが行っている.
平成13(2001)年3月オープンの5万人収容の新しいスタジアムで,第1種公認陸上競技場に準拠して造られている.様々な経緯があって,現在はJリーグサッカーのFC東京の本拠地となっている.そんな,FC東京の親善試合の様子をどうぞ.


スタジアム正面


ぞくぞくと観客が入る


ペットボトルは紙コップに移し替えなければならない


入口ではカバンの中身をチェックさせられる


指定席のブロックごとに,さらにチケットのチェックがある


スタジアム内の通路


スタジアム
サッカー専用ではなく,陸上競技用に造られている


観客席


選手の紹介が始まると

サポーターの声援が響き渡る
FC東京の応援歌に「東京ラプソディー」を歌うものがあった.
「はーなーのみやこー,みやこー
こーいーのみやこー,みやこー
ゆーめーのパラダイスよ,花のと~きょー」
という具合に.お年寄りでも大丈夫である.


選手入場


オレンジのラインを境に,左がFC東京側の応援席
色の違いが分かりますか?


休憩時間になると売店には列ができる
が,東京ドームなどと比べると数が少ないような気がする.


記者がカメラを構えている


ナイターの模様

夏休み!ポケモンスタンプラリー【東京考察#153】

The summer vacation! Pokemon stamp rally

御徒町駅のキャラクターは「ソーナノ」

 


 ポケモンスタンプラリーはJR東日本が首都圏で展開している,夏休み限定のファミリーイベントである.7月31日から8月15日(2004年の場合)までの期間,無料の専用パンフレットを駅でもらって,その裏にあるスタンプ欄に5つの駅のスタンプを押したら,ゴール駅となっている東京・品川・新宿・池袋・上野・松戸の6駅に提出すると,「オリジナルポケモンエアピロー」が貰えるというもの.さらにお楽しみとして,ゴール駅では全91駅のスタンプが押せるスタンプ帳も配っており,これを看破するとオレンジカードと認定証が貰えるというものもある.駅によってポケモンのキャラクターが違っているので,子供達も飽きることなく楽しむことができるが,意外と楽しんでいるのは親の方だったりもする.スタンプ台は駅の改札の外にあって(外にあるところがポイント!1日乗車券を買うか切符を買わなければ行けない),夏休みはスタンプ帳をめくる子供達で賑やかになる首都圏のJRであった.ただ,このイベントはJRが最初にやりだしたのかというと,そうでもなく,僕が中学生の時(20年近く前)には小田急で既にやっていて,子供達に大人気となっていた.


イベント中はスタンプ台の場所を示すポスターが駅構内に貼られる


みんな「スタンプ・ポン」


王子駅のキャラクターは「ヤドキング」

東京モノレール【東京考察#152】

The Tokyo monorail


レールが1本なので「モノレール」


 東京モノレールからの風景,僕は大好きである.気分転換を図りたいとき,モノレールに乗って湾岸地域の景色を眺めて羽田空港の飛行機を見に行ったりしていた.
東京モノレールは,東京国際空港の羽田空港へのアクセスとして昭和39年に開業したものである.JR山手線の浜松町駅から羽田空港までの16.9kmを約21分で結んでおり,日中でも4~5分おきに走っていることから,羽田空港へのアクセスとして気軽に乗れる交通機関である.しかし,最近は羽田空港の新ターミナル開業に伴って,それまで遠くに存在していた京浜急行の羽田空港駅が,ターミナル地下に直結することになって,東京モノレールは苦戦を強いられることになっている.京急は快速特急をバシバシ羽田空港へ乗り入れさせており,横浜方面と都営地下鉄を利用して都心方面からやってくる電車などを運転しているので,お客が取られているのが実情である.さらに追い打ちをかけているのがモノレール運賃の高さ.浜松町~羽田空港間で片道大人470円も取られる.近年はJR東日本が株を取得して事実上の親会社となったため,休日のみ限定の羽田空港から山手線内の駅まで500円均一切符などを販売して盛り返しを図っている.

でも,なんといっても東京モノレールの楽しさは,車窓から眺めることができる景色である.あえてこのHPでは車窓の写真は掲載しないことにした.
浜松町駅をでると,レインボーブリッジが過ぎ去り,天王洲アイルの再開発を通り抜け,運河と公団の高層住宅を眺めながら大井競馬場を通り過ぎ,倉庫群となって流通センター,海に落っこちそうになるほど傾いてモノレールは快走し,湾岸地帯の殺伐とした景色の中を走っていく.そして,飛行場が近づくと整備場となり,整備中の飛行機が間近に眺められ,ターミナルを遠くに眺めながら,地着陸するジャンボ機と滑走路が車窓いっぱいに広がる絶景となる.夜は更にムード満点.そして終点羽田空港となる.

是非一度お試しを.なお,羽田に向かって進行方向左側の窓がお薦めです.


羽田空港駅
ワンマン運転なのでホームにドアがついている


モノレール車内


車窓の写真を1枚だけ・・・
空港ターミナルと滑走路が丸見えとなる


天王洲アイル駅

豊洲埠頭(豊洲鉄鋼埠頭)【東京考察#151】

The Toyosu steel wharf


豊洲埠頭


 区分地図を眺めていて前々から気になっている場所があった.晴海埠頭とお台場の間にある「豊洲埠頭」と書かれている場所(豊洲6丁目)で,ここだけ道路も無機質に中途半端に引かれていて,東京鉄鋼埠頭と東京ガスと東京電力火力発電所の3つの施設のみが記載されている未知の場所である.バスも地下鉄も走っていないので,交通手段は徒歩かタクシーしかない.どんなところか行ってみた.

豊洲駅からタクシーをひろい,「豊洲埠頭の行けるところまで行ってください」と頼んだ.タクシーの運転手さんもあまり豊洲埠頭には詳しくないらしく,とりあえず行ってみるからといった返事だった.道路の歩道には草がぼうぼうと生えており,綺麗に管理されているとは言えない道路を走っていった.周りには高い建物が建っておらず,殺伐とした空間が広がっている.お台場の開発前もこのような感じだったのだろう.左手には今現在有明が終点となっている「ゆりかもめ」の豊洲までの延伸工事が行われており,新駅も建設されるようで,このあたり一帯を区画整理して新たな街を造っていく計画があるようである.
ガスの科学館への入り口となる東京ガス門前で道路は終わりとなっていたので,ここでタクシーを降りた.ガスの科学館は予約制の科学館なので,事前に連絡を入れていないと立ち入ることができない.そもそも一般の人が気軽に訪れるような場所に造られていない.バスもなにも走っていないのだ.
周囲を歩いていると,新交通システムゆりかもめの工事や土地の造成工事,晴海埠頭と結ぶ橋梁の架設工事を行っていた.将来の街開きに向けて整備が進められているようである.現在は使用されていない東京鉄鋼埠頭の大きな建物が,解体の日を待ち続けていた.もぬけの殻となっている事務所や売店跡もあって,ひとけも全くないことからまさに「廃墟」といった空間である.すぐとなりは賑やかな「お台場」があり,また反対側には世界各国の豪華客船が停泊する「晴海埠頭」がある中,この「豊洲埠頭」だけは異様な光景が広がっている.
もともと豊洲埠頭は,鉄鋼資材等を積み上げるための大型船舶が停泊できる埠頭が整備されており,東京ガスの豊洲工場や東京電力の火力発電所が建っている工場地域であった.近年の臨海部の再開発によって鉄鋼埠頭の機能や工場などは郊外に移転し,その跡地を再開発しているのである.臨海部(豊洲)土地区画整理事業が進行しており,住居・商業・業務・文化が複合した街づくりの実現に向けて事業が進んでいる.さらに,埠頭の先端部には東京の台所として有名な築地に存在している魚市場の移転先として「豊洲市場」の建設が決定されている(平成24年移転予定).


新交通システム・ゆりかもめの工事が行われている


平成17年度に豊洲-有明間が開業する予定


東京ガス豊洲工場(ガスの科学館)入口
休日なのに「本日休館日」の看板が掲げられていた.
なお,ガスの科学館は,豊洲埠頭の豊洲駅寄りに移転される予定.
ここから先へは行くことができない.豊洲埠頭はここで行き止まり.
将来は築地市場の移転先としての「豊洲市場」が建設される予定.


歩道には草が生えている.
背後の丸い建物は東電火力発電所の跡地に建てている建物


東京鉄鋼埠頭(株)の建物 もうじき取り壊される

 
かつての売店跡と事務所跡

 
広大な更地が広がる豊洲埠頭 まもなく再開発されるのか?


晴海埠頭と結ばれる橋


平成18年3月に豊洲まで開業した「ゆりかもめ」から見た豊洲埠頭


これから街の開発が行われる


ゆりかもめの車窓から


今は,何もない

霞ヶ関官庁街【東京考察#150】

Kasumigaseki governmental offices’ district


霞ヶ関駅前
後ろの建物は「外務省」


 霞ヶ関といえば,日本を動かしている国家公務員・キャリア官僚の働いている中央官庁街を意味する.霞ヶ関という地名の場所には,官庁関係の庁舎しか建っておらず,地下鉄霞ヶ関駅も官庁街のためにあるような駅である.約30の中央諸官庁が集まり,日本の行政・司法の中心地を形成している.明治14年に外務省が進出したことから,霞ヶ関の官庁街はスタートしている.霞ヶ関の地名の由来は,昔ここに関が設けられていたことによる.
周辺は警察官による物々しい警備が行われており,建物に入るためには身分証明書の提示が求められる.平日は人々で賑わっているが,官庁が休みとなる土日は閑散としている.


合同庁舎2号館


後ろの建物(左)は合同庁舎3号館
国土交通省や海上保安庁が入る


建物に入るためには身分証明書が必要


地下鉄霞ヶ関駅から合同庁舎2号館へ直結している出口.
休日はシャッターが閉まっているが,
オフィスアワーのときは,警備員が立っていて
身分証明書のチェックを行っている.


桜田通り(国道1号)から見た農林水産省
高い建物は合同庁舎5号館


よくニュースの中継でも見られる「財務省(旧大蔵省)」


「霞ヶ関」の隣は「永田町」で国会議事堂もすぐそば.


地下鉄霞ヶ関駅の出口案内板は,省庁名がずらり

三宅坂界隈【東京考察#149】

The Miyakezaka neighborhood


三宅坂交差点
左手には最高裁判所,国立劇場がある.
背後には「TOKYO FM」がある


 「三宅坂」という地名はよく耳にする.特にラジオを付けて車を運転している人にとっては馴染みのある交差店名である.交通情報で「首都高速都心環状線は三宅坂を頭に○○km渋滞しています」といった感じに.三宅坂は,皇居に面した内堀通りと赤坂方面へ向かう青山通りとの分岐にある交差点で,周辺には最高裁判所や国立劇場,ちょっと歩けば永田町となって国会議事堂や憲政記念館などが存在するエリアである.日曜日になると人は閑散としており,皇居の青々と茂った緑を眺めながら開放的な都心空間を散策するのも悪くはない.
かつての三宅坂は,陸軍省の諸施設が並んでおり,「三宅坂」と言うと「参謀本部」を意味する言葉でもあった.昭和41年に国立劇場,昭和47年に最高裁判所が設けられて,現在のような姿になっている.江戸時代には大名屋敷が並んでいたところであった.


最高裁判所 昭和47年完成


国立劇場 昭和41年完成
歌舞伎などが公演されている


ブロンズの少女群像(平和の記念像)
三宅坂交差点前の三宅坂小公園に建つ


三宅坂交差点からは,警視庁公舎及び霞ヶ関官庁街が見える


皇居桜田濠から眺める官庁街
開放的な都市空間が広がる
ここは個人的に好きな空間のひとつである.


皇居周辺では,ジョギングやサイクリングをやっている人が多い


桜田門

等々力渓谷【東京考察#148】

Todoroki ravine(The only Metropolitan area ravine)


緑の茂る渓谷


 等々力渓谷は,国分寺崖線の最南端に位置する約1kmの都区内唯一の渓谷であり,東京都指定の名勝である.谷沢川が国分寺崖線に切れたもので,台地と谷との標高差は約10mあり,渓谷内には至る所に湧水が見られる.(東京都教育委員会資料より) 等々力駅前を降りて歩いて数分のところに,このような別世界の渓谷が存在しているので,訪れたときにはその変貌ぶりに驚かされる.地学上も本物の「渓谷」が東京都23区内に存在しているのである.

 
渓谷内には遊歩道が整備されている


湧水 煮沸すれば飲める


等々力不動尊の滝修行の場


滝修行をするところ


稲荷大明神


渓谷内では,武蔵野台地の基盤を形成している地層を見ることができる


等々力不動尊

 

自由が丘の魅力【東京考察#147】

The attractiveness of Jiyugaoka


自由が丘駅前

 


 自由が丘は駅を中心として商店の広がるところである.流行に敏感でオシャレな「ブティック」が,普通の住宅街に点在しているように広がっており,ヒューマンスケールの魅力ある商業エリアとなっている.イメージに敏感な東急沿線らしく,街は最先端の流行によって彩られており,街並みも大変オシャレで女心をくすぐるような店舗も多い.街の形態としては「代官山」や「下北沢」に似ているようなところである.大学の飲み会やコンパは自由が丘が多かった.


竹細工のバスケットが並んでいる


店先にはプランターで植物が並べられている


商品のレイアウトの仕方がオシャレで,
自由が丘の店はどこかちょっと違うのである.


路地の一角にて


ちょっと足を止めて,入りたくなってくる


植物が一つのキーポイント


漢方薬を扱う「薬日本堂」
やはりこちらにも植物のプランターがある


路地には人で溢れる


自由が丘では路線バス(東急)もオシャレな塗装に・・・


でも,「ホッピー」を売る赤提灯飲屋街も存在する

 
アメ横のような雰囲気の残る「自由が丘デパート」が駅前にあるのも面白い

新宿駅の点景【東京考察#146】

The staffage in Shinjuku Station


新宿駅西口

 


 新宿駅は乗降客数が約320万人と全国一の規模を誇っている.西口には超高層ビル街の新宿副都心があり,東口には最大の歓楽街歌舞伎町を控えている.中学高校と6年間,山手線から小田急線へと乗り換えて通学していた頃,帰りは必ず新宿の雑踏の中で遊ぶといった生活を送っていた.新宿は,渋谷のような若者の流行先端を行く発信基地というよりは,ちょっと陰のあるダークなイメージがつきまとう大人の街といった感じであり,そんなところも新宿を魅力的にしている部分であろう.そんな新宿駅の点景をどうぞ.


西口小田急百貨店前
昔もこのように笠をかぶって「チリンチリン」とならす修行僧(?)がいた.


西口から見た副都心


近年,外国人旅行者のためのインフォメーションセンターができた.
いつも外国からの観光客で賑わっている.
(係員は英語は勿論,中国語,ハングル語も堪能)
一民鉄の「小田急」が開設しているところが素晴らしい.
恐らく箱根のPRからスタートしたのかも知れないが・・.


どこだか分かりますか.


西口のJR改札前


最近は青色のダイオード掲示板もお目見えしている


JR切符売り場
最近はSuicaやイオカードの普及により,昔ほど行列はできなくなった.


西口改札 最近の自動改札はスリムで開放的になった.
これだけ開放的にしても飛び越える人が続出しないのは,日本の治安の良さか.


西口のロータリーの地下
昔からここは薄暗い


西口から東口,新宿3丁目へと続く地下道
ショップもオシャレになって並ぶようになった


東口.金曜の夕方などは人々でごった返しており凄い喧噪となる.


そう,東口といえば歌舞伎町.


東口の有料化粧室.昔からある.
完璧な有料であり,お金を入れないとドアが開かない.


東口改札


構内のコンコース.


土曜日の午後なので,空いている.


山手線ホーム
混雑時はこんなもんじゃありません.
JRで発車メロディーを最初に導入したのは新宿駅と渋谷駅.

秋葉原の免税品店・免税店【東京考察#145】

The duty-free shop at Akihabara


DUTY FREE SHOP

 

 秋葉原といえば電気街である.日本が得意とするありとあらゆる電気製品を取り扱う街として,世界中から観光客がやって来て品質の高い日本製品を買っていく.秋葉原を歩いていると,世界各国から訪れている外国人をよく目にするが,製品の裏側をみて「Made
in JAPAN」ではない表示を見てガッカリすることもあるに違いない.
それはさておき,秋葉原に店を構える各大型電気店では,そんな外国人をターゲットにした免税品店を開設しているところが多い.それが,ビル丸ごと(といっても小さなビルであるが)全館を免税品店にしている店もあり,さながら外国に行ったような気分を味わえる.値札も英語や中国語などの表記になっている.現在は消費税込みの内税表示が義務づけられているが,ここでは消費税5%を除いた税抜き表示(つまり免税金額の表示)となっている.
そして,さらに免税品店の面白いところは,電気街なのに日本人形や扇子,東京のTシャツ,ゆかたや着物などを扱う,日本文化を存分に楽しむことができるフロアーが存在しているところである.「日本ってこんなイメージなのか!」と改めて日本人としてのアイデンティティーを感じさせてくれるのである.なんとも不思議な雰囲気になる場所である.もちろん日本人も入れるので,是非一度足を踏み入れてみると面白い.


いたるところに目につく「DUTY FREE SHOP」


こんな感じで商品が並んでいる.値札は英語,税抜き.
店内には国旗が並んでいたりする.


英語,中国語,ハングル,まるで外国のようだ.


でも,面白いのは日本文化の商品を売っているコーナー


日本人形やこけし


「SAKE SET」では,とっくりとおちょこ.
「TEA SET」では,急須と湯飲み.


着物や浴衣


日本地図の入った絵皿
地名が「MISAWA」「ATSUGI」「YOKOTA」「KADENA」「SASEBO」
全て米軍基地のある場所しか載っていないところが凄い.


極めつけは「日本刀」
日本でも日本刀を探すのは難しい


エレベータの階数表示
色々な国の言葉が並んでいる.
外国人の店員さんもいる.


最近は,外国人観光客向けのスタンド
「たこ焼き屋」もある

佃島【東京考察#144】

Tsukudajima


木造の建物が残る佃島


 佃島(つくだじま)は隅田川河口にできた自然の寄洲であり,江戸時代の初代将軍徳川家康の時に摂津国佃村(現大阪市西淀川区佃町)の漁師を招いて住まわせたところからこの名がついたという.この島と対岸(湊町)の間には「佃の渡し」があり,昭和39年の佃大橋の完成まで最大で1日70往復も運航されていた.佃大橋が完成するまでは「本当の島」だったのである.かつての「佃島」は現在の佃1丁目である.現在の佃2・3丁目はかつて「新佃島」という地名であったが相生橋で結ばれていて,佃島のようにまったく交通が遮断されていたわけではなかった.
佃島には氏神の住吉神社があるが,これは大阪の住吉神社を勧請したものだといい,漁民などの信仰を受けていた.特産品には「佃煮」があり,現在でも佃煮を販売する小さなお店には多くの買い物客が訪れている.


大正14年の古地図
これによると「佃島」は島となっているのがわかる.

 
木造の家屋が残っている
 


路地の後ろには大川端リバーシティ21の高層住宅が見える.
周辺には高層ビルが建ち,この「佃」だけ異空間が広がっている感じである.


狭い路地も残る

 
特産の「佃煮屋さん」


佃大橋と隅田川
かつてはここに渡し船が運航されていた


氏神の住吉神社

大川端リバーシティ21【東京考察#143】

Ookawahata River city 21


水上バスからみた大川端リバーシティ21


 もんじゃ焼きで有名な「月島」の北側の突端部に存在する再開発事業である.都心部における居住空間の回復を目指して住宅・都市整備公団(現都市基盤整備公団),東京都住宅局,東京都住宅供給公社,三井不動産の4者による再開発が行われたもので,東京における超高層住宅(三井不動産の分譲マンションは54階建て)の先駆けとなった開発である.昭和61(1986)年より着工され,地区面積は28.7ha,3886戸の住宅戸数を持つ.ちなみに,賃貸の場合の家賃は3LDK(75m2)で月額25万円であるという.
地区内には,住宅以外にも,教育施設やスポーツ施設,文化・商業施設も計画的に配置されているが,商業施設や文化施設は計画通りの誘致が難しく,一部住宅地に変更したりしている.都市計画道路によって東京駅とも直結しており(約2km),隅田川に面する部分はスーパー堤防の採用によって,川面がみれるように親水性が確保されている.隅田川の水上バスにのると,この大川端リバーシティの案内放送が流され,近未来的な超高層住宅の林立する再開発を眺めることができる.
再開発前には石川島播磨重工業(株)の工場が建っていた.ペリーが浦賀に来航した1853年,幕府の命令を受けた水戸藩がここに石川島造船所を創設したのが始まりで,日本人によって最初に設計・建造された蒸気軍艦「千代田形」など数多くの艦船が造られた場所である.明治に入ってから渋沢栄一などの協力によって民間会社としての石川島造船所となったが,1939(昭和14)年の造船部門の豊洲移転によってこの地での造船事業は終わりを迎えた.その後は,重機械類の専門工場として稼働していたが,1979(昭和54)年の工場移転により現在の再開発事業が行われるようになったのである.


最上階54階の住みごこちは如何に?


中にはオープンスペースがある


スーパー堤防により隅田川との親水性が保てるようになった.
スーパー堤防は堤防の上に高層住宅が建てられている形になる.
写真には写っていないが,右手には隅田川の川面が見える.


「フィットネス&スパ」の施設もある

西銀座チャンスセンター(宝くじ売り場)【東京考察#142】

The Nishi-ginza chance center

 


 西銀座チャンスセンター(旧名:西銀座デパートチャンスセンター)は,宝くじファンなら誰でも知っている売り場である.日本で最も多くの年末ジャンボ1等を出すことから,毎年全国から宝くじを求めてやって来る売り場である.年末ジャンボとなると大行列となり,人気のある1番売り場の窓口で購入するとなると1時間以上待ちは覚悟しなければならない.チャンスセンターは首都高速の下にある専門店街「西銀座デパート」の1階にある.JR有楽町駅から有楽町イトシアの脇を歩き,有楽町マリオンの中を通り抜け,銀座4丁目方面に向かって首都高速の下をくぐった左手(数寄屋橋交差点前の交番裏)にある.営業時間は9:00~20:00が基本,土日祝は10:00~19:00まで,ジャンボ宝くじ発売時は若干時間が延長する.

 


数寄屋橋交差点の向かい数寄屋橋公園前にある
(最初の写真)左の三角屋根は交番
(次の写真)交差点の反対側には「SONYビル」がある


広域の地図


奥にも売り場があるが,
一番人気は一番手前(左)の1番窓口


左から順に,
1・2・3・5・7番窓口となっている.
4番と6番はなくて,
ラッキーセブンの7番が一番右側にある.

この他にも西銀座デーパートの入口を越えた
右手側奥にも窓口があり,
さらに,超穴場の存在として,
地下1階にも西銀座チャンスセンターの窓口がある.


人気の高い1番窓口は,
実は2列となって2つの売り口がある.
窓の中には,
山のように積まれた宝くじの束(緑色)が・・・.


行列は列をなし,晴海通りへと続く


私も,つい並んでしまう.
晴海通りまで並ぶと約30分待ちとなる.

このページを見た方に
1等が当たりますように・・・

潮風公園【東京考察#141】

The Shiokaze park ( Odaiba )


ホテルグランパシフィックメリディアンを背景に
芝生が広がる潮風公園


 昔の東京都の区分地図を見てみると,現在のお台場は「13号地」と記されているだけの何もない茶色の埋め立て地の表記になっているが,潮風公園の部分はすでに緑色に塗られており「13号地公園」となっていた.かつての13号地の風景からは想像もつかないほど近未来的な都市に変貌したお台場であるが,公園の隣にある「船の科学館」とこの公園はお台場の老舗の施設と言ってよく,昭和49(1974)年の開園である.その後,臨海副都心・お台場の整備に伴って,平成4~8年に再整備され現在の潮風公園となった.かつては,品川駅と門前仲町駅を海底トンネル経由で結ぶ都営バスが走っていたが,当時は「海上公園」というバス停があって船の科学館へのアクセスを行っていた.草ぼうぼうの殺風景な埋め立て地だった風景がかすかに頭の中に残っている.
昔話はさておき,潮風公園はお台場の主要施設からは少し離れた東京港寄りにあるため,お台場の商業施設に来た人にとっては,この公園にわざわざ行こうと思って歩いてこなければ,気がつかない存在であろう.公園内には広い芝生や水遊びの出来る水のせせらぎ,バーべーキューコーナーなどがあり,家族連れでのんびりと休日を過ごすにはもってこいの場所である.また,風景が贅沢で,近代的なホテルやレインボーブリッジ,開放感ある東京港,そして羽田空港に離着陸する飛行機を眺めながら,非日常空間を体験するのも楽しいものである.

 
開放的な芝生が広がる(太陽の広場)


レインボーブリッジを背景に



バーベキューも出来る(要予約)


バーベキューは手ぶらで来ても大丈夫.
すべて貸出OK(食材も)



水遊びも出来る


家族の一コマ


隣には「船の科学館」がある
クイーンエリザベス号(6万トン級)と同じ大きさに造られている


ビニールシートを広げてランチタイム


13号地海底トンネルの坑口
首都高を挟んで北地区と南地区に分かれている


水と緑のプロムナード