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新宮熊野神社の長床(喜多方市)【会津考察#20】

Nagatoko in Singu kumano jinja shrine (Kitakata city)


新宮熊野神社(喜多方市)

 


 新宮熊野神社は,源頼義(みなもとのよりよし)・義家(よしいえ)親子が1055(天喜3)年に紀州熊野から熊野堂村(河東町)に勧請創建したのが始まりで,その後1089(寛治3)年にこの地に遷座して現在まで至っている.その中にある長床(ながとこ)は,平安末期から鎌倉初期の時代に拝殿として建てられたといわれており,長くて太い柱の配列が特徴の建築物である.直径1尺5寸(45.4cm)の円柱44本が10尺(303cm)の等間隔に5列並んでいる.1963(昭和38)年に国の重要文化財に指定されている.
長床は,1611(慶長16)年の大地震で倒壊してしまい,蒲生氏郷が旧材を用いて一回り小さくした長床(拝殿)を再建した.1974(昭和49)には解体修理が行われて,出来る限り当初の姿に復元している.境内には創建時に植えられたといわれている約8mの大銀杏があり,紅葉時には黄色に色づいた美しい姿を見ることができる.
ちなみに,1089(寛治3)年に長床が建立されたとすると,東北地方では長床が一番古くなり,その後1124年に平泉の中尊寺金色堂(岩手県)が建てられ,続いて1160年に白水の阿弥陀堂(いわき市)が建てられたことになる.

参道が続く

イチョウの木と長床

イチョウの木の下には,落ちた葉っぱで「黄色いじゅうたん」となっていた

長床(拝殿)の正面

奥の階段上部に熊野三社の本殿がある
ここが拝殿であることがわかる

太い柱が並んでいる.窓や壁はない.

3つ並んだ本殿

【公共交通案内】
●路線バス(会津バス)
喜多方駅→新宮(長床)→真木   1日5往復運行(要時刻確認)
・喜多方駅からバス約25分,タクシー15分
※路線バスは通勤通学主体のダイヤのため,タクシーの利用をお薦めします

神指城跡【会津考察#19】

Kozasi-jo Castle (Aizu-wakamatsu city)


神指城跡(北東端の櫓台の土塁)

 


 知る人ぞ知る「神指城跡」である.地図の標記では,「神指城跡」というよりは「高瀬の大木(ケヤキ)」と記されていることが多い.神指城は,慶長年間(1600年)に領主上杉景勝が家老直江兼継に築城を指示して工事を開始した.築城の目的として,会津鶴ヶ城は東に山が迫っていて拡張の余地がなかったため,徳川家康との戦いに備えて拡張のため築城したとも,東日本における中心都市をつくることが目的であるともいわれているが,関ヶ原の戦いが徳川家康の勝利に終わったため,お城が完成せずに土塁や石垣,水堀と門が完成したところで工事は中止し,幻の巨城となった.
高瀬の大木は,神指城築城前から既に大木だと言われており,根本の周囲が12.55m,樹高約25mのケヤキの木で,1941(昭和16)年に国指定の天然記念物に指定されている.なお,この高瀬の大木があるところは,二の丸・北東端の櫓台の土塁であり,本丸の土塁はここから南に300mほどいったところにあるが,本丸の土塁跡は繁みや畑などになっていて,看板などは何も建っていない.
2009年のNHK大河ドラマ「天地人」では直江兼継が主人公となっているが,直江兼継とゆかりのある史跡として,注目を浴びるかもしれない.この神指城跡は,史跡の名所としてきれいに整備されているわけではなく,築城後の跡地がそのまま400年にわたってひっそりと時を過ごしてきたといった感じ(ちょっと悪い表現をすれば「ほったらかしのまんま」)で,駐車場やお土産屋などがあるわけでもなく,田んぼの中に大木の繁みがあって,石垣の石がごろんと置かれているので,あえて説明をされないと「単なる石」だと思ってしまう.でも,このような雰囲気の方が,なんだか歴史の事実をそのまま素直に,手を加えずに伝えてくれているようで,私は好きである.この大木や石が,戊辰戦争の会津を眺めていたかと思うと,なんだか不思議な気分になる.大木の脇に立って稲刈りの終わった会津盆地と猫魔ヶ岳・磐梯山の姿を眺めて,そう思った.

何の飾り気もなく,田んぼの中にぽつんとある土塁跡地(北東櫓台)

これが高瀬の大木(ケヤキ)

ここから南に300mの本丸跡地にあった石垣の基礎石をここに移設したもの

ちょっとした休憩施設がある

高瀬の大木(二の丸・北東側櫓台土塁)と本丸との関係図
赤い矢印を入れていないが,高瀬の大木の左(西)側の田んぼの真ん中に不自然にある地図上の○線も北西側の櫓台土塁跡である

稲刈りが終わったばかりの会津盆地.背景の山は猫魔ヶ岳と磐梯山

【公共交通案内】
●路線バスなし
タクシーで約10分,距離は約5km.

塔のへつり【会津考察#18】

Tou-no-hetsuri (Simogo town)


塔のへつり

 


 「へつり(岪)」とは会津地方の方言で「危険な崖」という意味である.塔のへつりは,大川(下流にいくにしたがって,阿賀川,阿賀野川となる)沿いに広がる景勝地で,浸食と風化を繰り返してできた奇岩奇石である.百万年の歳月をかけており,1943(昭和18)年に国指定の天然記念物に指定されている.岩にはそれぞれ名前が付けられており,屏風岩・烏帽子岩・護摩塔岩・九輪塔岩・櫓塔岩・獅子塔岩・鷲塔岩などとなっている.吊橋をわたって対岸にわたって,これらの奇岩を見ることができる.また,対岸には虚空蔵菩薩がある.
 
国道121号からちょっと入ったところに駐車場がある.
大型バスも止めることが出来る.

階段を下りて吊り橋に向かう
 
階段の途中におみやげ物屋がある.ナメコ汁無料プレゼントを行っていた.

対岸から見た塔のへつり

昭和時代の看板.なんか懐かしい感じ.

1987(昭和62)年に架け替えられた吊り橋.結構ゆれます.

手すりはないので,けっこうスリル満点.

昔は奥まで歩いて行けたが,現在は危険なので立ち入り禁止となっている.

細くて急な階段を登ると,虚空蔵菩薩がある.

新緑と紅葉の時期は,より一層美しい景観となる

【公共交通案内】
●会津鉄道 「塔のへつり」駅下車 徒歩5分程度
会津若松-湯野上温泉-塔のへつり-会津田島-鬼怒川温泉-(東武鉄道)-浅草

ホテルニューオータニの日本庭園(紀尾井町)【東京考察#268】

The Japanese garden in Hotel New Otani ( Kioi-cho )


ニューオータニの日本庭園


 ホテルニューオータニは,紀尾井町にあるホテルで,「御三家」と呼ばれる高級ホテルである.1964(昭和39)年に東京オリンピックにおける外国人受け入れを目的として現在の本館がオープンした.その後,1974(昭和49)年に別館のタワー棟(ガーデンタワー)も建設されている.江戸時代には,近江彦根藩の井伊家屋敷があったところで,さらにその昔は,加藤清正公の江戸屋敷であった.昭和に入り,伏見宮邸であった日本庭園を戦後外国人の手に渡ろうとしていたところ,ホテルニューオータニの創業者大谷米太郎氏が惜しみ,政府の要請もあって1946(昭和21)年に譲り受けて 改修した庭園が現在のホテルニューオータニの日本庭園となっている.
広さは約40,000m2で,本館とタワー棟に接している日本庭園は,両館を結ぶ通路2階にあるガーデンラウンジからも窓越しにダイナミックに眺めることができ,ホテルニューオータニ東京の名所として,外国人観光客にも喜ばれている.春夏秋冬,日本の四季も味わえる日本庭園である.ちなみに住所の「紀尾井町」とは,紀伊徳川家,尾張徳川家,そして井伊家の頭文字をとって,明治5年に付けられた町名である.

まずは,ホテルニューオータニ本館

こちらが,ガーデンタワーと呼ばれるタワー館

日本庭園のマップ
  
Japanese Garden

日本庭園内に離れのレストランがあって,庭を眺めながら食事をすることができる.
(ただし,ちょいとお高めであるが・・・)

滝も流れている(写真の方はシンガポールからこられたとのこと)

滝の上はこうなっている

ビオトープも創出されていた

2階のガーデンラウンジ
窓越しに庭園がみられる(珈琲1杯1200円也)

創業者大谷米太郎氏の銅像
ひっそりとしたところに設置してある

外堀土手を歩く(四ッ谷~紀尾井町)【東京考察#267】

Walking on the Sotobori-dote ( Yotsuya – Kioi_cho )


四谷土手上の桜並木


 四ッ谷駅から上智大学脇を通り,紀尾井町のホテルニューオータニまで,春になると桜が満開となる外堀土手がある.地下鉄丸ノ内線四ッ谷駅の地上ホームから眺めると,上智大学のグランドの後ろに,この外堀土手が眺められる.江戸城の外側の堀であった「外堀」であり,もちろん昔は水路であったものだが,現在は埋め立てられてグランドなどになっているものである.都心の中の隠れたオアシスとして,四ッ谷からニューオータニを通って赤坂まで,ぶらっと散歩するのも悪くない.

土手の下は,上智大学方面への道がつづく(ソフィア通り)

階段を上って,土手の上に登る

松なども植わる土手上
 
土手の上から,上智大学のグラウンドが見える

ソフィア通りに面している上智大学正門.
レンガ造りの1号館は改修中であった(右側足場).

遠くには迎賓館が見える.
左側の森は東宮御所のある赤坂御用地.

四ッ谷では地下鉄丸ノ内線が顔を出す

外堀散歩のルート案内道標があった

階段を下りたらホテルニューオータニが見えてきた

旧古河庭園(西ヶ原)【東京考察#266】

The old Furukawa garden ( Nishigahara )


旧古河庭園


 旧古河庭園は,1917(大正6)年に古河虎之助の邸宅として現在の建物となったもので,太平洋戦争末期には軍に接収され,戦後はイギリス大使館の宿舎として利用された.財産税の物納として国有財産となり,現在は東京都が借り受けて一般公開をしている.国指定の名勝にもなっている.古河虎之助とは日本の実業社で足尾銅山で銅を算出する古河工業が有名で,現在では古河電気工業などの工業部門も知られている.
旧古河庭園には,ジョサイア・コンドルが設計した洋館をはじめ,バラで有名な西洋庭園,小川治兵衛作の日本庭園などが見所.開園時間9時~17時まで.休園日は年末年始.入園料150円.みどりの日(5月4日)と都民の日(10月1日)は無料公開を行っている.
 
洋館.内部見学には事前予約が必要だが,
時間指定でガイド付きツアーにより中に入れることもある.
 
バラ園 見頃は5月中旬から6月下旬

左右対称の幾何学模様の刈込のフランス整形式庭園

バラ園からみた洋館

日本庭園 心字池

枯滝
  
日本庭園
逃げようともしない鴨?アヒル?

奥の院型 灯籠

本郷台地と低地を利用した「大滝」

茶室もある

赤坂サカス(TBS)【東京考察#265】

The Akasaka Sakasu ( TBS )


TBS社屋

 


 赤坂サカスは,TBSの旧社屋の移転(隣地のTBS放送センターに移転)によりできた跡地に,民間ディベロッパーである三井不動産とともに再開発を行ったもので,2008(平成20)年3月20日にオープンした.もともとは「赤坂5丁目TBS計画」と呼ばれていたが,桜を咲かすという意味と,赤坂にたくさんある坂の複数形(坂’s)の意味を込めて「赤坂サカス」という名称が付けられた.赤坂Bizタワーの高層棟をはじめ,住居棟の赤坂・ザ・レジデンス,そして赤坂BLITZや赤坂ACTシアターもリニューアルオープンしている.
 
TBS放送センター 屋上のヘリポートが特徴的
 
多くの人で賑わっている
落ち着いた明るい茶色をベースとしている街並み
 
Bizタワー 商業施設も入る

Bizタワーの内部

TBSストアーは大行列
 
TBS放送センター前にあるサカス広場
いろいろなイベントなどが行われる

渡る世間は鬼ばかりの幸楽ラーメン

放送センター1階でもイベントを行っている
 
赤坂BliTZ(左)と赤坂ACTシアター(右)
赤坂ACTシアターではフラガールの舞台をやっていた

千代田線赤坂駅と直結している

繊維問屋街(日暮里)【東京考察#264】

The textile wholesaler town ( Nippori )


生地を売る店舗


 日暮里駅には駄菓子屋問屋の他に,もう一つ有名な問屋街がある.それは「東京日暮里繊維卸問屋」である.東京日暮里繊維卸協同組合には64社が加盟しており,駅前から伸びる日暮里中央通り沿いには,それぞれ生地やボタン,裏地や糸,ミシンなどを売る店が軒を連ねている.裁縫をする女性の方には面白い問屋街であろう.ファッション関係の女性誌には度々登場している問屋街である.

洋服を売る店もある

どれでも210円,これこそが問屋街という感じ.

生地を測り売りする

ミシンも路上で販売する

透明なプラスチック収納箱に
無造作に入れて販売するのも問屋ならでは.
安さの秘訣!?

両手に花,ならぬ両手に服.
 
日暮里繊維街

日暮里駄菓子屋問屋(ひぐらしの里地区再開発)【東京考察#263】

The cheap sweet shop wholesale district ( The redevelopment )


ビルの中に入った駄菓子問屋


 かつて日暮里駅北側には駄菓子屋問屋街が形成されていて,戦後ヤミ市の昔懐かしい佇まいを残した街並みのなかで,駄菓子を卸す問屋が軒を連ねていた.日暮里舎人ライナーの工事建設とともに,この駄菓子屋問屋街は取り壊されて,第1種市街地再開発事業「ひぐらしの里」によって,日暮里駅前の地区一体の風景が様変わりした.
ひぐらしの里再開発は,JR日暮里駅前に地上25階,36階,40階建ての高層ビルを建てて,低層部は商業施設やオフィス,高層部は住宅となっている再開発である.2010(平成22)年には成田空港まで36分で結ぶ成田心高速鉄道の開通も予定されており,世界へのアクセスも便利になる地域である.そのひぐらしの里再開発のビルの中に,かつて営業していた駄菓子屋問屋が2件入居し再開オープンしている.かつて昭和時代の全盛期には100軒近くあった駄菓子屋問屋であるが,2軒だけでも息が途絶えることなく,時代と共に営業を続けていることになんかちょっぴりうれしくなった.

大勢の卸客で賑わう店前(2階)

駄菓子が箱ごと山積み

こちらは1階にある問屋

店は小綺麗になったが,売っているものは変わらず,なつかしいものばかり.
(私にとっては「懐かしい」のであるが・・)

ひぐらしの里再開発
大きなビルに生まれ変わった

日暮里駅前

日暮里・舎人ライナー【東京考察#262】

Nippori Toneri Liner


無人運転の舎人ライナー


 日暮里舎人ライナーは,荒川区の日暮里駅と足立区の見沼代親水公園駅とを結ぶ全長9.7km・駅数13駅の新交通システムである.2008(平成20)年3月30日に開業し,東京都交通局により運行されている.足立区西部地区は,JR日暮里駅や王子駅,東武伊勢崎線西新井駅・竹の塚駅などとを結ぶバスのみが公共交通となっており,非常に不便な地域であった.そこで1985(昭和60)年の運輸政策審議会答申「東京都における都市高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について」で位置付けられたのが,この路線建設のスタートとなっている.当初は地下鉄南北線(7号線)の一部として計画されていたが,その後変更された.
日暮里・舎人ライナーは,西日暮里駅から尾久橋通り上を,高架橋で真っ直ぐ北に向かって走っていく.雰囲気はお台場に走っている「ゆりかもめ」とほぼ同じである.高架橋が高いので,あまり高い建物のない荒川区・足立区の眺望がよい.荒川を渡るときには,首都高速中央環状線のさらに上を越えて交差するため,かなりの高さを舎人ライナーが走ることになり,眺めがかなりよい.無人運転なので,最前列のシートに座れば,運転士気分が味わえて面白い.

江北駅
尾久橋通りの上を走る

改札口
お台場とを結ぶ「ゆりかもめ」と基本的な構造が似ている

ホームの雰囲気も「ゆりかもめ」と一緒

シートは固定式のクロスシートで,方向が互い違いになっている.

高架橋を走っていくので,眺めはよい.
足立区を縦断して,街並みを眺望することができる.
 
日暮里舎人ライナーは無人運転なので,
最前列の座席に座ることもできる.運転士気分の味わえる特等席.

母なる川!?「荒川」
北区で育った私にとって,
人工的な曲線美を持つ荒川土手を見ると何かホッとする.

日暮里駅付近では,ビルの合間を走る.

終点・見沼代公園駅の先は,
高架橋の線路がポッツリと途切れている.
すぐ先は埼玉県草加市となる.

東京メトロ副都心線【東京考察#261】

Tokyo Metro Fukutoshin-Line


副都心線(写真の車両は東武鉄道)


 東京メトロ副都心線は,2008(平成20)年6月14日に池袋~渋谷間が開通したことにより,和光市から渋谷まで全20.2kmが全線開通した地下鉄路線である.池袋から渋谷駅の間は,ほぼ明治通りの下を走っており,新宿三丁目では伊勢丹と高島屋とが地下道で直結されている.地下鉄では珍しく急行運転を行っており,途中の東新宿駅では通過用の待避所が設けられている.路線カラーは茶色(ブラウン).13号線が路線番号である.この地下鉄開通を最後に,東京メトロの新線開通は終了する.新たな路線計画はない.
もともと,東京メトロ有楽町線が東武東上線と西武有楽町・池袋線との間で直通相互運転を行っていたが,小竹向原と新線池袋間の地下鉄完成により,新線池袋まで乗り入れていた.そして今回の副都心線の開通により,両路線からの直通運転が副都心線まで行われるようになった.
将来は東急東横線との直通相互乗り入れが予定されており,2012(平成24)年度の開通に向けて,東横線の渋谷駅移設の工事が行われている.これにより,横浜から新宿・池袋が私鉄でも結ばれるようになる(JRでは既に湘南新宿ラインとして運行されている).
ちなみに,副都心とは東京都の市街地整備の一環として掲げられた8つの「副都心」のことを指す.都心に集中する(ここでいう都心とは大手町などの東京駅周辺(千代田区・中央区・港区)の本社業務の集中している地区を指す)業務機能の受け皿として,また各地域の商業や文化,生活などの広域的な拠点として設定された地域で,新宿の他に,池袋,渋谷,大崎,錦糸町・亀戸,上野・浅草,そして臨海副都心(お台場)が存在する.副都心線は,このうち3つの副都心を貫通していることになる.

ホームにはホームドアが付いている

渋谷駅は島式ホームが2つ(線路は4本)ある構造だが,
中央の2本の線路はまだ使用されていない.
東急東横線が乗り入れるときに使われる.

そのため,こんなアングルの写真が撮れたりする.
 
渋谷駅は安藤忠雄氏の設計により
大きな宇宙船の中に駅があるイメージだとか.

上から吹き抜けを通して,下のホームを眺める

新正面改札口

雄国沼のニッコウキスゲ【会津考察#17】

Nikko-kisuge (The yellow lily) in Oguni-numa


雄国沼湿原

 


 雄国沼湿原は,周囲4kmの雄国沼を中心に標高1100mの高原に広がる高層湿原であり,ニッコウキスゲやヒオウギアヤメ,ミズバショウなどの高山植物が群生しており,雄国沼湿原植物群落として国の天然記念物に指定されている.雄国沼湿原は,ミズゴケやヨシなどの植物が枯れて腐食して積み重なって泥炭層をつくり,長い年月をかけて(何千年,何万年の世界で)造り上げたものである.雄国沼の高層湿原の泥炭層は深さ約1.3mあるという.高層湿原とは,ミズゴケ等の泥炭により地下水位より高いレベルに発達した湿原のことをいう.
雄国沼へは,裏磐梯の檜原湖(国道459号)から登ってくる「雄国せせらぎ探勝路」や,ラビスパ裏磐梯から登ってくる「雄国パノラマ探勝路」の登山道が一般的だが,会津盆地側の喜多方から狭い道路を利用して車で金沢峠まで登ってくることも可能である.しかし,シーズン期になると多くの訪問客がやってくることから,6月上旬から7月下旬までの期間は,ふもとの雄国萩平駐車場(駐車無料)から金沢峠までを一般車通行止めにし,シャトルバス(有料)による輸送を行っている.金沢峠から雄国沼湿原までは,整備された約500段の階段を下りて湿原に降りる.30分程度で木道を一周して金沢峠まで戻ってくることが可能であるが,静寂で神秘的な雄国沼湿原の空気をゆっくり味わって戻ってみたい.帰りは上り階段となるので,段数を数えながら金沢峠のバス乗り場駐車場まで頑張ろう.
 
雄国萩平駐車場
ここでシャトルバスに乗り換える
 
標高1000mまで約25分かけて登る
狭い道路でエンジンを轟かせながら登っていく.会津盆地のパノラマは絶景.
バスは無線機で位置情報の連絡を取り合いながら,すれ違う.
余談だが,昔マイカーで金沢峠まで登ってきたら,
エンジンがオーバーヒートしてしまった経験がある.
 
金沢峠.ここからは歩いて雄国沼へ.
最終バスに乗り遅れたらタクシーを呼ぶこともできるが・・・.

これが金沢峠から眺める雄国沼と雄国沼湿原
 
ひたすら階段を下りていく
ウッドチップが敷いてあり歩きやすい

湿原が広がる

ニッコウキスゲの中を歩く

咲き乱れるニッコウキスゲ.ユリ科の植物
漢字で書くと「日光黄菅」.朝咲くと夕方にはしぼんでしまう1日花
朝から午前中にかけてが見頃のようだが,
この写真は夕方17時頃のものであり,夕方でも見応えは十分

アヤメも咲いている

静寂な湿原の中で

五色沼自然探勝路(裏磐梯)【会津考察#16】

The Goshiki-numa nature enjoying route (Ura-Bandai)

五色沼自然探勝路(裏磐梯)

 


 五色沼は,1888(明治21)年の磐梯山噴火によって長瀬川が堰き止められて出来た湖沼群である.水中に溶け込んでいる鉱物の層(アロヘン)が太陽光を浴びることにより,青・緑・エメラルドグリーン・コバルトブルー・茶褐色(水というよりは鉄分により植物の根っこが赤くなっている)など多彩な色を見せることから「五色沼」の名称がついている.これら五色沼湖沼群は,約3.6km・1時間10分程度の自然探勝路で見ることができ,標高800mの高原に位置することから,夏でも爽やかで涼しい空気の中をハイキングすることができる.観光バスなどのツアーでは,五色沼湖沼群の中で一番大きな毘沙門沼だけを眺めて,写真を撮って帰ってしまう旅行者も多いが,多彩な五色沼を十分に堪能するためには,自然探勝路を歩かないと本当の良さは感じられない.中間に位置する弁天沼の美しさは神秘的である.
五色沼入口バス停(裏磐梯ビジターセンター隣),または裏磐梯高原駅バス停(檜原湖畔)付近には無料駐車場が設けられているので,車をそれら駐車場に置いて,帰りは路線バスで戻ってくることも可能である.休日などのシーズン期には臨時バスも運行される.なお,裏磐梯高原駅側から歩いた方が,やや下り坂のハイキングコースとなり,最後に一番大きな毘沙門沼が現れてゴールとなるので,磐梯高原駅から五色沼入口バス停に向かって歩く方がお薦めである.1時間10分となっているが,景色が変化に富むことから,あっという間に時間が過ぎ去るハイキングコースである.五色沼自然探勝路は,急な登坂はなく比較的平坦で,誰でも気軽に歩くことが可能であるが,さすがにハイヒールでは歩きづらいのでご参考までに.

緑の中をハイキングする.
ひんやりとして涼しい

そのものずばり「青沼」

るり沼から流れ出る水
裏磐梯湖沼群の水質は日本でもトップクラスで
透明度の高い,透き通るような水を見ることができる.
 
木々の間にブルーの沼が見えてきた

中間にある「弁天沼」
個人的に,最も美しい沼だと思う.
(写真ではなかなかこの美しさ・神秘さが伝わらないが,
太陽の出ているときにハイキングして,この沼が現れたときは感動する)
 
せせらぎを聴きながら休むこともできる

コケに覆われた不思議な沼(名前はないらしい)

黄緑と茶褐色の「みどろ沼」

酸性度の強い「赤沼」
植物の根っこの部分が鉄分で赤くなっている

最も大きい「毘沙門沼」
背後の山は噴火口をバックリと開けている磐梯山

毘沙門沼のお決まり撮影ポイント
背後に裏磐梯の山姿を望むことができる

磐梯東都バスの路線バスで駐車場まで戻ってくることが可能

【公共交通案内】
●路線バス(磐梯東都バス) 五色沼入口または裏磐梯高原駅下車  ハイキングコースは約1時間10分
猪苗代駅→五色沼入口→裏磐梯高原駅→桧原 (猪苗代駅から約30分)
喜多方駅→裏磐梯高原駅→五色沼入口 (喜多方駅から約1時間)
※五色沼入口・裏磐梯高原駅間は,シーズン時期に臨時バスが運行されます.

台北市街1[歓迎光臨!ようこそ台湾へ#1]

歓迎光臨とは,「ようこそ」という意味である.台湾はアジアの中で最も日本文化が入り込んでいる国であるように感じる.街を歩いていると,いたることろで「日式」・「美日語」・「北海道海鮮」などといった漢字を目にする.走っている車は日本車ばかり,タクシーはトヨタ,日本の居酒屋チェーンがあり,コンビニではおにぎりを販売しており・・・.台湾の人々は日本を大変好意的に受け止めている.そんな台湾は,日本人が最も歩きやすいアジアなのではないだろうか.治安も大変よい.そんな台湾に行ってみました.

(旅行年月:2008年4月)


桃園国際空港から台北駅へ

台北駅までの國光リムジンバス

フライトが若干遅れて台湾の桃園国際空港到着したのは,21時30分頃であった.台北の中心地まではここからリムジンバスで約1時間程度かかる.行先・ルートによって,いくつかのバス会社があるが,台北駅(台北車站)まで行くバスは國光客運というバス会社が運行しており,片道125元である.チケットの乗車日が「97年4月・・・」となっているが,台湾では清朝を倒し中華民国を建国した辛亥革命(1912年)の翌年が元年となっており,西暦から11を差し引いた数が年数となっている.

ホテルのエレベーターが動かない

カード差し込み口
赤丸のところにある

ホテルでチェックインを済ませ,カード式の鍵をもらってエレベータに乗った.しかし,いくら宿泊階のボタンを押してもランプが付かない.一旦ドアが閉まってそのまま動かなかったので,もう一度「開く」を押して外にでて,ホテルの人に聞いてみた.すると,ボタンの下にある読み取り機にカードキーを差し込まないとボタンがつかないしくみになっているということで,カードを入れたらあっさりと宿泊階のランプがついた.それからもうひとつ,ランプのついた行き先階のボタンを再び押すと,キャンセルする機能がついていた.一度ボタンを押しても取り消しができるようである.日本のホテルでも導入されているが,あまり日本では高いホテルには泊まる機会がなく...

台北駅(台北車站)

堂々とした台北駅
チケット売り場がずらりと並ぶ

2007年に高雄(左営)までの台湾新幹線(高鉄)が開通し,台湾国内への出発点として役割を果たしている.中もきれいでチケット売り場が整然と並んでいる.台湾の鉄道は,台湾鉄道管理局(台鉄)による路線網によってぐるりと一周することができる.鉄道のことを「火車」といい,バスのことを「汽車」というので注意.(バスは「巴士」とも書く)

台北駅のチケット売り場は14窓口(南側だった)あって,1~6番は当日乗車のチケットを販売しているが,1・2番は速くチケットを販売するための窓口でクレジットカードの使用が不可.7~12番は明日以降の前売り券を販売しており,インターネット予約による対応もできる.メモ帳とペンを用いて,駅名や列車名は漢字でやりとりをすれば,中国語が話せなくてもチケットは楽に購入できる.

コンビニで買った朝食

  

ホテルの朝食は1人1500円くらい取られるので,ルームチャージのみで予約をとっていた.台湾にはセブンイレブンやファミリーマートなど,日本でもおなじみのコンビニがあちこちにあり,おにぎりなどを売っている.中身の絵柄がついているので,文字が読めなくても安心して購入できた.セブンイレブンでは,ちまきやピリ辛肉まんなども売っていて,思わずちまき(右写真)を買ってしまった.栗がはいっていてこれがうまい!
ちなみに,台湾のコンビニではビニール袋がいるかどうかを会計の時に聞かれる.レジの時,最後に中国語で聞かれてるのはこのこと.中国語がしゃべれませんと英語で答えたら,「ふくろ,ふくろ!」と笑顔の日本語で返ってきた.ビニール袋は有料である.

CDショップ

台湾では日本文化が入り込んでいる.CDショップでは,ジャニーズや宇多田ヒカルなどのポスターがはられ,日本のCD屋と変わらない雰囲気である.ハーリー族という日本文化を愛する若者が多いのも台湾である.旅行していて気持ちいい.

MRT雙連駅周辺の市場

台北駅からMRT淡水線で北に2ついったところに雙連という駅がある.この駅から民権西路駅にかけては市場が形成されている.観光客はほとんどおらず,地元台湾の人ばかりのようで,婦人服や雑貨,野菜や海鮮生ものなどを売っていた.中には,東京式寿司などというのもあり,寿司や海苔巻きがパックされていた.雰囲気はアメ横のような感じ.東京のアメ横に行ってもそうであるが,やっぱりこういう雰囲気は「同じアジアだな」と思わずにはいられない.

国立故宮博物院へ

故宮博物館へ行くには,MRT士林駅から路線バスに10分程度乗らなければならない.MRTの駅窓口で「TAIPEI PASS・台北観光護照」という1日乗車券250元(2日・3日・5日もある)を購入すれば,MRT地下鉄と路線バスが乗り放題となる.このパスは東京のスイカやイコカのようなICカードなので,共通マークの読み取り機に「ピィッ」とかざすだけで乗り降りできる.個人で台北市内を回るのには大変便利なカードである.

故宮博物館の入口で記念撮影.我が奥様と・・・・.

台北市街2[歓迎光臨!ようこそ台湾へ#2]

バイク天国

車の脇にまでバイクがぎっしり
青になると一斉にバイクが走り出す

台湾ではバイクの数が実に多い.2人まで乗車可能だとか.信号が赤の時にはバイクは前の方まで移動してきて,停止線のところにびっしり並ぶ.そして,青になると一斉に走り出すのである.大きな道路では,基本的に二段階左折(台湾では右側通行なので,日本で言う右折にあたる)となっている.横断歩道を渡っていると,いきなりバイクが横断歩道に向かって走ってきて,人の歩いているところに近づくと,くるっと90度バイクの方向を転換して,左折するために停車したりする.

世界一高いビル・台北101

台北101のビル
展望台からの眺め
最上階で空気に触れる
建築構造設計の展示パネル

台北101は世界で最も高い建物で,高さ509.2mある.2004年12月31日にオープンした.施工は日本のゼネコンを中心としたジョイントベンチャー(JV)で行っている.最上階部分が101階に相当するので「台北101」と名付けられている.「室内展望台」は高さ381mの89階にあり,ここから眺める台北市街はさすがに高く感じる.さらに屋上に登ると「屋外展望台」があり,柵越しに外の空気を吸いながら台北市街を眺めることができる.

また,世界最速のエレベータがここにはある.東芝エレベータ製で毎分1010m(時速60km)で運転されているが,下りは毎分600m(時速36km)で運転されており,上昇時にのみ世界最速を体験することができる.ちなみに,日本で一番速いエレベータは横浜ランドマークタワーにある三菱電機製のもので,毎分750m(時速45km)であり,下りのエレベータの世界最速は今でも横浜ランドマークタワーとなっている.ちなみにサンシャイン60(三菱電機製)は毎分600m(時速36km).

エレベータ内では位置や速度が表示される
世界最速のエレベータ(当時)

花生豆花

これは,「花生豆花」というデザート.地下食品売り場のフードーコーナーで売られていたので買ってみた.35元(=120円程度).甘いスープの中にピーナッツと豆腐が入っており,暖かいものと冷たいものを選べた.スープというとコンソメみたいな味を想像するかもしれないが,そうではなく,本当に甘い砂糖の入った汁である.

日本文化がいたるところに

日本語会話スクール
「北海道醤焼」炉端焼きのイメージか?

串焼きの具材を売っている店.「北海道鮮魚」.北海道産かどうかは不明.

とにかく台湾を歩いていて驚くのは,日本文化がたくさん入り込んでいることである.アジアの中でこれほど日本のものを目にすることができる地域は,他にはない.それだけ日本人にとっても歩きやすい国である.そして,やたら「北海道」の文字を多く目にする.台湾人にとって北海道は固定されたブランドイメージとして強固に定着しているように感じる.

士林観光夜市

とにかくすごい人
アメ横や竹下通りのイメージ
食べ物は建物の中にまとめられている
「大腸麺線」「大腸包小腸」何??

台北で最大で有名な夜市が士林観光夜市である.MRT劍潭駅の西側に広がる.食べ物の屋台は,駅西側にある建物の中に集約されて,雨の日でも濡れずに食事をすることができるようになったが,すごい人出で混沌とした熱気はすごい.

おもしろ看板

夜市の衣料品店の入口にある看板.よく見ると「いらっしゃいません!」と書かれている.

宜蘭へ[歓迎光臨!ようこそ台湾へ#3]

台湾鉄道で宜蘭へ

チケット(1人片道172元)

宜蘭(ぎらん)は台北駅から台湾国鉄の東部幹線に乗って,特急で1時間30分ほど走ったところにある街である.チケットは前日に台北駅で購入し,指定席を予約していた.台湾国鉄の指定席列車には,特急にあたる「自強號(Tze Chiang Hao)」,急行にあたる「莒光號(Chu Kuang Hao)」,快速にあたる「復興號(Fu Hsing Hao)」がある.今回乗車したのは急行の莒光号.最初は特急に乗りたかったが,既に満席だったため急行を手配した.急行と聞いて,昔の日本の4人掛けクロスシート車を想像したが,車内はリクライニングシートの冷房車であり,特急とほとんど変わらない感じであった.走行スピードが遅いようである.
途中,川の流れる渓谷を走ったり,車窓に海が広がったりし,変化のある景色を楽しむことができた.

宜蘭

宜蘭駅(宜蘭車站)
街の中
昭応宮
中心街の商店街

宜蘭は,18世紀後半から福建省の客家人の入植によってひらけた街である.地図を見るとわかるのだが,かつては円形の城壁に囲まれた街であり,今は城壁跡が道路となっている.宜蘭から日本最西端の島・与那国島までは僅か150km程度である.こうみると,日本と台湾は非常に近いことがわかる.

昼食

友愛大飯店(ホテル)の最上階レストラン
台式炒麺
海鮮豚骨烏龍麺
國宴三寶
デザート(甘い)
宜蘭の街

宜蘭駅からちょっと歩いたところに16階建ての友愛大飯店というホテルがある.下は百貨店となっており,商店が入っているが,最上階に中華レストランがあって,そこで昼食をとることにした.最上階からは宜蘭の街が一望できて,眺めが最高であった.

台湾の料理はどれも口にあう.味付けもちょうど良い.店員さんは英語しか話せなかったが,台湾のローカル料理として勧めてくれたのが「國宴三寶」という料理.三品のっているのであるが,魚のすり身を揚げたものなど,ローカルフードであった.

ちなみに台湾で「お飲み物は?Drink?」と聞かれると,「ウーロン?」と店員さんが言うので,つい「はい」と答えてしまうのであるが,せっかくなので実はジャスミン茶を飲みたいと思っている.でも,ジャスミン茶を現地の言葉で何と言っていいのか,また,なんと言っているのかわからないので,つい今回もウーロン茶を頼んでしまった!(かつて,与那国島へ行ったとき,ジャスミン茶が出されたので,こちらの文化はジャスミン茶なんだと思う)

宜蘭酒造博物館(宜蘭酒廠)

宜蘭駅から歩いて20分ほどのところに,宜蘭酒工場がある.これは日本統治時代に建てられたもので,宜蘭は米の産地であり,豊富に地下水が湧くことから,お酒の産地としても有名だとか.大型バスでやってくる台湾国内の観光客で賑わっていた.写っているアイスは,紅芋から作られるシャーベットだとか.暑い台湾で冷たいシャーベットはおいしかった.

帰りは台北まで高速バスで

左上がちぎられているのは改札済みの証し
快適な高速バス
3列シートの車内
重役クラスの肘掛け?

宜蘭から台北まで,鉄道では海岸線沿いを遠回りするが,2004年に高速道路の「雪山トンネル」が開通したことにより,北宜高速公路によりショートカットしてアクセスできるようになった.13kmにもわたるトンネルの供用は台湾では初のことであったため,当初は安全上の観点から小型自動車しか通行が認められていなかったが,2007年に大型乗合自動車の通行が可能となり,現在の高速バスが運行されるようになった.

帰りは,その開設まもない高速バスで台北に戻ることにした.この高速バス,車両が新しいこともあって車内は快適で,昼行便なのにゆったり3列シート(1人+2人の配置)となっており,さらに2人席の場合は幅の広い肘掛けがついていて,足かけもあり,テレビ放送もついているという豪華さ.この区間の快適さでは高速バスに軍配が上がる.なお,車内には非常脱出時の防護マスクなどが備えられていた.

不忍池(上野)【東京考察#260】

Shinobazunoike ( Ueno )


不忍池


 不忍池(しのばずのいけ)は,上野恩賜公園の南端にある池である.周囲は約2kmで,北側には上野動物園がある.中央には弁才天を祀っている弁天島(中之島)があり,池の真ん中に遊歩道が走っている.不忍池はこの遊歩道で3つに分けられており,蓮で覆われる蓮池,ボートの浮かぶボート池、鵜が棲息している池がある.渡り鳥も含めて,数十種類の鳥がみられ,春になると桜の花で遊歩道が満開となり,上野にある水辺のオアシスとして存在している.水質浄化のため,水を循環させるためのばっ気装置などが付けられている.

のんびり散策にはもってこいの不忍池

蓮が浮かぶ蓮池(写真では見えないが)
 
様々な鳥を見ることができる

春になると遊歩道は桜のトンネルとなる
 
ボート池では足こぎボートに乗れる
1時間600~700円

弁天島にある弁財天(弁天堂)

花見シーズンには出店も出てお祭り気分
外国人観光客も多い

上野公園の上から見た弁天堂と参道

(余談・・・)
 
2008(平成20)年4月21日に
50年間の歴史に幕を閉じたレストラン「聚楽」(上野百貨店)
また,上野らしさが消えることとなる.
(反対側の旧京成本社跡地には大きなヨドバシカメラ・マルチメディア上野店がオープンした)

旧岩崎邸庭園(池之端)【東京考察#259】

The old Iwasaki mansion garden ( Ikenohata )


岩崎邸庭園入口


 旧岩崎邸は,1896(明治29)年に三菱財閥の創設者である岩崎家本邸として建てられたもので,イギリス人のジョサイア・コンドルによって設計された.近代日本を代表する西洋木造建築で,ジャコビアン様式の装飾が施されており,1999年に重要文化財に指定されている.十年余りの修復作業ののち,2001(平成13)年に開園した公園である.上野駅から不忍池を通って池之端に向かうと,この洋館のある庭園があり,上野のアメ横の雰囲気とはまた違った上野が楽しめて面白い.開園時間9時~17時まで,入園料大人400円,年末年始以外年中無休.
 
洋館.1896(明治29)年に完成したもの.

エントランス.電球色のほのかな灯りがいい.

大きな鏡がある.

スチーム.古い洋館にはつきもの.
ヨーロッパで古いホテルに泊まるとありそうな感じ.

角のスペースをうまく使っている小便器(男性用)

やっぱり電球色はいい.

洋館から和館への廊下

和館の和室

和館ではちょっとした茶菓が食べられる

ビリヤード場(撞球場)
洋館から地下道でつながっているとか.

袖塀にある三階菱
岩崎家の家紋となっている.
現在の三菱マーク(社章)の原形.

 

湯島天神(学問の神様)【東京考察#258】

Yushima-tenjin ( The God of the learning )


湯島天神(銅鳥居と本殿)


 湯島天神(湯島神社)は,菅原道真公を祀ったもので学問の神様として有名である.湯島天満宮とも呼ばれており,1355(文和4)年における湯島郷民の勧請によって始まり,1478(文明10)年太田道灌が修建したといわれている.境内には数百本にわたる梅の木が植えられており,毎年2月から3月にかけて行われる梅まつりのときには多くの人で賑わっている.銅鳥居は1667(寛文7)年に創建されたものであり,都文化財に指定されている.

本殿にかけての参道には出店がでている.

学問の神様
多くの合格祈願の絵馬が奉納されている.

修学旅行で合格祈願を行う人も多い.
 
梅の木(もう散ってしまっていたが・・・)

本殿
1995(平成7)年に総檜づくりで造営されたもの
現在の建築基準法における防火地域では
木造建築が認められていないが,この本殿は
建設大臣認定第一号として特に木造建築が許可されたものだとか.

ガス灯(瓦斯灯)
ガス灯は,1872(明治5)年に横浜で点灯したのが最初であるが,
その後東京にも設置されるようになっていった.
この境内には5基のガス灯があったが,1965(昭和40)年に全て撤去となった.
これは東京ガスの協力により屋外に設置されている貴重なガス灯である.
 
湯島駅方面の入口
左が急な「男坂」 右が緩やかな「女坂」

「もぉ~」

 

豊島五丁目団地(北区)【東京考察#257】

The Toshima 5-chome housing complex ( Kita Ward )


豊島五丁目団地


 豊島五丁目団地は,日産化学工業王子工場の跡地に,日本住宅公団(現都市再生機構)が昭和47(1972)年に団地開発をしたところである.賃貸住宅が約5,000戸ある.いわゆる「団地」と呼ばれるもので,広々とした空間に大型の団地がドドーンと並んでいる様は,圧倒されるものがある.1号棟から12号棟まであり,3・4・12号棟以外はツインコリダー型と呼ばれる中央に吹き抜けを設けて2列の廊下をもつタイプで,さらに9・10・11号棟はV字型になっている.当時の建築基準法を遵守して建てられているため,基本的に14階建てとなっているが,12号棟だけは7階建てとなっている.また,3号棟のエレベータだけは,他の号棟よりも高速のエレベータが導入されており,様々なタイプの高層住宅の団地を見ることができて面白い.近年は,隅田川が眺められるように親水性を高めた公園が整備され,開放的でダイナミックな団地景観を醸成している.王子駅から都バス王57系統豊島五丁目団地行き,または王40系統西新井駅行きで10分程度.

団地案内図.黄色が建物.
ツインコリダー型が多い.V字型の建物もある

左が1号棟,右奥が2号棟
 
1階(6号棟)にはショッピングモールがある
朝早かったのでほとんど閉まっていたが・・・.

建物の柱に埋め込まれている名板

片廊下型の3・4号棟(左が4号棟・右奥が3号棟)
南向きにベランダがあるのはこの棟のみ.
隅田川のとなりに建っている.

コンクリートのカミソリ堤防がなくなって
隅田川の川面が眺められるようになった

廊下.
雰囲気は公団の団地といった感じである.

V字型の10号棟

V字棟を逆から見るとこんな風景となる.
日当たりを考慮しての配置なのだろうか.

ツインコリダー型を下から見上げてみる(7号棟)

エレベータ.一番左が1~7階までで
右の2機が8~14階までの直通となっている.結構遅い.

12号棟は7階建て

団地の中にバスターミナルがある
(当時としては珍しいものだった)

最後にもう1度,6号棟(ツインコリダー型)
この「でかさ」には圧倒される.

うなぎの「えびや」(馬場町)【会津考察#15】

EBIYA in the eel restaurant


大きな「う」ののれんが目印

 


 明治時代に創業した老舗の鰻屋であり,現在の店主は4代目.若松でうなぎと言えば「えびや」である.店前には炭火で焼かれている鰻の香りが漂い,大いに食欲をそそる.おおきな「う」の字ののれんが目印で,年末年始には縦長のカレンダーが配られる.うなぎはもちろんのこと,ご飯も炭火で炊かれている.かつての中央公民館の斜め前,市中心部の馬場町にある.入り口の扉を開けると,2階へ上る大きな木の階段が目に入り,冬には炭の炉が暖かく迎えてくれる.
 
歴史を感じさせる店内

観光パンフレットやお店の案内など,
お店の人が渡してくれる.

これ,たばこ盆.木製で懐かしい.
(うちのじいちゃんもこんなのを使っていた)

うな丼(きも吸い付き)
今回はサービスで茶碗蒸しもついていた.
手前の箸入れには会津のことが書かれていて,
記念に持ち帰る人も多い.

【公共交通案内】
●路線バス(市内3コース・西若松駅行・芦の牧温泉行・本郷高田行・坂下行など) 郵便局前下車徒歩5分程度
若松駅→郵便局前→神明通り→各方面
●まちなか周遊バスはいからさん 市役所前下車徒歩5分程度
若松駅→七日町駅→市役所前→武家屋敷→飯盛山→若松駅

豪徳寺(招き猫発祥地)【東京考察#256】

Gotokuji ( The place of the manekineko origination )


豪徳寺の入り口


 世田谷区豪徳寺に存在する曹洞宗の寺院である.住所も豪徳寺である.歴史は古く,1480(文明12)年に吉良政忠が伯母で頼高の娘である弘徳院のために建立した小庵が始まりで,当初は臨済宗に属していた.その後曹洞宗に転じ,1633(寛永10)年に彦根藩二代目藩主・井伊直孝が井伊氏の江戸菩提寺として伽藍を創建し整備した.幕末,江戸城桜田門外で暗殺された井伊直弼(彦根藩城主)は当寺に葬られており,お墓は都指定史跡となっている.
また,豪徳寺は招き猫発祥の地として言い伝えられており,井伊直孝が門前を通りかかったときに手招きをする猫がいて,寺に立ち寄り和尚の話を聞いていると雷雨となった.この雷雨をしのげた幸運を喜んで,福を招く猫のいる寺として菩提寺とし,これが招き猫発祥の地としていわれる所以である.家内安全・営業繁盛・心願成就に御利益がある.ちなみに,豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称している.また,豪徳寺の名称は,井伊直孝の戒名を取って名付けられているという.東急世田谷線宮の坂駅からが近い.小田急線豪徳寺駅からも便利である.

境内

仏殿
仏殿は掃雲院が藩主直澄の菩提を弔うために建設したもの
1677(延宝5)年に完成

本殿
 
招猫殿 招猫観音を祀っている
招福猫児は本殿脇の受付でご祈祷・購入することができる

東急世田谷線【東京考察#255】

Tokyu Setagaya line


東急世田谷線山下駅


 東急世田谷線は,三軒茶屋駅と下高井戸駅とを結ぶ全長5.0kmの路面電車である.路面電車といっても道路の上を走ってはおらず専用軌道となっており,環七通りと交差するときに信号機て停車することが,唯一路面電車の面影を感じるところである.都内で残った路面電車として,都電荒川線と共に話題にのぼる路線で,2両編成の電車がコトコトと走る姿は,どこかホッとする情景となっている.現在は世田谷線と呼んでいるが,かつて渋谷から二子玉川園までを玉川通りの上を走って結んでいた玉電(玉川線)の支線的な役割として存在していたもので,当時は下高井戸線と呼ばれていた.その後,玉電は1969(昭和44)年に廃止されたが,この世田谷線だけが廃止されずに残ったもので,かつての玉電の面影を残すものとなっている.車体は新しいものに一新され,ヨーロッパの路面電車を連想させる.
世田谷ボロ市が開催されるときは多くの乗客で賑わい,普段も車内は混雑していることが多く,地元住民に愛されているヒューマンスケールな世田谷線である.
 
三軒茶屋駅はキャロットタワーの隣にある
この駅には改札口があるが,基本的には乗車時に車内で運賃を払う.
大人140円均一.

三軒茶屋駅ホーム
再開発によって綺麗で近代的な空間となっている

宮の坂駅
階段を上らずにホームに上がれて,
踏切がすぐ脇にあるといった雰囲気がいい.
  
世田谷線にはカラフルな車両が走っている.
小さな子供連れの家族が電車に乗ると,
次の電車が何色かを当てっこするゲームが繰り広げられる.

現在の新型車両が導入される前は,
玉電の面影を残す,この色の世田谷線が走っていた.

三軒茶屋界隈【東京考察#254】

The Sangenjaya neighborhood


三軒茶屋駅


 三軒茶屋は渋谷から国道246号(玉川通り)を約3.5km西南に向かったところにある.江戸時代の中頃に大山通(現世田谷通り)と近道(現玉川通り・R246)の分岐点付近に,田中屋・信楽(石橋屋)・角屋という三軒の茶屋があったことから付けられたといわれており,大山詣や多摩川への行楽客で賑わっていたという.渋谷からも近く,オシャレな住宅街として人気の高い地域であり,「さんちゃ」と呼ばれているが,実際歩いてみると懐かしい雰囲気の店もあったりして,ほっとできる空間も残っている.1996(平成8)年には三軒茶屋のランドマークである赤い色をした高層ビル「キャロットタワー」が完成し,「あそこがさんちゃだ!」と都心からも分かるようになった.地下となった東急田園都市線の三軒茶屋駅を降りると,国道246号・玉川通りの上に首都高3号線が覆い被さっており,今となってはちょっと圧迫感のある駅前となっているが,かつては「玉電」と呼ばれた渋谷と二子玉川園とを結ぶ路面電車が走っており,1969(昭和44)年に廃止されたのち,1977(昭和52)年に現在の地下化された新玉川線(現名称は田園都市線に統一)が開通した.

首都高速3号線が玉川通りの上を走る

駅前には大山道の道標が建っている

世田谷通りの看板の下に見えるビルの
ガラス張りのところはフィットネスクラブ.
ちょっとお腹の出始めた男性陣が
ジムで鍛えている姿が外から見える.
 
キャロットタワー
にんじんの色をしているので付けられた名前(公募).
オフィスや商業施設,ホール,区民センターなどが入る.
東急世田谷線の駅もこの下にある.
 
キャロットタワー26階には無料展望台とレストランがある
喫茶コーナーにはキャロットジュースがある
9:30~23:00まで開館している

コミュニティFMのスタジオもある
  
三茶しゃれなあど商店街
おしゃれな店がポツポツとあって楽しい

足下のブロックには三軒茶屋のプレートが埋め込まれている

西友ストアーにある自転車の駐輪場
2時間まで無料であるが,精算機による手続きが必要
自転車盗難を防ぐのにはよい
 
喰うてかへんか? すずらん通
戦後闇市的な雰囲気の残る下町的な空間である.
「オシャレなさんちゃ」とのギャップが面白い

世田谷通りの商店街

路地裏に入ると,釣り堀を室内でやっている店があった.

1歩入ると住宅街である

羽田空港行きリムジンバス(お薦め路線・新宿発)【東京考察#253】

The Haneda Airport going limousine bus

リムジンバス(羽田空港)

 


 リムジンバスは空港への送迎を行っている路線バスで,羽田空港と成田空港では「東京空港交通(株)」で事業を行っている.リムジンバスは,空港までの路線バスの他にも空港内のランプバスと呼ばれる,搭乗ゲートと飛行機との距離が離れているときの輸送も行っているので,オレンジ色のリムジンバスを空港内で見かけることもある.昔の羽田空港ではよく空港内でリムジンバスに乗ったものである.
そんなリムジンバスは,都内をはじめ首都圏各地から空港までのネットワークが思ったよりも充実していて,都心ではホテルに直結して空港までの輸送を行っている.現在は,定時運行を確保するために渋滞情報をキャッチして迂回ルートを選んで走行したり,現在の所要時間をインターネットや携帯電話を使ってリアルタイムに見ることができるので,かなり利用しやすくなっている.
リムジンバスは首都高速を走行して羽田空港へ向かうが,窓の外に過ぎ去る都内の景色は見ていて飽きない.特にお薦めなのが新宿駅西口から羽田空港に向かう路線である.新宿駅西口の乗り場は京王百貨店の1階にチケット売り場があって,羽田空港行きは横断歩道をヨドバシカメラ方面に渡った向かい側にある.都庁脇を通って助走区間の短い新宿ランプから首都高に乗ると,新宿の超高層ビル街・明治神宮・新宿御苑の緑・皇居のお堀・紀尾井町のホテルニューオータニや赤坂プリンスホテル・東京タワーなど,続々と東京の名所を眺めることができ,さらに芝浦ジャンクションからは11号台場線に入ってレインボーブリッジを渡る.東京のダイナミックなビル群を橋の上から振り返ることができる.お台場を通過し東京港13号海底トンネルを抜けて,東海道新幹線の車両基地・大井埠頭の物流基地が見えると終点羽田空港となる.新宿駅から羽田空港まで片道大人1200円,所要時間は45分程度,電車よりも料金は高いが,それほど乗客は混雑していないので,ちょっとした東京見物をするのにお薦めである.最後は羽田空港の飛行機を展望デッキで見学して締めくくれば,結構充実したものとなる.

新宿駅西口から羽田空港までのルート(新宿→浜崎橋JCT)

新宿駅西口から羽田空港までのルート(浜崎橋JCT→羽田)

レインボーブリッジから都心方面を眺める

上野駅低いホーム【東京考察#252】

The home with the low position which is in Ueno station


上野駅低いホーム


 上野駅低いホームは13~17番線のことを指し,宇都宮・高崎線の一部普通列車と,東北本線・常磐線等の特急や寝台の優等列車が発車する.新幹線が開業する前までは,東北方面の優等列車が発車するホームで,各方面への乗客で大変な賑わいを見せていたホームであった.東京にある駅の中で,ヨーロッパのような串刺し式の終着駅の雰囲気が味わえる駅である.「低いホーム」とは,1~12番線(山手線・京浜東北線・常磐線・宇都宮線・高崎線)までの高架上の駅(「高いホーム」「高架ホーム」)と区別するための呼び名であり,上野駅は2階構造になっているのである.石川啄木の「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを 聴きにいく」という歌は有名である.
 
中央改札口を通るとその奥が低いホームとなる

低いホーム
左側が13番線,右側が17番線と新幹線改札口

上部に見えるのが12番線(常磐線)の高いホーム
吹き抜けで,高いホームと低いホームが一部同じ空間となっている.

北斗星が到着した13番線

終着駅なので車止めがある

石川啄木の歌碑
「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを 聴きにいく」

家族で特急スーパーひたちを見学

特急のホーム(16・17番線)には特急券を拝見する改札口がある

ずらずら並ぶ電光掲示板は終着駅という感じになる.

夜のサンシャイン60通り(池袋)【東京考察#251】

Sunshine 60 street of night ( Ikebukuro )


サンシャイン60通り

 


 サンシャイン60通りは,池袋駅東口からサンシャインシティにかけて,両側に商業施設が建ち並ぶ道路で,池袋で最も賑わいのある通りである.いつも人で混雑しており,休日には大変な人で賑わっている.歩いている人の年齢層は若く,若年層に人気のあるエリアである.師走のサンシャイン60通りの点景をお送りする.

横断歩道は青になるといつも人でごった返す

パンダも頑張っている
立て看板を持っている人が多い

黄色いハッピを来て脚立にのって,
売り込みをしているドラッグストアの店員

キャッチセールスは多い

ゲーセン&パチンコ アミューズメント施設
 
最奥に東急ハンズがある.
ここからはエスカレータで地下に降りて,サンシャインシティーへ向かう.

都営バスの運行情報システム【東京考察#250】

The operation information system of the metropolitan bus


バス停(王40)

鳥井坂を下る田70系統(現廃止)


 都内を縦横無尽に走る都営バス.都バスでは全路線で運行情報システムを導入している.これは,パソコンや携帯電話からインターネットを通じて,「バス接近情報」,「系統運行状況」,「バス時刻表」,「ラッピングバス情報」,「経路検索/乗り換え案内」の情報が得られるというもので,大変便利なシステムとなっている.バスは電車と違って,駅構内の階段などの移動や,改札口から街中まで歩かなくてもいいといったメリットがあるため,路線を覚えてしまうと結構便利で使い勝手のよい移動手段である.都内の身近な風景をゆっくりと眺めることもできる.都内のバスといっても,路線によっては30分や1時間に1本程度しかないときもあり,また渋滞などで遅れることもあり,そんなとき,携帯電話を使ってバス情報を得れば,便利に快適にバスで移動することが出来る.
このシステムはNECのノウハウによって構築されている.都バスの位置情報をデジタルMCAと呼ばれる無線で取得し,収集した位置情報をリアルタイムで情報サーバに蓄積する.この位置情報は15秒に1度更新されて常に最新の位置情報が把握でき,このデータを整理してインターネットを通じて提供しているという.(参考引用:NECホームページより)
系統運行状況のページ(王40系統)
停留所を指定すると(この場合「王子駅前停留所」),その停留所を起点としたバスの運行情報が見れる.
そのバス停にあと何分で到着するか,そのバス停から何分で目的の停留所に到着するか,が一目でわかる.
携帯電話の場合でも,表示方法が異なるだけで,同じ情報が得られる.


時刻表も見ることができる.


ラッピングバス(広告バス)の運行情報も見ることができ,
今どこを走っているかが一目でわかる.


 
主要なバス停には,バス接近表示と
主要目的地までの所要時間が表示される

福島見聞録【#1-#20】[一括掲載]

(このページは2007年に掲載したものです)

No.20 クリスマスイルミネーション

クリスマスのシーズンがやってきた.福島では駅前とパセオ通りの2カ所でイルミネーションが点灯している.
福島駅前イルミネーションは,東口駅前広場を中心にツリーや花壇への約5万球の電飾となっており,2007年11月30日から1月6日の16:30~22:00まで行われる(その後,2月14日まで延長されることが決定).樹木への電飾はブルーを基調としており,幻想的な空間を演出している.そして,今年は市制施行100周年を記念していることもあり,大がかりにイルミネーションを行っているのがまちなかの「パセオ通り」である.例年は数本の電飾しかされていないが,今年は約50本のほぼ全ての街路樹に約10万球の電飾を施しており,ちょっとした話題となっている.パセオ通りの電飾は最近流行の白や青の電飾ではなく,昔ながらの暖かみのある電球色のイルミネーションであり,これだけ徹底的に電飾がならんでいると,見ていて気持ちがいい.クリスマスイブには,一方通行の車道にはこのイルミネーションを一目見ようと車が列をなしていた.12月14日から翌年2月14日のバレンタインデーまで点灯しており,もうしばらくは福島版光のページェントが楽しめる.パセオ通りのイルミネーションは17:00~23:00点灯.(2007,12)

No.19 カレイナニ早川氏の講演会(コラッセふくしま)

福島駅西口インキュベートルーム講演会として,映画フラガールのダンス教師・平山まどかのモデルとなったカレイナニ早川氏の講演会がコラッセふくしまで行われた.カレイナニ早川氏は,常磐ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアンズ)付属の常磐音楽舞踊学院最高顧問となっており,昭和39年のハワイアンセンター設立当時のフラダンス講師として,常磐炭坑で働く家族の少女達をダンサーに育て上げた人である.スパリゾートハワイアンズは,斜陽化していた石炭産業をなんとかしようと,炭坑から噴出していた温泉水を利用して東北に常夏のハワイを造ったリゾート施設で,全て炭坑で働いていた人々によって運営されていた.その施設内で行われるフラダンスショーにも,もちろん炭坑で暮らしていた少女達を起用していた.
講演は,まずフラガール映画の話から始まった.平山まどか先生が酔っぱらって登場するシーン,あのシーンには実際の育成生徒さんに対しても侮辱した脚本であるとクレームをしたそうだが,演出だと言うことでそのまま放映されることになったとのこと.女優さんのプロ意識はすごく,短期間のレッスンで驚くようなレベルに達していき,恐らく見えないところで努力していたのではないかとのこと.最後のシーンの涙は,映画とはいえダンスを習得していった女優さんたちの本当の涙だったということ.そして,ハワイアンセンター建設時代の苦労話,ハワイの話と続き,あっという間に時間が過ぎていった.(ちなみに,借金取りの話も脚本らしい)
「ダンスがいくら上手でも,礼儀や挨拶がだめでは,一流にはなれない.他人に対して謙虚に生きなければならない.」
そのため,育成の生徒さんに対して,ダンスの指導だけではなく,挨拶から箸の持ち方までマナーや礼儀についても厳しく教育していたとのこと.今では,その生徒さんも立派な家庭を持って充実した生活を送っているとのことであった.
講演最後には,なんとフラダンスを全員でレッスンすることになった.右と左にステップを踏み,お日様や波・椰子の木などを手で表現し,楽しい踊りのレッスンとなった.最後のレッスンの時のカレイナニ早川氏は,一番楽しそうに生き生きと話をされていた.予定時間をオーバーし,みんなでワンフレーズのフラダンスを踊って終了となった.本物を身につけている人の心の大きさ,余裕を垣間見ることができた.70歳を越えているのであるが,年齢を感じさせない.感性豊かで生き甲斐を持っている人は,いつまでたっても歳をとらないのかもしれない.私も,いつまでたっても感性豊かに生き生きと生きていきたいものである.(2007,11)

No.18 中合百貨店の北海道物産展

福島駅前にある老舗百貨店に中合がある.しかし,郊外型店舗のオープンや仙台への格安な高速バス運行によって,駅前の中心市街地は衰退の一途をたどり,中合百貨店もその影響を大きく受けている.中合百貨店の歴史は古く,1830年の太物行商が始まりである.そんな中合であるが,人気のある催事として「北海道物産展」が行われる.デパートの最上階にある催事場では,北海道で人気のお菓子や食材,カニが山盛りとなった弁当など,北海道に行かずとも北海道が味わえるので,いつも多くの人出でにぎわっている.先週,この催しが行われていたが,中合も人で混雑しており,最上階から下の階に移動するお客さんによって,デパート内も賑わっていた.中合は福島市でデパートと呼べる百貨店なので,頑張ってもらいたいところであるが,三越と提携している郡山のうすいなどと比べてしまうと,ディスプレイや雰囲気・品揃えなど,どうしても時代に取り残されているようなところを感じたが,現在は新たな取り組みを行って頑張っている.福島市では中合の紙袋を下げた人を多く見るので,中合のステータスは健在である.(2007,11)

No.17 珈琲グルメ(喫茶店)

福島駅前アーケード内のビル2階にムードのよい喫茶店がある.その名は「珈琲グルメ」.1979(昭和54)年にオープンした自家製焙煎の喫茶店である.店内の席は多くの女性たちで埋まっており,休日などは入り口で待たないと席につけないことが多い.カウンター席やテーブル席の他に,中央には十数名が座れる大きなテーブルがあって,少人数のテーブル席が空いていないときは,中央の大テーブルに相席で案内される.飲み物とケーキやデザートがついたセットの人気が高く,久しぶりにあった女性友達同士,つきることなく,そして途絶えることなくおしゃべりが続いていく.また,自分の好きなカップを選んで珈琲や紅茶などを飲むことができ,食べ物だけではなく,器も楽しみながら歓談をすることができる.店の空間もクラシカルで落ち着いておりムードも良い.そしてさらに,店員さんはイケメンの(!?)男性が多く,これもリピータの女性をとりこにしているのではないだろうか.駅前の中心市街地の衰退が叫ばれているが,本物を提供するお店には,人は繰り返しやってくるのであり,街全体として人々が望んでいる魅力ある商業空間を呼び込むことができれば,福島市だって賑わいは取り戻せるに違いない.(2007,11)

No.16 磐梯吾妻スカイライン

紅葉の季節がやってきた.磐梯吾妻スカイラインは紅葉の名所としても知られる有料道路で,高湯温泉から浄土平を通って土湯温泉までを結んでおり,国土交通省が制定した日本の道100選にも選ばれている.この有料道路をドライブしていると,作家の井上靖氏が名付けた吾妻八景(白樺の峰・つばくろ谷・天狗の庭・浄土平・双竜の辻・湖見峠・天風境・国見台)が次々と広がり,雄大な吾妻連邦の景観を満喫することが出来る.
通行料金は普通車1,570円である.道路地図や観光ガイドブックだけを眺めてこの値段を知ってしまうと,「ちょっと割高だな,有料道路はやめて一般道(国道115号)を走るか」などと思ってしまうかもしれない.しかし,まだ一度もこの有料道路を走ったことがないのなら,だまされたと思って走ってみることをお薦めする.空に突き抜けるように道が続き,崖のすれすれをスリリングに走り抜け,信夫山がぽっかり浮かぶ福島市街を一望し,硫黄の臭いが立ちこめて「火山性ガス注意,車を駐停車しないでください」の看板が現れると,緑だった山肌が一変して樹木の植わらない荒涼とした浄土平のダイナミックな風景が目の前に広がり,浄土平では湿原を散策して(湿原といっても荒れている.これだけ自動車や人が入り込んでいれば当然かもしれない),下りにさしかかると今度は磐梯山の屹立とした頂と猪苗代湖が眼下(磐梯山の頂は眼下というよりは水平といった感じである)に広がって,会津盆地がかすかに望める.次々と変化して過ぎ去っていく風景に感動を覚えるに違いない.
浄土平の標高は約1600mであり,福島市の標高が約65mであるので,福島市からやってくると実に1500mも車で登ってきたことになる.スカイラインまでの道のりには温泉街もあって日帰り入浴が可能なので,温泉とドライブをセットにした小旅行が堪能できる.開通は1959(昭和34)年である.今の時代だったら,大自然の中をダイナミックに貫くこのような道路は,環境意識への高まりもあって造れないと思う.ちなみに,浄土平の駐車場は有料で,吾妻小富士へのハイキング登山やレストランなどの施設を利用しようとする場合,さらに普通車410円が必要となる.4月下旬から11月中旬まで通行可で,冬期は積雪のため通行止め.(2007,10)

No.15 阿武急の日フリー乗車券

毎月第1日曜日は「阿武急の日」となっている.この日に限って乗り降り自由のフリー乗車券を大人600円(子供半額)で販売しており,福島-槻木間を乗り通すと通常片道940円であることを考えると,大変お得なフリー乗車券となっている.阿武急とは,第三セクターである阿武隈急行株式会社が運行している鉄道で,福島-槻木間の54.9kmを運行している.かつての槻木-丸森間を結んでいた国鉄丸森線を引き継いだもので,その後1988(昭和63)年に現在のように電化されて福島県側まで延伸開通した.阿武急は,阿武隈川に沿って走っていくので,富野駅を出発すると,左手に阿武隈川が見え始め,兜駅からはいままでの盆地の風景から一変し,渓谷の中を阿武隈川とともに併走していくようになる.あぶくま駅からは,阿武隈川船下りの乗船場も近い.
このフリー乗車券を発売する「阿武急の日」にあわせて,沿線自治体のイベントが催されることも多く,2007年10月の第1日曜日には,「伊達家ふるさとウォーキング(高子駅)」,「マイレールコンサート」,「角田ずんだまつり」などが開催されていた.特に,フリーウォーキングについては,年間スケジュールをたてて毎月10km程度のコースが設定されており,スタンプカードも発行されている.阿武急の日の車内にはリュックを背負った人(年配の方が多い)が多く乗車して賑やかになっている.槻木駅では,仙台駅方面のJR線との接続もよいので,追加で400円を支払えば仙台駅まで乗っていくことも可能である.精算は仙台駅で行うこととなる.仙台まで行くときに単調な景色に飽きていたら,たまには阿武急で阿武隈川の渓谷を見ながら行くのも悪くはない.(2007,10)

No.14 2種類ある高速バス「あぶくま号」(東京への高速バス)

福島から新宿(東京)までを結んでいる高速バスがあぶくま号である(片道大人4,800円,往復8,600円,ネット割引・早割あり).あぶくま号は,郡山や須賀川を経由して東京の新宿駅までを結んでおり,福島はその出発地となっている.あぶくま号は1日12往復運行されているが,福島から発着するのは1日6往復のみで,残りは郡山始発となっている.なにしろ,福島駅から新宿駅まで乗車すると所要時間が5時間以上かかるため,あぶくま号の利用者は郡山駅や須賀川・西郷からが多くを占めている.ホテルと新幹線がセットになったJRの旅行商品「TYO」を利用すれば,値段は倍以上するがホテルもついて約2時間で東京駅まで到着してしまい,また週末2日間だけ有効の「東京週末フリー切符(前日まで購入・大人14,500円・子供3,000円)」を買えば首都圏JRが乗降可能なフリー切符もついてくるので,時間の有効利用や疲労度を考えると,多少高くても福島から東京までは新幹線を選ぶ傾向にある.
福島からの高速バスには2種類の経路がある.ひとつは,福島駅を出ると福島西インターから高速道路に入り,本宮インターで降りて郡山駅に直行するタイプと,福島駅から国道4号を走って蓬莱・二本松市役所に立ち寄って,二本松インターから高速道路に入って郡山駅に向かう鈍行タイプの2種類である.新宿までの所要時間は,直行タイプで約5時間10分,鈍行タイプで約5時間35分となっている.なにしろ,須賀川・郡山・二本松と福島県内をほとんど一般道で縦断するので,国道4号線の蓬莱から坂を下るときに左の車窓に福島市街の街並みが見えたときは,「あれが福島の灯だ!やっと福島に到着した!」などと感慨深いものがこみ上げてくる.2006年12月からは福島北警察署裏あたりに無料駐車場を備えた福島高速バスターミナルを設置し,車利用によるパークアンドバスライドの実現を図っている.福島までやってくる高速バスはこの福島高速バスターミナルが起終点となっている.ただ,「福島高速バスターミナル」などと聞くと,冷房付きの待合室が完備された立派な施設を想像してしまうが,現地は待合室などはなくバス停がぽつんと立って広大な敷地(駐車場)が広がっているのみである.(2007,09)

No.13 飯坂温泉

さらにもうひとつ飯坂温泉も.福島駅から地方私鉄の福島交通飯坂線(地元では「いいでん」と呼ばれている)に乗って約20分走ると,終点飯坂温泉駅となる.摺上川の両岸に大小旅館が建ち並んでおり,約60軒の施設が存在している.大型のホテルや旅館,飲み屋もあって,東北でも有数の大規模な温泉街であったが,日本人の旅行形態の変化によって団体客が減少し,他の大規模温泉街と同様,現在は大変苦況に立たされている.温泉街に入ると廃業した旅館が多く目に付き,温泉街全体が沈降しているのがひしひしと伝わってくる.
共同浴場は9つあって,大人1人200円で入ることができるが,そのうちのひとつは松尾芭蕉も浸かったとされる鯖湖(さばこ)の湯も含まれている.共同浴場にはシャワーなどはない.泉質は単純泉で無色透明である.毎年10月の第1土曜日を中心とした3日間開催される「飯坂けんか祭り」は,日本3大ケンカ祭りのひとつと言われており,大きな山車が街中を練り歩いて飯坂八幡神社への宮入りを行ったあと,山車同士が勇壮にぶつかり合う場面は,見ていて迫力があり大いに盛り上がる.是非,飯坂へ.(2007,09)

No.12 土湯温泉

つづいて土湯温泉のご紹介.福島市と猪苗代町を結ぶ国道115号線沿いに土湯温泉はある.荒川の上流に位置する温泉街で,街の真ん中に渓流が流れている.泉質は単純泉がメインとなっているが,施設によっては炭酸水素塩泉や硫黄泉が含まれているところもある.源泉は約70カ所あるという.土湯温泉はこけしの里としても有名で,約160年前から伝統工芸が受け継がれている.温泉街にはこけしを製作する工程を実演している「土湯見聞録館」と呼ばれる施設があったり,ちょっと立ち寄るカフェがあったり,温泉たまごを販売する店があったり,無料の足湯スポットが4カ所あったりと,もともとコンパクトな温泉街は観光客がぶらっと楽しみながら歩けるように努力がなされている.土湯温泉は源泉が150℃前後と高温であり,温度調整のために加水をしているところが多いが,温泉につかると体がポカポカと温まってくる.強烈な湯あたりの心配もいらず,程よい心地よさの温泉である.各旅館では日帰り入浴をやっていて,観光協会の脇には日帰り入浴をやっている施設の情報が掲示されており,さらに観光協会では2人で1200円になる割引の日帰り入浴券を販売しているので,地図とともに入手するとよい.通常は日帰り入浴料は1人700円となっている(温泉施設によっては安いところもある).(2007,09)

No.11 高湯温泉

福島市周辺には車でちょっと走らせれば温泉が数多くある.そのひとつに高湯温泉がある.福島市から浄土平へ向かう有料道路・磐梯吾妻スカイラインの料金所ゲートのすぐ手前に約10軒ほどの温泉宿泊施設があり,坂道をぐんぐんあがった標高750mのところに位置している.特徴は,なんといっても「硫黄泉」の成分であるということ.正式な泉質名は,酸性・含硫黄-アルミニウム・カルシウム硫酸塩泉質(低張性-酸性-高温泉)であり,温度は42~51℃となっている.硫黄の成分含有では日本で有数の温泉で,効能が高いといわれている.源泉は10カ所ほどあるという.
白く濁った温泉に浸かると,体の芯から温まって,体に成分が効いている感じがする.ただし,少しでも多く成分を効かせようと思って,温泉成分を洗い流さずに浴場をあとにすることが多いかもしれないが,この高湯の硫黄泉は成分が非常に濃く加水加温をしていないので,最初は長い時間浸からずに成分を水道のお湯で洗い流して出ることを勧める.僕も欲を張って洗い流さずに出たら湯あたりを起こしてしまい,その後家に戻ってから倦怠感やだるさが出てきて,その晩はふとんに横になる羽目になってしまった.
高湯には組合で運営管理している共同浴場「あったか湯」が平成15年にオープンしており,大人250円で入浴することができる.駐車場からは源泉の配湯(分湯)状況が見れるようになっている.最近は「源泉掛け流し」という言葉が流行っているが,あったか湯のパンフレットには「自家自噴源泉完全放流掛け流し方式(加水加温無し)」と記載されているので,完全な源泉掛け流しということになる(ちなみに,加水していても一部循環させていても源泉を流していれば源泉掛け流しには該当する).なお,あったか湯は洗い場は少なくて石けんやタオルなどはついていない.広い浴場を希望する場合は,入浴料は高くなるが周辺ホテルや旅館の日帰り入浴を利用するとよい.くどいようだが,くれぐれも湯あたりにはご注意を!(2007,09)

No.10 共通駐車サービス券システム(中心市街地)

福島駅前の中心市街地では,買い物金額に応じて発行している駐車券について,約44の駐車場で共通して利用できる駐車サービス券を発行するシステムを導入している.駐車券を発行する加盟店舗は約274店舗(2007(平成19)年3月末現在).(株)福島まちづくりセンターが介在して,駐車場契約者からサービス券を回収し,加盟店舗にサービス券を発券するシステムとなっており,中心部のすべての大型店で加盟していて,車で中心市街地にやってくるのには大変便利なシステムである.共通システムがないと,商店の契約駐車場がそれぞれ決まっていて,はしごして買い物しても駐車券が利用できるところが限られてしまい,結局駐車場料金を払わなければならなくなることが多い.
加盟している店舗や駐車券には,下記のステッカーが記載されている.基本的に30分単位の発行であり,加盟店によって発券枚数は違っているが,中合やエスパル(駅ビル)などの大型店では1時間単位の発券を行っており(3000円以上で1時間,5000円以上で2時間が多い),中合デパートでは休日に限っては1500円以上の買い物で2時間無料の休日共通駐車券(休日しか使用できない)を発行している.これら全ての駐車券には有効期限があって,発行日より3ヶ月間となっている.
中心市街地でも結構品物が揃うので,極力駅前にきてぶらぶら歩いて買い物をするようにしている.お盆前の休日にはパセオ通りで花市をやっていて,お墓参り用の花(ユリ,リンドウ,ホオズキ,ふまんじゅう(食べ物)なんていうのもあった)やササなどを売っていたので思わず買ってしまった.また,会津のふるさとの盆提灯が古くなっていたので購入しようと思っていたのであるが,街中を歩いていたらサンチェ・イゲタでいいものがあったので,そこで購入した(この「いげた」の店は細長い店の中を小径として地下から半階構造の中2階方式でぐるぐると3階まで巡れるようになっていて,小物などの生活雑貨からカーテンまで品揃えがあって面白い).中心市街地の店の方は,商品のことを詳しく知っていて,いろいろと丁寧にじっくり教えてくれるように感じる.合理的な生産流通を行っているホームセンターやチェーン店のバイト店員とはちょっと違う.ちなみに,私が福島の中心市街地であったらいいと思っている店は家電量販店である.せめてヨドバシカメラのような店が駅前にあればいいのにな,と思う.消耗品であるMDやDVD,プリンタのインクや用紙なども,車で行かなければ購入できないようなので.(2007,08)

No.9 ぐう゛ぇ~,暑いぞ福島市は!

福島市の夏は「あつい」と聞いてはいたが,噂は本物,本当に暑い熱い日が続いている.日中の気温も午後になると35度近くにまで上がり,夜になっても気温は下がらず寝苦しい日が続く(25度前後).盆地特有の気候で,夏暑く,冬寒いといった傾向である.郡山市や会津若松市でも日中は気温が高くなるのであるが,福島市と違うのは標高が高い(標高200m程度)ため,夜になると20度弱くらいまで気温が下がって寝苦しさは若干和らぐ.夜の暑さは福島市の方がひどいのである.ちなみに福島市の標高は約66mとのこと.もう,クーラーが欠かせなく,夜寝るときも扇風機はかけっぱなしで,汗だくだくで寝ている.それでも,東京の夜の暑さに比べれば気温が低いと思われ,夜でも26~8度で推移するコンクリートジャングルの東京よりはまだましか,と思って自分を納得させている.この暑さが,全国第2位の出荷量を誇る「モモ」の栽培に適しているとのことであり,果物王国福島市を築いているのである(モモはうまい!).でも,早く秋が来ないかなぁ~.(2007,08)

No.8 コラッセふくしま

福島駅西口(新幹線側・中心市街地とは反対側)にある複合施設のビルが「コラッセふくしま」である.コラッセとは福島の方言で,こちらにお出でくださいという意味で,一般公募によって決められた名前である.公的機関の施設が入っており,住民票などが受け取れる市行政サービスセンターや,県パスポートセンター,県内各市町村の案内パンフレットが置いてある情報ステーションなどもある.日曜日も住民票やパスポートが受け取れるのでありがたい.
1階の観光物産館では,県内各地の名産やおみやげなどの物産を販売しており,ここにくれば県内の物産はある程度手に入れることができ,観光情報センターもある.お酒だってよりどりそろえてある.2階には市産業交流プラザがあって,福島市内にある企業の工場で製作されているものが紹介されている.そして,現在市政100周年の企画展示として,福島市の100年を振り返る写真展が開催されていて,これがとても興味深くて面白い.養蚕業で栄えた福島市であるが,明治・大正・昭和にかけて時代とともに写真で紹介されおり,市中心部の変遷や,掛田(霊山)まで路面電車が走っていた頃の写真,弁天山から松齢橋と市街地を撮影した写真,中合と山田百貨店と長崎屋と遠藤チェーンとコルニエツタヤと,まだまだ中心市街地が賑やかだった頃の写真など,企画展に終わらせず,常設展示として永遠に展示してもらいたい内容であった.
12階の最上階には創作和食料理のレストラン「Ki-ichigo・きいちご」がある.結婚式場のエルティが運営しているもので,山に囲まれた福島市街の盆地の眺望を眺めながら,ランチやディナーを楽しむことができる.12階にはレストラン以外にも,テーブルや椅子の置いてある無料展望室もあるので,高いところから福島を眺めるには絶好のポイントである.
この他にも,各種会議室やミニ図書館,中小企業を支援する経営プラザや商工会議所などがテナントとして入っており,駅前にある公的機関として便利な施設である.ちょっと余談であるが,このように市街地中心部に人を呼び戻す方策として,駅前に公的機関の窓口を持ってくる事例は増えているが,岩手県の盛岡駅前にある「アイーナ」では,県立図書館や運転免許センター,県民活動交流センター,パスポートセンター,県立大学のサテライト教室,大ホールなど,大規模で主要な規模の施設を一つの大きなビルに入れていて,規模の点では岩手県盛岡の方が上であると感じた.(2007,08)

No.7 かわまたシルクピア(川俣町)

川俣町は福島市から国道114号線で東南方面へ約22kmいったところにある町で,阿武隈高地の北部に位置する丘陵地帯である.古くから「絹の里」として栄えてきたところで,養蚕業や糸紡ぎ,機織りの技術は平安時代から伝えられているとされている.そんな川俣町の絹織物産業を展示する施設が,国道114号線沿いの「道の駅川俣」に併設されている「かわまたシルクピア」である.施設は3つの建物からなっており,絹織物産業についての文献や常設・企画展示展を行っている「おりもの展示館」,機織りや染色が実際に体験できる「からりこ館」,そして川俣町の物産を販売している「かわまた銘品館シルクピア」となっている.展示資料館は入館料150円とられるが,物産館(銘品館)は無料で入ることができ,桑の葉のソフトクリームや,特産品である川俣シャモ,絹製品などを販売している.実際展示してある絹製品を触ってみると,肌触りが全然違い,ポリエステルなどの生地と比較する展示もあって,いかに絹が肌触りがいいかを実感することもできる.(2007,07)

No.6 福島市内100円バス運行

これも市政施行100周年事業の記念イベントの1つとして行われたものである.2007年7月1日(日)に限り,福島市内を発着する路線バスは,どの区間まで乗っても1回100円で乗れるというもので,高速バスと自治体バスを除いた福島市内を発着する路線バス(福島交通・JRバス東北)が対象となっており,福島市を発着している路線であれば,福島市外まで乗車しても100円で乗車できるようになっている.せっかくの機会なので,川俣町の道の駅にある「かわまたシルクピア」に路線バスで行ってみた.
福島駅から川俣まではJRバス東北がバスを運行している.かつては川俣まで松川駅から国鉄川俣線が走っていたが1972(昭和47)年に廃止,その後の代替交通機関として松川・川俣間をJRバス(当時は国鉄バス)が運行していたが,これも今はJRバスが撤退し,自治体バスとして別会社が運行している.そんな関係からか,川俣地区はJRバスが走っている地域なのであるが,福島駅から川俣までのJRバスは,かつては浪江駅まで運行されていた福浪線の一部で,2004(平成16)年4月に問屋前・浪江駅間が廃止され,短縮した現在の形で運行されているものである.そんなJRバスに揺られ,川俣まで往復してきた.下車するときに,路線バスに関するアンケートハガキを運転手さんからもらった.
地方都市で公共交通に人を乗せるためには,現在のバス運賃では高すぎる.家族全員で休日にバスなどを利用して中心部まで買い物にいくとなると,その交通費がバカにならなくなり,駐車場代とガソリン代を払って自家用車で行った方がよくなってしまうのである.根本的に,自動車をやめて公共交通への利用促進を図るのであれば,公共交通を利用した方が経済的に安くなるようにしなければ利用者は増えるはずもなく,土日には今回のような「どこまで乗っても1回100円」,「大人最高運賃200円まで」,「大人半額」,「バスを利用したら購入製品の配送費用は半額」などといった思い切った施策をやらないと,バス利用への転換は図れない.環境負荷への低減も図れるのであるから,公共交通への補助制度をもっと導入してもよいように感じる.ちなみに,100円循環バスはすでに福島市内で導入されている.(2007,07)

No.5 ふるさと100周年・祝賀山車フェスティバル

今年(2007年)の福島市は,市制施行100周年の記念行事が目白押しである.2007年6月30日の夜に,市内全域からの山車を中心部に集結して練り歩く「祝賀山車フェスティバル」が開催された.福島市政施行100周年記念事業のひとつで,合計38台の山車(だし)が集結した.山車とは祭礼の時に飾り物をして引き出す車のことで,もともとは「出し物」の意で,神の依代として突き出した飾りに由来するのだという.国道13号線を全面的に通行止めにして祭りが行われ,市内各町内の山車が国道13号線に集結して,大きなかけ声と太鼓の囃子とともに練り歩く様子は,大いに盛り上がるものであった.
各町内の山車は色々な形,そしてお囃子のリズムがあって面白い.街路樹の樹木に当たらないように,山車の先端の部分をいちいち折りたたむのは,見ていて大変そうであった.山車の提灯の灯りも,発電機を積んで電球にしているものや,本物のロウソクを灯しているものなどあって,ロウソクを灯しているものは,ゆらゆらと光りが揺れるので風情が感じられるものである.旧長崎屋前の交差点では,最後に飯坂温泉の3台の山車による飯坂ケンカ祭り(岸和田のだんじり祭りとともに日本三大ケンカ祭りのひとつとされており,毎年10月第1土曜日に開催されている)のぶつかり合いも再現され,迫力ある山車の押し合いが見られた(でも,本物のケンカ祭りの時の方が,もっと山車がぶつかり合って盛り上がりは大きいと思われる.今回のはセレモニーである).
まだ梅雨が開けていないが,これからやってくる暑い夏に向けて,夏祭りの前夜祭的な感じがするイベントであった.余談だが,福島の夏は相当暑いと聞いているので覚悟をしているが・・・.祭りの模様はこちらへ.(2007,07)

No.4 仙台が近い(仙台行きの高速バス)

1日47往復,15分~20分おきに出ているのが仙台行きの高速バスである.片道900円であるが,10枚綴り回数券を使うと片道750円,往復1500円(2枚綴り回数券では往復1600円)で仙台まで行けてしまうのである.時間は約70分.週末になると買い物客で高速バスはほぼ満席,補助椅子を利用することもしばしばあって,平日でもビジネス利用客がおり,利用客が多い高速バスである.こうなってくると,福島市はすでに仙台圏内といった感じで,仙台に行く方がなにかと便利な地域である.仙台空港も,仙台駅から福島寄りの場所(名取市)にあり,近年の空港アクセス鉄道の開通もあって,福島空港を利用するよりも,仙台空港を利用した方が便利なくらいである.
これだけ仙台へのアクセスがよくなると,打撃を受けるのは福島市内の商店街である.ご多分に漏れず,福島市でも駅前などの中心市街地の衰退は激しく,屋台村を設置したり,イベントや祭りをまちなかで開催したりと,中心街へいかに足を運んでいただくかといった視点での取り組みがされている.花見山のシーズンには,まちなかでのイベントも開催して,駅からのシャトルバスの案内放送でPRしたりといった努力もしている.でも,品揃えの豊富さや欲しい商品が手に入るといった仙台の持っている魅力は,大きなものがある.なるべく,日用品など福島で手に入るものは,福島で購入するように心がけている.(2007,07)

No.3 アンナガーデン(聖アンナ教会)

国道115号線を土湯方面に走らせていき,ちょっと道を左に曲がって門をくぐると,小さなショップが建ち並ぶ夢のような空間が現れる.聖アンナ教会を中心として個性的なお店が並んでいるスポットが「アンナガーデン」である.吾妻連峰の山麓に位置しているので,緑が豊かであり,園内は坂を巧みに利用して個性的な建物が色々と建ち並んでおり,アイスクリーム屋,雑貨屋,パン屋,みちのく福島路ビール,英国アンティーク家具の店,うつわの店,喫茶店,駄菓子屋,ピザ屋,ソバ屋など,ぐるっと歩いていると結構面白い.
聖アンナ教会は,英国ブリストル聖ミカエル教会の格式を受け継いでいる教会で,伝統的な英国スタイルをそのまま復元した建築で,ステンドグラスは聖ミカエル教会からそのまま移設したものだとか.森の中のガーデンウエディングとして,結婚式も行うことができる.また,ここは高台に位置していることから,福島市内でも有数の夜景スポットである.家族連れ,カップルでどうぞ.営業時間は店によってまちまちであるが,大抵午後6時前後で閉店となっている.ちなみに,アンナガーデンの正門は午後9時で閉まる.入園料はなし.(2007,07)

No.2 福島県立図書館

住宅の広がる森合に県立図書館がある.正面に信夫山が迫る敷地内には,広々として開放的なスペースに建物が建っており,左側が県立美術館,右側が県立図書館となっている.1984年に現在の場所に移転しており,蔵書数は約70万冊である.県内で最も参考資料が充実している図書館であり,調べものがあったりするときには,県立図書館に足を運べば一通りの参考図書や様々な百科辞典を見ることができる.雑誌コーナーや分野ごとの一般図書も置かれており,一人10冊まで借りていくことも出来るし,県立図書館のホームページからは,蔵書図書の検索ができるようになっており,在庫があるか貸し出し中になっているか,さらに会員手続きをとれば貸し出し図書の予約までインターネットでできるようになっている.このように,資料館などの公共施設が充実しているのも県庁所在地の魅力であり,早速福島市に関連する地名辞典のコピーを行ってきたところである.
ちなみに,図書館と美術館の中間に喫茶&レストランがある.公共施設の店なので「それなり(1杯400円の天ぷらそば,500円のカレーライスなど・・・)の」メニューかと思いきや,ランチセットで1200円~1500円,ワンプレートランチで1000円程度といった本格的な料理を出す店であったので,味見は次回してみることにした.(2007,07)

No.1 ようこそ,花も「み」もある福島へ

福島市は今年,市政施行100周年を迎えている.「ようこそ,花もみもあるふくしまへ」は,福島駅の新幹線ホームやコンコースにピンクの垂れ幕が下がっているキャッチフレーズである.福島市は,1907(明治40)年4月1日に誕生した.県内では会津若松市に次いで2番目の市政施行であり,当時の人口は31,835人で面積は8.8km2であった.現在の福島市は,人口289,395人(H19.6.1現在),面積は746.4km2,市中心部には阿武隈川が悠々と流れ,信夫山(しのぶやま)がインパクトとしてそびえている.福島市を歩いてみてここ一週間程度の印象は,ファミリーが生活する場として非常に居心地のよい空間が広がっており,県庁所在地であるということもあってか,郡山のような殺伐とした商業地の都会というよりは,ゆとりのある落ち着いた住み心地のよい地域である印象を持った.これから,福島の見聞録をシリーズで掲載します.お楽しみに・・・.(2007,06)

(このページは2007年に掲載したものです)

成城コルティ(成城学園前駅ビル)【東京考察#249】

The Seijo CORTY (The Seijougakuemmae station building)


成城コルティ(CORTY)

 


 成城コルティは,小田急線の成城学園前駅周辺の複々線化工事の地下化にあわせて完成した駅ビルで,2006(平成18年)9月にオープンした.成城といえば超高級住宅街.コルティとはイタリア語の中庭を意味するコルティーレの造語で,成城らしい豊かさの追求をコンセプトにし,自然の光や風・緑を積極的に取り入れた設計となっている.上品な雰囲気の漂う空間となっており,ただ歩いているだけでもなんだかお金持ちの気分になってくるから不思議である.かつては私鉄の小駅といった感じであった成城学園前駅も,コルティの完成によってがらっと様変わりした.

成城学園前駅
複々線化によって駅は地下化され,
北口と南口が同じ1階で結ばれるようになった.

中央口の改札をでると,そこが成城コルティとなる.
 
シルバーを基調とした建物となっている

光が降り注ぐ吹き抜けの空間

2階から1階改札口を望む
開放的で明るい空間となっている

1階には小田急OXストアやお菓子屋などが入る
 
4階はレストラン街となっている
 
4階には2つの屋上庭園がある
レストランからこの庭園が眺められる

1989(平成元)年撮影


成城学園前駅北口(2007年撮影)

1989(平成元)年撮影


成城学園前駅南口(2007年撮影)

南口には,箱根そば(通称「はこそば」)があった.
立ち食いそば屋で庶民の味方だった.
昔ロッテリアだったところ(左手)は,スタバに変わっていた.

 
最後にトイレ(4階)
高級ホテルのような雰囲気.
電動で洋式トイレのフタが開いたのには感動した!
さすが成城!