「■東京の情報」カテゴリーアーカイブ

BANCHAN WORLD の東京をテーマにしたカテゴリーです.

東京都庭園美術館【東京考察#166】

Tokyo Metropolitan TEIEN Art Museum


正面入口


 東京都庭園美術館は,朝香宮邸(朝香宮殿下:久邇宮家第8王子,妃殿下:明治天皇第8皇女)として昭和8(1933)年に建てられた建物を昭和58(1983)年にそのまま美術館として公開したもので,戦後は外務大臣や首相公邸・国の迎賓館などとして使用されていた.
建物は1920年代から1930年代にかけての,ヨーロッパの装飾美術を席巻したアール・デコ様式を現在に伝えるもので,フランス人が設計し,内部装飾もフランスをはじめとする外国から輸入されたものが使われている.都内におけるオアシスとして,歴史ある建物と庭園とが調和した落ち着いた空間が広がっている.
庭園美術館の中
アールデコ調の歴史ある旧朝香宮邸
広々とした西洋の庭園
いくつかモニュメントが置かれている
日本庭園もある
 
お茶室もある
梅が咲いていた

堀切・牛田・千住界隈(金八先生のロケ地)【東京考察#165】

The Horikiri, Ushida and Senju neighborhood
(The home town of the Kinpachi teacher)


オープニングで流れる荒川土手
冬なので茶色である


 東武伊勢崎線,JR常磐線,京成本線それと荒川放水路に囲まれた地区は,3年B組金八先生のロケ地となっている,下町情緒の色濃く残る地域である.金八先生のドラマの設定通り,バイクに乗った暴走族や校内暴力(ちょっと古いか!?),お高くとまっていないざっくばらんな市民が登場するのにはぴったりといったところであろうか.でも,街並みを歩いていると,昔懐かしいラーメン屋や自転車を押しているおばあちゃん,幅員の狭い近隣商店街などが存在して,心がほっとするのは不思議である.路地のカドから,「よぉ,元気か~.久しぶりだな~」などと金八先生がすぐに現れてきそうな,そんな雰囲気の街並みであった.(金八先生のドラマは大好きで第1シリーズよりずっと見ておりました・・・)
荒川土手から眺める界隈
3Bはこの地域で育っている
中華そば・甘味処「日の出屋」 店構えが下町らしくていい
当地域で唯一,金八先生のポスターが貼ってあった
実は,撮影スタッフのお休み処で中にはサインが多く貼ってある
 
桜中学・・・ではなく,足立区立足立第二中学校
堀切駅のすぐ裏手にある
金八先生に関するものは一切掲示していない
なんと,平成17年3月で統廃合のため廃止になるとか.
現在,金八記念館推進運動が起こっており,
足立区長に対して署名活動などを行っている.
背後の建物が足立二中. まもなく統廃合で移転となる
東武伊勢崎線堀切駅
駅の雰囲気も下町である
入試の出発時のシーンでよく使われる
このガード下,見覚えありませんか?
周辺は,細い路地と密集した住宅街となっている
 
いかにも下町らしい近隣商店街 柳原商店街(千草通り)
たい焼きを買いました
ドラマでもよく出てくる「学園通り(旭町商店街)」
北千住駅東口から延びる商店街
卒業生のスーパーもここにある
商店街には金八先生に関するポスター等は一切なかった
地元としてはロケ地として積極的にPRしていないようである
 
偶然にも第7シリーズのロケをやっていた
救急車もロケ用(倒れたお婆ちゃんを生徒が助けているシーンだった)
柳原千草園という公園があった
ロケ地を散策するときは,近隣の住民等へ迷惑のかからないようにしましょう.

 

東京拘置所(小菅)【東京考察#164】

Kosuge bridewell


小菅駅ホームから見た東京拘置所


 東京拘置所は面積約21万㎡の国内最大の拘置所(監獄)である.ここが監獄として使用されはじめたのは明治11年であり,歴史は古い.小菅刑務所が未決囚専門の拘置所となったのは昭和20年であり,「刑務所」に「拘置所」が併設された.その後、昭和45年に旧東京拘置所(スガモプリズン=現サンシャイン60敷地)が廃止され,名称を「小菅拘置所」から「東京拘置所」に変えた.
東京拘置所は設備が古く,未決囚への人権配慮が足りない施設であるとのことで,現在建替え工事が行なわれている.東京拘置所の建替え工事は1997年に着工され,2003年4月段階で中央管理棟・南収容棟が完成している(約1500人の被収容者が移動したという).北収容棟が完成すると,さらに1500人が収容されることができるようになるという.
面会者用の入口と新しい管理棟
綾瀬川に挟まれて建つ無機質なコンクリート塀
監視小屋とサーチライトが敷地のカドに建っている
こちらには川(というか堀)が巡らされている
脱走しにくくしているのか?
大正時代に作られたというレンガ塀
敷地内の団地は中で働く人の住宅だとか.
東京拘置所正面入口

丸の内オアゾ【東京考察#163】

Marunouchi OAZO


夜の「丸の内オアゾ」


 旧国鉄本社跡地を中心として交通公社ビルヂング・丸の内ホテル・東京中央ビルヂング・丸の内センタービルディングの敷地を利用して,三菱地所など6社が共同して進めている再開発が「丸の内オアゾ」である.オフィス,ホテル,商業施設が入っており,新丸ビルに続いて,丸の内の新たな再開発エリアが誕生したといったところであろう.
 
1階は吹抜空間の通路となっている
エスカレーターから窓の中も覗けます
エントランスを上から撮影
 
エレベータの外側にガラスがない
そして,ロープがカゴの上にないエレベーター(でも油圧式ではない)
景観上すっきりしている
宇宙航空研究開発機構の展示室
(現在は事業仕分けにより閉鎖された)
テナントに丸善が入っている
洋書の充実度では有名な書店
地下は東京駅と大手町とを結んでいるため人の流れがある

山の上ホテル(結婚式バージョン)【東京考察#162】

Hill Top Hotel(The wedding version)


文化人の香りがする山の上ホテル

 


 山の上ホテルは多くの作家や文化人の方に親しまれているホテルで,文化人のホテルとも言われている.昭和12年に財団法人日本生活強によって建てられた建物であるが,第2次世界大戦の時にはまず日本海軍に接収され,戦後は米軍の陸軍婦人部の宿舎として使われた.建物の中にはいると(本館),昭和初期を思わせる重厚な雰囲気を肌で感じることができ,アール・デコを基調とした優雅な姿と眺望のよさから,「ヒルトップ」の愛称で呼ばれていたという.その後,昭和28年に米軍から返還されたときに,吉田俊男氏がホテルを受け継ぎ,丘の上ホテルではなく山の上ホテルと名付けたのだということである.(山の上ホテルホームページより)
このクラシックな雰囲気の漂うホテルで知人の結婚式の披露宴が行わました.歴史と品のあるホテルで行われるセレモニーは,最高級のムードと品格の高さを感じることができるものでありました.その山の上ホテルを結婚式バージョンとしてお伝えします.

明治大学の脇にある小径を入ると,丘の上にホテルはある
 
クラシックな雰囲気のロビー待合室

エントランス(入口)を入ったところ

当日は受付をさせていただきました
 
会場

新郎新婦のお二人
(おめでたいことですが,プライバシー保護のため加工してあります)
 
語らい

シェフから料理についての説明がある
今日のメニューは「フランス料理」

全てホテルの刻印が入っているフォーク

Jambon de Parme
イタリアパルマ産生ハム ルッコラ添え

Composition de Fruit de Mer au Caviar
海の幸盛り合わせ キャビア添え

Consomme Brunoise
コンソメスープ 野菜のブリュノア入り

Homard Frais a l’ Americaine
活オマール海老ポワレ アメリカンソース

生演奏が雰囲気を盛り立てます

St-jacque Saute au Safran
青森産帆立貝のソテー サフラン風味

Sorbet au Citron Vert
シトロンベールのソルベ

Filet de Boeuf Roti Sauce Poivre Noir
牛フィレ肉のロースト ブラックペッパーソース
 
Melon Rafraichir / Cafe
静岡産マスクメロン コーヒー ケーキカットのケーキ

ワイングラスも刻印入り

有楽町駅前第1地区市街地再開発事業(従前の姿)【東京考察#161】

The urban area redevelopment project in front of Yuurakuchou station (Before building)


取り壊される寸前の有楽町駅前地区


 有楽町駅前を降りてマリオン(銀座)方面に向かう一角は,戦後の密集した面影を色濃く残す地区であったが,第1種市街地再開発事業によって新しいビルディングに生まれ変わることになった.ヒューマンスケールの街並みといった視点からは非常に残念であるが,美的といった観点からは今流行の複合ビルディングに生まれ変わった方がいいのかもしれない.東京銀座の玄関口として.昨年末までに閉鎖した店舗が多く,残りの営業を行っている店もまもなく店じまいすることになるのだろう.そんな風景を撮ってみた.

ミニシアター系の映画館「シネ・ラ・セット」も閉鎖している

かどの果物屋さんは,営業を続けていた

有楽町駅からマリオン・銀座方面への近道となるこの通りは,
いつも人通りが多い.工事中は迂回することになるのだろう

一本裏の通りになると,ごらんの通り全て既に閉鎖していた

店先に張ってあった閉鎖を知らせる張り紙
「昭和22年の創業以来・・・」 歴史を感じさせる

あとは取り壊される日を待つのみ・・・
 
歴史を感じさせる建物も建っている
有楽町駅前第1地区第1種市街地再開発事業は,平成19年の竣工予定である.

イルミネーションの渋谷【東京考察#160】

The illuminations at Shibuya


渋谷ハチ公前

 


 クリスマスシーズンが近づくと,渋谷の街はイルミネーション一色で彩られる.原宿表参道のケヤキ並木のクリスマスライトアップが,近隣住民の苦情によって廃止となってしまったので,この周辺でイルミネーションが見られるのは渋谷となっている.しかし,新宿では南口の高島屋タイムズスクエアなどによるサザンライツが開催され,六本木ヒルズでもイルミネーションが開催されるなど,どこへ行っても東京はクリスマスムード満点となっており,不況どこ吹く風,といった感じである.そんな渋谷の点景をどうぞ.

スクランブル交差点から109(マルキュー)を眺める

渋谷センター街入口
下に見える黒い部分は全て人の群れ
やっぱり渋谷はエキサイティングな街である

道玄坂方面

文化村通り
イルミネーションも凝っている

センター街

広告専用の光るトラック

ハチ公前からスクランブル交差点を眺めると
オーロラビジョンが3つもある.どれを見ればいいのか.

ゲートシティ大崎【東京考察#159】

Gate City Osaki


ゲートシティ大崎


 東京都の都市計画においては,1つの「都心(東京都の中心業務商業地で丸の内を中心とした地区を指す)」と7つの「副都心(新宿,渋谷,池袋,大崎,上野・浅草,錦糸町・亀戸,臨海副都心)」を位置づけている.大崎はその7つの副都心のひとつで,工場跡地等の土地利用転換を生かし,研究開発型産業を核とした業務・商業・文化・居住など複合機能を備えた拠点を形成するよう位置づけられている.
あまりパッとしたイメージのない大崎であるが,駅東口には大崎ニューシティーとゲートシティ大崎の2つのビジネスエリア(複合開発)が存在する.地図を眺めてみると,大崎周辺にはソニーや明電舎といった日本の技術を支える企業が多く立地している.このゲートシティ大崎にも富士電機が入居している.六本木ヒルズや汐留のように,派手に知られている開発ではないが,大崎にもちょっとしたミックス・ド・ユースの再開発エリアが存在している.

大崎駅からはペデストリアンデッキで直結している

開放的な空間の中にあるスターバックスコーヒー
 
中央には吹き抜けのアトリウムがある

大きなクリスマスツリー
  
イタリア風の空間も・・・

Happy Wedding!!

居住エリアも設けられている

立教大学【東京考察#158】

Rikkyo St. Paul’s University


立教大学正門


 立教大学のキャンパス内に入ると,まるで外国に行ったかのような錯覚を覚える.立教大学は明治初期にアメリカ聖公会の宣教師,チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教によって,東京築地の外国人居留地に英語と聖書を教える私塾を開いたのが始まりで,宣教師たちによるキリスト教に基づく教育をうたってきた.この池袋にキャンパスを移したのは,1918(大正7)年で,本館・図書館・2号館・3号館・食堂は,このときに建てられた建物が今でも健在で残っている.英語ではセントポールズカレッジとなる.
何しろ全ての建物がレンガ調に統一されており,徹底的に景観に配慮している点が素晴らしい.この繊細なセンスは日本人にはないもののように感じてしまう.現在建設中の新しい公舎も,ガラスとコンクリートの合間にレンガを配するなど,赤煉瓦への徹底的な思い入れ・統一感は絶賛に値する.一歩足を踏み入れると,異国情緒たっぷりのキャンパス空間が広がっており,さらに大正時代に建てられた建物のちょっと狭苦しい空間が,かえって心地よさを持たせるようなものとなっている.また,食堂が素晴らしい.残念ながら行ったときは休日で営業していなかったが,ちょっとした洒落たレストランで食べているような感覚で,そのまま結婚式でも挙げられそうな雰囲気である.メニューはどうなのか味わってみたい.

ツタの絡まる本館(モリス館)
 この本館は,東京都選定歴史的建造物にも指定されており,立教大学が池袋に移転した1918(大正7年)に建てられたものである.この大学の計画はニューヨークの建築家マーフィ&ダナ建築事務所によるもので,当時は中央の塔屋を境に左が図書館,右に礼拝堂(チャペル)を配し,中央の軸線を延長して,中庭を囲んで学生食堂を中心に左右に寄宿舎を置くプランニングを行っている.各建物のデザインはゴシックリバイバル様式を基調とし,簡素でありながら重厚な赤レンガ造りでまとめられている.(東京都生活文化局看板より一部抜粋)

食堂の正面
 
食堂内部 なんともいい雰囲気!

中庭
  
建物(公舎)は徹底的にレンガ調を配している

チャペル(礼拝堂)とウイリアムズ主教の像
 
本館内部 扉が西洋風

各教室の扉には「授業中」というランプが付けられているが,
この文字が,いかにも慣れない外国人が
手書きで書いたような感じで趣がある
 
廊下の蛍光灯へのこだわりも徹底的
青白いのもではなく,電球色の蛍光灯が全てに使われている
一つだけ青白い蛍光灯などといった愚行は行われていない

学生用への掲示板の柱にもレンガが使われている

レクイエム奉唱会 立教大らしい

キャンパス内は狭い空間なのだけれども
統一感ある構成がとてもよい

池袋駅北口【東京考察#157】

The Ikebukuro station north exit


意外なことに,池袋に北口もあります

 


 池袋といえば,「東口に西武」「西口に東武」といった具合に東西対抗みたいなところがある.しかし,北口というエリアが存在していることを忘れてはいけない.北口は西口の北側なので厳密に言うと西口にあたるのであるが,「池袋北口」は池袋を代表する大人の歓楽街が存在しているエリアである.大人の欲求を満たすこのエリアは,夜になるとネオン輝く街となり,かつては暴力団の抗争による発砲事件などもあったが,今でもかつての西口のダーティな部分を残すエリアとなっている.


中央通り西一番街(繁華街)への入口


客引き禁止


池袋演芸場もあります

 

無料案内所は至る所にあります


怪しいピンクのネオンが瞬く


「ロマンス通り」なんともネーミングが怪しい


外壁がピンクの「ロサ会館」
ゲーセンやボーリング場,映画館が入る


この「情報喫茶」の情報って,何?

 

新宿高速バスターミナル(JRハイウェイバス)【東京考察#156】

Shinjuku high-way bus terminal (The JR highway bus)


JRバスの高速バスターミナルは
新南口の1階にある

 

 No.114では,中央高速道方面の京王バスの高速バスターミナルを紹介したが,JRハイウェイバスとは乗り場が違っている.今回は,JRバスの乗り場を紹介する.
新宿駅で昔からの景観が最も変化したエリアは「南口」である.かつては何もなかった(というか商業エリアではなかった)が,今では,ルミネも改装され,高島屋タイムズスクエアーがそびえ立ち,NTTドコモの先の尖ったビルディングが建ち,ここ10年で風景が一変した場所である.JRハイウェイバスもその「新南口」の1階に入り口が存在している.バスの乗降場所は,薄暗い高架橋の下に位置するので,外からはバスの姿を見ることができない.どこからバスが発車するのか,不安になってしまう入り口であるが,切符売り場の脇にある狭い通路を奥に歩いていくと,狭隘なバス乗り場となり,出発時間の10分前から乗車の手続きが始まる.この周辺は交通渋滞が激しいので,定時運行も大変だろうが,下り便は途中から乗ることができないので,すべて新宿駅から乗車して目的地に向かうのであるが(上り便は途中の王子駅や池袋駅で下車できる),都心を抜けるのだけで1時間もかかることもあり,下り便はちょっと辟易してしまうこともある.でも,なんといっても値段が安いのは大変魅力的である.「ニュー」のつく夜行高速バス「ニュードリーム号」は,新宿駅からの発着となっている夜行便である.
なお現在,新宿駅南口では,「新宿駅南口地区基盤整備事業」が国土交通省によって実施されており,この事業は人工岩盤によって土地を造り,その上に交通広場等の創出として,2階のJR駅施設,3階のタクシー・一般車乗降場とあわせて,4階に新宿駅を発着する全ての高速バスを集めたバスターミナル(乗降場)を整備する工事が行われている.


高島屋タイムズスクエアの手前に入口がある


チケット売り場の脇の通路を進むとバス待合室と乗り場となる


バス待合室


バス乗り場からは埼京線のホームが見える

月島もんじゃ焼き【東京考察#155】

A Monjya-yaki in Tsukishima


もんじゃ焼き
見た目はグロテスク,でも味は最高!


 無性にもんじゃ焼きを食べたくなるときがある.やっぱり「もんじゃ」は月島である.

もんじゃ焼き発祥の地が中央区月島であり,むかし駄菓子屋で子供達に鉄板の上でメリケン粉を水で溶いたものを薄く焼き,醤油をたらして食べたのが始まりだという.もんじゃ焼きの語源は,焼きながら鉄板に文字を書いていたので通称「文字焼き」と呼ばれ,それがいつのまにか「もんじゃ焼き」になったとのこと.現在のもんじゃ焼きはソースが主流となっている.
月島には約70件のもんじゃ焼き屋があって,月島もんじゃ振興会協同組合を作ってPRに努めている.月島駅前にはもんじゃ焼きを紹介してくれる窓口もあって,地下鉄改札前にももんじゃ屋さんのマップが置いてあるので,地図を片手に街を歩いて店を探してみるといい.大抵の店では,最初の1つは作り方を教えてくれるので,それを覚えて2つ目からはもんじゃ焼きに挑戦してみよう.もんじゃはみんなでつついて食べるものなので,同じ具を注文するよりは違う味の具(例えば,辛味のキムチ・明太子,チーズ系,そば系などバリエーションを変える)をそれぞれ頼んで味わうと良い.
なお,個人的にはデザートとなっている「あんこ巻き」が大好きである.今風に言えば「あんこクレープ」であるが,鉄板の上に薄く生地を敷いて.焼き上がったところにあんこを置いて巻く.これがうまいんだな.みなさんも「もんじゃ」だけではなく,あんこ巻きもお試しを.
では,作り方をお教えしましょう.


作り方の前に,街並み紹介・・・・


月島駅前には案内所もある


月島西仲通商店街
もんじゃ焼屋がびっしりある


今風の「オープンカフェスタイル」のお店もある


路地裏のお店も魅力的


もんじゃ焼の旗が立つ


レトロな交番を発見


では,いよいよ「もんじゃ焼き」の作り方・・・


鉄板に油を敷いて,充分に暖める


具は「豚キムチ」


具を全て入れる


汁だけはまだ入れない


具を切り刻む(これがポイント)


ちょっとだけ「汁」をたらして混ぜる
これは土手を造りやすくするため


真ん中に穴をあけて土手をつくる


真ん中に残りの汁を入れて混ぜる


のばして出来上がり!


小さい「へら」で直接食べる
でも美味しいのは,鉄板にこびりついている「おこげ」である


明太もちもお薦め!

くどいようですが,是非「あんこ巻き」も・・・

味の素スタジアム【東京考察#154】

The Ajinomoto Co., Inc. stadium(The football watching)


やっぱりスポーツ観戦はライブに限る
味の素スタジアム


 かつては「東京スタジアム」と呼ばれていたが,味の素がスポンサーとなることでスタジアム名に「味の素」の名を付けるネーミング・ライツという制度を日本で初めて導入したスタジアムである.運営・管理は,現在も(株)東京スタジアムが行っている.
平成13(2001)年3月オープンの5万人収容の新しいスタジアムで,第1種公認陸上競技場に準拠して造られている.様々な経緯があって,現在はJリーグサッカーのFC東京の本拠地となっている.そんな,FC東京の親善試合の様子をどうぞ.


スタジアム正面


ぞくぞくと観客が入る


ペットボトルは紙コップに移し替えなければならない


入口ではカバンの中身をチェックさせられる


指定席のブロックごとに,さらにチケットのチェックがある


スタジアム内の通路


スタジアム
サッカー専用ではなく,陸上競技用に造られている


観客席


選手の紹介が始まると

サポーターの声援が響き渡る
FC東京の応援歌に「東京ラプソディー」を歌うものがあった.
「はーなーのみやこー,みやこー
こーいーのみやこー,みやこー
ゆーめーのパラダイスよ,花のと~きょー」
という具合に.お年寄りでも大丈夫である.


選手入場


オレンジのラインを境に,左がFC東京側の応援席
色の違いが分かりますか?


休憩時間になると売店には列ができる
が,東京ドームなどと比べると数が少ないような気がする.


記者がカメラを構えている


ナイターの模様

夏休み!ポケモンスタンプラリー【東京考察#153】

The summer vacation! Pokemon stamp rally

御徒町駅のキャラクターは「ソーナノ」

 


 ポケモンスタンプラリーはJR東日本が首都圏で展開している,夏休み限定のファミリーイベントである.7月31日から8月15日(2004年の場合)までの期間,無料の専用パンフレットを駅でもらって,その裏にあるスタンプ欄に5つの駅のスタンプを押したら,ゴール駅となっている東京・品川・新宿・池袋・上野・松戸の6駅に提出すると,「オリジナルポケモンエアピロー」が貰えるというもの.さらにお楽しみとして,ゴール駅では全91駅のスタンプが押せるスタンプ帳も配っており,これを看破するとオレンジカードと認定証が貰えるというものもある.駅によってポケモンのキャラクターが違っているので,子供達も飽きることなく楽しむことができるが,意外と楽しんでいるのは親の方だったりもする.スタンプ台は駅の改札の外にあって(外にあるところがポイント!1日乗車券を買うか切符を買わなければ行けない),夏休みはスタンプ帳をめくる子供達で賑やかになる首都圏のJRであった.ただ,このイベントはJRが最初にやりだしたのかというと,そうでもなく,僕が中学生の時(20年近く前)には小田急で既にやっていて,子供達に大人気となっていた.


イベント中はスタンプ台の場所を示すポスターが駅構内に貼られる


みんな「スタンプ・ポン」


王子駅のキャラクターは「ヤドキング」

東京モノレール【東京考察#152】

The Tokyo monorail


レールが1本なので「モノレール」


 東京モノレールからの風景,僕は大好きである.気分転換を図りたいとき,モノレールに乗って湾岸地域の景色を眺めて羽田空港の飛行機を見に行ったりしていた.
東京モノレールは,東京国際空港の羽田空港へのアクセスとして昭和39年に開業したものである.JR山手線の浜松町駅から羽田空港までの16.9kmを約21分で結んでおり,日中でも4~5分おきに走っていることから,羽田空港へのアクセスとして気軽に乗れる交通機関である.しかし,最近は羽田空港の新ターミナル開業に伴って,それまで遠くに存在していた京浜急行の羽田空港駅が,ターミナル地下に直結することになって,東京モノレールは苦戦を強いられることになっている.京急は快速特急をバシバシ羽田空港へ乗り入れさせており,横浜方面と都営地下鉄を利用して都心方面からやってくる電車などを運転しているので,お客が取られているのが実情である.さらに追い打ちをかけているのがモノレール運賃の高さ.浜松町~羽田空港間で片道大人470円も取られる.近年はJR東日本が株を取得して事実上の親会社となったため,休日のみ限定の羽田空港から山手線内の駅まで500円均一切符などを販売して盛り返しを図っている.

でも,なんといっても東京モノレールの楽しさは,車窓から眺めることができる景色である.あえてこのHPでは車窓の写真は掲載しないことにした.
浜松町駅をでると,レインボーブリッジが過ぎ去り,天王洲アイルの再開発を通り抜け,運河と公団の高層住宅を眺めながら大井競馬場を通り過ぎ,倉庫群となって流通センター,海に落っこちそうになるほど傾いてモノレールは快走し,湾岸地帯の殺伐とした景色の中を走っていく.そして,飛行場が近づくと整備場となり,整備中の飛行機が間近に眺められ,ターミナルを遠くに眺めながら,地着陸するジャンボ機と滑走路が車窓いっぱいに広がる絶景となる.夜は更にムード満点.そして終点羽田空港となる.

是非一度お試しを.なお,羽田に向かって進行方向左側の窓がお薦めです.


羽田空港駅
ワンマン運転なのでホームにドアがついている


モノレール車内


車窓の写真を1枚だけ・・・
空港ターミナルと滑走路が丸見えとなる


天王洲アイル駅

豊洲埠頭(豊洲鉄鋼埠頭)【東京考察#151】

The Toyosu steel wharf


豊洲埠頭


 区分地図を眺めていて前々から気になっている場所があった.晴海埠頭とお台場の間にある「豊洲埠頭」と書かれている場所(豊洲6丁目)で,ここだけ道路も無機質に中途半端に引かれていて,東京鉄鋼埠頭と東京ガスと東京電力火力発電所の3つの施設のみが記載されている未知の場所である.バスも地下鉄も走っていないので,交通手段は徒歩かタクシーしかない.どんなところか行ってみた.

豊洲駅からタクシーをひろい,「豊洲埠頭の行けるところまで行ってください」と頼んだ.タクシーの運転手さんもあまり豊洲埠頭には詳しくないらしく,とりあえず行ってみるからといった返事だった.道路の歩道には草がぼうぼうと生えており,綺麗に管理されているとは言えない道路を走っていった.周りには高い建物が建っておらず,殺伐とした空間が広がっている.お台場の開発前もこのような感じだったのだろう.左手には今現在有明が終点となっている「ゆりかもめ」の豊洲までの延伸工事が行われており,新駅も建設されるようで,このあたり一帯を区画整理して新たな街を造っていく計画があるようである.
ガスの科学館への入り口となる東京ガス門前で道路は終わりとなっていたので,ここでタクシーを降りた.ガスの科学館は予約制の科学館なので,事前に連絡を入れていないと立ち入ることができない.そもそも一般の人が気軽に訪れるような場所に造られていない.バスもなにも走っていないのだ.
周囲を歩いていると,新交通システムゆりかもめの工事や土地の造成工事,晴海埠頭と結ぶ橋梁の架設工事を行っていた.将来の街開きに向けて整備が進められているようである.現在は使用されていない東京鉄鋼埠頭の大きな建物が,解体の日を待ち続けていた.もぬけの殻となっている事務所や売店跡もあって,ひとけも全くないことからまさに「廃墟」といった空間である.すぐとなりは賑やかな「お台場」があり,また反対側には世界各国の豪華客船が停泊する「晴海埠頭」がある中,この「豊洲埠頭」だけは異様な光景が広がっている.
もともと豊洲埠頭は,鉄鋼資材等を積み上げるための大型船舶が停泊できる埠頭が整備されており,東京ガスの豊洲工場や東京電力の火力発電所が建っている工場地域であった.近年の臨海部の再開発によって鉄鋼埠頭の機能や工場などは郊外に移転し,その跡地を再開発しているのである.臨海部(豊洲)土地区画整理事業が進行しており,住居・商業・業務・文化が複合した街づくりの実現に向けて事業が進んでいる.さらに,埠頭の先端部には東京の台所として有名な築地に存在している魚市場の移転先として「豊洲市場」の建設が決定されている(平成24年移転予定).


新交通システム・ゆりかもめの工事が行われている


平成17年度に豊洲-有明間が開業する予定


東京ガス豊洲工場(ガスの科学館)入口
休日なのに「本日休館日」の看板が掲げられていた.
なお,ガスの科学館は,豊洲埠頭の豊洲駅寄りに移転される予定.
ここから先へは行くことができない.豊洲埠頭はここで行き止まり.
将来は築地市場の移転先としての「豊洲市場」が建設される予定.


歩道には草が生えている.
背後の丸い建物は東電火力発電所の跡地に建てている建物


東京鉄鋼埠頭(株)の建物 もうじき取り壊される

 
かつての売店跡と事務所跡

 
広大な更地が広がる豊洲埠頭 まもなく再開発されるのか?


晴海埠頭と結ばれる橋


平成18年3月に豊洲まで開業した「ゆりかもめ」から見た豊洲埠頭


これから街の開発が行われる


ゆりかもめの車窓から


今は,何もない

霞ヶ関官庁街【東京考察#150】

Kasumigaseki governmental offices’ district


霞ヶ関駅前
後ろの建物は「外務省」


 霞ヶ関といえば,日本を動かしている国家公務員・キャリア官僚の働いている中央官庁街を意味する.霞ヶ関という地名の場所には,官庁関係の庁舎しか建っておらず,地下鉄霞ヶ関駅も官庁街のためにあるような駅である.約30の中央諸官庁が集まり,日本の行政・司法の中心地を形成している.明治14年に外務省が進出したことから,霞ヶ関の官庁街はスタートしている.霞ヶ関の地名の由来は,昔ここに関が設けられていたことによる.
周辺は警察官による物々しい警備が行われており,建物に入るためには身分証明書の提示が求められる.平日は人々で賑わっているが,官庁が休みとなる土日は閑散としている.


合同庁舎2号館


後ろの建物(左)は合同庁舎3号館
国土交通省や海上保安庁が入る


建物に入るためには身分証明書が必要


地下鉄霞ヶ関駅から合同庁舎2号館へ直結している出口.
休日はシャッターが閉まっているが,
オフィスアワーのときは,警備員が立っていて
身分証明書のチェックを行っている.


桜田通り(国道1号)から見た農林水産省
高い建物は合同庁舎5号館


よくニュースの中継でも見られる「財務省(旧大蔵省)」


「霞ヶ関」の隣は「永田町」で国会議事堂もすぐそば.


地下鉄霞ヶ関駅の出口案内板は,省庁名がずらり

三宅坂界隈【東京考察#149】

The Miyakezaka neighborhood


三宅坂交差点
左手には最高裁判所,国立劇場がある.
背後には「TOKYO FM」がある


 「三宅坂」という地名はよく耳にする.特にラジオを付けて車を運転している人にとっては馴染みのある交差店名である.交通情報で「首都高速都心環状線は三宅坂を頭に○○km渋滞しています」といった感じに.三宅坂は,皇居に面した内堀通りと赤坂方面へ向かう青山通りとの分岐にある交差点で,周辺には最高裁判所や国立劇場,ちょっと歩けば永田町となって国会議事堂や憲政記念館などが存在するエリアである.日曜日になると人は閑散としており,皇居の青々と茂った緑を眺めながら開放的な都心空間を散策するのも悪くはない.
かつての三宅坂は,陸軍省の諸施設が並んでおり,「三宅坂」と言うと「参謀本部」を意味する言葉でもあった.昭和41年に国立劇場,昭和47年に最高裁判所が設けられて,現在のような姿になっている.江戸時代には大名屋敷が並んでいたところであった.


最高裁判所 昭和47年完成


国立劇場 昭和41年完成
歌舞伎などが公演されている


ブロンズの少女群像(平和の記念像)
三宅坂交差点前の三宅坂小公園に建つ


三宅坂交差点からは,警視庁公舎及び霞ヶ関官庁街が見える


皇居桜田濠から眺める官庁街
開放的な都市空間が広がる
ここは個人的に好きな空間のひとつである.


皇居周辺では,ジョギングやサイクリングをやっている人が多い


桜田門

等々力渓谷【東京考察#148】

Todoroki ravine(The only Metropolitan area ravine)


緑の茂る渓谷


 等々力渓谷は,国分寺崖線の最南端に位置する約1kmの都区内唯一の渓谷であり,東京都指定の名勝である.谷沢川が国分寺崖線に切れたもので,台地と谷との標高差は約10mあり,渓谷内には至る所に湧水が見られる.(東京都教育委員会資料より) 等々力駅前を降りて歩いて数分のところに,このような別世界の渓谷が存在しているので,訪れたときにはその変貌ぶりに驚かされる.地学上も本物の「渓谷」が東京都23区内に存在しているのである.

 
渓谷内には遊歩道が整備されている


湧水 煮沸すれば飲める


等々力不動尊の滝修行の場


滝修行をするところ


稲荷大明神


渓谷内では,武蔵野台地の基盤を形成している地層を見ることができる


等々力不動尊

 

自由が丘の魅力【東京考察#147】

The attractiveness of Jiyugaoka


自由が丘駅前

 


 自由が丘は駅を中心として商店の広がるところである.流行に敏感でオシャレな「ブティック」が,普通の住宅街に点在しているように広がっており,ヒューマンスケールの魅力ある商業エリアとなっている.イメージに敏感な東急沿線らしく,街は最先端の流行によって彩られており,街並みも大変オシャレで女心をくすぐるような店舗も多い.街の形態としては「代官山」や「下北沢」に似ているようなところである.大学の飲み会やコンパは自由が丘が多かった.


竹細工のバスケットが並んでいる


店先にはプランターで植物が並べられている


商品のレイアウトの仕方がオシャレで,
自由が丘の店はどこかちょっと違うのである.


路地の一角にて


ちょっと足を止めて,入りたくなってくる


植物が一つのキーポイント


漢方薬を扱う「薬日本堂」
やはりこちらにも植物のプランターがある


路地には人で溢れる


自由が丘では路線バス(東急)もオシャレな塗装に・・・


でも,「ホッピー」を売る赤提灯飲屋街も存在する

 
アメ横のような雰囲気の残る「自由が丘デパート」が駅前にあるのも面白い

新宿駅の点景【東京考察#146】

The staffage in Shinjuku Station


新宿駅西口

 


 新宿駅は乗降客数が約320万人と全国一の規模を誇っている.西口には超高層ビル街の新宿副都心があり,東口には最大の歓楽街歌舞伎町を控えている.中学高校と6年間,山手線から小田急線へと乗り換えて通学していた頃,帰りは必ず新宿の雑踏の中で遊ぶといった生活を送っていた.新宿は,渋谷のような若者の流行先端を行く発信基地というよりは,ちょっと陰のあるダークなイメージがつきまとう大人の街といった感じであり,そんなところも新宿を魅力的にしている部分であろう.そんな新宿駅の点景をどうぞ.


西口小田急百貨店前
昔もこのように笠をかぶって「チリンチリン」とならす修行僧(?)がいた.


西口から見た副都心


近年,外国人旅行者のためのインフォメーションセンターができた.
いつも外国からの観光客で賑わっている.
(係員は英語は勿論,中国語,ハングル語も堪能)
一民鉄の「小田急」が開設しているところが素晴らしい.
恐らく箱根のPRからスタートしたのかも知れないが・・.


どこだか分かりますか.


西口のJR改札前


最近は青色のダイオード掲示板もお目見えしている


JR切符売り場
最近はSuicaやイオカードの普及により,昔ほど行列はできなくなった.


西口改札 最近の自動改札はスリムで開放的になった.
これだけ開放的にしても飛び越える人が続出しないのは,日本の治安の良さか.


西口のロータリーの地下
昔からここは薄暗い


西口から東口,新宿3丁目へと続く地下道
ショップもオシャレになって並ぶようになった


東口.金曜の夕方などは人々でごった返しており凄い喧噪となる.


そう,東口といえば歌舞伎町.


東口の有料化粧室.昔からある.
完璧な有料であり,お金を入れないとドアが開かない.


東口改札


構内のコンコース.


土曜日の午後なので,空いている.


山手線ホーム
混雑時はこんなもんじゃありません.
JRで発車メロディーを最初に導入したのは新宿駅と渋谷駅.

秋葉原の免税品店・免税店【東京考察#145】

The duty-free shop at Akihabara


DUTY FREE SHOP

 

 秋葉原といえば電気街である.日本が得意とするありとあらゆる電気製品を取り扱う街として,世界中から観光客がやって来て品質の高い日本製品を買っていく.秋葉原を歩いていると,世界各国から訪れている外国人をよく目にするが,製品の裏側をみて「Made
in JAPAN」ではない表示を見てガッカリすることもあるに違いない.
それはさておき,秋葉原に店を構える各大型電気店では,そんな外国人をターゲットにした免税品店を開設しているところが多い.それが,ビル丸ごと(といっても小さなビルであるが)全館を免税品店にしている店もあり,さながら外国に行ったような気分を味わえる.値札も英語や中国語などの表記になっている.現在は消費税込みの内税表示が義務づけられているが,ここでは消費税5%を除いた税抜き表示(つまり免税金額の表示)となっている.
そして,さらに免税品店の面白いところは,電気街なのに日本人形や扇子,東京のTシャツ,ゆかたや着物などを扱う,日本文化を存分に楽しむことができるフロアーが存在しているところである.「日本ってこんなイメージなのか!」と改めて日本人としてのアイデンティティーを感じさせてくれるのである.なんとも不思議な雰囲気になる場所である.もちろん日本人も入れるので,是非一度足を踏み入れてみると面白い.


いたるところに目につく「DUTY FREE SHOP」


こんな感じで商品が並んでいる.値札は英語,税抜き.
店内には国旗が並んでいたりする.


英語,中国語,ハングル,まるで外国のようだ.


でも,面白いのは日本文化の商品を売っているコーナー


日本人形やこけし


「SAKE SET」では,とっくりとおちょこ.
「TEA SET」では,急須と湯飲み.


着物や浴衣


日本地図の入った絵皿
地名が「MISAWA」「ATSUGI」「YOKOTA」「KADENA」「SASEBO」
全て米軍基地のある場所しか載っていないところが凄い.


極めつけは「日本刀」
日本でも日本刀を探すのは難しい


エレベータの階数表示
色々な国の言葉が並んでいる.
外国人の店員さんもいる.


最近は,外国人観光客向けのスタンド
「たこ焼き屋」もある

佃島【東京考察#144】

Tsukudajima


木造の建物が残る佃島


 佃島(つくだじま)は隅田川河口にできた自然の寄洲であり,江戸時代の初代将軍徳川家康の時に摂津国佃村(現大阪市西淀川区佃町)の漁師を招いて住まわせたところからこの名がついたという.この島と対岸(湊町)の間には「佃の渡し」があり,昭和39年の佃大橋の完成まで最大で1日70往復も運航されていた.佃大橋が完成するまでは「本当の島」だったのである.かつての「佃島」は現在の佃1丁目である.現在の佃2・3丁目はかつて「新佃島」という地名であったが相生橋で結ばれていて,佃島のようにまったく交通が遮断されていたわけではなかった.
佃島には氏神の住吉神社があるが,これは大阪の住吉神社を勧請したものだといい,漁民などの信仰を受けていた.特産品には「佃煮」があり,現在でも佃煮を販売する小さなお店には多くの買い物客が訪れている.


大正14年の古地図
これによると「佃島」は島となっているのがわかる.

 
木造の家屋が残っている
 


路地の後ろには大川端リバーシティ21の高層住宅が見える.
周辺には高層ビルが建ち,この「佃」だけ異空間が広がっている感じである.


狭い路地も残る

 
特産の「佃煮屋さん」


佃大橋と隅田川
かつてはここに渡し船が運航されていた


氏神の住吉神社

大川端リバーシティ21【東京考察#143】

Ookawahata River city 21


水上バスからみた大川端リバーシティ21


 もんじゃ焼きで有名な「月島」の北側の突端部に存在する再開発事業である.都心部における居住空間の回復を目指して住宅・都市整備公団(現都市基盤整備公団),東京都住宅局,東京都住宅供給公社,三井不動産の4者による再開発が行われたもので,東京における超高層住宅(三井不動産の分譲マンションは54階建て)の先駆けとなった開発である.昭和61(1986)年より着工され,地区面積は28.7ha,3886戸の住宅戸数を持つ.ちなみに,賃貸の場合の家賃は3LDK(75m2)で月額25万円であるという.
地区内には,住宅以外にも,教育施設やスポーツ施設,文化・商業施設も計画的に配置されているが,商業施設や文化施設は計画通りの誘致が難しく,一部住宅地に変更したりしている.都市計画道路によって東京駅とも直結しており(約2km),隅田川に面する部分はスーパー堤防の採用によって,川面がみれるように親水性が確保されている.隅田川の水上バスにのると,この大川端リバーシティの案内放送が流され,近未来的な超高層住宅の林立する再開発を眺めることができる.
再開発前には石川島播磨重工業(株)の工場が建っていた.ペリーが浦賀に来航した1853年,幕府の命令を受けた水戸藩がここに石川島造船所を創設したのが始まりで,日本人によって最初に設計・建造された蒸気軍艦「千代田形」など数多くの艦船が造られた場所である.明治に入ってから渋沢栄一などの協力によって民間会社としての石川島造船所となったが,1939(昭和14)年の造船部門の豊洲移転によってこの地での造船事業は終わりを迎えた.その後は,重機械類の専門工場として稼働していたが,1979(昭和54)年の工場移転により現在の再開発事業が行われるようになったのである.


最上階54階の住みごこちは如何に?


中にはオープンスペースがある


スーパー堤防により隅田川との親水性が保てるようになった.
スーパー堤防は堤防の上に高層住宅が建てられている形になる.
写真には写っていないが,右手には隅田川の川面が見える.


「フィットネス&スパ」の施設もある

西銀座チャンスセンター(宝くじ売り場)【東京考察#142】

The Nishi-ginza chance center

 


 西銀座チャンスセンター(旧名:西銀座デパートチャンスセンター)は,宝くじファンなら誰でも知っている売り場である.日本で最も多くの年末ジャンボ1等を出すことから,毎年全国から宝くじを求めてやって来る売り場である.年末ジャンボとなると大行列となり,人気のある1番売り場の窓口で購入するとなると1時間以上待ちは覚悟しなければならない.チャンスセンターは首都高速の下にある専門店街「西銀座デパート」の1階にある.JR有楽町駅から有楽町イトシアの脇を歩き,有楽町マリオンの中を通り抜け,銀座4丁目方面に向かって首都高速の下をくぐった左手(数寄屋橋交差点前の交番裏)にある.営業時間は9:00~20:00が基本,土日祝は10:00~19:00まで,ジャンボ宝くじ発売時は若干時間が延長する.

 


数寄屋橋交差点の向かい数寄屋橋公園前にある
(最初の写真)左の三角屋根は交番
(次の写真)交差点の反対側には「SONYビル」がある


広域の地図


奥にも売り場があるが,
一番人気は一番手前(左)の1番窓口


左から順に,
1・2・3・5・7番窓口となっている.
4番と6番はなくて,
ラッキーセブンの7番が一番右側にある.

この他にも西銀座デーパートの入口を越えた
右手側奥にも窓口があり,
さらに,超穴場の存在として,
地下1階にも西銀座チャンスセンターの窓口がある.


人気の高い1番窓口は,
実は2列となって2つの売り口がある.
窓の中には,
山のように積まれた宝くじの束(緑色)が・・・.


行列は列をなし,晴海通りへと続く


私も,つい並んでしまう.
晴海通りまで並ぶと約30分待ちとなる.

このページを見た方に
1等が当たりますように・・・

潮風公園【東京考察#141】

The Shiokaze park ( Odaiba )


ホテルグランパシフィックメリディアンを背景に
芝生が広がる潮風公園


 昔の東京都の区分地図を見てみると,現在のお台場は「13号地」と記されているだけの何もない茶色の埋め立て地の表記になっているが,潮風公園の部分はすでに緑色に塗られており「13号地公園」となっていた.かつての13号地の風景からは想像もつかないほど近未来的な都市に変貌したお台場であるが,公園の隣にある「船の科学館」とこの公園はお台場の老舗の施設と言ってよく,昭和49(1974)年の開園である.その後,臨海副都心・お台場の整備に伴って,平成4~8年に再整備され現在の潮風公園となった.かつては,品川駅と門前仲町駅を海底トンネル経由で結ぶ都営バスが走っていたが,当時は「海上公園」というバス停があって船の科学館へのアクセスを行っていた.草ぼうぼうの殺風景な埋め立て地だった風景がかすかに頭の中に残っている.
昔話はさておき,潮風公園はお台場の主要施設からは少し離れた東京港寄りにあるため,お台場の商業施設に来た人にとっては,この公園にわざわざ行こうと思って歩いてこなければ,気がつかない存在であろう.公園内には広い芝生や水遊びの出来る水のせせらぎ,バーべーキューコーナーなどがあり,家族連れでのんびりと休日を過ごすにはもってこいの場所である.また,風景が贅沢で,近代的なホテルやレインボーブリッジ,開放感ある東京港,そして羽田空港に離着陸する飛行機を眺めながら,非日常空間を体験するのも楽しいものである.

 
開放的な芝生が広がる(太陽の広場)


レインボーブリッジを背景に



バーベキューも出来る(要予約)


バーベキューは手ぶらで来ても大丈夫.
すべて貸出OK(食材も)



水遊びも出来る


家族の一コマ


隣には「船の科学館」がある
クイーンエリザベス号(6万トン級)と同じ大きさに造られている


ビニールシートを広げてランチタイム


13号地海底トンネルの坑口
首都高を挟んで北地区と南地区に分かれている


水と緑のプロムナード

竹芝桟橋【東京考察#140】

The Takeshiba pier


竹芝桟橋


 竹芝桟橋は,三宅島や八丈島などの伊豆諸島,父島・母島の小笠原諸島まで向かう船が発着する「竹芝客船ターミナル」があるところである.再開発によって「ニューピア竹芝」というオシャレなデートスポットに生まれ変わり,穴場的存在の場所でもある.ホテルインターコンチネンタル東京ベイをはじめ,レストランやショップも併設されており,竹芝埠頭公園には国旗の掲げられた帆船のモニュメントが置かれている.東京港(隅田川の河口)に面した部分には遊歩道が整備されており,晴海埠頭やお台場・レインボーブリッジなどのダイナミックで開放感ある景色を眺めることができる.
アクセスは,新橋駅・お台場から新交通ゆりかもめで竹芝駅下車徒歩1分,JR浜松町駅から徒歩約10分程度.


ランチクルーズ船


船乗り場


遊歩道からは開放感ある景色を眺められる

 
左:隅田川河口 橋は「勝どき橋」
右:お台場方面を望む


竹芝埠頭公園には帆船のモニュメントがある.


竹芝客船ターミナルの待合所 伊豆諸島・小笠原への玄関口


船への見送りが出来るように,送迎デッキもある.


「東京愛らんど」という伊豆諸島・小笠原の物産館もある

新橋駅日比谷口・烏森口【東京考察#139】

The Shimbashi station hibiya ・ karasumori gate


新橋駅日比谷口
(烏森口はさらに南側の出口)


 新橋というと「サラリーマンの街」というイメージがある.それは,新橋駅烏森口・日比谷口方面には霞ヶ関の官庁街をはじめ,本社業務の集中する虎ノ門を後背地に持っていることに起因している.線路を挟んだ反対側のオシャレで最先端の流行をいく汐留再開発とは対照的に,こちら烏森口はおしゃれな雰囲気はなく,赤提灯の一杯飲み屋が似合う,そんな街が形成されている.


日比谷口の広場にはSLが置かれている.
新橋(現:汐留)は日本鉄道発祥の駅である.
サラリーマンへのインタビューがよく行われているのも「ここ」.


烏森口は夜になると,サラリーマンが吸い込まれていく.


飲屋街.裏路地的な雰囲気がたまらない.


烏森口といえば「ニュー新橋ビル」ははずせない.
雑居ビルである.(詳しくは下で)


日曜日とあって,ほとんどの店が閉まっていたが,
このニュー新橋ビルには,サラリーマンのためのお店がカオス状態で入っている.


Yシャツがずらり


出張旅費を浮かせましょう.(チケットショップ)


営業の空いた時間に一稼ぎ!(パチンコ屋)


ストレス解消には指圧マッサージが一番.

このほかにも,薬屋・ハンコ屋・クリニック(病院)・理髪店・喫茶店・サラ金屋,
珍しいところでは,福島県いわき市のアンテナショップ「いわき・ら・ら」も入っている.


ニュー新橋ビルの壁面広告
やっぱり中年男性の悩みどころか・・・・.

渋谷スペイン坂【東京考察#138】

The Shibuya Spain slope


スペイン坂通り(開店前)

 


 渋谷という街は坂の街である.渋谷駅が谷底となっており,あとは外に向かうし従って徐々に上り坂となっている.そんな坂の地形をうまく利用して歩行者専用の道路があり,路地裏的な幅員の道路にびっしりとお店が張り付いている通りが「スペイン坂」である.なんともロマンチックな名前が付けられており,このヒューマンスケールの狭い道幅が,魅力を増幅している.頂上には東京FMのスペイン坂スタジオがあり,運が良ければガラス張りの放送室から人気のミュージシャンのライブ放送を見ることができる.スペイン坂を最初発見するのは難しいかもしれない.センター街を突っ切って右に曲がって,ハンズの手前で右に入る.ロフトの先のパルコの手前で左に曲がる.地図を見ながらたどり着きましょう.


スペイン坂
途中階段になる


上から下を見るスペイン坂
まだ午前中の開店前なので人通りが少ない


頂上にはミニシアターがある


そして,東京FMのスペイン坂スタジオ
パルコの1階にあたる

渋谷ハチ公前【東京考察#137】

Shibuya Hachiko


忠犬ハチ公


 渋谷ハチ公前はあまりにも有名な待ち合わせ場所である.週末の夕方となると,溢れんばかりの人だかりができていて,相手を探すのにも一苦労する場所である.そのため,待ち合わせを指定するときは,「喫煙所の近く」とか,半蔵門線(田園都市線)の階段の上あたり,とかハチ公前でもさらに細かい場所を指定しないといけない.
ご存じの方も多いと思われるが,忠犬ハチ公は大正12年秋田県で生まれた秋田犬で,農業土木の博士であった上野栄三郎に飼われていたが,先生が亡くなってからも毎日渋谷駅前で先生の帰りを7年間も待ち続けていたという実話があり,これが人々に感銘を与えて銅像が造られたものである.しかも,この銅像はハチ公が生きているときに造られており,ハチ公の目の前で除幕式が行われている模様の写真が残っている.生きているうちに銅像が建ってしまうのだから,偉大な犬である.戦時中には金属回収令により撤去されてしまったため,今の銅像は昭和23年に再建されたものである.ハチ公は昭和10年3月に11歳で一生を閉じたが,ご主人である上野先生のお墓の隣(青山墓地)に分骨が埋葬され,ハチ公の亡骸ははく製として上野の科学博物館に保存されている.


詳細地図


ハチ公前広場
夕方になると大混雑する(この中に小さくハチ公が見えます!)


今は喫煙所もできた


ハチ公前広場


スクランブル交差点・センター街方面を見る


「地下鉄階段の下から5段目」などといった待ち合わせ方法も・・・


JR線を降りて最初に見える風景


実は,こんな平和の銅像もある


もうひとつの待ち合わせ場所である「モアイ像」
ハチ公前とは京王井の頭線を挟んだ反対側にある