「■東京の情報」カテゴリーアーカイブ

BANCHAN WORLD の東京をテーマにしたカテゴリーです.

東京ミッドタウン(六本木) 【東京考察#225】

The Tokyo midtown


六本木の新たな名所
「東京ミッドタウン」
地図が古いので「防衛庁」のまま
ちなみに,西側の東京大学生産技術研究所は
今は「国立新美術館」となっている


 東京ミッドタウンは,六本木の旧防衛庁跡地(防衛庁は市ヶ谷に移転)で行われた再開発であり,2007年3月30日にグランドオープンした.現在,日本で行われている再開発の中で最大規模の事業となり,隣接する檜町公園を含めた敷地面積は10.1haにもなる.事業者は,三井不動産・全国共済農業協同組合連合会・明治安田生命・富国生命・積水ハウス・大同生命となっており,マスターアーキテクト(全体建築計画)にアメリカの総合建築設計事務所スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリルを起用している.
再開発のコンセプトは,世界中の人や企業が交流できる「職・住・遊・憩」が高度に融合された街づくりで,敷地内には完成によって都内で最も高いビルとなるミッドタウンタワー(高さ248m)を中心として5棟のビルが建設されて,オフィスあり,商業施設あり,ホテルあり,住宅あり,文化施設ありの,今流行の複合再開発となっている.
六本木駅を中心に,六本木ヒルズとは対角線上に位置しており,国立新美術館とのトライアングル回遊によって,六本木全体の相乗効果も期待できるものとなる.実は,地名上は六本木ではなく,赤坂9丁目に位置している.

地下鉄六本木駅と直結している
こちらもすごい人出であった

東京ミッドタウンも「和」を意識したインテリアとなっており,
天井は木目を使用したものとなっている.
 
天井に水が流れている
この水の流れによって,差し込んでくる陽の光が
ゆらゆらと幾何学的な色彩となって
面白い光りの演出となっている.夏は涼しそう.

上から見ると,このように涼しげな水の流れとなっている.

1階の「プラザ」へ通じる空間
竹を使用しているところが「和」となっている

「プラザ」には大型のビジョンがある

 
商業施設の入る「ガレリア」
4階吹き抜けの空間となっており,木目を基調とした色彩になっている.
木目調は,暖かい温もりを感じる色彩である.
 
この吹き抜けにも「竹」があった

英語クラスもある料理教室

白の空間となっている
「ビューティー&ヘルスケア」

サントリー美術館入口

さすが六本木.外貨両替の窓口があった
最近は,東京でもようやく外貨両替窓口を見かけるようになった

24時間オープンの「スーパーマーケット」
東急ストア系列である


レストランは大行列なので,
先ほどのスーパーで弁当を買って昼食を外で食べた.
 
外では,座って休むことができる

檜町公園
再開発前からあったこの公園は,
地元住民の参加によって整備案が決定した.
 
動きのある噴水があって面白い
子供が触ることもできる.
 
ガーデンテラスのレストランは人気が高いとか
メキシコ料理店では,生演奏のサービスがあるとか.
 
いろいろな角度からミッドタウン

ミッドタウンタワーは,都内で一番高い建物となるが,
展望台は設けられておらず,上からの眺めを楽しみたいときは,
上層階で営業しているホテル「ザ・リッツ・カールトン東京」を利用する.

何じゃこれ?

色々と面白い演出もあるのが,東京ミッドタウン!


浜離宮恩賜庭園 【東京考察#224】

The Hama-rikyu royal gift garden


中島の御茶屋と大泉水


 浜離宮庭園は,江戸城の出城としての機能を果たしていた徳川将軍家の庭園だったところで,明治になって皇室の離宮となり,昭和20(1945)年に東京都に下賜され現在に至っているものである.徳川時代には,鷹狩り場や鴨場が整備され,別邸を建てたりし,現在の姿の庭園になったのは,11代将軍の家斉の時だという.関東大震災や戦災によって大部分は損傷したが,その後の整備によって現在の姿になって公開がされている.近年は,汐留の再開発によって庭園近隣に超高層ビルが林立するようになり,公園からの景観が一変している.賛否両論あるようだが,自然の緑の背景に,このダイナミックな背景も面白いように感じる.周辺は,江戸時代には想像できなかった景観が広がっている.
 
浅草からやってくる「水上バス」で入園することもできる
アプローチが面白くてお奨めである.

横堀水門
浜離宮の池の特徴は,海水を引き入れた池となっていることにある.
潮の満ち引きによって水位が変わるが,その海水を引き入れる水門.

新樋の口山

東京湾側の海岸線
 
鴨場に設けられているのぞき穴
鴨場の池から小さな引掘り(写真右)が掘られており,
この土手の「のぞき穴」から覗きながら,
エサやアヒルで鴨を引き寄せて,すくい上げるという猟.

緑の中を歩くと,やっぱり心が安らぐ
都心にいるとなおさら強く感じる

「潮入の池」と「汐留シオサイト」の再開発
真ん中に見える建物は「中島の御茶屋」
このコントラストは,新たな都市景観として面白い.
潮入の池は,江戸の庭園では唯一現存する海水の池である.

御茶屋では抹茶セットを飲むことができる
お手前など堅苦しいことは不要.
とりあえず正座して,それなりの飲み方でOK.

お手伝い橋
総檜造りの橋で,平成9(1997)年に架け替えられたもの

馬場跡
馬を走らせる馬場の跡地

芝とビル
 
内堀
現在,潮が引いているときであり,
水位が下がり,どんどん水が外に流れていた

三百年の松
徳川6代将軍の家宣が植えた松

お花畑では菜の花やコスモスが咲き誇る

新橋駅からは大手門橋を渡り,大手門から入場する
入場料大人300円 9時から17時まで

谷中銀座 【東京考察#223】

Yanaka Ginza


休日には観光客で賑わう谷中銀座


 近年,下町情緒の残る街として脚光を浴びている「谷根千(やねせん)」である.谷根千とは,地名の谷中・根津・千駄木の頭文字をとって付けられたもので,昔の東京の面影を残す下町の路地裏に,小さな店や施設が点在しており,マップ片手にブラブラ歩くと新たな発見があったりして面白い.その谷根千の中にある商店街が「谷中ぎんざ」である.日暮里駅を降りて歩いていくと谷中銀座にたどり着くが,お寺,煎餅屋など,下町風情の香りが伝わってきて,谷中銀座では名物の谷中メンチを頬張って,ポカポカ陽気の下町をふらっと歩いてみるのもまた楽し.

JR日暮里駅
駅の西側は武蔵野台地となっていて,そこはもう谷中である

木陰で客待ちをする人力車

下町に必ずあるせんべい屋
もちろん1枚から買える.色々な種類のせんべいがある.

こちらは佃煮屋
大皿から量り売りする.
 
「経王寺」
慶応4(1868)年の新政府軍の攻撃を受けて,
この山門に今も銃弾痕が残っていることはあまり気づかれない.

ツツジが満開の延命院

だんだんと「谷中ぎんざ」が見えてきた

「夕やけだんだん」の階段を下りると,谷中ぎんざが広がる
ここから眺める夕焼けは絶景だという 命名は作家・森まゆみだとか

「夕やけだんだん」
谷中という地名は,台東区に位置するのであるが,
この階段は,荒川区西日暮里にある.
谷中銀座の中に区境があって,
行政区名上は荒川区西日暮里と台東区谷中が混在している.

飴(あめ)屋
 
狭い商店街,最近の谷根千ブームで人出が多い
カフェ有り,雑貨あり,肉屋あり・・・・
 
谷中名物のひとつに「谷中メンチ」がある
もともとはお肉屋さん.1個100円


「谷中ぎんざ」を抜けると「よみせ通り」となる

谷根千の魅力は,路地裏をブラブラ歩くことにある

福丸の10円まんじゅう

台東区循環バス「東西めぐりん号」も
人を避けながら路地裏を走っていく
いまはやりのコミュニティーバス

地下鉄千駄木駅に到着
(団子坂下交差点前)
明治時代は菊人形の名所だった.

東京国立博物館(上野) 【東京考察#222】

Tokyo National Museum


東京国立博物館


 東京国立博物館の歴史は古く,明治5(1872)年に文部省が湯島聖堂で最初の博覧会を開催したのが博物館としての始まりで,その後,明治15(1882)年に上野公園に移ってから,現在に至っているのが,東京国立博物館である.
展示館は,「本館」「東洋館」「平成館」「法隆寺宝物館」「表慶館」の5つに分かれており,全ての展示を見ようと思ったら,丸1日がかかるほど,ボリュームのある博物館である.国立博物館だけあって,常設展示されている本館の「日本ギャラリー」では,国宝や重要文化財などの展示品が紹介されており,日本文化を知る上では欠かすことのできない博物館である.彫刻,陶磁,刀剣など,日本に訪れた外国人観光客の方にとっても,興味深い展示である.
入場料金は大人600円と大変安いが,特別企画展などがあると料金は高くなる.時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)となっているが,特別展によっては金曜日は20時まで延長したり,土日は18時まで延長したりしており,夜までゆっくり鑑賞することも出来る.ちなみに,上野駅から歩いてくるよりも,実は鶯谷駅から歩いてきたほうが近い.しかし,鶯谷駅からは裏道を歩いてくる感じで,案内板などがないので,鶯谷駅から来る場合は地図などを見ながら歩いてくることをお奨めする.


入口正面にある「本館」
 現在の本館は,昭和13(1938)年に昭和天皇の即位を記念して開館したものである.渡辺仁設計で,コンクリート建築に瓦屋根をのせてた「帝冠洋式」の代表建築といわれており,平成13(2001)年に重要文化財に指定されている.この本館では,日本ギャラリーとして日本の美術,工芸,歴史資料などを展示しているが,企画展示室も設けられている.2007年ゴールデンウィークの時はレオナルド・ダ・ビンチの「受胎告知」が特別展示されていた.

本館内部 重厚な雰囲気である

本館から後ろの正面入口の先に広がる上野公園
 
人気のある企画展では行列ができる

日本ギャラリーでは兜も展示されている
撮影禁止マークが付いていなければ撮影OKである

本館から見える茶室

新しい「平成館」
平成館は,皇太子殿下のご成婚を記念して平成11(1999)年に開館したものである.1階は考古展示室,2階は特別展が開かれる展示室となっており,講堂なども備えている.

1階から2階へ向かうフロアー
こちらも重厚な感じに造られている

ラウンジにはドリンクコーナー(自販機)もある
京菓子の老舗・鶴屋吉信のあんみつを売っていた

エントランスから本館へ向かう通路


最も古い建物である「表慶館」
 東京国立博物館では最も古い建物で,大正天皇(当時は皇太子)のご成婚を記念して明治42(1909)年に開館したものである.日本における最初の本格的な美術館で,設計はJ.コンドルの弟子である片山東熊,中央と左右にドーム屋根があり,上部の外壁には製図用具や工具・楽器などのレリーフがある.昭和53(1978)年に重要文化財に指定されている.かつては通常の展示を行っていたが,改装が終わった2007年4月より教育普及活動を行う場所となっている.
 
中央ドームの内部
 
展示室 シンプルなシャンデリアがかえってよい


「法隆寺宝物館」
 かつては週1日だけの公開だったのであるが,平成11(1999)年に現在の新宝物館がオープンしたことにより,毎日公開されるようになった.法隆寺宝物館は,法隆寺献納宝物をまとめて保存展示する展示館として,昭和39(1964)年にオープンしたもので,お釈迦様などの像がずらりと並べてある.1階にレストランがある.


本館の右となりにある「東洋館」
 東洋館はアジアギャラリーとなっており,中国や朝鮮半島,東南アジア,インド,エジプトなど東洋の美術と考古物を展示するものとして昭和43(1968)年に開館した.ミイラなどが展示されている.内部は吹き抜けになっていて,半階ずつ上がっていく展示室になっているという.(夕刻になり時間がなくなってしまったので,内部には入らなかった)

東京国立博物館HPを参考に作成しています

新丸の内ビルディング 【東京考察#221】

The Shin-marunouchi building


オープンしたばかりの
新丸の内ビルディング

 


 2007年4月27日に,新しく生まれ変わった新丸ビルが誕生した.「新丸ビル」と頭に「新」がつくので,かつては「丸ビル」と呼ばれていた建物を新しく建て直したように思うかもしれないが,そうではなく,この場所にかつて建っていたビルも「新丸ノ内ビルヂング(昭和27年竣工)」と呼ばれていて,そのビルを新しく再開発したものが,この新丸の内ビルディングである.丸ビルは,新丸ビルの道路を隔てた南隣りに建っており,こちらは,一足早い2002年9月に再開発ビルとしてオープンしている.
もともと,この丸の内一帯は,明治時代に欧米のようなビジネスセンターを建設する構想を,軍用地の払い下げを受けた三菱財閥によって進めらたところで,旧丸ビルは大正12(1923)年に,旧新丸ビルは昭和27(1952)年に完成した.かつての丸の内地区では,高さや看板の規制により,統一したスカイラインのある景観に優れたビジネス街が形成されていたが,規制緩和によって高層ビルが建てられるようになり,建物の老朽化もあって,このような新しい再開発が次々と行われているのが,今の丸の内地区である.
新丸の内ビルディング(三菱地所)は,地上38階,高さ198mで,かつての新丸ビルの高さである31m以下の低層部の商業ゾーンと,高層部のオフィスゾーンに分かれている.新丸ビルでは,丸ビルのように最上階部への商業施設は設けていない.商業施設は,30代から40代の大人をターゲットにしているとのことで,インテリアも落ち着いていて,大人の雰囲気を演出する空間となっている.なお,丸ビルも新丸ビルも,商業施設のオープン時間は午前11時からなので,お間違いなく.
 
地下道(地下鉄の駅)から直結している
 
1階のエントランス

電球色の柔らかい照明が空間を暖かくさせている
木目を使用するのが,最近のインテリアの流行のようである

こちらも地下1階の飲食店街
 
壁に掛けられているスタンド照明がいい

このように床も木の素材が使われていて,
木の温もりと照明の電球食によって,和やかな雰囲気となっている

各フロアーにはソファーが設けられている
疲れたら足を休ませることができる
 
上階のレストラン街
明るい光りが入ってくる

店舗の窓からは,隣のオフィスビルが見える

アフタヌーン・ティー・ルームからは
皇居の緑を眺めることができる
 
2階フロアーからは
東京駅の赤煉瓦駅舎を眺めることができる
3階建てへの復元工事が行われる

その景色の拡大版
背後に見えるビルは八重洲口の再開発ビルで
東京駅周辺は超高層ビルの開発ラッシュである

2階から1階へ下るエスカレータより撮影
アーチの空間と照明がレトロな感じでいい

1階入口側から見たフロアー

この低層部の建物の高さが,
かつての新丸ビルの高さである31mとなっている
つまり,昔の高さ規制の限界値
商業施設は,この低層部に入っている

昔の東京駅丸の内口は,休日にこれだけの人出はなかった

赤羽台団地(その2) 取り壊される団地群 【東京考察#220】

The Akabanedai housing complex part.2


取り壊される21号棟

 


 赤羽台団地(その2)では,赤羽台団地の建て替え事業によって,間もなく取り壊される建物群と,新しく生まれ変わったヌーヴェル赤羽台の建物を紹介する.2部構成で作成しており,(その1)では現在も入居されている建物群をお送りしている.
昭和の高度経済成長の象徴のような赤羽台団地も,老朽化によって建て替え事業が行われており,順次取り壊しが進んでいる.既に,赤羽台西小学校側にあった27~32号棟は取り壊されて真新しい賃貸住宅が建っている.16~26号棟も既に入居者の退去が済んでおり,人々のいなくなって鼓動が止まってしまった団地群が,取り壊される日をひっそりと待ち偲んでいる.昭和の一コマがまたひとつ消えてしまうようで,ちょっと寂しい感じもする.
 
団地の案内図
左が昔ながらの手書きの案内図で味があって渋い.


16~26号棟は,赤羽台団地建替事業(第Ⅰ期2ブロック)が着工されるため
平成19年1月より仮囲いによって通行止めとなった.
平成22年3月までの予定.
 
非常にインパクトのあった21号棟
他の住棟とは直交に配置されているため,
プライバシーを保つために廊下の壁を高く設置しているという.
右の写真を見てみると,確かに外からは見えにくい廊下である.
 
21号棟は既に入居者が退去し,
あとは取り壊される日を,ただ静かに待ち偲んでいる
 
入口が閉鎖されている25号棟
階段が横向きである
ダストシュートもある

正面は21号棟
右は25号棟

26号棟も空っぽである

手前から順に,24・23・22号棟
24号棟は,側面にベランダがついており,
23号棟は,側面に焼却炉がついており,
22号棟は,側面になにもついていない.
これを見ても,様々な設計の建物が建てられていることがわかる

16号棟 関係者以外立ち入り禁止

仮囲いで隔離された22号棟

 
かつての27~32号棟だったところで行われた
第Ⅰ期1ブロックの建替事業で建て変わった賃貸住宅
モダンなデザインの住宅である.(ヌーヴェル赤羽台)

入口はオートロックセキュリティー

「ヌーヴェル赤羽台」のモデルルーム
賃貸住宅であり,月額169,400円からだとか・・・・・。

団地内にある「あかいとり幼稚園」

桜が満開であった.
参考文献:「僕たちの大好きな団地」,洋泉社,平成19(2007)年4月

赤羽台団地(その1) 区内初の大規模団地開発 【東京考察#219】

The Akabanedai housing complex part.1


赤羽台団地

 


 知る人ぞ知る「赤羽台団地」である.
赤羽台団地は,旧陸軍被服本廠跡地であり国有地だったところを,当時の日本住宅公団(現在:独立行政法人都市再生機構)が団地開発したもので,1963(昭和38)に完成した.全戸数は3373戸,東京23区内で初めての大規模団地として知られ,単身者から4LDKファミリータイプまで幅広いユーザーをターゲットにしており,団地設計も当時としては様々な新しい試みを取り入れていることから,団地開発のモデルとして色々な形の団地や,住棟・公園の配置設計を見ることができて興味深い.
公団の団地は,洋式のダイニングキッチンや洋式トイレなどを備えたモダンな住宅で,当時は憧れの住まいであり,入居当初の倍率は高かったようである.賃貸住宅の家賃は当時の大学卒初任給と同じ程度するもので,高額所得者の住む団地であった.
この昭和の高度経済成長の象徴のような赤羽台団地も,老朽化によって建て替え事業が行われており,順次取り壊しが進んでいる.既に,赤羽台西小学校側にあった27~32号棟は取り壊されて真新しい賃貸住宅が建っている.16~26号棟も既に入居者の退去が済んでおり,人々のいなくなって鼓動が止まってしまった団地群が,取り壊される日をひっそりと待ち偲んでいる.昭和の一コマがまたひとつ消えてしまうようで,ちょっと寂しい感じもする.
写真の掲載量が多いので,2部構成でお送りする.(その1)では現在居住者のいる建物群を,(その2)では取り壊される建物群と新しく出来上がった建物を紹介する.
 
まずは,団地の案内図
左が昔ながらの手書きの案内図で味があって渋い.
下は新しいもの.(クリックすると拡大)

JR赤羽駅から歩いてくると赤羽台トンネルが見えてくる
その上に広がっているのが赤羽台団地.
トンネル脇に団地へ向かう階段がある.
シンボル的存在のスターハウス49号棟がお出迎え

これが「スターハウス」49号棟
団地の配置計画を行うときにポイントとなる場所に建てる住棟のことをポイントハウスと呼んでいるが,スターハウスは,そのポイントハウスの一種で,1フロアー3戸のY字型をしている建物である.非効率な形状をしており,近年はほとんど建てられなくなったが,公営の集合住宅の歴史を語る上で,スターハウスは外せない存在である.赤羽台団地では,駅から団地にかけて存在する崖線の頂上に,8棟のスターハウスを建てており,高台にスターハウスを並べることによって景観上のアクセントとしている.
 
左:裏側から見たスターハウス
右:8棟連続で並ぶスターハウス

緑地と6・8号棟
この公園(緑地)の下に赤羽台トンネルの道路が走っている
赤羽台トンネルは,団地を分断する都市計画道路をどうするかで議論が続き
最終的には現在のトンネルの形で決着がついた経緯がある.
 
14・15号棟
5階建ての住棟である
階段の向きが横向きになっている

4・6号棟
こちらの階段の向きは,よく見かける縦向きである.
 
50号棟の1階にある「赤羽台団地商店街」
赤羽駅前のイトーヨーカドーなどに押され気味の感が否めない
 
50号棟の廊下は,片廊下式であるが,室内式となっている
冬は暖かくて良さそうである

50~53号棟は,□型に囲まれていて,中心に公園を配している
写真は,エレベータ棟を境にして左が53・右が52号棟.
1階に診療所や郵便局がある.
左側の53号棟は単身者用の住宅で,トイレと風呂は共同だとか.

53号棟の脇の階段は,天気がいいと洗濯物や布団を干している
これを見ると,生活感があって「団地にきたな」と感じる.

20号棟1階部分
玄関まではちょっとしたアプローチがあって,
ガーデニングを楽しむこともできる
 
スキップフロアー形式の33号棟
廊下があるのは3階と6階のみで,
「33」と書かれた部分の出っ張っているところに6階の廊下がある.
例えば,5階に行くためには,一度6階まで上がって,
6階の廊下を歩いて,各戸に付けられている5階へ降りる階段を使う

40号棟の脇にある黄色い注意信号機
サイズが小さくてレトロチックである
 
住棟と住棟の間には,公園が配されている
参考文献:「僕たちの大好きな団地」,洋泉社,平成19(2007)年4月

朝ラッシュ時の駅・ホーム 【東京考察#218】

The station at the time of Rush in the morning

朝の山手線(上野駅)


 東京にいて嫌なことのひとつに朝の通勤ラッシュ地獄がある.1日に与えられている時間は限られており,ラッシュによってその時間とエネルギーを奪われるのは,なんだかとても無駄なことだといつも感じてしまう.ラッシュは実際に体験してみないと,そのすごさは分からないのであるが,上野駅の山手線・京浜東北線の南方面行きの様子を撮影した.JR山手線でラッシュを体験したいのであれば,朝7時45分から8時30分頃の時間で,上野から御徒町までにかけて,代々木から原宿にかけてなどが,混雑度の高い区間として有名である.
近年は,フレックスタイムによる始業時刻の遅れや,鉄道整備などによって,混雑率は徐々に下がってきているが,それでも座って通勤などといった状況には程遠い.(なお,このページの写真は全て2004年7月に撮影したものである.作成しようと思っていたら忘れていて,過去の写真データを見ていたら出てきたので,思い出して改めて作成した)

上野駅では,終点となる宇都宮線や高崎線からの
乗換客であふれかえる

電車が到着すると階段に人が殺到する.
山手線や京浜東北線の電車が遅れているときは
ホームに人が溢れるので,危険防止のため入場規制が行われる

この区間の混雑率はおよそ200%とか
それでも今日は,山手線が遅れていないので,
ホームはすいているほうである.
電車が到着する直前は,3列に整然と並んだ人で溢れている

車内がいっぱいでも乗り込まなければならないときは,
前を向いて,手をドアの上に掛け,おしりをグイグイ押し入れて乗り込む.
このときカバンがドアに挟まれないよう注意が必要


ラッシュ時は駅員総出で対応(人を押し込んでドアを閉める)する
各ドアに一人ずつつかないと,ドアが閉まらない箇所もある
くどいようだが,乗り込むときにはドアに向かって前向きに.これポイント.

冬になるとコートなどを着込むので,
より車内は混雑する.俗に言う「着ぶくれラッシュ」


車内の奥に入りたいときは1台見送る

車内に入ったときのポイントは,
なるべく椅子の並んでいる奥に入ってしまった方が楽.
逆につり革のないドア前の中間部がいちばん辛い.

ラッシュ時は電車の運転間隔が密なので,
急に信号が変わって,速度制限のブレーキが自動制御でかかるときがあり,
将棋倒しが起こりやすい.加速しているのに突然ブレーキに転ずるのである.
こうなったら抵抗せずに力の動きに身を任せて,ドタドタと隣の人に寄りかかるしかない.
そして,足で踏ん張るか,つり革・棒などにつかまって,少しは慣性力を抑えることに努める.
これをしないと,本当にみんな倒れてしまう.
この急ブレーキはなんとかならないものかと,
通学で乗っていたときはいつも思った.


江古田界隈(練馬区)【東京考察#217】

Ekoda St. neighborhood


江古田駅と言えば黄色い西武線


 江古田に住んでいる人は,「江古田っていいところだよ~」とよく言う.住んでみると居心地のいい何かがあるようである.池袋から西武線で3駅目,都心に近いけれども,下町的な雰囲気の残る地域である.江古田駅周辺には,日本大学の芸術学部,武蔵野音楽大学,武蔵大学などがあり,学生街としても知られている.駅に降り立つと,人とすれ違うのがやっとといった路地裏が広がっていて,そこに商店街が形成されている.昔から営んでいるお店も存在し,その下町的なヒューマンスケールの雰囲気が,住む人々をホッとさせているような気がした.
ちなみに,江古田駅は「えこだ」と読むが地名としては存在していない.ちょっと南に離れた中野区には江古田と書いて「えごた」と読む地名があるが,この江古田(えこだ)駅からは少し離れている.「えこだ」と「えごた」は,厳密に言うと別の区域のことを指しているが,目白通りの下に走っている地下鉄大江戸線はその南側に広がる中野区の江古田(えごた)に合わせて,新江古田(しんえごた)駅という名称になっている.今回は江古田(えこだ)駅周辺を紹介する.

江古田駅南口 駅前に商店街が広がる

居酒屋,本屋,飲食店などが,路地裏に密集している

大衆割烹.なんかそそられる雰囲気.

昭和33年創業の江古田で一番古い喫茶店
昭和の香りが漂っている

江古田銀座


日大芸術学部や武蔵野音大のある北口
私鉄の小さな駅といった雰囲気が満点

駅北口から日大へ続く日大通り商店街

日大前にある果物屋のシャッター
シャッターのデザインも芸術的?
 
日本大学藝術学部(江古田キャンパス) 昭和14年開校
2010(平成22)年を目指して改築工事を行っている
 
昭和の香りが漂う「江古田コンパ」
ネーミングもいい.カクテルなどが飲めるバーのようである.
 
じいじとばあばが作っているおにぎり屋
暖かい感じのおにぎり屋である
 
「江古田いちば」 生鮮食料品が中心となる市場
アメ横のような雰囲気で,下町情緒満点である.
1915(大正4)年の武蔵野鉄道(現西武鉄道)の駅開業により開設

武蔵野音楽大学 昭和4年開校
敷地内に楽器博物館があるが,平日しか開館していない.

江古田には,小演劇の出来るスタジオや
音楽練習のできるスタジオが多く存在している

一歩それると住宅やアパートが広がる

踏切から見た西武線江古田駅

無料巡回バス(運賃地域企業負担のバス) 丸の内・日本橋・お台場【東京考察#216】

The free round route bus


バス停

 


 新しい形態のバスとして注目されるのが,この無料巡回バスである.現在,走っているのは東京駅周辺の「丸の内地区(丸の内シャトル)」と「日本橋・京橋地区(メトロリンク日本橋)」,そして観光スポットとしても脚光を浴びている「お台場地区(東京ベイシャトル)」である.運行はオープンスカイバスを走らせている日の丸リムジンで,いずれの路線も10~20分間隔,20時頃まで運行されている.
なんといっても特筆されることは,誰が乗っても「無料」ということで,このバスの運行費用は,運行路線近辺にある地元企業が協賛しているのである.そのため,バスの車内には協賛企業のCMが流され,パンフレット類が置いてある.無料だと逆に何かあるんじゃぁないかと尻込みしてしまうが,押し売りや強制的な入会勧誘などは一切なく,普通の路線バスと同じように乗車できるので,誰でも安心して乗車できる.
バスはニュージーランド製のハイブリッドバスを導入しており,段差のない低床式でもあるため,非常に乗り降りも楽である.料金をとらないために路線バスとしての位置づけができないことから,バス停が道路に設置できない,駅前ターミナルに乗り入れできないなどといった制約がある.そこで,バス停は協賛企業の敷地内に設置し,駅の近くに協賛企業のバス停名等で停留所を設置したりしている.
東京駅から日本橋や京橋まで行きたいとき,また丸の内・大手町の皇居周辺まで行きたいとき,歩くと遠いお台場を周遊したいときなどは,この無料バスは重宝する.

環境にやさしいバスを導入している
 
バス停は,このように協賛企業の敷地内に置かれている
ちょっと目立たないので,バス停を探すときは建物の側を探すようにする

 

地下鉄銀座線【東京考察#215】

The Ginza Subway Line

地下鉄銀座線

路線図


 地下鉄銀座線は,日本で最初に開通した地下鉄である.1927(昭和2)年に浅草・上野間で開通し,現在のように浅草・渋谷間が全線開通したのは,1939(昭和14)年であった.当初は,東京地下鉄道が浅草・新橋間を運行し,新橋・渋谷間は東京高速鉄道(現東急の前身)によって運行されており,別会社によって相互乗り入れがされている形態だった.その後,1941(昭和16)年に営団地下鉄に統合されて,現在は営団地下鉄の民営化(2004年)により東京メトロとして運行されている.
地下深く走る新しい路線と違って,歴史の古い銀座線は地下の浅いところを走っているため,地上との乗り降りが非常に楽で,ちょっとした距離でも銀座線ならば乗ってもいいなと思える路線である.朝ラッシュ時は2分間隔,日中でも3分間隔の運行をしており,利用客が非常に多く,車両が小さい(つまりトンネルの断面が小さい)こともあって,いつ乗っても混雑していると感じる.
現在は走っていないが,昔の銀座線の車両(全部オレンジ色の電車)に乗ったとき,駅に着く手前で「ピカッ」と車内の電気が消えて,壁にある小さな非常灯のランプ(ガラスの形がオシャレで,なんかレトロムードのあるランプだった)が一瞬「ぴかっ」と光る現象がおきていた.前の車両から順々に後ろに移っていくので,子供のとき「そろそろくるぞ!」と銀座線にのるといつもワクワクしたものである.特に終点の浅草駅に着くときは線路を渡るためにポイントを通るので,長い時間車内が真っ暗になり,特に面白かった思い出がある.蓄電池を積んだ新型車両への置き換えにより,1993年にこの現象は見られなくなった.なぜ,電気が消えるのかというと,銀座線は電気を線路脇の第3軌条と呼ばれるレールからとっており,ホームへ着く前にはそれが右から左へ移るので,その切り替え時に電気が一瞬消えていたのであった.
もうひとつ,銀座線には昔の車両の思い出があり,その電気が消える時代,どういうわけか全6両のうちの4両目あたりの1両だけは,ドアが片側へ開く1枚扉で,鋲(リベット)が車体に打ち込まれている昭和初期を思わせるようなレトロチックな車両がつながれていた.なんか,銀座線だけはちょっと違うな,と思わせてくれるものだった.

銀座線は浅いところを走っている.
エスカレータにのったらすぐにホームで乗りやすい
 
銀座線の名がついた「銀座」駅.後ろは銀座4丁目交差点
この名がついたのは,丸ノ内線が開業する前年の1953(昭和28)年である

銀座駅は天井が低い.銀座線は全体的に狭く感じる造りである.

線路の脇にある第3軌条から電気をとる
これが切り替わるときに電気が消えていた

銀座線のカラーはオレンジ色
  
上野駅 鋼製の柱のリベットが渋い

上野駅には,電車が接近すると電車のマークが
右から順に光る接近表示板がある.結構古くからある.

稲荷町駅(2001年撮影)
開業当時(昭和2年)の駅入口が残っている
銀座線には,ホームの幅が狭い駅が多かった.これも開業当時の広さだったものである.また,神田駅や京橋駅なども,リベットの鋼製柱が残る古めかしいホームだったが,リフォームによって現在はきれいな空間に生まれ変わっている.しかし,化粧板を取っ払えば,昔ながらの構造物が見られるに違いない.

 

テーブルウェアフェスティバル(東京ドーム)【東京考察#214】

The tableware festival in Tokyo Dome


ドラマ「華麗なる一族」のテーブルウェア

 テーブルウェアフェスティバル2007は今年(2007年)で15回目を迎えた「暮らしを彩る器展」である.2007年は2月3日から12日まで東京ドームで開催されており,女性を中心とした入場客で場内は賑わっている.世界各国の華やかなテーブルウェア,洗練された華麗なる彩り,テーブルを飾る様々な食器や雑貨,各個人のコーディネートによるテーブルウェアコンテストなど,興味のある女性にとっては,じっくり見て回ると1日があっという間に過ぎ去って行くに違いない.今回は,テーブルウェアフェスティバルの様子と合わせて,「東京ドーム」をコンベンションホールとして利用している場合を紹介していきたい.

地下鉄後楽園駅側から見た東京ドーム
正面は反対側のJR水道橋駅側となる
1988(昭和63)年に日本初のドーム球場としてオープンした
設計:日建設計・竹中工務店/施工:竹中工務店
 
正面の22番ゲート ちょうどバックネット裏にあたる

中に入る前に荷物チェックがある

ドームには回転扉を通って中に入る
屋根は空気の圧力で支えており,
中の気圧は外の気圧よりも0.3%高い(ビルの1階と9階程度の差)という
中にはいると気圧差の関係でちょっとだけ耳が痛くなる
ただし人体に影響は全くなし


グラウンドの部分を使用して展示が行われる

会場(グランド)へはスタンドの通路を降りて入る
帰りは登らなければならないのでちょっとしんどい
 
なかなかグランドに入る機会はないので
このような視点でドームを歩いているのが不思議
 
ロイヤルコペンハーゲンの食器
毎年創られるイヤーズプレート(テーマ皿)が年代順に全て並べてある

9割は女性客
ただ,デザインなどの感性に触れられるという点では
男女を問わず楽しめる展示である

黒と白を基調にしたテーブルウェア
館内は撮影自由である(ただし三脚等の使用は禁止)
 
会津塗などの漆器や有田焼などの陶器も展示してある
「和」の文化も大切である
 
人工芝は取り払われ,樹脂製のタイルマットが敷かれている
 
各ブースでは世界各国・全国各地の食器や雑貨を展示販売していて
購入することができる.これを見るだけでも時間は過ぎ去る
【テーブルウェア大賞ノミネート作品】
人気の展示コーナーとして,テーブルウェア大賞の出品作品のブースがある
出品者がそれぞれのテーマでコーディネートした作品が並べられ,
食器やテーブルクロスのバランス・色合いなど,結構面白い.
    

ベンチは宅配便の受付場所に

バックネットの部分

ベンチから出入りするところ
よく選手の歩いている映像が映し出されるところ

半日で回りきれなかったときは,
弁当を買ってスタンドのベンチで食べることができる

東京大神宮(恋愛成就祈願)【東京考察#213】

The Tokyo Grand Shrine (The love prosecution prayer)


東京大神宮


 東京大神宮は,東京における伊勢神宮の遥拝殿として明治13年に創建されたものである.もともとは,日比谷に存在(日比谷大神宮)していたが,関東大震災後の昭和3年に現在の飯田橋に移転(飯田橋大神宮)して,戦後は「東京大神宮」と称するようになった神社である.結びの働きを司る「造化の三神」が祀られていることから、最近は若いカップルなどに「縁結びの神様」として知られるようになり,恋愛を成就させたいカップルが数多く見受けられている.
また,東京大神宮は日本で最初の神前結婚式を執り行ったところとしても有名で,現在でも伝統的な神前結婚式を挙げることができる.結婚式・披露宴などを行う「マツヤサロン」も併設されている.

本殿
 
恋愛成就を祈願した絵馬が数多く納められている
「○○と結婚できますように・・・」などといった具合に

それほど広い境内ではない
本殿から入口の門を眺めたところ

飯田橋駅から徒歩5分程度
ちょっと分かりづらいところにある
このように緑の繁みが見えたら神社である

十条銀座商店街(北区)【東京考察#212】

Jujo Ginza shopping district (Kita-Ward)


十条銀座


 十条銀座商店街は,荏原銀座(品川区)と砂町銀座(江東区)と並ぶ東京三大銀座のひとつと言われる商店街である.十条駅西口の北に広がる十条銀座商店街は昭和13年に組合が発足し,昭和52年に全覆式のアーケードが完成,平成10年にリニューアルされ,多くの人々で賑わっている.何といっても,「安い」ことが魅力であり,ブラブラ歩いていても財布に優しい買い物ができる.商店街に存在する店の種類を列挙してみる.美容室・理髪店・日用雑貨・飲食店・菓子・パン・食料品・酒たばこ・茶のり・化粧品・クスリ・靴履物かばん・時計メガネ宝飾・玩具スポーツ用品・医療・呉服・紳士服・洋装洋品子供服・家電家具・寝具・文具・書籍・パチンコ・ゲーム・携帯電話・不動産・金融機関・キャッシュローン・・・・・これらの店が一本の道に凝縮しているのが銀座商店街なのである.十条駅周辺には,アーケードのある十条銀座商店街の他にも,十条中央商店街(演芸場通り)や十条富士見銀座商店街,十条仲通り商店街などの商店街も並んでおり,これらの商店街がくっついて一大商店街を形成しているのである.十条銀座商店街は,さらに細かく,駅前・本通1区・本通2区・本通3区・東通り・西通り・フジサンロードに分割されている.

十条駅から広がる十条銀座商店街
アーケードで覆われている
 
アーケードからは太陽の光も入るので,
日中は明るいし,雨に当たる心配もない
 
魚屋や八百屋など,食料品も1つ1つの店で買う
大型スーパーが無い時代は,これが普通だった

このセーターは399円.

バーゲンなどをしていると人が集まる

富士見中学校・十条中学校 体育衣料指定店
学校の体操着や帽子などは,近隣の商店街に指定店があってそこで買う.

「もったいない。」捨てる前にご相談ください。
リサイクルセンターの店
 
総菜屋も数多くあるので,夕飯のおかずも心配ない

懐かしい! ジャボニカ学習帳!

甘味処「だるまや」 団子や豆大福が美味しい
お菓子も販売している
 
10円小饅寿(こまんじゅ)
1個10円の饅頭を売っており,1パック10個から販売している.
パック代として10円かかり,紙箱になると別に箱代がかかる.
それでもこの値段は安い! いつも行列ができている.
  
帝京大学医学部病院方面に向かう仲通り商店街
冬に「おでん」は合う
 
十条銀座を環七方面にいくと富士見銀座となる

昔はこのような街の電気屋さんがあって
取り付けや修理などをお願いできて便利だった
最近は,専ら大型量販店である.
 
十条中央商店街と十条銀座の境には,埼京線の踏切がある

ドラマのロケが行われていた

十条駅東側に広がる演芸場通り(十条中央商店街)
住宅密集地である

篠原演芸場
昭和26年にオープンした大衆演劇の劇場
東京で最も古い大衆演劇劇場

夜のカレッタ汐留(電通本社ビル)【東京考察#211】

Karetta Shiodome at night (Dentsu headquarters building)


夜の電通本社ビル
地図が古いのでまだ白紙です


 旧国鉄の貨物ターミナル跡地である汐留の再開発(汐留シオサイト)のうちの1つの再開発ビルが「カレッタ汐留」である.カレッタ汐留には,電通東京本社ビルの高層ビルが建っており,低層階の商業スペースとともに,最上階には東京湾のお台場やレインボーブリッジ,東京タワーなどが一望できるレストラン街が造られている.この最上階レストラン街に一度行ってみたいと思いつづけて早3年,年末にやっと実現した.「電通」は世界でも最大の売り上げ規模を誇る広告代理店であり,サッカーワールドカップなど各種イベントの企画・運営などを行っている.
時代を先取りする広告代理店という性格からか,この高層ビルも含めたカレッタ汐留の再開発の空間は,非常に興味深いものである.館内には,いたるところにそれぞれ個性のある椅子が置いてあったり,吹き抜けでゆったりと流れる滝(というか水のモニュメントといった静かな感じである)があったり,ビル中央に見える高速エレベーター群がガラス張りで配されていたり,と演出がとても面白い.そんな夜のカレッタ汐留の様子をお送りします.

汐留には,新橋駅の「ゆりかもめ」乗り場の
コンコースを歩いていくと行きやすい
<<チェアー ライブラリー>>
いろいろな椅子を撮ってみた.
  
  
  

最上階(47階)にある椅子.ペアで並べてある.
お台場の夜景を眺めながら,カップルで未来の愛を語ることが出来る.
ここに来れば,彼氏&彼女もイチコロだ.
(書いていて恥ずかしい!)

47階へいくには,一旦46階で降りて,
別のエレベータか階段で登らなければならない.
46-47階が展望レストラン街となっていて,ここも空間構成が面白い.

46階エレベーターホール
雰囲気が伝わりますか? 気がつけば,すごい演出だとわかるんです,ここは.

正面に写っている扉がエレベータの扉で,それ以外はガラス張りになっており,
背景の東京の夜景がまるで宇宙のように見えるのである.
さらにすごいのは,エレベーターのカゴもほぼ全面ガラス張りなので,
エレベーターが到着して扉が開き,人が乗り降りしているときも,
ホールから見ていると,まるで宇宙船に乗るような感じで,
背景に夜景が瞬いて見えるのである.
なんともロマンチック!!

このエレベーターのスピードには逸話があって,
当初は世界最速のスピードであったが,
外が見える展望エレベーターなので
速すぎて怖いという意見がでてスピードが落とされたとか.
それでも,今乗ってもぐんぐん加速してスピードがあるなと感じる.
分速360m(時速約22km)でシースルーエレベーターでは日本最高速級.


外からエレベーターを見るとこんな感じ(昼)


47階のレストラン「ZIPANG
高級割烹「なだ万」系列の和食レストランである
レインボーブリッジから東京タワーまで一望できる
 
46階のダイニング&バー「ソラシオ
夜景(窓)に向かってペアで並んで座る席は人気(左写真の窓沿いと真ん中の白い布がテーブル)
写真は47階フロアー通路から吹き抜けの店内を眺めたところ(右写真)

夜のレストラン街は照明を落としているので
ムード満点である


近くにある,旧新橋停車場跡地のイルミネーション


築地本願寺【東京考察#210】

Tsukiji-hongan-ji (temple)


築地本願寺正門より


 築地にやってくると,これは何だろうと思わせる建築物である.これは,築地本願寺である.一般的にイメージしているお寺とは雰囲気を異にしているが,京都東山の本願寺(西本願寺)の別院として1617(元和3)年に当初は浅草横山町に建立されたものである.正式には「浄土真宗本願寺派本願寺築地別院」という.1657年の明暦の大火によって現在の築地に再建され,場外市場のあるところはかつて門前町となっていた.その後,関東大震災で焼失し,現在の建築物は1934(昭和9)年に古代インド仏教様式で再建されたものである.外観がインド洋式の外観,本堂内部は桃山様式を取り入れており,阿弥陀如来などが安置されているとともに,大きなパイプオルガンも設置されている.
築地市場に近いことから,外国人観光客の姿も散見される.市場の喧噪とはうってかわって,静かな境内を歩いていると非常に心地がよい.

門の中から,露出を変えてもう1枚撮影した

本堂へ向かう階段の左側

いつも見慣れている「お寺」といったイメージとは異なる
古代インド仏教様式
 
本堂への入口

本堂内にあるパイプオルガン
旧西ドイツのワルカー社製
毎月最終金曜日の12:20~12:50には
ランチタイムコンサートが無料で行われている

南門近くの第1伝道会館には喫茶店があるので,
築地市場を歩き疲れたら,静かな境内でちょっと休憩するのもよい

南門を出ると,目の前が場外市場である
 
場外市場はこのように大混雑の大喧噪である

秋葉原クロスフィールド【東京考察#209】

Akihabara Cross Field


秋葉原UDXの建物

 


 かつての神田青果市場(大田市場の完成によって移転)の跡地は,しばらくの間,だだっぴろい駐車場と広場となっていた.電気街の秋葉原に隣接するこの敷地に,これまで培われてきたIT産業等の集積を活かして,秋葉原には存在していなかった学術的なことも含めた産学連携機能,コンベンションホールなどの集客機能,情報ネットワーク機能,オフィス機能などを集積し,IT産業の拠点を目指して行われた再開発が「秋葉原クロスフィールド」である.2006年3月9日にグランドオープンした.
秋葉原クロスフィールドには,「秋葉原ダイビル」と「秋葉原UDX」の2つの高層ビルからなり,オフィスやコンベンションホール,飲食店街などが入っている.また,UDXの地下には秋葉原では最大級の約800台が収容できる24時間駐車場もオープンし,秋葉原らしくおさいふ携帯やETCシステムを使ったチケットレス,QRコードで駐車位置が確認できたりするシステムが導入されている.
パソコンの街に,新たな風を吹かせる再開発として注目されている.

秋葉原駅前からはエスカレーターと歩道橋で結ばれている
 
エスカレータを上がると,左手にダイビル,正面にUDXの建物が現れる
(左:ダイビル 右:UDX)

UDX2階の柱にあるLED?広告
面白いのは天井部分にも広告が流れているところ

AKIBA INFO.
無料で入ることができ,秋葉原の歴史などがパネルで展示されている

AKIBA_SQUARE (アキバ_スクエアー)
展示スペースとして利用できる.
施設名にアンダーバー_が入っているところが面白い

AKIBA_SQUARE で行われていたマレーシアフェア
 
レストラン街「ICHI」
「ICHI」とは青果市場のあったことから由来している
秋葉原にこういったレストラン街はなかった.

エスカレータ前にあった情報掲示板
DVD売れ筋ランキングが効果音とともに流れていた.
効果音があるところが,いかにもIT拠点的なインフォメーション.

UDX4階にある「東京アニメセンター」
日本アニメの最新情報を国内外に向けて配信する一大拠点だとか
IT関連施設だけではなく,ちゃんとアニメ関係も入っているところがすごい

1階にはスーパーマーケットも入っている
都心らしく店内は狭くて商品陳列の密度が高い

山手線・京浜東北線のホームから見たクロスフィールド
ホームからよく見える.

ショップ[ぶらっと!王子1丁目#2]

★ショップ・お店

不二家

2000年頃撮影

ペコちゃんで有名な不二家.いまはなくなった.

パン屋「MEIJIDO」

2000年頃撮影

王子でもおいしいと評判のパン屋.人気のパンは即売れ切れ.特にできたてのフランスパンは人気だとか.2階には喫茶があって,朝のモーニングセットでは,パン屋のクロワッサンなどチョイスすることができる.値段も安くお勧めのモーニングセットである.日曜は休み.

パン屋「リトルマーメイド」

2000年頃撮影

サンスクエア前にあるパン屋.日曜日もやっているので,気軽に買うことができる.

スーパー「ほりぶん」

この派手な外観,東武ストアと並んで,王子の2大スーパーである.昔からこの外観であるので,近隣住民も気にしていない.買った物を入れるビニール袋も黄色の半透明な袋なので,黄色へのこだわりはすごい.ラジカセから聞こえてくる,ガラガラ声のアナウンスも特徴的.
しかし,残念なことに2013(平成25)年5月に閉店となった.あの黄色い袋も見られなくなった.
(厳密にいうと,所在地は王子2丁目である.)

小石川植物園(白山)【東京考察#208】

Koishikawa Botanical Garden


入口


 都心にこれほどまでの「森」があったとは驚きである.
小石川植物園は,「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」というのが正式名称で,東大の付属機関なのである.もとは五代将軍の徳川綱吉の別邸だったところを,江戸幕府が小石川御薬園として薬になる植物を育てるようになったのがはじまりで,明治に入ってから東京帝国大学の付属施設となって植物学研究所として一般に公開されるようになったものである.日本最古の植物園であり,面積約16万m2,東京都指定の旧跡となっている.園内は,都内のコンクリートジャングルからは想像も出来ないほどの大きな樹木や木々の茂みがあって,また普段あまり見ることのできない植物が見られることから,さながら本物の植物図鑑を観察しているようである.都会の喧噪がいやになって緑が見たくなったときには,とても心が落ち着く場所である.

入場券(330円)は入口向かいの
昔ながらの「タバコ屋」で買うところが面白い.

園内はかなり広い.入口は一カ所(白山2丁目)しかない.
 
ソテツも見られる(左).
植物にはプレートで名前が記載されているので分かりやすい.

「ただの草」に見えてしまうが,当然ながら1つ1つに名前がある.

木漏れ日の中を・・・
 
日本庭園があって,そこから背後に広がる樹林の迫力は圧巻である.
 
日本庭園の隣りにある「東京大学総合研究博物館小石川分館」
旧東京医学校本館で1876年完成の建物であり,国の重要文化財に指定されている.
当初は東大構内にあったが,1969年に移築再建されたもの.
一般公開されているので中に入ることが出来るが,
一旦,出口専用の門から植物園の外に出てからでないと入れない.
(一度,外に出てしまうと,外の道路で入口まで戻らなければ再び入れない)
 
都心とは思えない

「精子発見六十周年記念」 イチョウの話である

温室もあるが,温室の一般公開は限られている.
原則毎週火・水曜の午後1~3時までのみ(祝日は入れない)
 
休み処(売店)もあって,ソフトクリームが食べられる
 
「分類標本園」
植物の多様性が理解しやすいようにと,
東アジアの高等植物約500種をズラズラと
分類体系に従って配列(植栽)しているもの
なかなか面白い.学術的な展示である.

「薬園保存園」
こちらは,御薬園時代の薬用植物約120種を栽培している
地下鉄の駅からはちょっと離れているので,
都バス上60系統 大塚駅-上野公園 白山2丁目下車が便利である

 

ハッピーロード尾山台【東京考察#207】

Happy load Oyamadai


環八側からみた商店街


 二子玉川と自由が丘の街に挟まれて,東急文化の香りが漂うこじんまりとした上品な商店街が「ハッピーロード尾山台」である.尾山台商栄会商店街という名称が組合の正式名称となっている.東急大井町線の尾山台駅から環状八号線にかけて,緩やかな坂が一直線に続く商店街で,平成元(1989)年に現在のような石畳のブロックが敷かれた道路となった.この石畳ブロック,特に車道の石畳は敷設当時はハイヒールの「かかと」が挟まって女性にとっては歩きにくいとの評判が多かった.でも,その後も取り壊されることはなかったので,今では商店街に溶け込んでいる.まるで,ヨーロッパの中世の都市のようだ.
これと言って特徴があるわけではないが,周辺は芸能人や著名人が多く住む等々力・尾山台の高級な住宅街であることもあり,下町の雑多な商店街というよりは,上品な雰囲気が漂う落ち着いた商店街となっている.落ち着きのあるちょっと高級な,でも生活感のある雰囲気を,まったりと味わいたいのなら一度歩いてみることをお奨めする.隣の等々力駅の近くには「等々力渓谷」などもあるので,その帰りにでも寄ってみるのも良い.自由が丘や二子玉川からも電車で数駅で近い.尾山台駅から商店街を抜け環八を越えてまっすぐ行くと,東急グループ五島育英会の私立東京都市大学(旧武蔵工業大学)があり,さらにまっすぐ行くと多摩川土手となって,川の向こう側は神奈川県川崎市となる.
ちなみに,商店街の駅を背にして道路右側は「等々力1・2丁目」,道路左側が「尾山台2・3丁目」となっている.午後4時から6時までは歩行者天国となる.

尾山台駅
踏切があって,改札がそれぞれのホームの端にある
いかにも私鉄の小さな駅といった感じである

駅側から見たハッピーロード尾山台
 
歩道

車道はこんな感じ

オシャレな店構えが多い中,
このような昔ながらの豆腐店もある

中華料理「娘娘」
呼び方は「ニャンニャン」
大学の通学路となっているので,ラーメン店も多い

喧噪から離れて,品のある独特な雰囲気である

ナチュラルローソンもある
美容と健康をサポートする品揃えのローソンだとか
自然派志向の商品が並べられている
この店の商品は,全て店内左の机で食べることが出来る

やっぱり,「オーボンヴュータン」は外せない
フランス菓子の店 非常に有名である
ケーキは店内カウンターで食べることもできる
 
というわけでケーキを食べてきた
コーヒーはエスプレッソで,ミルクはついてこない
ケーキにナイフとフォークがついてきた!(右)
とにかく味の融和が素晴らしいケーキである

乙女ロード(東池袋)【東京考察#206】

The Otome load


マンションの1階などにテナントとして入る
アニメ・同人誌ショップ


 最近なにかと話題になる「乙女ロード」であり,東京を紹介するガイドブックにも紹介されるようになっている場所である.しかし,初めてここにやってくると,「えっ,いったい何処が乙女ロードなの?」と気づかないことが多い.「ここが乙女ロードだ!」といった存在感がないのである.でも,こっそりと,そして脈々と存在しているところが,この乙女ロードを象徴しているように感じる.
「乙女ロード」と呼ばれるところには,主に女性向けアニメや同人系ショップが数軒建ち並んでおり,休日になるとアニメや同人誌を求めて,女性のみならず男性も訪れる地区である.サンシャイン60の西側にあり,トヨタのアムラックス展示場の隣りにある.秋葉原や中野ブロードウエイと並び,現代のオタク文化を感じることのできる場所である.

狭い路地裏といった感じではなく,
広い道路沿いの開放的な空間である.
 
アニメショップや同人誌ショップが建ち並んでいる
 
こちらはビル丸ごとアニメショップとなっている
各フロアー毎に「青年系」「少女系」「少年系」「キャラクター」などと分野が違っている

明治生命館【東京考察#205】

The Meiji Life Insurance Co. building


背後に「丸の内マイプラザ」が建った
明治生命館


 明治生命館は,1934(昭和9)年に完成した洋風建築物である.昭和に建てられた建物としては初めて1997(平成9)年に国の重要文化財に指定されている.主なデザインは古典主義様式でまとめられており,圧巻なのは5階までを貫いているコリント式の柱が建ち並んでいる外観である.戦時中は館内の金属の多くが供出され,戦後はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による接収が行われ,1956(昭和31)年にアメリカ軍から返還されるまで,対日理事会が現存する会議室で行われていた.(参考までに,マッカーサーがGHQ本部を置いたのはここではなく,近くの第一生命館である) その後,2001(平成13)年からのリニューアル工事によって,隣接する30階建ての明治安田生命ビルの完成(2004年)とあわせて「丸の内マイプラザ」として一体的な開発が行われ,古き良き建物を可能な限り忠実に残して「明治生命館」は残り続けている.
ちなみに,明治生命は明治以降の丸の内地区の開発を行ってきた旧三菱財閥グループであるが,2004年1月に旧安田財閥グループの安田生命と合併し,明治安田生命保険相互会社となっている.しかし,この建物の名称は「明治安田生命館」とせず,「明治生命館」としているところに,三菱グループの譲れない心の魂みたいなものを感じる.
この明治生命館は,土曜日と日曜日の11時から17時まで,入場無料で一般公開されている.

コリント式列柱の建ち並ぶ外観
目の前に国道1号・日比谷通りが走る
写真の裏手には皇居のお堀がある
 
重厚のある外観である.
ランタン型の照明器具も渋い

入口の文字が「館命生治明」となっている

土日のみ,見学コースが設けられて会議室などに入ることができる.
入場無料.
 
「エレベータで2階へ」との警備員さんの指示により受付のある2階へと向かった.
エレベータは東洋オーチス(現日本オーチス)社製のクラシックなもの
1階ホールにあるシグナルコントロール盤は貴重な操作盤だとか.
つまり1階の操作盤で呼ボタンに応じて3台の籠を運転管理していた.

受付でバッチをもらって見学者ルートへ
電球の明かりが,ほんのりと暖かい感じである
 
2階から1階までは吹き抜けとなっており,
1階は明治安田生命の「丸の内お客様ご相談センター」となっている.
平日は,ここがお客様との相談窓口となる
大理石がふんだんに使用されている

GHQ接収時代に,米・英・中・ソの4カ国代表による
対日理事会が開催された会議室
最高司令官のマッカーサーもこの部屋で会議に参加した

応接室
 
食堂.右の写真は食事を運ぶ配膳用のリフトらしい.

1階は,お客様ご相談センターとなっている.

 
東京駅丸の内口近く(三菱ビル)から無料巡回バスでくることもできる
丸の内マイプラザで下車.バスは15分間隔.
日の丸自動車興業㈱で運行

戸山公園(箱根山地区)【東京考察#204】

Toyama park (Hakoneyama area)


戸山公園の散策路


 戸山公園は,昭和29年に開園した面積約18万m2(両地区合計)の都立公園であり,明治通りを挟んで大久保地区と箱根山地区に分けられている.箱根山地区は,山手線内で最も標高の高い「箱根山」(標高44.6m)があり,ちょっとした登山(というほどの標高ではないが)を味わうことができる.江戸時代に尾張藩の徳川光友が東海道五十三次に似せてつくったという池泉回遊式の戸山荘庭園があり,その中心にあった築山が現在の箱根山となっているのである.
また,箱根山の麓は明治6年から終戦まで陸軍兵学校や軍医学校などの軍施設があったことでも有名で,戸山といえば陸軍というイメージを持つ年配の方も多い.その陸軍施設のひとつである「旧陸軍軍医学校防疫研究室」も設置されていた(現在は国立感染症研究所となっている)が,ここでは細菌兵器を造るための人体実験を行っていたらしく,1989年には頭と腰の人骨だけが不自然な形で約100体ほど発見され,過去の凄惨な歴史を感じる場所でもある.そんなことからなのか,心霊スポットとしても話題の多い公園である.
戸山公園へは,都バスだと池86系統の池袋駅東口-新宿追分-渋谷駅に乗車して大久保通り停留所で下車,地下鉄では都営大江戸線東新宿駅または東西線早稲田駅で下車が便利である.

公園そのものは不思議な形をしている
公園の周りは都営戸山ハイツアパートに囲まれている
つまり,戸山ハイツに囲まれたグルーピングの中に公園がある感じ
 
公園のようす.右の写真はいきいき広場

近くの早稲田大学の空手部は,
公園のスペースを使って練習「気合い!」を入れている

花を育てる「花の広場」

スポーツ広場ではキャッチボールなどをしている

せせらぎもある

「箱根山-陸軍戸山學校址」と刻まれている
 
箱根山頂上への登山口
といってもすぐに頂上となる

頂上からの景色
夏は葉が生い茂り,遠くは何も見えない

戸山教会の下階に残っている遺跡.
周囲には説明の看板など全く立っておらず,
樹木の茂みの中にひっそりと佇む様子はかえって不気味なのであるが,
これは,終戦まで使われていた陸軍戸山学校将校の集会所だったと伝えられている.
公のガイドブックなどではほとんど紹介されていない遺跡である.
 
周囲は都営戸山ハイツアパートで囲まれている
もともと「戸山ハイツ」と言えば,米軍の兵舎払い下げ資材で昭和24(1949)年に建てられた
約1000戸の都営木造アパートのことで団地開発の元祖ともいわれた.
今の都営アパートは昭和45年から鉄筋コンクリート造りに建て替えられたものである.

都心の団地商店街でもシャッター化が進んでいる

思い出横丁・やきとり横丁(新宿西口)【東京考察#203】

The remembrance alley and the grilled chicken alley (Shinjuku West)


思い出横丁入口


 新宿駅西口と青梅街道との間にJR線路際に広がる闇市的な雰囲気の飲食街が「思い出横丁」と「やきとり横丁」である.新宿西口商店街となっており約80店舗で構成されている.新宿ゴールデン街と雰囲気は似ているが,こちらの方はバーやスナック街というよりは,カウンターで定食などの定食とやきとりとビールでちょっと1杯といった感じの店が連なっている.新宿ゴールデン街といい,思い出横丁といい,戦後の新宿マーケットの闇市を彷彿させる雰囲気が十分残っている貴重な空間でもある.
いまだに再開発されなかったのは,この雰囲気の場所で営業を続けたいという店主の強い思いがあり,なかなかまとまらなかったという経緯がある.しかし,平成11年の火災をきっかけとして,店主たちの意見が賛成へと傾いていき,再開発ビルの準備組合の設立となり,この雰囲気を残した新たな計画が進められている.

狭い路地にはやきとりのにおいが漂っている
定食などを食べられる店もある

食堂では懐かしの味が味わえる
 
なんかビールが飲みたくなってきた!

トイレは共同のようで,
迷路のような路地を歩いてたどり着くことができる
 
やきとり横丁は,思い出横丁の隣りにあって
JR線路に沿って建ち並んでいる.
東口のアルタ前とつなぐ地下歩道ガード下への入口がある.

青梅街道の新大ガード西交差点にある入口
決して入りづらい雰囲気ではない

日が暮れるとこんな感じ

西口から出て青梅街道に歩いていくと
アーケードに案内看板が出ている.

昼の新宿ゴールデン街【東京考察#202】

Shinjuku Golden town at noon


新宿ゴールデン街


 戦後マーケットの露天街の雰囲気がそのまま残る飲屋街が新宿ゴールデン街である.新宿区役所と花園神社に挟まれた区域に存在している.昭和24年に,屋台による飲み屋街の移転命令を受けて現在の歌舞伎町1丁目に移ってきたのが始まりで,昭和33年の売春禁止法が制定されるまでは「青線」地帯として賑わっていた.その後,青線の廃止によって飲み屋やバーの連なる地域として再出発していき,昭和40年頃にゴールデン街という名称が生まれたという.全盛期には200軒程度あった店だが,今は150軒程度になっている.
一般的に新宿ゴールデン街と呼ばれている地域は,南側の新宿ゴールデン街商業組合による「新宿ゴールデン街」と,北側の新宿三光商店街振興組合による「花園街」から成り立っている.串刺しに6本の細い道路が走っており,4店程度が1つの建物となる長屋がびっしりと建ち並んでいる.かつては,やくざや暴力団が支配する怖い街・常連さんだけの飲屋街などといったイメージがあったが,最近は若い人が店を経営しているところもあり,世代交代も進んでいることもあって,少しずつ活気を取り戻している.作家や文化人と称する人々が常連として,議論を深めた場所でもある.
夜になると賑わうであろうこの地区の,まだ喧噪前の昼の様子をお届けする.

マップ.小さな店が軒を連ねている.
北側(青色色)が花園街.南側(赤色系)が新宿ゴールデン街.

こちらは花園街.見た目にはどちらも同じ雰囲気.
ただ,花園街の方が,長屋建物の長さが長く,
8店程度が1つの棟となっている.

東京でこのような狭い路地を見られる地域は
少なくなってきた.防災上は問題なんだろうが・・・.
 
これは,集中管理?している「火災受信所」
各店からの火災報知を一括して知らせるシステムらしい.

花園街の北端より撮影
隣りには,バブル期の地上げによって駐車場と化した空き地が広がる
 
靖国通りの交差点からは「四季の路」の遊歩道が整備されている.
ここはかつて都電の線路が走っていたところ.
昔は店の裏側で都電の走りゆく音が聞こえたのだろう.
ゴールデン街へはここから入っていくと行きやすい.

長屋と長屋の間にある路地
すれ違うのがやっとの幅である.

 

東京ドームシティ(後楽園)【東京考察#201】

Tokyo Dome city


JR水道橋駅から通じる入口


 東京ドームを中心として㈱東京ドームが運営する一連の施設を東京ドームシティと呼んでいる.平成12(2000)年よりこのような名称に変更し,ホテルなどの開業によって今までの後楽園のイメージを一新している.東京ドームをはじめ,かつての後楽園ゆうえんちだった「東京ドームシティアトラクションズ」,東京ドームホテル,フィットネスクラブや天然温泉のある「ラクーア」,昔からおなじみのJRA・WINS(場外馬券場)・ボーリング場のある黄色いビル,ボクシングやプロレス・笑点が収録されている後楽園ホールのある青いビルなどが,JR水道橋駅前に広がっている.
かつて後楽園球場(ドームが完成する前の球場)があったとき,旧後楽園ゆうえんちの傘が開いてゴンドラが落下する乗り物・パラシュートにのると,ちょっとの時間であるが巨人戦の球場のグラウンドを外から見ることができて,子供ごころに嬉しく思った想い出がある.当時は,松本・篠塚・原・クロマティ・中畑・吉村・・・といったメンバーだった(懐かしい).

2000(平成12)年にオープンした東京ドームホテル

旧後楽園ゆうえんちのアトラクションズ

都心の遊園地なので狭隘な空間に
スリルあるマシンが設置してある
 
後楽園といえば「WINS」である
 
黄色いビルは,そのまんま「黄」色に塗られたビルである
 
東京ドームはメインの施設である

ベースボールショップを見ると球場に来たなと思う
メガホンと背番号シール(黒と白がある,これを重ねて貼ると
影が出来てかっこよかった)をよく買ったっけ!
後楽園球場時代は紙吹雪もOKで,
新聞紙を切り刻んで持っていき,
ホームランが出るたびに周りの人に配って大はしゃぎしていた.

東京ドームホテルと「パラシュート」

芝東照宮【東京考察#200】

Siba Toshoguu


芝にも東照宮がある

 


 記念すべき東京考察No.200号は,今の東京の基礎を江戸文化で築いた徳川家康を祀った神社となった.
東照宮とは徳川家康を祀った神社のことである.ここ芝の東照宮は,もともと増上寺内の安国殿にあったが明治初期の神仏分離によって現在の場所に移ったものである.現社殿は戦災で焼失したのちの昭和44年に再建されたものである.東照宮創建時に徳川3代将軍家光が植えたという「手植え」の大きなイチョウが社殿の右側に存在している(写真なし).

社殿

日本文化である

芝公園【東京考察#199】

Siba Park


芝公園(南側)


 芝公園の案内図を見てみると,不思議な形のした公園であることがわかる.もともとは,中心にある増上寺も含めた区域が芝公園であったが,戦後の政教分離政策によって境内の部分が除かれて,現在のような環状の公園になったのである.日本で最も古い公園のひとつで,明治6年に開園し,ケヤキやイチョウなどの大木が見られる.施設としては野球場とテニスコートもあるが,明治35年に備えられたものであり,東京における公園に運動施設を設けるといったことの始まりだという.
また,園内には芝丸山古墳もあり,都内最大級の規模をもつ前方後円墳である.
なお,お送りする写真は古墳のある南側部分のみの撮影とした.気温が35度近くあり暑すぎて回りきれなかった!

芝公園の案内図
増上寺を囲むようにして緑色の公園が配されている

ちょっとした庭風なところもある

古墳に抜ける山道 木陰にはいると涼しくなる

都心で緑の中を歩くとほっとする

円山稲荷大明神
増上寺が移ってきたときに本尊を守護するために
桑名から江戸までお供されたいわれによる

芝丸山古墳
ぱっと見ただけでは「ただの山」である
原形はかなり削られてしまっており,
5世紀前半の築造といわれている
遺体や副葬品なども不明.南武蔵の統一的な首長の墳墓とされている

急な石段で登っていくことができる
ちょっとした都心のハイキング

上は広場になっている

いろいろな撮影が行われるためか
営利目的に映像を無断で撮影することを禁止する看板が立っている
恐らく公序不良ビデオを撮影するのを禁止しているのだろうと思われるが・・・

増上寺【東京考察#198】

Zojo-temple


背景に東京タワーが写る増上寺


 増上寺は浄土宗の七大本山のひとつで,上野の寛永寺とともに徳川家康の菩提寺として有名であり,徳川将軍家の墓所もある.徳川家の霊廟は戦災時に焼失してしまい,現在の大本堂も1974(昭和49)年に整備されたものである.三門や黒門などは焼失をまのがれた施設である.
現在は芝公園にぐるりと囲まれるように増上寺が存在している.昔は増上寺も含めて芝公園と言っていたが,戦後の政教分離によって境内の部分が除かれて,今のような形態となった.東京タワーが近くにあることから,外国人観光客の姿もよく見かけることができる.

芝大門 門の下には車が通っている

三門

水盤舎 手などを洗うところ

ブッシュ槙
米国第41代ブッシュ大統領が副大統領の時(昭和57年),
来日した際に参詣し植樹したという木
 
大殿
中に入ることが出来る

大梵鐘
徳川家綱の命により奥方のかんざしなどの寄付を集めて
江戸で初めてつくられた鐘だとか

増上寺会館 寺務所

東京タワーはこんなに近い
大殿の裏には,徳川将軍家墓所がある
(扉があって中には入れない)

赤坂料亭「金龍」の建物内【東京考察#197】

Akasaka Japanese-style restaurant ” Kinryuu ” building


金龍の床の間


 赤坂にあった料亭「金龍」は,政界や著名人によく使われた高級料亭である.おそらく一見さんはお断りの店であったであろう.時代の流れにより,派閥接待や料亭遊びが減少していったこともあり,ついにこの金龍も閉鎖を余儀なくされることになった.夜になると店の前にはVIP用の黒塗りの車とボディーガード兼警備員が物々しく集まっており,赤坂を代表する光景でもあった.閉鎖された金龍の建物は,日本の伝統的数寄屋建築の近代化に努め,近代数寄屋を開拓した建築家吉田五十八先生の息のかかった芸術的建築物であり,非常に価値ある建物なのであるが,取り壊しが決定されており,店主のお計らいによって最後に若手人気陶芸家の展覧会が開かれた.その展覧会の模様と一般人!?は入ることのできなかった料亭建物の内部を公開する.
なお,閉店当時は建物を取り壊して一部を移転保存するとのことであったが,建物をそのまま活用し,料亭ではなくレストランパブ「赤坂金龍」として2009(平成21)年に再オープンすることとなった.


【いただいたメールの内容】
当店記載有難うございます。日本の文化を継承していきたく頑張ってまいりましたが、この度金龍を閉店致しました。
しかし、日本の伝統的数寄屋建築の近代化に努め,近代数寄屋を開拓した建築家吉田五十八先生の息のかかった芸術的建築物を壊すには忍びなく、最後に芸大出身の前田正博先生 百田輝先生 川松弘美先生など若手人気陶芸陶芸家12名の展覧会を2006年6月23日より6月30日まで、金龍にて開催致したく考えております。
この機会に出来るだけ沢山の方々に近代陶芸の美と新興数奇屋の美をお楽しみ頂ければ、幸いと考えております。是非よろしくお願いいたします。



金龍の正面

入口

玄関部分

奥に続く廊下

1階奥の部屋 窓の外には日本庭園

同じく1階の部屋
 
男子便所
手を洗うところが珍しい

時代を感じさせる電灯スイッチ

窓の格子が横になったり縦になったりといった
デザインが珍しいとか

2階の奥の部屋

竹細工の椅子が置かれている

居心地のいい空間である

長嶋監督が1年で監督解任となったとき
監督とオーナーが会談した部屋だとか

2階の大広間

陶芸家の紹介が障子のしきり扉?(なんて言うのか)に貼られている

サロンルーム
 
階段を降りる